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プロローグ

それは、身分違いの恋でした

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 身分違いの恋をした。


「そんな、腫物を扱うみたいに、しなくて、いいです、からっ」
「あ? 優しくしろっていったのはお前だろ。フェイ」
「い、ったけど。違う。違う、そうじゃなくて……っ!」
「覚悟決めろ。これが初めてじゃねえだろうが」


 月明かりが差し込む寝室。キングサイズのベッドの上に押し倒され、何度も見たはずのたくましい筋肉を前に俺は顔を覆って首を横に振ることしかできなかった。小麦色の肌はつやつやしていて、鍛え上げられた身体はバキバキに割れていて、でも身体には癒えない古傷があって。いつもは一つに結んでいる金粉をちりばめたような黄金の髪が肩にかかってて、それが色っぽくて。そして、俺のこと逃がさねえってまっすぐと射抜くその切れ長の鮮血の瞳に見つめられれば、俺はいつだって心臓を鷲掴みにされたように動かなくなる。
 この人のこと好きだ。どうしようもなく、好き。好きだなあって頭が沸騰する。だから、見ないでほしかった。
 その鮮血の瞳が、バカみたいな俺をさらにバカにさせて、勘違いさせる。目の前の人が、俺を今から抱く人が、俺のことを好きなんだって、そんな身分違いも甚だしい勘違いを。


「じゃあ、今日はやめるか?」
「こ、ここまできて!?」
「嘘だ。つか、お前が嫌がりだしたのが発端だろ?」


 少し呆れたような声に混ざるつやっぽい声。もう待てない、とそう言っているようにしか聞こえない、吐息交じりの声に耳が茹りそうになる。それに、どうせ逃がさないってすでに俺の足を持ち上げて、自分の肩に乗せているし。やらないわけがないことはわかり切っていた。
 この人は、こんなふうに人にやさしくするタイプじゃなかった。少なくとも出会った当時は……今だって、からかって、俺の純情を弄んでいる。酷い人だ。
 俺の毛先の白い黒髪を弄りながら、「どうする?」なんて、ニヤニヤと俺が折れるしかないこの状況を楽しんでいる彼は、とても皇族とは思えないほど意地悪な顔をしていた。一発なぐってやりたいが、あまりにも整いすぎているその顔を殴るのはためらわれる。それも、ずるい。全部、全部ずるい。
 そう、彼は皇族であり、俺が持っていないものを全部持っている皇子様。ただ、一つ俺と似ているのは嫌われ者ということだけか。そんな共通点はないほうがいいし、傷の舐めあいだとか、そういうのは思いたくない。俺たちの関係はそうじゃない。
 それに、嫌われていても彼は皇族で、その証である黄金の髪と鮮血の瞳を持っている。皇族の象徴を、血が流れている。

 アーベント・ヴォルガ第三皇子殿下――それが彼の名前であり、皇族でありながら皇位継承権を持たない嫌われ者の第三皇子。
 そして俺は、元貴族……没落貴族だったフェイ・シックザール。いや、苗字を名乗ることすらできなくなったただのフェイ。家無し無一文で、とあることで彼に拾われる形で屋敷で働くことになったが、それでも使用人と皇族。その溝は一生埋まることはない。俺が貴族だったとしても、皇族と貴族の間には分厚い隔たりがある。それに、貴族だったところで最下級の貴族。皇族とお近づきにすらなれなかっただろう。
 だから、どういう運命か、めぐりあわせか。彼が俺を抱くなんてことも、俺に執着という名のかわいくない感情を向けることも、普通ならありえなかった。今だって夢みたいだ。


「で? そろそろ、答えを出してもらわねえと、夜が明けるんだが?」
「わかってるくせに、酷い人だな……」
「言わせたいんだよ……わかれよ」


 と、少々いらだったように言う。ピクリとこめかみが動いて、前から人相悪そうだった顔が、さらに悪人顔になる。上から言ってくるその物言いは何度聞いても腹が立つ。
 でも、怖いくらいに真剣な顔で見つめられて、俺は結局言い返せずその美しさに息をのむ。だめだ、俺はこの人に弱い。そう自覚させられて丸め込まれて、身分とか、どうでもよくなって流されて楽になろうと委ねてしまう。
 言葉はいらなかった。それを合図に、俺の唇に彼のそれが重なり、ぬるりと熱い舌が入り込んできた。その舌は俺の口内をゆっくりとなぞり上げ、歯列をなぞり上げ、そして俺の舌をつつく。その舌に誘われるままおずおずと舌を差し込めば、彼は俺のそれを絡めとって、そして強く吸い付いてきた。じゅっという水音が耳に響くのは、きっとわざとだ。


「んっ……ふ、ぁ……ん」


 もう何度もしている行為なのに、いつも緊張してしまうのはなんでだろう。
 彼のキスはいつも強引で、でも優しくて、俺はその熱に浮かされるまま身を委ねてしまう。
 そうこうしているうちにいつの間にか服は脱がされていて、素肌をさらけ出した俺を彼はふっと笑う。バカにしているんじゃなくて、きれいだなって恥ずかしいこと思っている顔で。


「その顔、やめてください、よ」
「どんな顔だよ」
「どうせ、わかってる。言わせたいんでしょ、また」
「ふーん、そういうってことは言ってくれるってことだよな?」
「は~恥ずかしくなるのは、そっちでしょ?」 
「さあ、どうだろうな。でもまあ……お前に言ってほしい」


 そういうのがずるいって言ってるんだ。そう文句を言いたいけど、またキスで口をふさいでしまうから言えない。
 その代りに俺も彼の首に腕を回して抱き着いた。されてばかりだから、仕返しのつもりだった。こっちも恥ずかしくなって、しっかりと見たわけじゃなかったが、一瞬だけ彼の顔が、目が丸くなった。だが、すぐにも嬉しそうに目を細め、意地悪気に口角を上げる。


「積極的だな」
「……今日だけかもしれねえから」
「あ?」
「いーや。何でもないですよ。さ、続きしてくださいよ」
「俺に命令するとは、偉くなったな。フェイ。優しくしてやろうと思ってたのに、煽りやがって」
「相変わらず、煽り耐性がないですねー皇子様は」


 俺が笑えば、彼は頬を引くつかせながら俺の顎を掴む。煽り耐性が全くないというか……図星をつかれたときの機嫌の悪くなるのは、彼と一緒にいてわかるようになってきたことの一つ。その悪くなった機嫌を取るのも俺の仕事のうちで。
 もう黙れというように、さっきよりも強引なキスで口をふさぎ、舌をからめとっては吸い上げる。そんな求めているんだっていうキスが俺の心をさらにかき乱す。
 アンタの瞳に俺の金色が映る瞬間が好きだ。俺のことしか見てなくて、俺のこと好き―って言ってるアンタの顔が好き。


(でもこれは、身分違いの恋――)


 わかってる。嫌われていても、皇族は皇族で、彼は皇子様で。皇位継承権がなくったって、その美形に群がる人はいっぱいいるって。俺みたいな没落して家の名前ごと消えちゃって、盗みをして生きてきた人間とは釣り合わないってわかってる。
 それでも、今彼に必要とされて、少しの間でも愛されているっていう夢をみるくらいは許してほしい。
 そして、いつか彼に大切な人が現れて、結婚したいっていう人が現れて……そのとき、彼を送り出せるように、この恋心は眠らせるべきなんだ。


(あー酷い。本当に、酷いですよ。アーベント殿下)


 アンタに拾ってもらっただけでも、出会えただけでも人生の運全部使っちゃったっていうのに、こんなに執着されて、愛されるなんて聞いていない。これ以上愛さないでほしい。俺なんか、汚い男を、これ以上……
 そんなみじめったらしい言葉が出てこないようにと、彼にねじ込まれた唾液と一緒にその言葉をもう一度飲み込んだ。

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