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第4章

07 二人の私

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「――待て!」
「逃がすな!」


 入ってきた刺客たちは、私たちが逃亡しようとしていることに気づき各々武器を構えたが、殿下は一足早くに窓から下へと飛び降りる。三階という高さだったが、殿下は器用に魔法を駆使して、落下を軽減し、倒れた刺客たちの間に降りると剣を引き抜き、まだ息のあった彼らの胸を貫いた。
 容赦なく飛び散る血は、殿下の服を汚す。


「ゼイン……」
「まさか、怖気づいたわけではないな。貴様も騎士なら、見慣れているだろう」
「はは……帝国が平和なので、そういう事態には遭遇しませんけど。でも、ゼインは……大丈夫です、足は引っ張りませんから」


 殿下は私と違って数多の戦場を駆け抜けてきた英雄だ。裏切りも、挟み撃ちだってあったことがあるだろう。一人で大勢の人間を相手したこともきっと。私とは踏んできた場数が違う。それが、殿下と私の決定的な経験の差だ。


(こんなの見せられちゃったら、勝てないって思っちゃうけど……でもいつか)


 べテルとしてじゃなくても、殿下には勝ちたい。それは、私が剣を握ってふるう理由にもなっていたから。
 先ほど仕留めた刺客を確認しつつ、上からも下からもぞろぞろとやってきた刺客たちを殿下は見ていた。


「面倒だな。ペチカ、中庭の庭園まで走れるか?」
「は、はい」


 確かに見通しも悪いし、何よりも通路が狭い。かといって、庭園で暴れられてもと思うが、あそこは高い建物から離れているため上から狙われる心配はない。そして、足場もいい。
 殿下の後ろをついては知りながら、飛んでくる弓矢の攻撃をはじいて落す。これくらいは造作でもなく、刺客たちも、私が戦えるということに驚いているようだった。ディレンジ殿下が送り込んだ刺客とはいえ、そこまで詳しい情報を聞かされていなかったのだろう。


「本当に貴様は、護衛にしたいくらい最高だな」
「お褒めにあずかりありがとうございます。ですが、貴方の護衛にはなれそうにありません」
「そうだな。わかっている。いっただけだ」


 と、殿下は言いながら前から現れた刺客をばっさばっさと切り倒し道を開ける。彼の進む道は真っ赤に染まっていき、私にも刺客の血飛沫が飛んでくる。この通路を抜けた先に庭園の入り口があり、その手前で私は止まる。そこに先客がいたからだ。


「……っ」
「どうした?」


 殿下は目の前に現れた人物に気づいていないようで、私の表情を見て次に目を凝らした。
 暗闇から現れたのは、サーモンピンクの髪を短くなびかせた騎士服を着た私……いや、ベテル・アジェリットだった。うつろな海色の瞳で私を見据え、スッと剣を引き抜き、そして構える。月明かりに照らされた白い刀身には女の私が映っている。


「べテル……」
「ああ、あれが、ディレンジと貴様の母親が掘り起こした亡霊か。俺が……」
「いえ、大丈夫です。ゼインの手は煩わせません」


 殿下が剣を構えるので、私はそれを制止し一歩前に来た。後ろからはまだ資格が追ってきているが、庭園にいるのはべテル一人だった。
 彼からは異様な魔力を感じ、人の形をとっているだけの人形ということがすぐにもわかった。ベースになっているのがべテルの頭蓋骨だからだろう。その姿はきれいに映し出されている。実態があるのかないのかは切りあってみなければわからない。だが、私よりも筋肉のついたその体を見ていると、私が男だったら……いや、べテルが生きていたらそうなっていたんだろうなということが考えられて胸が締め付けられる。
 殿下に啖呵を切った手前、負けることなど許されず、ここで死ねば、べテルが私に成り代わるだろう。ペチカが死んだものとして。


(これで最後よ。ペチカ・アジェリット。自分で終わらせなきゃ……)


 いつも、私が決定する前に困難は降り注ぐ。勇気があと一歩振り絞れない私にチャンスを与えるとでもいうように、試練が立ちふさがる。私はそれを真正面から受け止めて、そして乗り越えていかなければならないのだ。
 風に靡く大好きな髪は今はうっとうしく思えた。
 じりっと一歩歩み寄り、互いににらみ合って、風が途切れた瞬間戦いの火ぶたは切って落とされた。


「くっ……!」


 キンッと響く金属音。彼の剣は私が持っている剣よりも短いが重い。受け止めようにも、その重量と力に押し負けそうになり、私は何とかそれを横に受け流すので精いっぱいだった。


(早い、し……重い、強い!)


 早さが武器なのに、それはあの亡霊も一緒のようでひゅんと剣を回しては、こちらに向かって突進してくる。
 再び剣が交差し、力で押し切ろうにも彼の力も強すぎて私はじりじりと後ろに下がっていく。力では勝てない、そう自覚しつつも、距離を詰められればどうしてもぶつかることになってしまい、敗北の文字が目に浮かぶ。
 こんなところで負けたくない。
 べテルに……私が元の場所に眠らせてあげなければならない弟にまけるなんて死も同然だと。 
 どうにかぐっと柄を握りこんで、渾身の一撃と押し返す。キンッとぶつかり合う音がすると彼は後ろへ飛びのいた。それを見越していた私はすぐに構え直してまた攻撃を繰り出すが今度は受け止められてしまう。
 後ろでは殿下が刺客を片づけている音が聞こえる。でも、一人で、いつまでもなんて耐えきれないと思う。お兄様がいればと思ってしまうが、そんなのではどうすると心の中にいる騎士の自分が声をかける。


(あきらめないで。大丈夫、自分にはその力があるでしょう!)


「ふぅ……べテル。私は、貴方のことを嫌いだと思ったことは一度もない」
「……」
「貴方はもう死んでいるし、この言葉は聞こえないかもだけど……姉として貴方にしてあげられることがあるとすれば、一つ……!」


 剣先を再度べテルののど元に向ける。
 べテルの表情は変わらなかった。だって亡霊だし、話しかけてもきっと何も返してくれない。本当だったら何を思っているのか。貴方を生きているように見せかけた私やお母様、周りの人をどう思っているのか知りたかった。でも、それを知ることは一生ない。でも、これが償いであり、決別であるのなら、私はそれを背負って生きる。
 ベテル・アジェリットはここでもう一度死んで、眠るのだ。


「いくよ、べテル。私はもう逃げない!」


 はあああっ! と声を上げ、私はべテルに剣を振りかざす。すかさず、それをべテルは受け止めるが、私は押し合いになる前に追撃をと彼の頬をかすめ取る。本当は傷つけたくない。けれどそんなことを言っていられる余裕なんてない。
 勝つと決めたのだから、殿下と同じように背負うと決めたのだから、と私は連続で彼に攻撃を当て続ける。べテルは反応できなくなったのか、剣で多少の攻撃は防ぐもののすべてを防ぎきることはできず、片膝をつく。切り裂いたところから流れるのは黒い靄で血ではなかった。それが少しだけ罪悪感を軽減して、私はべテルに向かって剣を振りかざす。きっとこれが最後の一撃だ。


「ねえ……さん」
「べテル?」
「いいよ。終わらせて」


 と、べテルが剣を落とし、私に微笑みかける。私ははなしてしまいそうだった剣を握って、べテルに向かって剣を高く振りかざし、彼の首を切り落とした。刹那彼の体が消えていき、最後にべテルが私に微笑みかける。それは、まぎれもなく私の顔ではなくてべテルが私に向けた笑顔で、彼は最後ありがとうと言いながら消えていった。残ったのは六歳くらいの頭蓋骨で、それが地面に落ちる前、私は剣を投げ捨てそれを両手で抱きしめた。
 カラン、カン、カン……と剣が地面に当たって音を立てる。
 私は両手に弟を抱えひび割れたその頭蓋骨に優しくキスを落とす。


「……うん、お休み。べテル。安らかに」


 再び吹き付けた風が私の長いサーモンピンクの髪を揺らす。こうしてべテルとペチカの間に決着がつき、私は、私の中にあった小さな星に敬礼し、地面に落ちた剣を拾い上げた。

 
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