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第1章
04 出直してきてください♡
しおりを挟む「……」
「……」
淹れられた紅茶はとっくに冷めている。
(何よこれ、この状況!?)
かれこれ、彼が来てから一時間ほど経つだろうか。もっとかもしれないし、そこまでたっていないかもしれない。時間の感覚が嫌になるほどに、息の詰まる空間に、私は耐えがたい苦痛を感じていた。
久しぶりのドレスに、お兄様に魔法で伸ばしてもらった髪の毛。それは腰までサラリと流れ、毛先に情熱的な濃いピンク色が入っている。もともとそういう髪質だったのだと、自分でも驚くくらい、この長さは久しぶりだった。そして、こんなにも可愛かったんだと、自分だけどうっとりとしてしまった。
可愛いドレスは、赤色で、美しいレースはふんだんにあしらわれ、魔法では隠しきれなかった努力の跡が見える手は、これまたレースの手袋で隠している。メイドたちの多大なる努力の結晶ともいえる、令嬢としての美しさを取り戻したわけだが、それを一番初めにお見せするのが、毎日のように顔を合わせている殿下なんて誰が想像できただろうか。
それに、殿下は私がベテル・アジェリットという名で騎士として欺いている令嬢なんて知る由もないわけで。いえば、初対面。
見合い、といいつつも、その手続きは滞りなく行われて婚約者となってしまい、私は逃げるに逃げられない状況となってしまった。お母様がよく許可したと思ったが、お母様は私を私としてみていなくて、ペチカのことはどうでもいいのだろう。ここまでないがしろにされるのはさすがに、とくるものがあったが私が口出しできることでもなかった。公爵家としても、皇族側と一段ときずなが深まり、その威厳を保てるのであれば大歓迎だったのだろう。また、皇族側からしても、私が――ペチカ・アジェリットが都合のいい人間だったという話だ。それが、何よりも憎らしく、私の気持ちをないがしろにしている。
知らぬ間に、婚約者になっており、見合いではなく、顔合わせ。
婚約者になってからの初めての顔合わせは、すでにお葬式のようなムードになっている。
部屋には二人、向かい合って。
「貴様は――」
「はい」
「……つまらないな」
「はい?」
ようやく口を開いたかと思えば、悪口で、思わず聞き返してしまった。
殿下は、ぬるいと言いつつも紅茶に口をつけ、ズッと飲み干すと口元を手で拭った。
「ベテル・アジェリットが面白いやつだったから、貴様にも期待したが、姉は噂通りの姉だったな」
「はあ……?」
私がこの間曖昧に誤魔化したせいもあってか、殿下は今流れている情報を頼りに私を見極めたらしいが、つまらないと言われる筋合いはなかった。それも、ベテルと比べるということは、殿下には男色家なのだろうか。私は、顔が似ているというより本人なので、それもあって選んだというのならなんとなく辻褄はあう。全く最悪な話だけど。
「ここに来てから、会話らしい会話が一つもない。つまらないと言っている。病弱で、社交の場にも出ないから、しゃべることを忘れたか?」
「殿下の前で、何をしゃべればいいのでしょうか」
「貴様の弟は、好き勝手喋るぞ。俺が聞いていないことも」
「弟が」
「ああ、あいつは面白い。女のような顔をして、男に混ざって。でも、その腕は確かで、実力もある。何よりも、この俺に突っかかってくるのが面白い」
「では、殿下は、弟の顔が好きだと」
「なぜそうなる?」
「いえ、なぜこの会話でそう思わないとお思いで?」
顔というよりかは、ベテルという人間性にひかれているともとらえられる。ならば、顔じゃないか。顔ではないのか……と、心の中で思いつつ、ちらりと殿下の顔色をうかがう。不愉快だと眉を顰めてはいるが、さすがに手を出そうとはしてこなかった。
(この間の、ナイフはびっくりしたけど、いつものことだし……)
ベテルの思考が残っていて、このままではバレてしまうのでは? と、私はペチカに戻る。長いこと戻っていなかった本当の私は、私を見失っていた。
「確かに、お前の弟の顔は、好きだ……だからといって、貴様の顔が好きなどでは」
「まあ、別にいいんじゃないですか。私は嬉しいですよ」
「なっ!?」
「殿下?」
スッと顔を上げて、少し上目遣いで見れば殿下の顔が真っ赤になった。そのルビーの瞳を爛々と輝かせ、口元を覆って耳を赤く染めている。何が彼のツボに入ったかは知らないが、やはり顔ではないかと思ってしまうのだ。
(顔……ね……)
胸が少しだけ傷む。やはり、決め手はそこなのか。まあ、上かが決めたことだし私は異論はないけれど、殿下が私を……ベテルを好いている以上は、私は一人二役なんてこの人の前で出来やしない。婚約破棄に持ち込めるかが肝となる。私は、最悪、ベテルとして生きることを選ぶから――
「ど、どうした?」
「いえ。顔がいい令嬢なら他にもいると思いますが。お引き取りお願いできます? 少し不快なので」
「貴様、皇太子に……まして、婚約者に対して」
「私は、婚約者として認めていないので。拘束性はありますが、破棄できないものではないでしょう? どうかお引き取りを」
嫌われれば、破棄してくれる。きっと、殿下のことだからおこって出ていくだろうと思った。その場合、お兄様にもお父様にも怒られそうだけど、そのうち、また殿下の癇癪が、で納めてくれるだろうと思った。だが、私の予想に反し、殿下は立ち上がると、私の腕をつかみ上げた。
「――ダメだ。婚約破棄は」
「何故ですか。い、痛いです」
「細い腕だな。折れそうだ……」
そう言って、私を引っ張るようにして部屋を出れば、適当な客室の扉を開くと、そこにあったベッドの上に私を投げた。
こんなにも抵抗できないものなのかと、不覚をとったと騎士としてあるまじき意識……そう思って顔を上げれば、彼は私の上に馬乗りになった。
「脱げ。ペチカ・アジェリット公爵令嬢」
「何故ですか?」
「今からヤるからに決まっているだろ。それとも、ベッドに連れ込まれて、男女が二人……いくら病弱な箱入り令嬢とはいえ、この意味が分からないではないな?」
(は、はい!?)
あまりにも性急、脈絡もムードもない。
だが、振りほどこうとしても、今の私はペチカ・アジェリット。病弱な令嬢を演じるためには抵抗をしてはいけないと思った。そして、抵抗しないことに殿下は気づいたらしく、ハッと吐き捨てるように髪をかき上げる。
「震えているな……これだから、女は苦手だ」
「では、抱かなければいい話なのでは? てか、こんなことが許されるとでも思っているのですか?」
「……身体の相性は大事だ。最も、大事なのは、お前が子供を埋める身体かどうかだがな」
「……」
まだ婚約して、そして顔を合わせてはじめましてなんですけど?
殿下にはそう言った常識が通じないのか、彼は私の言葉に耳を貸そうともしなかった。それだけではなく、どこか焦っているようにも思えるその言動に引っ掛かりを覚えないわけにはいかなかった。
「貴様の弟は、もっと威勢がいいぞ? 俺につっかかってくる。貴様の兄のよしみで相手をしてやっているが……まあ、面白い男だ」
「弟……」
「病弱な貴様とは違い、良く動き、食べる男だ。少し小柄なのが残念なところではあるが、腕っぷしもいい。剣さばきも、身軽さも……近衛騎士団の中で一目置かれている。ベテル・アジェリットは」
「……」
口を開けばベテルの時の私と比べる。この人は私をどうしたいのだろうか。
「そうですか、弟がお世話になっているようで」
「ああ、そうだな。それはもうお世話になっている……貴様を選んだのは、俺にとって都合がいいからだ。俺の女嫌いについては、貴様もよく知っているだろう?」
「はあ、まあ、存じてますが」
「貴様は、条件がいい。俺にベタベタしない、俺に好意がない……まあ、こんなところか」
確かに、欲しい条件はそろっているだろう。女性嫌いの殿下にとっては。
でも、あまりにもこちらの気持ちがないがしろにされている気がしてならない。そんなの、まw理が許しても私は許せない。許したくない。
「皇太子殿下は、弟のことが好きなのですか?」
「あ?」
「男色の噂は聞きませんが、弟に執着しているように思えましたので」
「……顔がいい」
「へ?」
先ほどは違うといったくせに、殿下は、口元に手をやって顔をそらす。聞き間違いでなければ、顔がいいと認めたのだ。あの暴君様が。
そして、やけくそだと言わんばかりに、彼はああっ! と叫んだうえで、耳をまたも赤く染めて口を開いた。
「顔が可愛い。貴様の弟は顔が可愛い。貴様の弟だろう。双子の! だから、顔も似ているだろうし、条件もいいから、婚約者として最適だと思ったのだ!」
「は、はあ……」
はあ、はあ……と息を切らして殿下はこれ以上喋ることはないと、私の服に手をかけた。
抵抗しようとすればそれなりにできるのだろうが、彼が本当に私を抱くのか、少し気になってしまった。だが、これは強姦であり、皇太子であっても、婚約者であっても私は許容できない。
抵抗の代わりに睨みつけてやれば、殿下は私と似たように目を細めた。
「強姦ですが」
「違うが? 婚約者だ……一応、貴様は未来の妻だ」
「はあ……」
「本当に貴様も、おかしな女だな。弟と一緒で」
「別に、らしいと思ったんです。やり方が」
「何を言っているか分からないが、黙って抱かれろ」
「……はあ~黙って抱かれるわけがないじゃないですかね……! 皇太子殿下っ!」
「んなっ」
これ以上の戯れは付き合っていられないと、私はつい足が出てしまった。その足は、殿下のみぞおちにクリーンヒットして、彼はうっ、と苦し気に声を漏らし私から手を離した。そのすきに私は立ち上がって、剣を突き付けるように、彼を見下ろす。形勢逆転で、彼は見くびっていた女が実は強者であったと認めるように、私をルビーの瞳で見あげた。
その光景は私の心を少しだけ、ゾクゾクとさせる。
「無理やり抱かれるのは、趣味じゃないので。出直してきてくれると、嬉しいです。皇太子殿下と、婚約破棄してください」
「クソ……ッ、足癖の悪い女め」
みぞおちを抑える殿下は悪態をつく。これで嫌いになってくれればいいのだが、彼が婚約破棄をされて困る理由が分からないことには、まだしてくれないだろう。だが、ダメの一押しで、私はにこりと微笑んだ。
「私はまだ貴方を婚約者として認めていませんので。出直してきてください。よければ、婚約破棄してください」
「ハッ……病弱かと思えば、とんだじゃじゃ馬令嬢だな。面白い……婚約破棄はしない。いずれ、貴様を手に入れる」
「いえ、心も体も手に入らないものだと思っていてください。では」
追いつかれる前に逃げるように部屋を出る。戦略的撤退だ。
そして、彼が部屋から出てこないのを確認したのち、私は部屋に戻って髪を切り落とす。とりあえず、お兄様のもとに行って、しっかりと説明してもらわなければこちらとしても腑に落ちない。
どうせお兄様のことだから全部知っているのだろう。
「絶対に婚約破棄する。あんな暴君、願い下げよ」
決意を胸に踏み出した一歩は、男性の歩幅のように大きかった。
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