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第3部3章

05 アインザームside

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 早いもので、三か月経つ。

 記憶をなくしていた二か月よりも長い時間、俺は公女の足取りがつかめないまま、前線に出ていた。落とすべきところはもう目と鼻の先にあり、この戦争も早くに終結しそうだ。
 フルーガー王国の宣戦布告により始まった戦争だったが、お粗末な作戦に攻撃に、俺たちはひるむことはなかった。ヤケになっているのか、または操られているのか知らなかったが、脳のないやつらの攻撃をかわすのは赤子の手をひねる様なもので、帝国に攻め入ってきたときはどうしたものかと思ったが、退けることも簡単だった。こんなにも簡単ならば、こちらから戦争を仕掛けて陥落させればよかったと思ったが、それでは現皇帝とやっていることが同じだろうと、俺はその考えを捨てた。戦争がなくなればいい。苦しむ人がいなくなればいい。それはずっと思っていたことだったから。

 ただ、少々頭に血が上っていたこともあり、いつもより残虐性が増していたと自覚している。
 魔導士の攻撃に備え、俺たちはひそかに作っていた兵器でそれらを退け、魔導士を完封した。フルーガー王国は、魔導士たちの力を借りれば勝てると思っていたのか、兵士たちの個々の強さはそこまでではなかった。この国も、ゲベート聖王国の王族、ヴァイス・ディオスの気まぐれに遊ばれた哀れな国だ思い、俺は軍隊を進めていた。公女の足取りはつかめずにいたが、それでも確実に彼女に近づいている気はしていた。


「殿下寝てください」
「もう目と鼻の先だ。すぐにでもロルベーアを奪還する」
「ロルベーア様がそこにいる保証は?」
「……勘だ。だが、これは元番であり、婚約者である俺だからわかるんだ」
「殿下……」


 あの竜人族の男の力も借り、ここまで攻め入ることができた。
 あの男は全部を吐いた。公女がこうなることを予見して手を回したこと。竜人族の仲間に報酬を与えることを条件に仲間を引き連れ、戦争に参加したと。最も、竜人族はゲベート聖王国および、それに関係する国であるフルーガー王国には相当な恨みがあるようで、殺意のこもった火球ブレスで兵士たちを一掃していた。それはもう圧巻だった。
 そして、もう一人の男もヴァイス・ディオスとの関係を吐き、公女からすべてを託されていることを放した。
 記憶を失っている二か月の間、公女は俺に黙ってひそかに手を回していたらしい。自分が使えるものなど限られているが、その中でも彼女の持っていた手ごまというのはあまりにも価値があり、使えるもので自分がいなくなった後も、俺のことを考えてここまで……
 それに気づけなかった自分のふがいなさと、そこまで彼女を追い詰めていた自分の情けなさに腹が立った。
 だが、彼女がやったことが間違っているわけでもない。彼女は、戦争のことをよく理解していた。本を読み、資料をあさり、そして俺の過去の功績まですべて調べ上げた。そのうえで、マルティンや公爵に協力を仰ぎ、フルーガー王国とゲベート聖王国の情報を集め、そして、戦争が勃発した時に帝国が有利に動けるようにと駒をいくつか用意したのだ。
 おかげで、短い期間で攻め上げることができ、ここまで来ることができた。
 本当に、公女さまさまで、またただの意地っ張りでわがままで……守ってあげなければならない存在ではないと、彼女は知らしめたのだ。それが、未来の皇后としての役割だといわんばかりに。
 マルティンに心配され、俺は鏡で自分の顔を見た。やつれ、色も青白い。目の下にくっきりとできた隈はまるで病人か、死神だ。彼女がほめてくれた髪も色が少し褪せているような、皇族の証である赤い髪は覇気を失っていた。
 こんな顔で公女に会おうものならまた心配される。それでも、休んでいる暇はなかった。


「状況は?」
「変わらずです。殿下が蹴散らしたこともあり、あちらも出を窺っていると。しかし、城に建て込まれては……」
「それも蹴散らすだけだ。また竜人族の奇襲で仕掛ければいい。そうすれば、火にまかれて死にたくないとあっちから出てくるだろう」
「……フルーガー王国の現国王は?」
「それもとらえればいい。もう少しで、この戦争も終わるんだ。何をそんなに心配する」


 俺を信じてあまたの戦争を駆け回ったマルティンは、なぜか不安そうに俺を見ていた。それはまるで、俺が戦闘狂だと、恐怖の象徴だった全盛期を思い出すように、恐れおののいているような表情だった。


「殿下、冷静さがかけております。わたしは、とても心配なのです。殿下がまた傷つくのではないかと」
「傷つく? 公女を失って、これ以上傷つくことはない。彼女を取り戻せばきっと……」
「そうではありません、殿下。頼みますから、目先のことばかりにとらわれないでください。きっと、ロルベーア様もそういいます」


 と、マルティンは必死に訴えてきた。
 公女の名前を出すことで、俺が怒るかもしれないということを知って、それでもわざわざそれを口にしたのだ。それほど、俺は追い詰められ、冷静さがかけていると。
 マルティンに言われ、公女の顔を思い出す。確かに、血も争いも嫌い、平和主義者な彼女が今の俺にあったら、失神してしまうかもしれない。そこまでして何になるというかもしれない。彼女を救い出すことだけにとらわれていては、俺は――
 息を吐き、髪をかき上げる。長くうっとうしい髪も、公女が好きだといってくれるから切れずにいる。俺の中心には彼女がいる。だからその中心を失えば俺はぐらついてしまう。それほどまでに俺は弱くなっていた。いや、大切なものを手に入れたからこそ、強くなり、もろさが浮き彫りになったというべきか。
 強くなった、そして弱くもなった。いえば、人間らしくなったのだ。それを、マルティンや周りの人間はよしとした。慕われる皇帝になるには、心のない戦闘狂などではなく、人間らしく振舞える、善悪を判断し、聡明で威厳ある人間にならなければならない。この年になっても、俺はまだ成長し、未熟さを排除しなければならないのだ。二年の間に即位していたら、もしかしたらうまくいっていなかったかもしれない。死んでしまった情緒を育てるための期間だと思えば、二年は短いほうなのだろうか。それも、公女と出会わなければ俺は最も、人間になっていなかったかもしれない。


「すまなかった、マルティン」
「い、いえ。殿下が、そんな謝ることなど……」
「いや、お前のことをないがしろにしすぎていたなと思ったんだ。これほど優秀な補佐官はいない。首が飛ぶ覚悟でものを言えるやつはお前以外にいない」
「殿下……」


 人を大切にすることを学んだ俺は強い。
 マルティンはようやく安心したように着崩れていた服を着なおし、ベルトを締めた。
 一つ聞けない忠告があるとするなら、休むことはできないということか。もう目と鼻の先……そびえたつ城に公女がいるはずなのだ。だから、この夜が明ける前にすべて終わらせる。


「全軍突撃だ。恐れることは何もない。こちらには、竜人族という強い味方と、俺がいる。魔法を切れる切り札もな」


 俺はマルティンに命令し、軍隊を進めるように言う。マルティンは顔色を変え、わかりましたと一言言って天幕を出て行った。そして、入れ替わるように人の気配がこちらに近づいてくる。


「何だ、奴隷の男」
「奴隷ではありません。公女様の護衛です」
「護衛か……守れていないのにか?」
「守らなくていいといわれました。いえ、託されて、信じて公女様は自ら出て行ったのです」
「口ではいくらでもいえるが?」
「……」


 入ってきたのは灰色の髪の男だった。公女の護衛であり元奴隷、そしてわが宿敵、ヴァイス・ディオスの実の弟であり、今回の戦争の切り札だ。
 彼は俺を前にしてもひるむことなく、憎たらしいビー玉の瞳をこちらに向けていた。彼も公女からすべてを聞き、託された人間の一人だ。


「別にいい。ロルベーアが決めたことだ。俺は何も言わない。それを否定する資格もない。不覚を取って、記憶を失っていた俺が悪いしな。それで? 貴様は、貴様の兄を殺す方法でも考えたのか?」
「確実ではありませんが、この手で……すべてを終わらせたいと、公女様も言っていましたから」
「貴様はヴァイス・ディオスに恨みがあると聞いていたが、まったくそんなふうに見えないが? 俺たちを裏切るのではないだろうな」
「裏切ったとして、俺はその後きっとヴァイス様に殺されます。そして、生人形として彼の盾となるでしょう……そんな生き方は俺は選びたくありません」
「いい心がけだな」


 意思のない人間かと思っていたが、そうではないらしい。こいつもまた、俺と同じように感情のコントロールがうまくできず、表に出ないだけの男なのだと。それもあってか、公女は彼を助けたのか。


(いや、ロルベーアも、勘だといっていたな)


 ヴァイス・ディオスとつながっている可能性がある男として拾ってきたと。確かに彼女はそう言っていた気がする。
 俺は目の前の男を見て、少しだけ安心した。裏切りには死を、そして覚悟あるものには背中を押し送り出すことを。


「期待しているぞ。シュタール・ディオス」
「はい、皇太子殿下」


 瞼の裏に公女の姿が浮かぶ。彼女を助けるためならなんだってする。彼女が俺の記憶を取り戻すために手段を択ばなかったように、俺もまた、公女のためなら――


「待っていろ。ロルベーア……必ず助ける」


 もう二度と、俺の元からいなくならないように、もう一度彼女に愛を伝えるために。
 俺は天幕から出、軍隊の士気を高めるために堂々と、そして最後の突撃だと声を上げた。


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