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第3部2章
06 ドタバタ混浴風呂
しおりを挟む「――本当に一緒に入るやつがあるか! 公女、それでも公爵家の由緒正しき令嬢か!?」
「由緒正しきはよくわかりませんが、私の失態故……殿下のお背中洗い流します!」
「意味が分からない! それに、汚れたのはズボンだが?」
「やけどをしていたら危険ですし、殿下の殿下がやけどしている可能性があるので!」
「……っ、そんな言葉を使うのか公女は!? あんな温い茶でやけどなどするものか! 押すな!」
マルティンに事情を話し、皇宮の大浴場を使わせてもらえることになった。私は殿下に逃げられる前に使用人たちに協力を仰ぎ、殿下の逃げ道をふさいだうえで、大浴場へと誘導しドレスを脱ぎ捨て彼を押し込むように大浴場の床を踏ませた。
無理やりすぎたのもあるし、強引すぎてひかれないか心配したが、なんとなく彼とかかわってきてわかったことは、彼は自分の想像を超えてくるものが好きなのではないかと。私が、彼の想像の範囲を超えたから興味を持ってもらえた。それが、彼が私に興味が惹かれた一つの理由なのではないかと。
(恥ずかしいわよ……さすがの私も)
羞恥心なんて捨てたと思っていたが、やはり何も知らない恋愛感情も抱いていない男を一方的に好いて、布一枚で体を隠し混浴を迫るなんてどうかしていると思った。けれど、体がから落とす作戦も結構してみればうまくいくのではないかと、ものは試してみなければわからなかった。何かがきっかけで思い出す可能性だって捨てきれない。
殿下は、いやいやと言いつつも私に押され大浴場へと足を踏み入れたら静かになった。
もしかしたら何かを思い出したのかもしれないと思って顔を覗いてみれば、まだやはり不満そうなむすくれた顔をしていた。
「公女はいつもこうなのか」
「いつも……なわけないですよ!? さすがに私もアインと一緒にお風呂なんて……」
「そうだろうな。なんとなくお前は嫌がる気がする」
「殿下?」
腰にタオルを巻いた状態で、殿下は腰に手を当てて目の前に広がる大浴場を眺めていた。黙々と白い湯気が立ち込める熱い空間に二人。一人でも、二人でも広すぎるこの空間はぽちょん、ぴちょんと水の音が大きく響いているだけだった。
(でも、初めてお風呂に誘ったのは……というか、強引に連れてきたのは殿下だったじゃない)
それも本人は忘れているから仕方がないことなのだが、お風呂に強引に入れたのは殿下だった。あれはどういう流れでそうなったか思い出すも難しいが、とにかく私を面白い女認定した殿下が、番だから一緒にふろに入るものだろと謎理論を展開し、私が流される形で入った気がする。ここに来たのは二度目。ベッドの上で裸で愛を確かめ合っても、お風呂に一緒に入るような勇気はなぜかなかった。一緒に入ろうと何度か誘われたが、私は一人がいいですとなぜか意地を張って頑なに彼と混浴することはなかった。今思えば、本当に恥ずかしいだけだったから、という理由なのだが。
「入らないんですか?」
「入るが? 公女が俺を洗ってくれるんだろ?」
「え?」
「忘れたのか? 公女の頭は弱いな」
と、サラッと悪口をいって彼は肩をすくめた。
それは、殿下も気が乗ったということなのだろうか。
先ほど捨てたはずの羞恥心が戻ってきて、私の顔は真っ赤に染まる。そんな私を見て楽しそうに殿下は口角を上げて胸を突き出すようにして私の前に立った。
古傷が残るその体は鍛え上げられていて、ぼこっと浮き上がった腹筋は六つに割れていて、たくましく育った胸筋は張りがあって今にも動き出しそうな勢いで主張していた。
(そ、そんな、体を見せつけないで!)
肉体美の暴力に私は思わず手で顔を覆ってしまう。何度も見たはずのそれが改めて眼前にさらけ出されると、なんとも言えない恥ずかしさを覚えるのだ。いつもこんなかっこよくてたくましい彼に抱かれているなんて。腕も欠陥が浮き出ていて長い指は細くもなく太くもないちょうどいい大きさで、関節あたりが少しぼこっと膨らんでいる。その手のひらも剣だこの痕が見え、改めて見ても傷だらけではあるが、小麦色の血色のいい肌は生々しくないのに、なぜか生々しく見えるから不思議だ。湯船につからないようにと上に縛り上げられた深紅の髪も彼の肉体美に映える。
「公女は、俺の体を見たことがあるんじゃないのか?」
「あ、ありますけど、そんな、主張しないでください」
「見たことがないから焦っているのだと思ったが……見慣れていてこれなのか? それとも、公女は体目当てで俺に近づいたのか?」
「まさか!」
体を先に求めてきたのは殿下ですけどね、と言えず私は口を閉じて首を横に振る。
番なんだから相性は大切だろうと、半ば強引抱かれたのは私のほうだった。そして、相性も良くて……けど、断言して言えるのは、殿下の体だけが好きではないということ。殿下の顔はもちろん好きだし、その鍛え上げられた男らしい体も好きだ。けれど、それだけじゃなくて、私の名前を愛おしそうに呼ぶ彼が、私を気遣っていつでも助けに来てくれる彼が、愛しているといってくれる彼が……アインザーム・メテオリートが私は好きなのだ。
私が答えずにいると、まあいいが、と殿下は言ったうえで私に背を向ける。背中にも切り付けられたような傷がありもう痛くはないとわかっていても、無意識にその傷に手を伸ばしてしまった。
「公女?」
「……痛くは、ないんですよね」
「ああ、ないが……なぜ?」
と、殿下は驚いたように言う。てっきり気配に気づいて手を振り払われるものだと思っていたが、彼は私を受け入れるように背中に触れさせ、少しびくりと体を動かしながらも怒ることはしなかった。
(体は、覚えているのかしら……)
それがそういう意味なのかは分からない。ただ、もしそうだったとしたら……と少しの期待も膨らむ。
「触っていて、いいですか?」
「公女は俺の体が好きなのか?」
「またその質問ですか? ……好きですよ」
「やはり、体目当て――」
「貴方のことも」
そう付け加えれば、殿下はそれ以上憎まれ口を叩かなくなった。
体目当てじゃない。それに、傷の残る彼の体を見ているとどうしても触れずには言われなかった。触れたらその時受けた傷のことを思い出すだろうか。彼にトラウマがあるかは知らないけれど、傷は勲章であるが、同時に苦しみを思い出す材料ともなる。痛くないとは思う、けれどはたから見たら痛そうなのだ。この傷がいえることはないだろうけれど、それでもそんな傷だらけの体を抱きしめるくらいはしてあげたかった。
「公女、何を?」
「なんだか貴方を抱きしめたい気分だったんです。だめですか?」
「公女は……恥ずかしがり屋なのか、大胆なのかわからないな。それとも無自覚か?」
「殿下は私に抱きしめられるのが好きでしたよ?」
「……」
「記憶を失う前はですけどね」
今はもしかしたら嫌なのかもしれない。だから、離れてほしいとはストレートに言わず遠回しに言っているのかもしれないと思った。もしそうだったとするのなら、彼はすぐにでも私をひっぺ替えしただろう。けれど、それをしないということは――
(心臓の音、優しい……生きてる、生きてるだけで充分よ)
ヴァイスは不意打ちを狙えた。ということは、殿下を殺すことだって容易だったはずだ。なのに、彼の記憶を封じるだけにとどめた。それが、私たちにとって幸いであり不幸でもあった。もし、あのまま殿下が帰ってこなかったら……私は後を追っていたかもしれない。彼のいない世界なんて耐えられないから。
「……アイン」
「――」
「アイン……きゃあ!?」
すりっと彼の背中に頬をくっつけたその時だった、それまで抵抗もしなかった殿下が私の体を覆っていたタオルを奪い取ると、優しくその場に押し倒した。痛みがなかったのは彼が頭や体を支えてくれたからか。また、私のタオルは、ご丁寧に私の下敷きになっている。
「で、殿下?」
「胸を押し付けて……公女、それが狙いか?」
「狙い、とは? ああ、えっと嫌でしたか?」
確かに密着した際に胸がつぶれるくらい押し当てていた気がするが、女嫌いで、記憶がない殿下がそんなことして喜ぶはずがない……そう思っていたのに、私を押し倒した彼の顔は少しだけ紅潮していた気がした。お風呂場の熱気か、それとも彼の汗か。深紅の髪を顔に張り付け、ぽたりと私の裸の胸に汗を垂らす。はあ……と少し荒っぽい熱を吐き出し、殿下は獣のような夕焼けの瞳で私を見下ろした。それはそう、いつも私を抱くときのような。
「ここには誰も来ないといっていたな」
「ええ……人払いはできていますが?」
「じゃあ、ここで公女は俺に何をされても誰も助けに来てくれないわけだ」
と、殿下は恐ろしいことを言う。それは、私を殺すということ? と一瞬考えたが、すぐにその考えは捨て去ることができた。いや、初めからそんなつもりは彼にないのだろう。
どくん、どくんと期待で胸が高鳴っていく。どうやら私の作戦は成功したみたいだから。
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