上 下
103 / 128
第3部2章

05 手段は選ばない

しおりを挟む

 皇宮の赤バラが咲き乱れる庭園はいつにもまして情熱的なのに、私たちの間には凪いだ風しか吹いていない。
 紅茶に口をつけつつも、殿下はこちらを見ようともしずに、珍しく肩に垂らした低めの深紅の髪をうっとうしそうに後ろにどける。そうして、ようやく私に向けられた夕焼けの瞳には私が映っているようで映っていなかった。


「何か言ったらどうだ? ロルベーア嬢」
「殿下の出を窺っていただけです」
「俺の出をか? ご令嬢はつまらないなあ。慎ましさが、一歩後ろに引いた姿勢がいいと思っているのか知らないが、俺はあまり好まないぞ」
「……」


 ギロリとにらまれ私は口をつけたカップをソーサーに戻し、にこりと微笑んだ。
 殿下の女嫌いがまた発動しているとそう感じながらも、私は彼とどう話していたか、思い出すように会話をしていた。それが、彼にとってつまらないものになってしまっていたのは自覚があり、私は隠すために笑ってみたが、それでまた彼の顔にしわを寄せてしまった。


「そうですね。殿下はそういう人ですから」
「……知ったような口を」
「知ってますよ。すべてではないですけど、貴方のことは、ほかの誰よりも」


 マルティンさんにしか見せない一面や、自分の父親である皇帝陛下を嫌う殿下の姿はあまり知らないが、それでも私だけに見せてくれる表情は彼の髪のように鮮明に残っている。私が忘れてしまったら、本当にその記憶がなかったようになるから。
 どう彼と話していたか、なんでつい最近のことなのにあいまいなのだろうか。曖昧、というよりも、あれは私に心を許してくれていた殿下だから、その懐に潜り込めただけであり、普段はパーソナルスペースが広い殿下は他人を自分の領域に入れない。私が、婚約者であり、愛し合っていた関係だといってもそれを信じて内側には入れてくれないのだ。


(少しくらい信じてくれてもいいのに……)


 彼が知りえる情報は、私が悪女……つまり、私が憑依するまでのロルベーア・メルクールのうわさだけだろう。だから、信じられないのも無理はない。ロルベーアはそれくらい嫌われていたというか、孤立していたのだから。


「俺のことなど、誰も理解できるはずがない」


 ぎゅっと、彼が拳を握った音が聞こえた。手のひらから血がにじんでいるんじゃないかと思うほど彼の手が真っ赤になっていて、彼の人間不信が再発した……と、少し寂しくなる。
 すべてを理解することはその人じゃないからできない。でも、私はそんな彼を知ってあげたいし、理解してあげたい、包み込んであげたいのだ。それを今言ったとしても、彼はうわ言を、と一瞥するだろうけれど。


「ロルベーア嬢は……」
「ロルベーアでいいです。それか、公女と呼んでください」
「なぜだ?」
「殿下が、私のことを公女と呼んでいたからです。なんとなく……それも、距離がある気がしますけど、公爵家はわが家だけですし、公女という呼び方は私だけに与えられたものでしょう?」
「……公女」
「はい」
「……そう、呼んでいたのか。俺は」


 と、殿下はようやく手を放して自分の手を見つめた。真っ赤になっていたが、爪の跡が残っているくらいで出血をしている感じではなかった。自分を傷つけないでほしいとも、何も彼に言えない。飼い主以外の人間と初めて出会った猫のようで、彼にストレスを与えてはいけないのだ。嫌われたらずっと嫌われ続けるから。


「公女は、記憶をなくした俺にもかまうほど暇なのか?」
「暇、というより必要なことですから」
「……聞くところによると俺の記憶喪失は、魔法によるものだそうだ。その魔導士を捕まえなければ解けない魔法だとするのなら、そいつを捕まえることに尽力したほうが有意義じゃないか? 俺の、記憶を取り戻すなんて馬鹿なことをするよりも」


 殿下はそう言って嘲笑すると紅茶を飲みほし、私のほうを見た。不快だ、と言わんばかりの夕焼けの瞳に私は思わずしり込みしてしまう。
 イーリスに聞いたのだろう。
 彼女もあの後すぐに呼び出されて、殿下の様態を見たらしい。そして、私に話したようにやっぱり彼にかけられていた魔法というのは、記憶を封じ込める魔法らしく、魔導士が解かない限り解けないと。普通の魔導士であれば、イーリスの力をもってすれば解けるかもしれない。けれど、これがヴァイスの魔法であるゆえに厄介なのだ。彼に接触する機会があれば。しかし、彼はとらえたところで、包囲網を抜けて逃げ出してしまうだろうし、ヴァイスを殺して解ける魔法であればいいが、殺したら解けない魔法であるとするのならそれも厄介だ。
 彼が真実の愛を見つけないと解けない呪いがかけられたときよりも厄介だ。

 無駄だと、このお茶会を――マルティンや、お父様が作ってくれたこの場が無駄だと殿下は言う。
 100%魔法をとかなければ記憶が戻らないわけではないと、イーリスは断定できないが言ってくれた。だから、ヴァイスを探している間は、少しでも殿下と接触を増やして、彼の記憶が戻るよう助長しなければならない。私は、彼といられるだけで幸せだからその役を、私にしかできないから買って出たのだが、昔の殿下に戻っているせいで、この無意味で生産性のないお茶会は肌に合わないのだろう。


「バカなことじゃありませんよ。100%無意味ではないと、イーリスに聞いたんじゃないですか?」
「……」


 図星だといわんばかりに彼は口を尖らす。となると、私と話したくないだけかとため息が出そうになった。そを飲み込んで私は残っていたお茶を飲み切る。ポットにはもう一杯分しかお茶がない。彼を引き留めるのは難しいが、彼の気を引きさえすればいいのだ。


「私と話すのは、退屈ですか?」
「そうだな……だが、俺がうわさに聞いていた公女とは、違うような、そんな気もして、そこだけは少し気になるな」
「そうでしょ。あくまで噂ですから。殿下は、どこまで話を聞いているんですか?」


 帝国の三つの星の二つが落ちたこと。私と殿下の関係。これまでの出来事……
 何一つ覚えていないだろうし、この庭園で、白いバラを見つけて自身の手切り裂いて赤く染めたあの夜のこともきっと彼は覚えていない。キスも、その先だって……彼との情熱的な思い出は彼の中に残っていない。


「帝国の三つの星についても、これまでの出来事についても聞いた。だが、何一つ思い出せない」
「そうですか」
「本当に、俺はお前のことが好きだったのか? 公女」


 と、殿下は真剣な表情で、いや少し疑い深い表情で聞いてきた。まるで、自分が私を好きになるはずなんてないとでもいうように。


(ねえ、貴方が私を好きになったのはまぐれだって言いたいの?)


 ツキンと痛む胸の痛みは本物だ。でも、彼は私を傷つけてもなんとも思っていないだろう。それどころか、私との関係を疑っているから私を傷つけているという自覚がない……
 痛む胸を抑えつつ、わかっていたことだろうと言い聞かせ、私は殿下の顔を見た。彼は何かついているか? と、首をかしげる。殿下の顔は二年前より少し大人びたように見えるし、二年前とは違うのに……中身だけ全て戻ってしまって。体は二年という時を刻み、年を取っているはず。その差異を彼がどう感じ取っているかはわからないが、体と心のずれが――


(体と心のずれ……体、は)


 と、私はとあることに気が付いた。こんなこと考えてしまうのは、彼に自身の体をゆるし、彼の体を受け入れたからだ。心と記憶だけ過去に戻っていると仮定するのなら、体は違うだろうと。


「もういいか?」


 そう言って立ち上がった殿下に私は待ってくださいと、声をかけたうえで、わざとガラス机にぶつかり、いっぱいだけ残っていたお茶をひっくり返す。とぽとぽと赤茶色の液体が殿下の白い服を汚す。殿下はぎょっと目を向いて私を見たが、私はここは堂々としていようと、わざとだとばれないよう取り繕う。こういうのは嫌いだろうけれど、手段は選んでいられない。マイナスになったらきっと私はだめになってしまう。


「すみません、殿下。服を汚してしまい」
「まったくだ。公女、わざとだろ」
「わざとじゃありませんよ? そういうこともあります」
「公女!」


 と、殿下は少し切れ気味に私に叫ぶ。こんなことでは物おじしない。
 私はにこりと笑って手を叩く。


「服が汚れてしまいましたし、お風呂に入ってはどうですか? 今日は暑いですし、お背中流しますよ?」


 ――なんて、あまりにもむちゃすぎる話だったか。


 私は背中にいっぱいの汗を浮かべながら、もう一度にこりと人畜無害そうに微笑んだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

番探しにやって来た王子様に見初められました。逃げたらだめですか?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はスミレ・デラウェア。伯爵令嬢だけど秘密がある。長閑なぶどう畑が広がる我がデラウェア領地で自警団に入っているのだ。騎士団に入れないのでコッソリと盗賊から領地を守ってます。 そんな領地に王都から番探しに王子がやって来るらしい。人が集まって来ると盗賊も来るから勘弁して欲しい。 お転婆令嬢が番から逃げ回るお話しです。 愛の花シリーズ第3弾です。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

獣人姫は逃げまくる~箱入りな魔性獣人姫は初恋の人と初彼と幼馴染と義父に手籠めにされかかって逃げたけどそのうちの一人と番になりました~ R18

鈴田在可
恋愛
獣人は番を得ると、その相手しか異性として見なくなるし、愛さなくなる。獣人は匂いに敏感で、他の異性と交わった相手と身体を重ねることを極端に嫌う。獣人は番を決めたら死ぬまで添い遂げ、他の異性とは交わらない。 獣人の少女ヴィクトリアは、父親である獣人王シドの異常な執着に耐え、孤独に生きていた。唯一心を許せるリュージュの協力を得て逃げ出したが、その先で敵である銃騎士の青年レインに見つかってしまう。 獣人の少女が、貞操の危機や命の危機を脱しながら番を決めるまでの話。 ※マルチエンドでヒーロー(レイン、リュージュ、アルベール、シド)ごとにハッピーエンドとバッドエンド(レイン、リュージュのみ)があります ※⚠要注意⚠ 恋愛方面含む【どんでん返し】や【信頼していた人物からの裏切り行為】が数ヶ所あります ※ムーンライトノベルズにも掲載。R15版が小説家になろうにあります。 ※【SIDE数字】付きの話は今後投稿予定のナディアが主人公の話にも載せます。ほぼ同じ内容ですが、ストーリーをわかりやすくするために載せています。

転生したら竜王様の番になりました

nao
恋愛
私は転生者です。現在5才。あの日父様に連れられて、王宮をおとずれた私は、竜王様の【番】に認定されました。

急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。

石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。 雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。 一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。 ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。 その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。 愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

彼女が心を取り戻すまで~十年監禁されて心を止めた少女の成長記録~

春風由実
恋愛
当代のアルメスタ公爵、ジェラルド・サン・アルメスタ。 彼は幼くして番に出会う幸運に恵まれた。 けれどもその番を奪われて、十年も辛い日々を過ごすことになる。 やっと見つかった番。 ところがアルメスタ公爵はそれからも苦悩することになった。 彼女が囚われた十年の間に虐げられてすっかり心を失っていたからである。 番であるセイディは、ジェラルドがいくら愛でても心を動かさない。 情緒が育っていないなら、今から育てていけばいい。 これは十年虐げられて心を止めてしまった一人の女性が、愛されながら失った心を取り戻すまでの記録だ。 「せいでぃ、ぷりんたべる」 「せいでぃ、たのちっ」 「せいでぃ、るどといっしょです」 次第にアルメスタ公爵邸に明るい声が響くようになってきた。 なお彼女の知らないところで、十年前に彼女を奪った者たちは制裁を受けていく。 ※R15は念のためです。 ※カクヨム、小説家になろう、にも掲載しています。 シリアスなお話になる予定だったのですけれどね……。これいかに。 ★★★★★ お休みばかりで申し訳ありません。完結させましょう。今度こそ……。 お待ちいただいたみなさま、本当にありがとうございます。最後まで頑張ります。

処理中です...