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第3部2章
05 手段は選ばない
しおりを挟む皇宮の赤バラが咲き乱れる庭園はいつにもまして情熱的なのに、私たちの間には凪いだ風しか吹いていない。
紅茶に口をつけつつも、殿下はこちらを見ようともしずに、珍しく肩に垂らした低めの深紅の髪をうっとうしそうに後ろにどける。そうして、ようやく私に向けられた夕焼けの瞳には私が映っているようで映っていなかった。
「何か言ったらどうだ? ロルベーア嬢」
「殿下の出を窺っていただけです」
「俺の出をか? ご令嬢はつまらないなあ。慎ましさが、一歩後ろに引いた姿勢がいいと思っているのか知らないが、俺はあまり好まないぞ」
「……」
ギロリとにらまれ私は口をつけたカップをソーサーに戻し、にこりと微笑んだ。
殿下の女嫌いがまた発動しているとそう感じながらも、私は彼とどう話していたか、思い出すように会話をしていた。それが、彼にとってつまらないものになってしまっていたのは自覚があり、私は隠すために笑ってみたが、それでまた彼の顔にしわを寄せてしまった。
「そうですね。殿下はそういう人ですから」
「……知ったような口を」
「知ってますよ。すべてではないですけど、貴方のことは、ほかの誰よりも」
マルティンさんにしか見せない一面や、自分の父親である皇帝陛下を嫌う殿下の姿はあまり知らないが、それでも私だけに見せてくれる表情は彼の髪のように鮮明に残っている。私が忘れてしまったら、本当にその記憶がなかったようになるから。
どう彼と話していたか、なんでつい最近のことなのにあいまいなのだろうか。曖昧、というよりも、あれは私に心を許してくれていた殿下だから、その懐に潜り込めただけであり、普段はパーソナルスペースが広い殿下は他人を自分の領域に入れない。私が、婚約者であり、愛し合っていた関係だといってもそれを信じて内側には入れてくれないのだ。
(少しくらい信じてくれてもいいのに……)
彼が知りえる情報は、私が悪女……つまり、私が憑依するまでのロルベーア・メルクールのうわさだけだろう。だから、信じられないのも無理はない。ロルベーアはそれくらい嫌われていたというか、孤立していたのだから。
「俺のことなど、誰も理解できるはずがない」
ぎゅっと、彼が拳を握った音が聞こえた。手のひらから血がにじんでいるんじゃないかと思うほど彼の手が真っ赤になっていて、彼の人間不信が再発した……と、少し寂しくなる。
すべてを理解することはその人じゃないからできない。でも、私はそんな彼を知ってあげたいし、理解してあげたい、包み込んであげたいのだ。それを今言ったとしても、彼はうわ言を、と一瞥するだろうけれど。
「ロルベーア嬢は……」
「ロルベーアでいいです。それか、公女と呼んでください」
「なぜだ?」
「殿下が、私のことを公女と呼んでいたからです。なんとなく……それも、距離がある気がしますけど、公爵家はわが家だけですし、公女という呼び方は私だけに与えられたものでしょう?」
「……公女」
「はい」
「……そう、呼んでいたのか。俺は」
と、殿下はようやく手を放して自分の手を見つめた。真っ赤になっていたが、爪の跡が残っているくらいで出血をしている感じではなかった。自分を傷つけないでほしいとも、何も彼に言えない。飼い主以外の人間と初めて出会った猫のようで、彼にストレスを与えてはいけないのだ。嫌われたらずっと嫌われ続けるから。
「公女は、記憶をなくした俺にもかまうほど暇なのか?」
「暇、というより必要なことですから」
「……聞くところによると俺の記憶喪失は、魔法によるものだそうだ。その魔導士を捕まえなければ解けない魔法だとするのなら、そいつを捕まえることに尽力したほうが有意義じゃないか? 俺の、記憶を取り戻すなんて馬鹿なことをするよりも」
殿下はそう言って嘲笑すると紅茶を飲みほし、私のほうを見た。不快だ、と言わんばかりの夕焼けの瞳に私は思わずしり込みしてしまう。
イーリスに聞いたのだろう。
彼女もあの後すぐに呼び出されて、殿下の様態を見たらしい。そして、私に話したようにやっぱり彼にかけられていた魔法というのは、記憶を封じ込める魔法らしく、魔導士が解かない限り解けないと。普通の魔導士であれば、イーリスの力をもってすれば解けるかもしれない。けれど、これがヴァイスの魔法であるゆえに厄介なのだ。彼に接触する機会があれば。しかし、彼はとらえたところで、包囲網を抜けて逃げ出してしまうだろうし、ヴァイスを殺して解ける魔法であればいいが、殺したら解けない魔法であるとするのならそれも厄介だ。
彼が真実の愛を見つけないと解けない呪いがかけられたときよりも厄介だ。
無駄だと、このお茶会を――マルティンや、お父様が作ってくれたこの場が無駄だと殿下は言う。
100%魔法をとかなければ記憶が戻らないわけではないと、イーリスは断定できないが言ってくれた。だから、ヴァイスを探している間は、少しでも殿下と接触を増やして、彼の記憶が戻るよう助長しなければならない。私は、彼といられるだけで幸せだからその役を、私にしかできないから買って出たのだが、昔の殿下に戻っているせいで、この無意味で生産性のないお茶会は肌に合わないのだろう。
「バカなことじゃありませんよ。100%無意味ではないと、イーリスに聞いたんじゃないですか?」
「……」
図星だといわんばかりに彼は口を尖らす。となると、私と話したくないだけかとため息が出そうになった。そを飲み込んで私は残っていたお茶を飲み切る。ポットにはもう一杯分しかお茶がない。彼を引き留めるのは難しいが、彼の気を引きさえすればいいのだ。
「私と話すのは、退屈ですか?」
「そうだな……だが、俺がうわさに聞いていた公女とは、違うような、そんな気もして、そこだけは少し気になるな」
「そうでしょ。あくまで噂ですから。殿下は、どこまで話を聞いているんですか?」
帝国の三つの星の二つが落ちたこと。私と殿下の関係。これまでの出来事……
何一つ覚えていないだろうし、この庭園で、白いバラを見つけて自身の手切り裂いて赤く染めたあの夜のこともきっと彼は覚えていない。キスも、その先だって……彼との情熱的な思い出は彼の中に残っていない。
「帝国の三つの星についても、これまでの出来事についても聞いた。だが、何一つ思い出せない」
「そうですか」
「本当に、俺はお前のことが好きだったのか? 公女」
と、殿下は真剣な表情で、いや少し疑い深い表情で聞いてきた。まるで、自分が私を好きになるはずなんてないとでもいうように。
(ねえ、貴方が私を好きになったのはまぐれだって言いたいの?)
ツキンと痛む胸の痛みは本物だ。でも、彼は私を傷つけてもなんとも思っていないだろう。それどころか、私との関係を疑っているから私を傷つけているという自覚がない……
痛む胸を抑えつつ、わかっていたことだろうと言い聞かせ、私は殿下の顔を見た。彼は何かついているか? と、首をかしげる。殿下の顔は二年前より少し大人びたように見えるし、二年前とは違うのに……中身だけ全て戻ってしまって。体は二年という時を刻み、年を取っているはず。その差異を彼がどう感じ取っているかはわからないが、体と心のずれが――
(体と心のずれ……体、は)
と、私はとあることに気が付いた。こんなこと考えてしまうのは、彼に自身の体をゆるし、彼の体を受け入れたからだ。心と記憶だけ過去に戻っていると仮定するのなら、体は違うだろうと。
「もういいか?」
そう言って立ち上がった殿下に私は待ってくださいと、声をかけたうえで、わざとガラス机にぶつかり、いっぱいだけ残っていたお茶をひっくり返す。とぽとぽと赤茶色の液体が殿下の白い服を汚す。殿下はぎょっと目を向いて私を見たが、私はここは堂々としていようと、わざとだとばれないよう取り繕う。こういうのは嫌いだろうけれど、手段は選んでいられない。マイナスになったらきっと私はだめになってしまう。
「すみません、殿下。服を汚してしまい」
「まったくだ。公女、わざとだろ」
「わざとじゃありませんよ? そういうこともあります」
「公女!」
と、殿下は少し切れ気味に私に叫ぶ。こんなことでは物おじしない。
私はにこりと笑って手を叩く。
「服が汚れてしまいましたし、お風呂に入ってはどうですか? 今日は暑いですし、お背中流しますよ?」
――なんて、あまりにもむちゃすぎる話だったか。
私は背中にいっぱいの汗を浮かべながら、もう一度にこりと人畜無害そうに微笑んだ。
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