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第2部4章

06 拉致

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「それじゃあいってくるが公女……」
「はい。お気をつけて、アイン」
「本当に心配してくれているのか? 追い出す気満々じゃないか?」
「ひどいですねえ。これでも、ちゃんと婚約者の身を案じていますよ。でも、それ以上にあなたが強いのを知っているから、心配ないんです」
「……まあ、そういう意味合いなら、許そう」


 忘れ物のように、私にいってきますのキスをして、殿下は颯爽と馬車に乗り込んだ。
 最近はよく眠れているらしく、寝苦しい様子も、不安げな様子も見なかった。だいぶん彼の精神状況も安定してきたんだろうと、私のほうも安心する。番でなくとも、大切な人が不安なら不安になるし、感情の共有はできていると思う。だからこそ、殿下もようやく、それになれ、安心してきたんだろう。
 今日は、前にいっていたクルーガー侯爵家の訪問。殿下と、それはもうたいそうな数の騎士とマルティンを連れて向かうらしい。あちら側からも、話がしたいとの手紙が返ってきたため、今日ようやくあの気味の悪い男と対峙するらしい。何もなければいいし、これで解決すればいいと願うばかりだが、果たしてどうなるか。
 私は、いったん公爵家に戻ることにし、最近戻ってきたというお父様とも話をしようと思っている。何処までお父様の耳に入っているか分からないが、番契約を切ったことや、殿下との関係を改めて伝えようと思った。そして、この間もらったネックレスのことも――
 殿下をのせた馬車が出発し、もうどこにもあの真紅を見つけられなくなった後、私は迎えに来てくれていたリーリエとともに、公爵家いきの馬車に乗り込み家へまで帰った。


「なんだか、お嬢様顔色がよくなりました。肌の艶もいつも以上に美しいです」
「そう?」
「何かいいことでもありましたか?」
「ええ、少しね。それに、久しぶりにお父様に会えるの。みすぼらしい姿では会えないでしょ?」
「はい。お嬢様……」
「何?」
「お嬢様は、以前から、公爵様のことを避けていたじゃないですか。その、心境の変化があったんですか?」
「そういうわけじゃないけれど……避けていたのは、そうね」


 それは、ロルベーアか、私か。分からなかったが、ロルベーアは、父親に利用されていることを知っていただろうから、あまり関わりたくなかったのだろう。どうせ話に行ったとしても、帰ってくる言葉は、公爵の夢物語、都合のいいように動けという話ばかりだっただろうから。嫌う理由も、避ける理由も十分だと思う。
 それでも私は……もちろん、殿下を殺せと言ってきたことも、殺して死ねと言われたことも腹が立つし、忘れたことなど一度もないけれど、この関係のまま行くわけにはいかないと、自ら行動を起こして、変えようと思った。公爵家につかえる人たちが変わってくれたように、私がまだ帰られるものはあるんじゃないかと。
 馬車は、すぐに公爵家につき、リーリエの手を取りながら、馬車から降りる。すると、ロータリーに見慣れた人物がたっていた。


「ロルベーア!」
「お父様?」


 出迎えたのは、お父様で、そわそわとした様子で、私を見つけると一目散に駆け寄ってきた。あまりの豹変具合に、偽物? と疑ってしまったけれど、殿下に還してもらった指輪から、変な魔力も感じないし、偽物ではないのだろうとすぐわかった。
 後々、殿下に聞いた話、追跡魔法だけではなく、悪意や、見知らぬ人間の魔力を感じたら反応するような魔法をかけたらしい。いったい、どれほどのお金をこの指輪に費やしたのか、考えるだけでも恐ろしい。


「お父様、お出迎えありがとうございます。最近戻られたと聞いたので、私の方からも挨拶を――」
「ああ。いろいろあったらしいな。その場にいることが出来なくてすまなかった」
「い、いえ」
「どうした? ロルベーア」
「あの、お父様も、その、変わりましたね」


 本当に一年前とは比べようがないほど、娘の身を案じているような、娘至上主義みたいなそんなオーラが感じ取れる。今更、だとは思っていても、個の豹変具合には、私もついていけなかった。嬉しくないと言ったら嘘にはなるが、慣れないのは事実だった。


「公爵様も、いろいろ考えたんですよ」
「そ、そうなの」
「はい」


 リーリエが、こそっと耳打ちをしてくれ、公爵が謹慎期間中、そして、私と離れている間に後悔し、心を入れ替えたのだと教えてもらった。よそよそしいというか、そわそわしているのは、心を入れ替えたが、娘に受け入れてもらえるかどうか不安だからだろう。


(なんだか、少しかわいそうで、可愛く見えるわ)


 いい年のおじさんに、可愛く見えるというのは不釣り合いな言葉かもしれないが、自分のために変わってくれた人に、いやな気はしなかった。今の公爵なら、素直に気持ちを伝えてもいいだろうと、胸元に着けてきたネックレスに触れ、感謝の言葉を口にすることを決意する。


「お父様……ネックレス、ありがとうございました。とても、気に入りました」
「そ、そうか。それならよかった。お前の好みなどよくわからんしな。安いものは買えない。誇り高い公爵家の娘だ……な、それ相応のものをな」
「ふふっ、お父様ったら」


 頑張って機嫌を取ろうとしているのが見え見えで笑えて来てしまった。
 許す気はないけれど、今の公爵を見ているのは気分がいい。これから、ただの家族としてやっていけそうで、殿下との関係もしっかり受け止めてくれそうでとてもよかった。番契約を切った後、いいスタートが切れたのではないかと、私は安心しながら、お父様に近づく。すると、お父様は何かに気づいたように、ハッと顔を上げて、私の後ろを指さした。


「ところで、ロルベーア。その、後ろの男は誰だ」
「後ろの……? ――ッ!?」


 まるで、幽霊でも見たようなお父様の顔に、まさか、と思って振り返ってみれば、そこには、ここにはいないはずの男、ヴァイス・クルーガーがたっていた。
 やあ、とでも言いたげな顔で、微笑むと、護衛で連れて帰ってきた皇宮の騎士たちをパチンと指を鳴らしただけで気絶させ、私の方に向かってゆったりと歩いてきた。


「し、知り合いか」
「い、いえ。いや、知ってはいますけれど、お父様、急いで家の中に!」
「ねえ、ロルベーア。なんで逃げようとするの?」


 ひゅっと、喉から洩れ、その場に縫い付けられたように動けなくなる。言霊に近い、何かが発動されたのではないかと思うくらい体が硬直して動けなかった。いや、恐怖のあまり足がすくんだのだ。


「無礼だぞ、貴様――ッ! どこの誰だか知らないが、騎士を呼べ。今すぐこの男をつまみ出せ」
「ああ、もう誰も来ないよ。すでに、ここら辺一帯の人間は眠らせているから」
「……な、なにが目的なの。ヴァイス・クルーガー」
「ロルベーアに会いに来た……ううん、違うな。拉致かな」


と、笑顔であまりに物騒なことをいうので、絶句する。

 まるで、道端にいる虫を踏みつぶしても気にしないようなそんな顔で私を見るものだから、恐ろしくて言葉も出なくなる。


(拉致? 何のために? 番契約はもう破棄したはずよね?)


「番契約、破棄したんだね。待っていてよかった。あれは、結構面倒なんだよね。だから、この間も邪魔が入った……」
「破棄するのを待っていたと? でも、目的は何。拉致って……殿下が目的?」
「ううん。まあー……僕個人が、ロルベーアに興味がわいたから、知りたいんだよ。君のことを。二人きりで話す機会をくれないかな?」
「お断りよ!」


 私は、お父様とリーリエの前に立って、二人をかばうように睨みつける。リーリエは、いけませんお嬢様! と叫んでいるが、この二人に危害が加わるのだけは阻止したかった。
 目的が私なら、二人には危害を加えないと思ったからだ。


「君が、大人しく一緒についてきてくれさえすれば、その二人は見逃してあげる。でも、抵抗するなら――」
「ロルベーア。これをもって、どこか遠くへ飛べ。皇宮でもいい。あとから、事情は説明する。だから、逃げるんだ」
「お、お父様」
「そうです。お嬢様、逃げてください。こいつは危険です。だから、早く!」


 先ほど、私の後ろにいた二人は、前に出て、私に転移魔法がかかった魔法石を渡してきた。今すぐに逃げろと。二人も、この状況を察し、死を覚悟しながらも、私が逃げる時間稼ぎをしようとしている。
 逃げるべきなんだろうが、二人がその後、どうなるか分からなくて、呪文を唱えることが出来ない。


「ああ、ロルベーア。ダメだよ……また、守られている」
「ぐああっ」
「ああああっ!」
「お父様、リーリエ!」


 何が起こったのか分からなかった。ヴァイスが腕を振り上げた瞬間、お父様と、リーリエの腕の付け根を何かが切り裂いた。切断まではいかなかったが、目の前で鮮血が散り、彼らはその場で足をついた。


「あ、ああ……」
「ロルベーア、一緒に来てくれるよね?」


と、白い悪魔は微笑を絶やさず、私に手を差し出す。

 ぽたりぽたりと広がっていく、大切な人たちの血を前に、また守られてしまった、巻き込んでしまったと、絶望した。


「また、君のせいで人が傷つくんだよ? かわいそうだね」


 私は、もう選択の余地などなかったのだと悟った。ヴァイスは、私の弱点を知っている。そして、絶対に敵わない相手だと知っているからこんなことをしたんだと分かると悔しくてたまらなかった。


「……わかったわ。でも、一つ条件を出すわ」
「条件? 何?」
「二人を治療して。あと、公爵家周辺にかけた魔法を解除して」
「お嬢様!」
「ロルベーア、ついていってはダメだ」


 苦痛に顔を歪ませながらも、彼らは私を必死に引き留める。 わかっている。何処に連れていかれるのかも、何をされるのかも分からない。でも、今、彼らを守れるのは私だけだった。守れる――これ以上、被害を出さないためには、私が犠牲になるしかないと。私のせいだから。


「いいよ。おいで、ロルベーア」


 私は、行くなと必死に叫ぶ二人の間を歩き、ヴァイスの手を取る。彼はふわりと指を動かし、お父様とリーリエの傷を一瞬で直した。後ろで倒れていた騎士たちも徐々に目を覚ましていき、条件を守ってくれたことだけは分かった。


「じゃあ、行こうか」
「……」
「大丈夫。酷い真似はしないから、ね?」


と、全く信用のできない言葉を吐き、彼は白い魔法陣を展開させ、私はその光に包まれた。

 最後みた、私を心配する人たちの顔は、絶望にゆがみ、青くなっていた。


(ごめんなさい……ごめんなさい……)


 謝罪の言葉は、きっと、これだけでは済まないだろう。

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