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第2部4章

01 番契約の解除

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 血の味のキス――もう二度と、そんな味のキスをするとは思ってもいなかった。
 離れていく唇が、寂しくて、でもこれは儀式なんだからと、気持ちを切り替える。もう、本当の意味で二度としないであろう血の味のキスに、私は唇をかみしめた。鉄の味しかしない、でも、殿下を感じられるものの一つだから、自然と嫌な気はしなかった。


(もう、とおの昔の記憶だと思っていたのに……)


 思い出されるは、この世界に転生してきたときの事。悪役令嬢ロルベーア・メルクールとして、断罪される未来しかない自分に絶望していた時の事。私に何の興味もない殿下を、どうやっても振り向かせられないって最初からあきらめて遠ざかろうとしたときのことを。
 あの日の私が見たら、きっと腰を抜かすでしょう。


「では、この魔法石に触れ、番契約を解除する意思をお示しください」


 神父らしき男の声とともに私たちは目配せをし、この間ゲベート聖王国から持ち帰った、透明なクリスタルのような魔法石に手を当てた。内側から押されるような、ひきつけられるようなひんやりとしたそれに触れ、私たちは声を合わせる。


「私たちは、番契約を解除します」
「俺たちは、番契約を解除する」


 たったその一言だけだった。
 その魔法石は、その言葉に答えるように光り輝き、刹那、私たちの体の中を粒子となって駆け巡っていく。気持ちの悪い感じはしなくて、体の中が洗い流されるような、炭酸につけられているような心地よさに、私は思わず目を細める。私たちを結んでいた鎖を酸化させ、とかしていくようなそんな感覚。私の中から、彼が消えていくようなそんな感覚に、私は待ってと手を伸ばしたくなる。けれど、決めたこと。すっかりと、体の中から相手の存在が消え、残った寂しさに、私は涙が流れそうだった。
 なんだかんだ言って、番契約によって結ばれていた互いのしばりつけるという意思がなくなったような、相手が自分の中からはたりと消え、そして、埋まらぬ穴に風が通り抜けていく。


(ああ、本当に、私の中から、アインがいなくなったのね……)


 達成感よりも、やはり、寂しさを感じる。今まで私の中にいた存在が消えた。私を助けてくれていた存在が消えた。そんな感覚に、元に戻っただけなのに、孤独を覚えざるを得なかった。
 そのうち、この感覚になれていくことだと思う。たった一年ほどの、契約に、私は、本当に、いろんな思い出を詰め込んでいたんだなと思った。殿下もきっと、そう感じている。


「これにて、番契約を解除する儀式は終了となります」


 神父らしき男の声とともに、拍手が起こる。まばらな拍手。以前、番契約をしたときには、誰一人としていなかったのに、今日は何人かの貴族と、騎士が参加していた。見世物ではないのに……と、不満を抱きつつも、番契約を切るにあたった覚悟というか、これからのことを、示すためにも、観客という存在は必要だったわけだ。


「ロルベーア」
「何ですか、殿下」
「……体調に変化はないか? めまいや吐き気は?」
「ありません。殿下こそ、大丈夫ですか?」
「俺はいい……ただ」
「ただ?」


 殿下は、自分の胸のあたりを触り、何かを掴むようにぎゅっと服を掴む。強く掻くように握ったため、服にしわが一気に寄る。
 くらい儀式場だと、殿下の顔がよく見えず、真紅の髪のカーテンに隠された顔を、のぞき込むのは難しかった。


「これで、番契約が切れたわけだが……公女、何か変わりはないか?」
「先ほども聞きましたよね? 殿下、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。ああ……」


 うわ言のように言うので私は心配になって、殿下の手に触れた。少し冷たくて、びっくりし、瞬きしていれば、殿下は「周りが見ているぞ」と私に耳打ちしてきた。その言葉を聞き、私は、まだこの儀式場に、人が残っていることを思い出し、周りを見わたした。殿下の言う通り人はいたが、誰も私たちに興味がないようだった。もしかしたら、あの中には、私たちが番契約を切ることに賛成派の人間がいたのかもしれない。だから、それを見届けたから、もういいと……そそくさと帰っているのかもと。


(どうでもいいわ……)


 結局暗くて、その人たちの顔すら見えないのだから、見る必要もないだろうと、死線を殿下に戻そうとしたとき、くらい儀式場の中で、ゆらりと白い何かが揺れた気がしたのだ。


「……っ」
「どうした? 公女?」
「い、いえ……何でもありません。見間違いです」


 額に手を当て、そんなはずないと、もう一度ぎゅっと目を閉じた後、その場所を見てみたが、そこには、白く揺らめく何かも、人の気配もしなかった。疲れていて、実間違えたのだろう。あの気味の悪い男のことが、頭の中をよぎり、恐怖で体が震える。いつもなら、気づいて私を抱きしめてくれる殿下は、先に出るぞ、と何も気づいていないように私の元から去っていった。


(ああ、そうだ……番契約を切ったから、相手の感情が流れてこなくなったんだ)


 私が怖い時、寂しい時……もう、殿下が気付いて私のもとに駆け付けてくれることはないのかもしれない。私が、それらの感情を隠せば、きっと殿下は気づかないだろう。そして、私も殿下の孤独と、不安に気づきにくくなる。互いに、そういうマイナスの感情を隠したがるから……


(でもこれで、目的は達成された……殿下の足枷が一つ減ったのよ。喜ぶべきじゃない)


 私が言い出したことで、互いが了承したこと。だからこそ、これは喜ばしい結果だ。本来であれば、番を番が殺さなければその契約は切れなかったのだから。こうして、五体満足してそれを切ることが出来たのだから。
 ぽっかりと空いてしまった、この胸の孤独を、これから埋めていかなければならない。
 きっと、殿下は、顔を見られたくなくて外に出ていったに違いない。少し、互いに気持ちを整理する時間が必要なのかもしれないと思った。


「案外、あっけないのね……」


 さすっ、と指に触れ、そういえば新しい指輪を殿下に預けていたことを思い出した。何を思いついたのか、新しく買った指輪を一度かしてほしいと、言って彼は持っていったままなのだ。一度は捨ててしまい、そのことで少しもめてしまったが、今度は二人で選んだ指輪、大切にしようと心に決めていた。だから、それがないのが、また寂しくて、暗い気持ちになる。
 儀式場が暗く冷たいこともあったため、私はとりあえずそのと空気を吸えば、少しは気持ちが楽になるだろうと、足早に外に出た。
 目に飛び込んでくる光と、爽やかな青い空は、まぶしくて、思わず目を閉じてしまう。そして、次の瞬間、あの真紅が目に飛び込み、振り返れば、少しむすっとした顔の殿下がたっていた。


「何だ」
「な、何だって、何ですか。いきなりびっくりするじゃないですか」
「気づいていなかったのか? ああ、番契約を切ったから、互いの場所も分からなくなったんだな……」
「全部、番契約を切ったせいにしないでください。というか、背後に立たれたら誰でも驚きます」
「そうだな。背後に立たれた時点で、その人間の命はない。戦場では背中を見せたものから死んでいく」
「……」


 不機嫌なのは、番契約を切っても分かる。不機嫌か、怒っているときの顔くらいは、きっと誰にだってわかるだろう。その不機嫌な理由が何かまでは分からないが。
 私はさっと距離をとって、殿下を見上げた。大きいくせに、子供みたいな寂しそうな顔をして、文句を言いたげな顔で見降ろしてくることに、こっちも少し腹が立った。


「出てくるのが遅かったな。何をしていた?」
「別に。少し考え事をしていたんです。そういえば、殿下、指輪は……一緒に買った指輪をそろそろ返してくれませんか?」
「指輪? ああ、そうだったな。ちょうどそれを返したくて持ってきていたんだ」


と、殿下はポケットの中に手を突っ込んで、ハンカチにくるまれた二つの指輪を取り出した。大きさが違う二つの指輪。片方は私ので、もう片方は殿下のだ。二つ並んでいるだけでも、その大きさが見てわかる。だが、その指輪から前には感じなかった不思議な力を感じたのだ。


「あの、殿下これ……」


 私が自分の指輪に手を伸ばすと、彼はそっと私の左手をとって、膝をついた。

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