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第2部3章

08 白い悪魔の誘惑

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「お嬢様!」
「リーリエ、皆も」


 公爵家に帰ると、私が帰ってくることを知っていたように、ずらりと、見知った顔の使用人たちが出迎えてくれた。皆、顔色が優れなかったが私を見た途端、目を潤ませ、リーリエに関しては私に飛びついてきた。いつにもまして、手の込んだお出迎えだと思いつつ、みんな私のことを心配してくれていたのだと、心が温かくなった。
 一年前までは、こんなことなかったのに、悪女ロルベーア・メルクールの汚名挽回に力を入れた結果か、私にみんな優しくしてくれるようになった。やってきたことが無意味じゃないと、そう思わされるようで、私もリーリエを抱きしめ返す。彼女が、一番私を信じてくれていたから。


「ごめんなさい、お嬢様、ほんとうに、ごめんなさい」
「何を謝っているの? あの日の事?」
「だって、私がついていればお嬢様が、怖い目に合うことはなかったでしょうに」
「いいえ、そんなことないわ。ゼイがついていても、どうにもならなかったんだもの。それに、リーリエまで巻き込みたくないわ。だから、大丈夫よ」
「お嬢様!」


 実際、リーリエにまで被害が及んだらと考えると恐ろしく、あの場にいてくれなかったことは不幸中の幸いといってもいいだろう。ゼイに関しては本当に申し訳なく、守ってくれて、あんな重傷を……


(起きたら、彼の望みを一つかなえてあげましょう。命の恩人として、公爵家の令嬢を救った救世主として……)


 あの彼が、それを素直に受け取ってくれるかはまた別問題だが。
 ただ、あの場にゼイが、竜人族がいることを知っていて、尚且つその竜人族を陥れることが出来る魔法を相手が使っていたのは、本当に用意周到というか、情報がどこから漏れていたのか。そもそも、竜人族の用心棒なんて普通いないだろうし、その情報も流した覚えはない。確かに装いが、護衛っぽくなかったのは認めるし、あれだけ目立つ容姿をしていれば普通とは違うと勘づく人間もいるだろう。だけど、そんなすぐに、竜人族を苦しめる魔法を発動できる魔導士がいるのだろうか。用意周到なのか、あるいは、多くの魔法を使えるのか。後者と考えた方がいいだろう。


「お嬢様どうしましたか?」
「ううん、なんでもないわ。とにかく無事でよかったわ。みんなも」


 私がそう言って微笑みかけると、使用人たちは、首を縦に振って微笑み返してくれた。今の公爵家はとても居心地がいい。しかし、もしものためにと皇宮の方に少しお邪魔することになる。それは、私が殿下の番だからであり、番契約を切るまでの間は当分――と。番契約を切ったところで、婚約者である以上、危険は付きまとうと思うが、番ほどのデメリットはない。殿下の情緒が破壊されるだけで済むのなら、周りとしては最低限いいのだろう。


(だからといって、死にたくはないのだけど)


 あの日認められたと思っていたが、やはりまだ少数、私と殿下の関係をよく思わな連中がいるらしい。それは、私の昔の悪い噂を知っているから、ではなく、自身の家の繁栄のために、自分の娘と結婚させようとしている連中の悪あがきみたいなものだ。また、殿下をよく思っていない人間もぽつぽつ存在している。
 そんな少数の声に耳を傾けるようなことはしないだろうが、知っていい気持ちになるものでもない。


「それで、さっそくなんだけど。この間の襲撃もあって、危険だからって皇宮の方に少し身を置かせてもらうことになったの。今日は、必要なものを持ち帰りに来ただけで、ごめんなさいね。本当はもう少し長くいたいんだけど」
「そうですよね。だって、ここはお嬢様の家でもあるんですから……私も、お嬢様がいないと思うと寂しいです。ですが、お嬢様の身の安全のためにもですね! さっそく、荷物をまとめましょう」
「ええ。そうしてくれるとありがたいわ……それで、なんだけど」


 リーリエや、他の使用人たちは、私の言葉を受けて、さっそく家の中へと入って私に必要なものをかき集めてくれるらしい。殿下は、ドレスは山ほどあるから、好きなものだけを厳選してもってこればいいといっていたため、服には困りそうにない。全く、いつの間にドレスを買いあさっていたのか分からないが、私に着せるためだろう。殿下の趣味は悪くないけれど、やたらと自分色に染めたがるその心が、とても可愛くて仕方がない。そんなことを思い出しながらも、私は、殿下に言われたもう一つのことを思い出し、少し気を沈めた。
 リーリエは、立ち止まり、私の顔色を窺うようにどうしたんですか? と優しく訪ねてくれる。


「……お父様は、今どこに?」
「公爵様ですか? 公爵様は、新たな事業を立ち上げるために今は公爵家を空けております」
「じゃあ、公爵家には今誰もいないの?」


 それって、危険じゃない? するとまた、リーリエは、私の不安をぬぐうように、ぽんと胸に手を当てた。


「大丈夫です。私たちが、責任もって、公爵家をお守りしているので。お嬢様の心配には及びません」
「そう、それならいいけれど……」


 一応、父親である公爵に顔を見せてから行こうと思っていたのだけれど、いないなら仕方がない。公爵ともあの日から、上手くいっていなくて、もちろん、ロルベーアを、私を政治のための道具として利用したことは許せない。けれど、公爵夫人が早いうちに亡くなっているため、肉親は公爵一人なのだ。そんな唯一の家族との時間すら取れないないとは……と少し思ってしまう。まあ、顔を合わせてもなんてしゃべればいいのか全く分からないから、これでよかったのかもしれないが。


「あっ、でもお嬢様、公爵様から、プレゼントをと預かっております」
「私にプレゼント?」
「はい。確かネックレスだったと思います。それも、お持ちしますね」
「……え、ええ。どういう心境の変化かしら」


 ロルベーアが、宝石やアクセサリーに興味があったような話は身に覚えがなく、興味があったとしても、安物には感心すら向けない。だから、公爵がよこしたそのネックレスというのは、きっと高価なものなのだろう。無駄遣いを嫌う公爵が、娘のためにプレゼントを……それも、あの日から考えられれない公爵の変化だった。


(まあ、直接渡してくれるほうが嬉しいのだけど)


 まだ、顔を合わせることが出来ないのだろう。それだけ、反省しているということなら、私から会いに行ってもいいかもしれない。ただ、次にあえるのはいつになるか分からないけれど。


「それと、お嬢様……お嬢様が家を空けているあいだ、妙な手紙が」
「妙な手紙?」
「はい、実際に受け取ったのは私ではないのですが、真っ白な……」
「白……?」


 ――ああ、嫌な予感がする。

 思い出される徒花の男のこと……頭の中にあの男がいるようで、私に微笑みかけてくる。それが、振り払えなくて、気持ちが悪くなった。なぜ、あの男のことが頭に浮かんだのか。白から連想されるそれに、私は頭が痛くなる。
 大丈夫ですか? と、リーリエに肩を抱かれ、私は大丈夫と答えてはみるが、気が気でなかった。だって、あいつが、私のことをどこからか、監視しているような気がしたから。


「――ロルベーア」
「……っ」


 凛と、鈴が鳴るような声がし、私の心臓は飛び跳ねる。いるはずがない、と振り返れば、風が強く吹きつけ、青い公爵家の薔薇の花弁に混ざって、白い薔薇の花弁が舞い散る。
 そして、目をこすり、見てみれば、そこには確かにあの男が立っていた。真っ白な服に身を包み、貴族らしいたたずまいで……でも、どこかこの世のものとは違うオーラを放ち、私に慈愛に満ちた微笑みを向けていた。


「ヴァイス……クルーガー……」
「覚えていてくれて嬉しいよ。ロルベーア」


 そういって、彼はもう一度にこりと微笑んだ。

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