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第2部3章
05 認められて
しおりを挟む「――ふーん、いきなり触れるのはダメなのか。うん、勉強になったよ」
「何だこいつ」
「殿下!」
まるでヒーローのように現れた殿下に、思わず、抱き着きたい衝動を抑え、私は、殿下の方を見た。怒ったような顔から、すぐにいつもの私にだけ向ける優しい表情になり、じっと夕焼けの瞳で私を見つめる。だが、ちょっと不機嫌そうで、そこだけが気になってしまった。
「殿下、遅いです」
「ハッ、助けてやったというのに、開口一番それか。俺も探したんだぞ? でも、公女……どこにもいないじゃないか。てっきり、番に捨てられたのかと」
「捨てるわけないじゃないですか。私だって探したのに」
でも、あの目立つ赤色を見つけることが出来なかった。人が多いというのはもちろんあるが、番としての本能、番が近くにいるかすらも私には感じられなかったのだ。
(どうして?)
番契約は、まだ切っていない。もう少し準備がかかるそうで、二週間後とかになるらしい。それはいいのだが、番契約の効果が薄れる、などという話は聞いたことがなかった。定期的に、愛を囁き合い、身体も重ねているし、これといって、互いの気持ちが薄れたことはない。また、別にそれらが問題なわけでもないので、本当に不思議だった。
「――魔法?」
「どうした、公女」
「いえ。少し気になることがあって。でも、殿下が来てくれたので、もう安心ですね」
「そういってくれるだけ、可愛いな。似合っているぞ、ロルベーア」
「ありがとうございます。アインも……」
いつもとは違う、真っ白な装いに、正直言えば見惚れていた。私のドレスも色が薄いのでなので、ペアコーデのようにも感じるし、少々浮かれてしまうのはしょうがないだろう。
「ああ」
と、だけ返事を返すアインの耳が赤くなっているのを見て、私もなんだか恥ずかしくなった。
ふと隣を見れば、ヴァイスがじっと私たちを見つめていた。その目の奥は何を考えているのか全く分からない。ただ分かるのは……彼は危険だということだけだ。
「それで、貴様はどこの誰だ」
「――帝国の太陽に、挨拶を。ヴァイス・クルーガーといいます。以後お見知りおきを」
「……フン。あの没落しかけていた侯爵家の養子か。彼女が誰のものだと思って、触れようとした」
「ああ、そういえば、殿下とロルベーアは番同士だったね。番同士で婚約者……うん」
「貴様、今ロルベーアのことを――ッ」
ブワリと広がった殺気で、ようやく私たちの存在を認識したらしい周りがちらちらとこちらを見始める。殿下のはなった殺気が、何かの結界を破壊したようにも思え、不思議だった。
殿下は、腰に手を当て、剣を引き抜く動作をとったが、その腰には剣などなく、思いっきり舌打ちを鳴らした。
これ以上、殿下の機嫌が悪くなったら、せっかくのパーティーが台無しになると、私は、殿下を制し、ヴァイスと向き合った。私が前に出ると、にこりと、ヴァイスは殿下ではなく私を見た。正直怖いけれど、ここで言わなければこの男は理解しないと思ったからだ。
「ヴァイス・クルーガー侯爵子息様。あまりに、殿下に対して無礼がすぎるかと」
「そう? ごめんね。まだ、勉強不足みたいだ。やっぱり、国が違うと文化も違うね。もっと、気楽に生きればいいのに」
「……」
すべたが謎だった。敵意も悪意も何も感じられないその態度、声色に、未知なる存在に私は恐怖を抱かずにはいられなかった。殿下も殿下で、冷静さがかけているものの、ヴァイスの異常性については気づいたらしく、その殺気を抑えることはなかった。
(関わらない方がいいわね……)
自身のためにも、殿下のためにも。こういう人畜無害そうな人ほど、何かを隠し持っている気がしてならず、私は殿下の手を握った。
「私たちは、これで失礼させていただきます。ヴァイス・クルーガー侯爵子息様、今後はくれぐれも、このような態度をとらないように。貴方のためにも言っているんですからね」
「……優しいね、ロルベーアは。うん、じゃあ、またね」
と、ヴァイスは手を振った。
殿下は今にも噴火しそうなほどおこっていたが、私が手を引いて会場の端へと歩けば、ようやく意識を私の方に向けた。
「全く何なんだあいつは!」
「それは同意ですが、怒りを鎮めてください。殿下のおかげで、触れられてはいないので」
「同じ空気を吸っているのも、苦痛だ。つまみ出すか」
「殿下!」
「……悪かった。お前に何かあるかもしれないと……冷静ではいられなかった」
「それは嬉しいですが……アイン」
「何だ、ロルベーア」
スッと殿下が顔を上げる。でも、その顔が少し頼りなくって笑ってしまいそうになった。あんなに怒っていた人が、今は、震える子犬のようで。
私は、殿下の大きな手を両手で包み込んで、大丈夫ですから、と声をかけた後、ゆっくりと顔を上げ、殿下の顔をもう一度見た。
「今日は、私たちが、上手くいっていると知らしめるための場でもあります。殿下が怒っていては、周りもそれどころじゃないでしょう。今日のために、しっかりと心づくりもしてきましたし、ダンスももう一度叩き込んできました。だから、ね、アイン――」
「ロルベーア」
こういうのは、男性からいうものなのではないだろうか。だから、こちらからいうのをためらってしまい、いざ意を決して口を開こうとしたとき、殿下が「待て」と声をかける。
「俺から言わせてくれ」
「はい」
「――ロルベーア・メルクール公爵令嬢。私と踊っていただけないでしょうか」
距離を少しとり、前に差し出す手。皇太子というだけあって、その姿は様になっていた。
「ええ、喜んで」
そっとその手に手を添えれば、殿下は柔らかく私に笑いかける。
殿下のエスコートをうけ、私たちは会場の真ん中へと移動する。歩くたび、その視線を独り占めできるのは、隣に彼がいるからだろうか。
(ううん、大丈夫よ。私だって――)
自信をもって、胸を張って、前を見て。
殿下の隣に立っても、見劣りしないような、そんな女性になりたい。
会場の視線を独り占めし、私たちに対抗して踊る人間は誰もいなかった。私たちのためだけの曲が流れる。頭で踊るよりも、身体に、音楽に身を任せた方が、上手く踊れた。殿下も、慣れているのか私を引っ張ってくれる。上手く踊れている。だって、そうじゃなきゃ、こんなにも視線を集められないはずだから。
「ロルベーア」
「何ですか?」
「愛している」
「……私もです」
そんな甘い言葉も、今は、素直に受け止められる。殿下が私を想ってくれているように、私だって彼を思っているから。
曲の最中、私にしか聞こえないくらい小さな声で、何度も何度も彼は愛を囁く。さすがに恥ずかしくて、足を踏んでしまいそうになるからやめてほしいと、私は視線を下に落とそうとするが、彼はそれをよしとはしなかった。
「俺だけを見ていろ。俺はロルベーアだけを見ているからな」
「何ですかそれ……貴方だけを見てますよ。大丈夫です」
「……フッ、夢みたいだな。こうして、ロルベーアと踊れるのは」
「そうですか? 貴方がエスコートしてくれれば、何曲でも……いつでも相手をしますよ」
「そうか」
と、幸せに満ちた顔で殿下が笑う。その顔をみているだけで、私も幸せだと思えるのだから不思議だ。
音楽が、終わるまでずっと私たちは踊り続けた。曲が終わり、そっと殿下から離れると、大きな拍手が響き渡る。それは、まるで私たちを祝福しているような、認めてくれているようなそんな拍手だった。
煌びやかなシャンデリアの光の下、私はようやく、彼の隣に立っていいと、認められた――そんな気持ちでいっぱいになった。
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