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第2部2章

03 海上で

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(――って、ことがあったんだけど。今日は、ちょっと機嫌が悪い、みたいなのよね)


 出航してからというもの、殿下は私に話しかけてこなくなった。というのも、マルティンやほかの騎士たちとの今後の確認や、地図を広げて話し合っている様子から、忙しくて話せない状況らしい。
 どこにいても目立つ真紅を見ていると、話したい欲にかられ、殿下があれほど私に執拗に話しかけてきた理由が分かるくらいには、少し退屈で寂しかった。でも、それを口にしてしまったらなんだか負けな気がして、気を紛らわすために、視線を外せば、どこを見てもコバルトブルーが広がっているだけで、何の面白みもない風景が広がっていた。


「お嬢様、船酔いですか?」
「いいえ。大丈夫よ」


 機転を利かせて、リーリエが水を持ってきてくれたので、船酔いはなかったのだが水を受け取り、軽くお礼を言って喉を潤した。
 私は専属の護衛がいないため、公爵家からえりすぐりの騎士たちを連れてきたけれど、全く私に気を遣う感じもしないし、皇族直属の騎士としゃべれる機会が少ないのか、そっちの方としゃべっていた。まあ、しゃべりかけられても困るので、リーリエがついてきてくれただけでも、話し相手がいていいんだけど。


「お嬢様……最近、よくお考えごとをされていますね」
「そうね。少し、不安なことがあって。でも大丈夫よ? 心配するようなことじゃないわ」
「……」


 リーリエは、私の言葉の真意を探るように、じっと私を見つめる。その真摯な視線に私は思わずたじろいだが、彼女はすぐに視線を逸らして言った。「そうですか」とだけ言い残すと、彼女はにこりと笑った。察して、詮索しないことにしたのか。それとも私の言葉を言葉通りにとったか。どっちにしろ、リーリエは私にとって、ありがたい存在だった。


「あ! もしかして皇太子殿下の事、考えていたんじゃないですか?」
「なっ、そんなわけないでしょ」
「だって、お嬢様、まるで恋煩いのようにため息をつくんですもん。皇太子殿下は、今作戦の確認中でお話しできませんもんね。寂しいですよね~」
「ちょ、リーリエ。やめなさい。そういうのじゃないから」


 ニマニマ~と、リーリエは、私に近づき嬉しそうに笑うと、ちらりと殿下の方を見た。私もつられて、視線を向ければ、ばっちりと彼の夕焼けの瞳と目が合ってしまった。


(……しまった)


 目が合ったからなのか、殿下はマルティンに何か言い残すと、こちらへずかずかと歩いてきた。逃げも隠れもできない甲板の上、リーリエに逃げ道をふさがれたこともあり、私はすぐに殿下につかまってしまった。向かってきた真紅の彼の髪は潮風になびかれ、花弁が舞うように美しかった。


「では、お嬢様。皇太子殿下とごゆっくり!」
「ちょ、ちょっと!」


 とんと背中を押され、最後の数センチを縮められてしまったことで、目の前に殿下の身体が。無意識的に顔を上げれば、まぶしい太陽を背に笑う、彼の顔があり、顔に熱が集まるのが分かった。


「公女、体調でも悪いのか?」
「……いえ、どこも悪くありません」
「そうは見えないがな。お前がため息とは珍しい。何かあったのなら言ってくれ」
「いいえ……何もありません」


 殿下は、私の言葉などまるで信用していないように、私を見つめると、少し間を置いて言った。


「そうか。だが、無理はするなよ? 何かあったらすぐに言え」
「だ、大丈夫なので。それに、何かあれば、侍女に頼みます」
「そうだな。あの侍女はなかなか有能そうだ。こうして、俺たちの時間を作ってくれたのだからな」
「……殿下!」


 キッと後ろを振り返れば、リーリエの姿が見え、脱兎のごとく物陰に隠れてしまった。さすがに、仕組んでいたわけではないだろうが、タイミングが良すぎるというか……


(ああ、もう!)


 話したいとはいったけど、こんなに早くその機会がくるなんて思ってもいなくて、話す内容なんてこれっぽっちも考えていなかった。もうすでに、そんな話す内容がなくても、他愛もない会話ができる関係にはなっているはずなので、考えるだけ無駄なのかもしれないが、殿下を目の前にすると、上手く話せなくなる……し、きつく当たってしまうからだ。
 殿下は、私と話せることが嬉しいようで、そのオーラを隠しきれていない。口角は、先ほど騎士たちと話していた時の何倍も上がっているし、ほほも緩み切っている。誰がどう見てもその差は明確で、誰がどう見ても私のことが好きすぎるということが伝わってくる。


「もう、話はいいんですか?」
「ああ。まだ、島に着くまで時間があるからな。それに、あれだけ熱烈に見つめられては、来るほかないだろう」
「……また、私のせいにしました?」
「公女……今公女がどんな顔をしているか教えてやろうか?」


と、殿下が私の顎を掴む。この強引な行動に、私は対応できず、いつまでも慣れず、ただ触れられただけなのに心臓が嫌というほど大きく脈打つ。

 どんな顔をしているかなんて、分からない。だって、鏡がないんだから、見えないじゃない。もし、酷い顔をしていたらどうしようと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。
 夕焼けの瞳は私を逃がしてはくれず、俺を見ろと言わんばかりの脅迫感に、私はおずっと視線を上げて彼をみる。美しいほどに整った顔がそこにある。切れ長の目に、真紅の髪、不敵に笑う彼はやはりどこか余裕があって、私をからかっているようにも思えた。


「わ、分かりません」
「――俺に会えて嬉しいと言っている顔」
「……っ」


 そう言われた瞬間、ボッとさっきよりも顔が熱くなるのが分かった。きっと、リンゴのように真っ赤になっているに違いない。
 言い当てられたような気持ちになり、私は目を見開く。な? とでも言わんばかりに、彼はフッと笑って見せると、愛おしいものに触れるように、私の頬を撫でた。恥ずかしくて、くすぐったくて、顔を背ければ、彼は優しく、私の頬を撫でた。


「俺だってそうだ。公女と話したいと思っていたからな」
「あ……っ」
「ま、せっかく海に出ているんだ。少し話そうじゃないか」


 同じ気持ちのはずなのに、私だけドキドキしているような気がして恥ずかしかった。
 目の前に広がる大海原すらも、血に染めてしまいそうなその髪色を見ながら、私は、火照った自分の頬を冷やそうと思った。


「その、ゲベート聖王国ってどんな場所なんですか?」
「質問がつまらないな。公女」
「……すみませんね。いきなり、殿下が来たもので、話す内容が吹き飛んでしまいました」
「どうせ、何も話すことなんてなかったんだろう。嘘を言うな。まあ、俺も、公女の顔をみえるだけでよかったからな。何も話すことを考えていなかった。いや、話したいことが多すぎて、選べないと言った方が正しいか」
「それで、質問答えてくれるんですか?」
「……公女は、せっかちだな」


と、殿下はむすっと口をとがらせて腕を組んだ。

 すね方が子供みたいで可愛いのは、絶対に口にしないとして、質問に答えてくれないのか、と私も頬を膨らませば、殿下は「最近、妙な噂を聞く――」と、答えたくないように話をすり替えた。


「それ、質問の答えですか?」
「まあまあ、公女。話を最後まで聞いてくれ。面白い話だ」
「……私は答えてほしいと言ったのですが」
「それは、ついてからのお楽しみだ。まあ、といっても戦場になったところだ。わが帝国が建築士や研究員を派遣して、今や帝国の色に染まっているが、少し前まではかなり戦争廃棄物であふれていたぞ?」
「……」


 まだ、自分は生まれていなかったがな、と殿下は付け加えた後、少しずつ近づいてきた島を通目で見ていた。


「それで? 面白い話とは?」
「公女、聞きたいなら聞きたいといえばいいものの」
「殿下がじらすので。話す気がないならどうぞ勝手に。私はリーリエの所にでも」
「待て、公女! 話す。面白いこと……そうだな、最近、近海で海賊が出るという噂を聞いてな。普通は、港を狙うだとか、港に着く船を狙うのだとかだが、どうやらその海賊は、船ごと沈めるらしい。大海原のど真ん中で――」
「そ、それのどこが面白い話なんですか……きゃあ!?」


 殿下に詰め寄ろうとした瞬間、ドカン! と爆発音のようなものが響き、船が大きく揺れた。
 踏ん張りがきかず、殿下の胸に飛び込む形で倒れこんでしまい、私は「すみません」と顔を上げると、そこには楽しそうな殿下の顔があった。いや、もっと言うと悪い顔をしている。
 少し遠くで上がる黒煙を見て、殿下の口角がさらににやりと上がった。


「――どうやら、その海賊のお出ましのようだな」

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