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第2部2章

10 真っ白い亡霊

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「……腰、すっごく痛いんだけど」


 腰に何かが巻き付いている感覚に、寝苦しさを覚え目が覚めた。大蛇が巻き付いてたら悲鳴を上げていたところだろうが、もちろん巻き付いているのは大蛇ではなく子供のように眠る真紅の番。意識が途切れる前に聞こえた言葉の宣言通り、彼は乾いた服を着せられるだけ着せて、後処理もしてくれたらしい。だが、慣れない体位のせいか、身体の節々が痛く、それだけではなく、落ちてきたことでやはりどこかぶつけたのではないかと思うくらい体中が痛かった。


(はあ……また、流されてしまったわ)


 本当に、この人にどこまでも甘いな、と自覚しながら、求められる時に求められておこうかな? という気持ちにもなって、私は彼の顔にかかった髪を払いのけた。うぅん……と厭そうに眉を顰め、ぎゅっと私に抱き着くものだから、やっぱりこの人は子供なのかもしれない。


「可愛い……」


 いつも揶揄ってきて、時々怖くて、でも強くてりりしい人が、こんな姿を見せてくれるのは、後にも先にも私だけなのだろう。そう思うと、優越感で心が満たされ、もっとこの人の、私にしか見せない顔を見たいなと思った。
 殿下もつかれているのか、ちょっとやそっとでは起きず、小さな寝息を立てている。ずっとこのまま……というわけにはいかないので、私は申し訳ないと思いながら、殿下を引きはがし、乾いた残りの服をどうにか着て、身体をうんと伸ばした。ポキポキポキと普段ならないような音がして、驚いたが、慣れない船旅からの探索をすれば、身体に出るのは当然だな、と深く考えないことにしてあたりを見わたした。昨日よりも、洞窟の中は明るい気がしたが、まだ、ほの暗く、たいまつがなければ、奥の方へ進むのはためらわれた。


(殿下を起こして、出発した方がいいのかしら)


 昨日はそれどころではなく、心配もしていなかったが、この洞窟がどこまでつながっていて、魔物はいないのだとか、そういう心配も出てくるので早くここから出たかった。周りを見渡す限り、左と右に穴が続いており、どちらからも風の音が聞こえた。どちらかに向かえば、外に通じるのだろうが、変なギャンブルはしたくない。


「やっぱり、殿下を起こして……ん?」


 真紅の彼に視線をうつそうとしたとき、私の目の前に白い蛍のような光が横切った。何かと顔を上げれば、右の方にその光がふわふわと流れていったのが見えたのだ。その先には、ぼんやりと白い人影のようなものが見えた。


(な、なにあれ……)


 白い人影のようなものは、近づいてくるわけでもなく、そこで揺らめいているだけ。しかし、目を凝らしてみれば、その姿は、本当に人のように見えてきて――


(なんか、あったわよね。そういうの……その正体を見てしまったら、気が狂うとかいう怪異)


 あっちの世界での都市伝説のようなもの。それが、この世界にもあるのだろうか。ただ、本能的に近づいてはいけないものだと察した。もしかすると、ゲベート聖王国で死んだ人の幽霊かもしれない。こちらに近づいてくるような気配はなかったが、そこに存在しているだけでも恐ろしい。
 横で寝ている殿下を起こそうと、ようやく決心し、私が殿下の名前を呼ぼうとしたとき、人影の見えた穴の方から、男性のような女性のような声が聞こえた。


「誰かそこにいるのかい?」
「ひっ!?」


 最後まで聞けば、明らかに男性……いや、中世よりの声だった。どちらか判別はつかなかったが、優しげな声色だったことだけは分かった。それでも、声がはっきりと聞こえたことは、恐ろしく、私は、殿下! と叫ぶ。


「公女……うるさいぞ」
「で、で、殿下起きてください! 今、今、そこに人が!」
「人? いるわけないだろ? ――公女、どこに行く!」
「え?」


 本当に無意識だった。殿下に言われ、自分の身体が、その穴の奥へと引き込まれるように歩いていっていることに気が付いたのは。
 何!? と恐怖に包まれ、身体に力が入らなかった。なのに、身体は、ゆっくりと、その白い幽霊のいる穴に向かって歩いていく。誰か止めてと、声すら出せなくなって、まるで、何者かに操られているような感覚に陥る。


(い、いや――!)


 あれに捕まったらどうなる? もうこっちの世界に帰ってこれなくなる? そんな恐怖が体の中を駆け巡り、目じりからは涙が流れ落ちた。


「――ロルベーアッ!」


 パシン、と手を掴まれ、そのままぎゅっと引き寄せられ、私は目を丸くする。パツンと、何かが切れたような音が脳内で響き、それまで固まっていた腕は、たらんと横に垂れた。魔法から、操り糸とか解放されたような、そんな感覚に、私は、顔を上げる気力もなかった。


「あ、アイン」
「どこに行くつもりだったんだ。ロルベーア。俺を置いて」
「ち、違うんです。身体か勝手に……っ、ほ、ほら、あっちに」
「あっち? 何もないが?」
「え、嘘……っ」


 弾かれたように、先ほど白い幽霊らしきものがいた場所を指さしたが、そこには誰もいなかった。また、あの白い光も、人影も、何もなかったように深く黒い通路が伸びているだけだった。


「それと、公女、帰り道はこっちだ」
「確認したんですか? いつの間に?」
「公女が眠っている間に少しだけな」
「あれほど、単独行動はやめてと言ったのに……ですが、脱出できるのなら、何よりです」


 私がどれほど眠っていたか分からないが、後処理と、そして脱出経路の確認まで済ませてくれていたなんて思いもしなかった。だから、いつも以上に眠りが深く、足りていなかったのだろうと、私は推察し、もう一度殿下にお礼を言った。
 それから、殿下が着替え終わるのを待ち、殿下の誘導で、一応たいまつをもって、左の道に進んだ。すると、光が徐々に明るく差し込んでき、洞窟の終わりが見えた。
 眩しさに、目をすぼめていれば、光の向こうから、見慣れた人影がこちらへやってくるのが見えた。


「――殿下あ!」
「マルティンさん?」


 それは、マルティン含めた、帝国の騎士たちで、その中にはゼイの姿もあった。


「さすがだな、ここを突き止めていたとは」
「突き止めていたとは、ではないです殿下。夜通し探したんですよ!? 全く、だからあれほど単独行動はするなと……ロルベーア様も、ご無事で何よりです」
「あ、ありがとう。心配をかけたわね」


 マルティンの隈が、また濃くなっていると、申し訳なく思いながら、無事に合流できたことを素直に喜ぶべきだろうと思った。そして、恐る恐る洞窟の方を振り返ってみるが、やはりそこには何もいなかった。あの人の気配すらない。見間違いだったのだろうかと思ったが、あの不思議な感覚は――


(――魔法、だったわよね。多分……それも高度な魔法)


 魔法を鑑定する能力など持ち合わせていないが、あれは確かに魔法だった。今、冷静になってみればそう思った。
 あれが何だったのか、もう調べるすべはないし、近づいたら危険なものであることには変わりないと思うので、これ以上の詮索はやめようと思った。記憶のどこかに沈めて、忘れよう、そう思いながら顔を上げると、あの無礼な竜人族の男が近づいてきた。


「ロルベーア……様、ご無事で何よりだな」
「呼び捨てにしようとしたわね。それで、何? 貴方も、夜通し、私たちを探してくれていたの?」
「いや? オレは、アンタらが使用としている番契約を切る儀式に必要な魔法石をとって来てやったんだよ。ほら」


と、投げられ、危うく落としてしまいそうになった。投げられたのは、透明なクリスタルで、日の光を浴びるとほのかに七色の光を放つ不思議な石だった。


「こ、これが?」
「ああ、希少なもんだからなくすんじゃねえぞ?」
「でも、何で?」
「何でって。まあ、そりゃ、このまま何もしなかったら殺されるかもしれねえなあーって思ってから、貸しを作っておいてやろうかなっと。そしたら、オレのこと簡単に殺せなくなるだろ?」
「……それを口にしているところが、間抜けな気もするけれど。一理あるわね」


 だろ? とゼイは笑うと、頭の後ろで腕を組んだ。
 いろいろあったけれど、目的は達成されたし、ひとまず一件落着だ。あとはこのまま帝国に帰り、この魔法石はいったんイーリスに預けて、鑑定してもらった方がよさそうだ。彼女なら、きっと――


「それで? 貴方はどうするの?」
「オレ?」
「貴方しかいないでしょ、ゼイ。その貸し……私たちが帰ったらかせなくなると思うけど?」
「はあ?」
「そもそも、殺されないだけで、もう返しているようなものだし……ねえ、貴方どこにも行く当てがないんじゃないの?」


 私がそう詰めよれば、図星と言わんばかりに彼は肩を揺らした。
 ちょうど、護衛を探していたところだし、公爵家に持ち帰っても怒られないのではないだろうか。彼が、海賊に加担して、お金をもらっていたように、彼には生活するためのお金が必要なはずなのだ。


(まあ、竜人族が護衛に、なれないかもしれないけれど。用心棒くらいにはなってくれそうよね)


「貴方に、仕事を上げるわ。海賊よりも稼げる仕事よ? どう? 私の家に来ない?」
「ハッ、おもしれえこというじゃねえか。ロルベーア!」
「様をつけなさい……はあ、貴方にはやっぱり、護衛は無理そうね。品性のかけらもない。いいにくいのなら、他の呼び方にしてちょうだい」
「ロルベーアはダメなんだろ? じゃあ、お嬢とか?」
「……」


 何それ、ヤクザみたい……と思ったが、いったところで伝わらないのでぐっと飲みこんだ。
 そんなふうに私とゼイが話し込んでいれば、殿下が割って入り、何を話していたんだ、と私の腰を抱く。


「この男を、公爵家の用心棒にしようと思って」
「用心棒? こいつをか?」
「ええ。役に立ってくれそうじゃない? なんでも、貸しを私たちは返さなきゃいけないようだから」
「フッ、公女、悪い顔をしているぞ? だが、名案だな」


 フフフフフ、と殿下と顔を合わせ笑いあえば、ゼイは一歩引いて、顔を引きつらせ「やべえ奴らに、捕まっちまったかもしんねえ」と肩を落としていた。
 そんなこんなで、ゼイを船に乗せ、私たちは大きな収穫を得て、帝国に戻ることになった。帰りの船では、まだ疲れていたこともあり、船室で休ませてもらい、帝国につくまでの時間夢の中で過ごした。

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