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第2部1章

06 聖女様の助言

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「お久しぶりです。ロルベーア様!」
「お久しぶり……聖女様」
「イーリスでいいです。ロルベーア様」
「……じゃあ、お言葉に甘えて、イーリスって呼ばせてもらうわ」


 屈託のない笑顔。誰もが振り向く優しい香り、そして愛嬌のあるしぐさ。すべてが揃っているヒロインを前に、やはり、マイナスの感情を抱かずにはいられなかった。
 癪ではあったけれど、このどうしようもない気持ちを、殿下以外に聞いてもらうとなった時、頼れるのは、次女のリーリエか、すべてを包み込んでくれる聖女イーリスしかいなくて、頼れる相手を探した結果、今回はイーリスにたどり着いた。
 本物のヒロインで、本来であれば殿下と結ばれるはずだった少女。しかし、殿下には恋愛的興味はなく、今は、神殿の方で魔法の研究にいそしんでいる努力家で、探求心の強い少女である。
 私が悪役令嬢だから、警戒してしまうのは無理がない話で――


(過去のこと、過去のことよ。殿下と結ばれたのは私、それでいいじゃない)


 時々出てくる、嫉妬からの対抗心を抑えながら、自分に微笑みかけてくれるイーリスに、私も精一杯笑顔で返した。


「ちょうど、研究がひと段落ついたところなんです。良ければ、私の研究室にいらしてください」
「いいの?」
「はい。何か、お困りごとがあってこられたのでしょ? だったら、私の研究室、防音かつ、外に漏れない魔法がかかっているので安心かと」


と、イーリスは、すぐさま、私の悩みを見抜き、周りのことを考慮したうえで、手を差し伸べた。

 美しい聖女でありながら、その手は研究の証なのか、少し傷んでいて、爪が割れていた。痛々しいそれを見て、私はとっさに、その手を握り、魔力を注ぐ。


「ロルベーア様?」
「研究もほどほどにね。私が使える魔法といったらこれくらいだから……聖女様の魔力には全然及ばないけれど」
「とんでもないです! 魔法は、人の心の美しさの現れですから!」


 ぺこぺこと頭を下げるイーリスが愛らしくて、つい笑みが漏れてしまう。敵対心とか持っていた自分が馬鹿に思えるくらい、彼女は広い心を持っていて、私に対して、何の警戒心も持っていないようだった。みんながみんなそうであればいいけれど、私が出会ってきた人たちが、みんな自分がよければそれでいい、という人間ばかりだったので、こういうなごむ存在に、戸惑ってしまう。けれど、こういう人間が大勢いた方がいいのも、また、こういう人間がいることで、平和な世界が作れるんじゃないかとも思う。
 イーリスに手をひかれながら、彼女の研究室に招き入れてもらった。木製のドアに紙や薬草の独特なにおいが染みついていて、前世で嗅ぎなれたような懐かしいにおいだった。


「どうぞ」
「ありがとう」


 中は、本と資料の山であふれかえっていた。魔法の研究を主にしているということもあって、その量は多いようで、イーリスの身長では届かない場所もあるようだった。


「すごい量の資料ね」
「はい! 帝都の資料館から取り寄せてもらったものと、自信で作成した資料ですね。魔法って、本当に奥深いです!」


 目を輝かせ、まるで自分の特別な宝石箱を自慢する子供のように、イーリスは資料を私に見せた。その熱意に気圧されながらも、私は圧倒されたことを悟られないように「すごいわね」と返して見せる。 彼女はさらに目を輝かせて、言葉を続けた。


「でも! これだけじゃだめなんです!」
「どうして?」
「だって……これはただの通過点ですから! まだまだ、研究したりない魔法もありますし、すべての魔法を使えるようになることが目標です!」


(目標が高すぎるわ)


 彼女の目標は世界平和なのだろうか。魔法という一つでは何もできないことを理解しているからこその欲望なのか、聖女という大きな存在が、すべての魔法を熟知すれば、聖女一人で国を滅ぼすことだってできるようになる。そうなれば、聖女という存在が抑止力になって戦争もなくなるかもしれない。殿下が目指す世界に、彼女は必要だろう。


「それで、悩みがあって、ロルベーア様はここに来たんですよね。私でよければ、聞かせてください! 必ずや、力になって見せます!」
「あ、ありがとう」


 任せてください、と胸を叩くイーリス。私は、別にイーリスに何かしてあげたわけでもなく、彼女も私に何かしてくれたわけでもない。いや、殿下の呪いを解いてくれたため、私の方が、彼女に恩を感じているという関係だ。それ以下でもそれ以上でもないのだが、彼女は、私によくしてくれている。理由は分からないのだが、誰とでも分け隔てなく話せる彼女だからこそ、そういう計算めいた関係を求めていないのだろう。
 かつての保護者だったミステルの家がつぶれてしまったことで、その保護権が、こちらに移り、今は、聖女の保護者として公爵家は地位を確立している。ミステルの、策略にいち早く気付いたという鋭い面も、イーリスは持ち合わせていることから、誰かに言われ何かをするのではなく、自分で考え進んでいける力が彼女にはあるのだ。


(さすが、ヒロインよね……)


 うらやましくなるほどに、彼女は輝いていた。それと同時に、彼女になら、私の抱えているものを離してもいいのかもしれない、と思わされた。
 私は、この間ドロップ伯爵家で起こった出来事や、抱えている不安、殿下との関係について、恥ずかしながらも、すべてイーリスに打ち明けた。イーリスは、馬鹿にするでもなく、過剰に同情するでもなく最後まで聞いてくれてた。話しただけで、気持ちもいくらか軽くなり、自然と彼女に「聞いてくれてありがとう」と一言締めの言葉のように紡いだ。


「ロルベーア様は、運がいいです」
「う、運がいい?」
「はい。実は、私も今、番契約について調べている最中でして、番契約を切る方法ももう少しで明らかになりそうなんですよ」
「そ、そうなの。デメリットとか、ない、わけ?」
「あ、すみません、まだそこまでは……」


 食い気味で、言ってしまい、さすがのイーリスも申し訳なさそうに眉を下げた。
 確かにタイムリーな話題である。しかし、少し気になることは、なぜシュニーが、番契約を切ることが出来る……といった噂? を知っていたのかである。それも、滅んだ国の話まで。


「その、ドロップ伯爵令嬢? が言っていた通り、その方法、番契約を解くカギはゲベート聖王国にあると思われます。そもそも、番契約というのが、そのゲベート聖王国から輸入された……まあ、もっと言うと盗まれたもので、愛を形としてつなぎとめるためのものとして、帝国で広がっていったそうです。一度結んだら、生涯切れないもの……とされていましたが、よく知られている方法で、番を殺す、というのがありますよね。でも、こちらは、ご存じの通り、精神的負担がかなりかかります」
「で、殿下は、そんなふうに見えなかったけれど」
「それは、個人差ですね。何とも言えないですけど……」


 イーリスは、苦笑いをし、頬をかく。
 殿下は、番を殺したとき、精神的負担を受けたのだろうか。あの人は、自分の弱さを表に出さないからよくわからなかった。私も、人に弱みを見せることも、弱音も言うこともあまりしてこなかった。そこに付け入られるのも、弱い人間だとも思わなかったから。頑固だったんだろうと今では思う。実際、今でも、自分の弱さを、殿下にみせられたことがない。きっと、見せて、幻滅されるのを恐れているから。


「――そして、負担がどちらにもかからない方法というのが、今研究していくうちに分かっていって。番契約の儀式を逆にすること。そして、その儀式にとあるものを取り入れることで、番契約を切れるというのです」
「儀式を逆に……」


 儀式とは、血を付けて口づけを交わしたあの儀式のことだろう。
 そして、あるもの、というのが、ここにはない、ゲベート聖王国にあるのだと、イーリスは言った。


「あの、ロルベーア様」
「何?」
「一つ気になっていたんですけど、その、番契約を切る……というのは、アインザーム様とお話しされて……?」
「していないわ。そのうちするつもりよ。でも、今は、まだ……」
「そうでしたか。余計なおせっかいでしたね。確かに、番契約、番でいるうちは、それが弱点になり得ますし、敵国との戦争が終わっていない以上、狙われる可能性も跳ね上がりますもんね。ロルベーア様のことを考えたら、切った方がいいというのは、分かります。きっと、アインザーム様も、理解してくれますよ」


と、イーリスは、私を励ましてくれた。

 確かに、一人で勝手に行動しているのは見直さなければならない点かもしれない。殿下と話し合ったうえで、どうにかする。婚約者であり、番であり……だからこそ、考えていることは打ち明けた方がいいのだ。たがいに関わることならなおさら。


(でも、あの日以降……手紙も来なくなったのよね)


 あの日、シュニーのことや、番のことを話して以来殿下からの手紙はぱたりと止まってしまった。もしかしたら、傷つけたかもしれない、とこちらから手紙を書こうと思ったが、それもできていなかった。その代わり、また、シュニーの方から手紙がき、彼女にこの間の話をして、彼女との縁がぱったりと切れた後、もう一度話し合おうと思う。それまでは、一人で抱え込ませてほしい。


(……なんて、これを知ったら、また殿下、怒りそうよね)


 もしかしたら、軟禁されるかもしれない。彼ならやりかねないな、と私は心の中で笑い、イーリスとその後他愛もない話をして時間をつぶした。

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