一年後に死ぬ予定の悪役令嬢は、呪われた皇太子と番になる

兎束作哉

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第2部1章

02 接触禁止令

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「――公女」
「……」
「公女……、ろ、ロルベーア」
「名前を呼んでもダメなものはダメです」
「何故だ」
「自分の胸に手を当てて聞いてみてはいかがですか?」
「クソッ……」
「……」
「悪かった」
「ですが、もう決めたことなので。撤回はしません」


 執務室は、カーテンが開けられ、夕焼けの色が部屋に差し込んできていた。しかし、そんな哀愁漂う色に染まった執務室の空気は最悪なもので、殿下はソファに腰掛けている私を前に、必死で謝っていた。それはもう、滑稽で、顔を合わせて貰えない相手に対し、必死に懇願し、縋るように。
 何に対してか――もちろん、先ほどのこの部屋での行為についてだ。


「何も、そこまで怒ることじゃないだろう……」
「怒ることです! あの後、マルティンさんに心配されたのもそうですが、顔を合わせるのだって……っ!」
「別にいいだろう。聞いていなかったのだから。公女は気にしすぎだ」
「何ですって!?」


 ムキになって、殿下の方を見れば、何だかほっとしたような彼の顔が合った。よほど、私が顔を合わせてくれないことに不安になっていたらしい。可愛いな、と思いつつも、やったことは最低なので、許す気はない。私は、殿下を睨み付け、眉間に深い皺を刻む。


(あんなのってないわ。これから、ここに来るたび思い出してしまうじゃない)


 流された私も私。確かに、それは一理ある意見だ。しかし、殿下はあの場でやめるべきだったのだ。人が通って、もしかしたら聞かれるかもというリスクがある以上は、殿下は私と、そして自分の保身のためにやめるべきだった。幸い、聞かれなかったものの、心臓に悪いことはしないで欲しい。


「気にしすぎって……殿下、反省していないじゃないですか」
「公女だってよがっていたじゃないか。ああいうスリルあるのも、たまにはいいだろう?」
「よくないです! 私に非があるのはみ、認めますが、それはそれとして、殿下は最近変です」
「変とは」
「……へ、変です。と、とにかく、変なんです! で、でも、好きなのは伝わってきますし、求められるのは嬉しいです……けど、やめて欲しいときだってあります」
「伝えなければ、また公女が不安になるだろう?」
「なりませんから」
「言い切れる保証は?」


と、殿下は私に詰め寄ってきた。私は、顔を逸らしたら、きっとさらに距離をつめられるだろうと思い、彼から視線を外さなかった。それが、いつもと違うと気づいたのか、殿下はあと一歩踏み込んでこなかった。その距離感を保って欲しい。

 求められるのは嬉しい、それが正直な気持ちだ。それでも、これまで与えられなかった分、少しの量でも私は一杯一杯なのだ。変えそうと思っているからなおのこと。彼から与えられる愛が大きすぎて、重すぎて。両手で抱えているのに、こぼれ落ちて……それが、勿体ないから。
 しかし、それとは別で、普通に、人に性行為の声諸々を聞かれるのは嫌だし、そういうレッテルが貼られてしまうかも知れないという恐怖は底知れないわけで。嫌なものは嫌だった。スリルがあるのは認めるが、私は自らそのスリルを求めようとは思わない。


「殿下は、私を嫌いにならないでしょうから」
「言い切るんだな」
「はい。でなければ、あの愛の告白が嘘になりますから」
「では、公女は、俺を飽きさせない努力をしなければならないわけだ」
「何故そうなるんですか」
「俺も求められたい」
「……」


 率直すぎる。
 自信に溢れたような、それでいて挑発的な顔を前に、私はまた眉間に皺が寄るのを感じていた。この男は、やっぱり変わらないと。安心感がありつつ、そういうところが好きで、嫌い、みたいな。本当に、どこまでも傲慢で強引で。でも、その夕焼けの瞳には、不安の色が見えた。完全無欠の、命知らずな暴君かと思っていたけれど、私の中ではそのイメージは崩され、愛する人を失う恐怖を知っている、不安を抱えた青年にしか見えなくなった。
 私だって、殿下を手放す気はないし、殿下が他の女性に目移りしたら叩いてでも、自分に興味を戻させるだろう。それくらい、私も殿下の事を愛しているから。
 まあ、それは別として、先ほどのあれを許すわけにはいかないので、殿下には酷だとは思いつつも、『接触禁止令』を出した。一応、軽いボディタッチくらいは許したが、そういう行為に繋がるようなものは禁止。私が、許可するまで永続的にこの禁止令は続く。殿下はそれについて、文句を口にしたが、自分が招いた結果だと、自らの非を認め、渋々受け入れてくれた――が、また今になって文句を言い始めた。


「ロルベーア、許してくれ」
「まだいいますか!? しつこいですよ、殿下」
「俺がこんなに頭を下げているというのに、何が気に入らないんだ」
「あーあー、もう本当にそういうところです。少しは大人になりましょう、殿下。別に、ずっとダメだといっているわけではないでしょう」
「ロルベーアに触れられないなら、死も同然だ」
「……怒りますよ」


 私が、さらに鋭く睨み付ければ、殿下は、視線を外し、自らの唇を撫でた。
 この男は、命を軽視しすぎだ。それが比喩表現であっても、殿下はやりかねない。たかが、触れられないといっただけなのに。


「俺は、幼い頃に戦場に投げ込まれたせいで、子供の時の思い出がない。早々に、子供という概念を、子供であるという考えを捨てた。子供も大人も……生き残るためには人を殺すんだ。そこに、年齢の差異はない。生きるか死ぬか……それが、子供であっても大人であってもだ。いや、ずっと子供なのかもな、そういう意味では」
「アイン?」
「だから、反動で甘えたいんだろう。俺は」
「殿下は……アインは、本当に自分のことが分かっていないんですね」


 ポツリと私が零せば、殿下の視線は再び私に戻った。
 大きな子供――という言葉が似合うような、彼の雰囲気に、先ほどの私の「大人になりましょう」という言葉は彼を傷つけてしまったのかも知れないと思った。彼は、傷つかないと思っていたが、案外繊細で、脆いのかも知れない。そのもろさを、弱さを私が引っ張り出してきてしまったのなら、私が責任を持たなければならないのかもと。


「ああ、そうだ。俺は、自己理解が乏しいな。だから、ロルベーア、お前にこれから、もっと俺を引き出して欲しい。俺は、ロルベーアの感情を引き出すから、な?」
「……っ」


 目を離さなかったのに、彼は一歩大きく踏み出すと、ソファに座る私を捉えた。左手で背もたれを掴み、もう片方の手は私の顎を掴む。前のような強引さはなく、優しくそっと触れるように、そして、クイッとゆっくり私の顔を上げさせると、優しげな夕焼けの瞳で見つめてきた。いつもとは違うそれに、ドキッと心臓が大きく飛び跳ねる。気づけば、キスをしてしまいそうな距離まで近付いた彼の唇があり、私はキュッと唇を噛んだ。動いたら、確実に当たってしまうだろう。それでも、逃げられないのは、彼の瞳が私を離さないから。その引力に、吸い寄せられて。


「だから、ロルベーア……仲直りをしよう。『接触禁止令』など、馬鹿馬鹿しいものを撤廃して――なっ、公女!」
「あー、もうっ! 騙されるところでした。やっぱり、それが狙いだったんですね!」


 ドンッと、思った以上に強く彼の胸を押してしまった。その場から弾かれたように、まるで本能で察知したように、私は殿下の胸を押して、口元を隠した。
 殿下は、後ろの机に足をぶつけておりよろめいていた。そして、もう少しだったのに、とでもいわんばかりにチッと舌打ちを鳴らす。その顔は、苦々しい、とかみつぶしたようなもので、先ほどのあれは演技だったのだと、私は気づいて恥ずかしくなる。また、流されるところだった、と。


(ときめきを、返して欲しいんだけど)


「ハッ、公女は俺の顔が好きだからな。甘い言葉を囁き、近付けばいけると思ったんだが……どこがダメだった?」
「私に聞かないで下さい。というか、私のこと、そんなチョロい女みたいな……」
「実際、公女は俺には甘いだろう?」
「甘くないです。とんだ、自惚れですね。勘違いしないで下さい」
「で、ダメなのか?」
「ダメです」
「ッチ……」


 殿下は先ほどよりも大きな舌打ちを鳴らし、頭を掻きむしっていた。苛立っていて、ものに当たりそうだったが、自業自得だ。いつから、あんな技を仕掛けられるまでになったのだろうか。甘やかしてきたのは、何となく事実な気もするし、やはり私のせいか……
 番だから、婚約者だからと大目に見すぎたつけが回ってきたのかも知れない。そう思いつつ、私は立ち上がった。すると、それまで後ろでぶつくさ言っていた殿下の足が、こちらに向いた気がした。


「公女、どこに行くんだ?」
「公爵邸の方に。いっておきますけど『接触禁止令』は解きませんから」
「何も、公爵邸に帰る必要はないだろう。離宮にでも――」
「決めたことなので。それに、ここに残ると、身の危険を感じます。どうせ、夜に……つもりだったんでしょう」
「……」
「ほら、図星。いい加減にして下さい。まあ、そういうことなので、家に帰らせて頂きます。私が許すまで、一緒にも寝ませんから」
「公女――ッ!」


 では、といって執務室の扉を開ける。手を離した瞬間、思った以上に勢いがついてバタンと大きな音が響いた。本当に怒っているみたいだ、となんだか感じ悪いことをしてしまった気がして、私は振返ろうと思った。しかし、立ち止まっていては、殿下に拘束されかねないので、私は急いで、その場から離れた。


(殿下が悪いのよ、殿下が……)


 自分だけが、寂しい思いをしていると思っているのだろうか。私だって、一緒に寝るくらいはいいかと思った。けれど、反省の色が見えないため、少しは距離を置こうと思った。その間に私も、これまで貰っていた分の殿下からの愛を頑張って内側にとどめられそうだから。
 公爵邸に戻る足取りは、自分でも分かるほど、何処かおぼつかなくて、まるで帰りたくないとでもいっているみたいだった。


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