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第1部4章

01 残り一ヶ月の寿命を

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 あの日から、殿下は私を優しく抱くようになった。


「おはよう、公女。昨日もいい声で啼いていたな」
「……っ、殿下朝からそういう話をしないで下さい。気が滅入ります」
「そういう気分になるからだろ? 恥ずかしがるな公女。今夜も抱いてやる」
「……っ! だから、そういうところです、殿下!」


 前よりも遥かにスキンシップが増え、距離も近く、顔も近くなった気がする。からかっているのか、あの日以降、殿下は私に求められることが嬉しくなったのか、なんとかで、私の気持ちを聞いてくるようになった。といっても、平常時はいつも通りで、嘘なのか本当なのか分からないことを度々口にして私を困らせる。殿下はどこまで本気なのだろうか。それが分からないこその不安は今もあった。
 そして、そのままずるずるといき、契約から十一ヶ月が経ってしまった。この一ヶ月で全てが終わり、決まる。生きるか死ぬか……呪いによって。
 この時点で、私達に愛情が芽生えていれば、呪いは解除されるはずなのに、解除されていないということは、私達の間にはまだ愛が芽生えていないということなのだ。結局は、気が合う、身体の相性がいい男女の関係に落ち着いている、そんな気がする。

 殿下はいつもと同じ調子だが、私は焦りを感じていて、紅茶を飲むのもままならないくらいには手が震えていた。
 死ぬのが怖いのか、それもあるのかも知れないが、ここまでしても殿下の心を動かせなかったんだという落胆も、殿下があと一ヶ月で死んでしまうかも知れないという恐怖感もあり、気が気でなかった。いつも起きたら隣にいる彼が、一ヶ月後の朝、目を覚まさなくなるかも知れない。そんな夢を、彼が私の隣で苦しみ死ぬ夢を見るようになった。私だって同じ立場のはずなのに。
 そんな悪夢に魘されていることを、内容は知らないものの殿下にバレており、心配され、抱きしめられる。彼の腕の中に居れば、彼の体温も息づかいも感じられ、心臓が動いているのだと安心する。でも、その安心も一瞬で、あと一ヶ月だと思ってしまうのだ。
 そして、あの日、私に呟いた言葉については何も教えてくれなかった。こちらも、一度言及しただけで、それ以上は、彼があの夜、私が意識を失う前に何を言ったのか……私は、それが気になって眠れない夜を過ごしていた。


(イーリスは何をやっているの……)


 最近皇宮の方にも顔を出さなくなったし、神殿での仕事が忙しいのかも知れない。でも、ヒロインが呪いを解く方法を見つけて殿下を救う未来は確定しているはずだから――方法が見つかりませんでしたじゃ困る。私に残された最後の希望なのだ。不服だけど。そうして、殿下が救われて、もし殿下がイーリスに恩義を感じ、好きという感情が芽生え始めたのなら、殿下に殺して貰えばいい。そうすれば、誰も傷つかないハッピーエンドが訪れる。私が一人で死んでしまうと、彼は一生私に縛られることになってしまうから。私が、自由に生きたいっていう考えを持っているから……殿下がそうとは限らないけれど。
 あと、お父様には悪いけど、それでも良いと思っている自分がいる。
 それに、今のお父様は私に期待していないようで、最後の悪足掻きと言わんばかりに、この一ヶ月は家に帰ってくるなとも言った。最悪、皇宮で死ぬことになるかも知れない。でも、公爵邸で、一人悲しく死ぬよりかはよっぽどいい。できるのなら、殿下の近くで、殿下に殺されたい。そう思うほどに、私は彼を――


「綺麗だな、公女」
「いきなりどうしたんですか。私の髪なんて、嫌というほど見飽きたでしょうに」
「いや、ずっと見ていたくなる。俺のとは違う、美しく……でも、儚い。公女は何処かに行ってしまいそうな雰囲気だからな、不安になる」
「不安って」


 私の髪にキスを落としたかと思えば、殿下は私を後ろから抱きしめ、肩に顔を埋めた。
 殿下が不安を抱くことなんてあるのだろうか。もしかしたら、一ヶ月後に死ぬから、それが怖いのだろうか。 
 まだこの人に関して、理解し得ていないところがあるから分からないけれど、死ぬのは誰だって怖いだろう。殿下だって例外じゃない……はずだ。そう思いたいが、彼の命に対する感覚は軽く、死んだら死んだときだ、と思うような人だった。でも、この人に人間らしい感情があるとするのなら。私と同じ気持ちだったのなら嬉しい、なんて、自分は面倒くさい女だと思う。


「怖いんですか」
「ああ。公女がいなくなるのが」
「私が」
「ああ」


 そう言って殿下は私を後ろから抱きしめる力を強めた。私が居なくなることをこんなに不安がられると、申し訳なくなりつつも嬉しくも感じてしまう。だってそれだけ私を求めてくれているということだから。でも私はその気持ちに応えることが出来ないのだ。


(やっぱり好きだなぁ)


 絶対に叶わない恋だと分かっているからこそ、この気持ちが湧いてくるのだからタチが悪いと思う。もう少し私の恋心も冷静でいてくれたら良かったのだけれど。けれど、呪いが解けていないことが、私達の思いが通じ合っていないことを表していた。
 だから私は、殿下に恋心を伝えるつもりはなかった。それに、まだ確証がないのだ。こんな最低から始まった、今でも下品でデリカシーのないこの男を好きなのかと。どこが好きと言われたらすぐに答えられないだろうし。

 どこが好きなんだろうか。
 どこを愛しているのだろうか。

 好きに理由はいらないというけれど、これにははっきり白黒つけないといけない気がする。何となく愛しているは、この呪いに対して通じない気がしたから。


(愛って理屈じゃない気がするけれどね……)


「公女」
「何ですか、今度は」
「公女は怖くないのか。死ぬのが」
「唐突ですね。明るい話をしましょう」
「真面目な話だ。答えろ」
「……殿下が真面目だったことがあるんですか」


 彼の癖が移ったように、私は少し冗談のように返した。すると、殿下はムスッとした表情で、「真面目だ」と答える。彼は、変わったのだろうか。


(死ぬの……? 勿論怖いに決まってるわよ。でも、知っていたから……知っていたから、一年後に死ぬってことは)


「怖くありません」
「嘘だ」
「何故嘘だと?」
「震えている」


 殿下はそう言うと、私の背後からスッと前にやってきて、片膝をついた。珍しく、彼の夕焼けの瞳が真剣に私を見ている。いや、彼はずっと真剣だったのかも知れない。私は、彼の顔をしっかりと見れていなかった。
 私は視線を少し下に落としつつ「何ですか?」と冷静に答える。
 震えているのは分かった。でも、この震えは死に対する恐怖じゃない。私自身の死ではなく――
 優しく、殿下の手が私を包み込む。ごつごつと男らしいその手は、片手でも私の両手を覆い隠せるほどだ。


「公女、俺は――公女となら心中でも構わないと思っている」
「え?」


 彼が放ったその言葉は、私の心臓を射貫き、鈍器で思いっきり私の頭を殴りつけた。

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