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第2章 君は職務放棄勇者

10 ただ無事でよかった

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(アル…………本当にアルなの?)


 目の前にいるのは、僕の知っているアルフレートなのだろうか。
 僕にまで伝わってくる殺気が、黒い感情が、肌をピリピリと焼いていく。今までに見たことのないアルフレートの顔。それが怖くて、身体が震えてしまっていた。好きなはずなのに、いろんなこと他の人より知っているはずなのに、一度もそんなアルフレートは見たことがなかった。
 男たちは驚き、慌てていた。先ほどの男は壁にぶつかった衝撃で気を失っている。死んではいないようだ。しかし、壁にはクレーターができており、どれほどの威力で吹き飛ばされたのか物語っている。


「よかったねえ。王子様が迎えに来てくれて」
「……アル、そいつは七大魔物のガイツだよ! うかつに飛び込まないで!」
「ありゃ、僕様の説明まで」


 とぼけたような声でそう言ったが、ガイツだが、飛んできた斬撃をひらりとかわした。代わりに、ガイツの後ろにあった物資の山が粉々に砕け散る。
 確実に殺そうとしている攻撃に、僕はゾッとした。もちろん、それが間違っているわけじゃない。魔物だし、世界に害をなす存在だからこそ、一刻も早く殺さなければならない。そしてそれが、アルフレートに課された役目。
 アルフレートの方を見ると、先ほど握っていた剣とはまた違う、こちらはもっとより鮮明に輪郭のはっきりとした白銀の剣を手にしていた。ギラリとその刃が揺れて、黄金の柄にはめ込まれた赤い宝石が輝く。彼と出かけるとき、そんなものは一切持ち合わせていなかったため、異空間に片付けていたものを取り出したのだろうと思った。そういう魔法があることは知っているが、それも、高度な魔法だ。簡単にはいかない。

 ガイツは、そんな恐ろしいアルフレートを前にしても、一切動じていなかった。それどころかこの状況を楽しんでいるように、口角を上げている。しかしながら、彼のフードは脱げていない。絶対に素顔を見せないという気が伝わってくる。


「その人から離れろ。下種」
「勇者がそんな言葉使っていいのかなあ~? ふ、ふ、ハハハハハハハ! まだ足りない。まだ足りないけど、テメェ様のその面拝めたんだ。ちょっとは、演出したかいがあったってもんじゃねえんですか。はい、そう! クフフフフ、まあ、今はまだ序章。ここでドンパチやるのは早えんです。てことで、残りお楽しみくださいませ~」
「……ッ、逃げるな!」


 もう一度剣を振るったが、その攻撃が当たる前にガイツは姿を消してしまった。転移魔法だろうか。上位の魔物だし、転移魔法が使えてもおかしくない。しかも、無詠唱。やはり次元が違う。
 アルフレートは僕にも聞こえるほど大きな舌打ちをして、今度はこちらを見た。ガイツがいなくなったからといって、僕の周りに群がっていた男たちの洗脳が解けたわけではなかったからだ。
 コツ、コツ……と足音を鳴らしながらアルフレートはこちらに近づいてくる。ズリズリとその剣を引きずって。その目に宿っていたのは、明らかな憤怒。


「あ、アル! ダメ、この人たちは洗脳されて!」
「――ッ」


 ヒュン、と振り落とされた剣は一人の男の真横に落とされる。どう考えても剣の方が柔らかいはずなのに、彼が振り下ろしたところには裂け目ができており、これまたすごい威力だったことがうかがえた。男はそれに驚き、泡を吹いて失神してしまった。他の男も、同様にそれをみて、たじろいでいた。だが、洗脳からか、どうすればいいか分からないようでその場でおどおどしている。


「テオは優しいね。洗脳されている人間だからって、庇って……すぐに終わるから」


 アルフレートはにこりと微笑むと、剣を持ち換え、その柄で、男たちの首をトンと叩いた。あっという間に男たちはその場に倒れ気絶した。本当に一瞬のことだった。


「あ、アル……」
「怖かったよね。テオ、もう大丈夫だから」


 と、アルフレートは僕の腕の拘束をほどきながら言う。そして、男たちを足で蹴飛ばし、僕を抱きかかえたかと思うと、ギュッと腕の中に閉じ込めた。

 かすかに汗のにおいと、鉄の匂いがする。返り血は浴びていないのだろうが、それが血の匂いに思えて仕方がない。
 僕は、彼の腕の中で体を動かそうとしたが、がっちりと抱きしめられているため、身動きが取れない。
 それに、アルフレートの身体はかすかにふるえていた。


(アルの、弱点……)


 うぬぼれじゃないと確信しつつも、実感がない。けど、彼のその必死な様子がそれを証明している。
 それと同時に、彼が巻き込んだと思うように、僕も彼に苦しい思いをさせたんだと知ってしまった。それは、あの日とは比べ物にならない、別れじゃなくて、恐怖で。


「よかった、本当に……」
「アル、痛いよ。大丈夫だから」
「…………本当に、大丈夫、テオ? 触られてない? 痛いところは?」


 ようやく顔を上げることができると、そこには不安げに僕を見下ろすアルフレートの顔があった。今まで見たことないくらい真っ青になっているから、笑えないし、こっちまで深刻になってしまう。
 そういえば、先ほど知らない男たちにベタベタと体を触られたんだった。息をするようにアルフレートが僕の身体を自身のは織物でくるんだので忘れていたが、僕の服はみるに堪えないものになっていた。
 アルフレートは、それを見てかクッとした唇を噛んで申し訳なさそうに眉をハの字に曲げる。


「ごめん、ほんとうに、ごめん」
「アルが謝ることじゃないよ。僕も不注意だったし…………その、触られたけど、今、アルが上書きしてくれてるから。あったかいよ」
「テオ……」
「助けに来てくれてありがとう。アル」


 僕がそう感謝を述べると、アルフレートの瞳に涙が煌めいた。それでも泣かなかったし、ぐっとこらえて、僕の額にキスを落とす。それから、ここにいては空気が悪いとアルフレートは僕を抱きかかえたまま外へ出ていく。


「あの、人たちは?」
「気絶しているだけだし問題ないと思うよ。それに、腐っても騎士みたいだったし。これくらいのことなら」
「騎士、なの?」


 それは気づかなかった。クヴァール公爵家の使用人か何かであることは分かった。エンブレムが見えた時点で、騎士だと頭の中で変換できればよかったのだが、皆うつろな目をしていたし、何よりもアルフレートに比べて弱そうだったから。
 アルフレートは、殺していない、と物騒なことを口にしつつ、気絶させただけと強調し続けた。言葉の節々にとげがあって、殺せればよかったというような感情が感じ取れてしまうのが怖い。


「あの人たち、騎士、なんだよね。じゃあ、クヴァール公爵家につかえている騎士だったんだと思う。その、ローブの下に見えたエンブレムが……」
「クヴァール公爵家? ああ、ランベルトの」
「で、でも、ランベルトはこの件に関して関わってないと思うから。彼は、責めちゃだめだと思う」


 謹慎中だし、今はすごく大人しくなっているから。

 ランベルトともあまり話していない。クラスはようやく元のクラスに戻って授業を受けれているのだが、いつもの席にランベルトは見当たらない。いたとしても孤立していて、誰も話しかけないし、幽霊のように扱っている。それがとても痛々しくて寂しそうだった。アルフレートがいる手前、話しかけることもできず、気づけば教室からいなくなっているランベルトを気にする毎日だ。


「本当に、テオは優しいね……その優しさが、利用されそうで怖いよ、俺は」
「そんなこと、ないと思うけど……ねえ、アル。アルはいつもこんなふうなの?」
「こんなふうって?」
「…………こうやって、巻き込まれるっていうか。あのガイツっていう魔物……七大魔物の一体だったみたいだし。こんなところに出るなんてって、正直驚いている」


 支離滅裂な狂人……何を言っているかさっぱり分からないし、その思想も理解しえないものだった。こっちの話なんて全く通じないし、悪魔のような魔物だった。

 アルフレートは少し困ったようにまた眉を下げた。
 十一年の間、アルフレートがどうやって生きてきたか知らない。だから、こういうことが頻繁にあるのか、今日のがイレギュラーだったのかも分からない。でも、こんな恐ろしい、危険と隣り合わせな日常を歩んできたなんて考えたくなかった。いつ死んでもおかしくない。


「よくあることだよ。でも、ガイツが出てきたのは意外だった」


 と、アルフレートは目を伏せていった。たったそれだけの言葉だったが、重みがあって、そして呆れているようにも思えた。それが当たり前になってしまったから、もうどうだっていいような、そんな気さえする。


「最近は、七大魔物の動きは不活発だったし。だから、学園に入る許可がもらえただけど。また活発になってきたら、テオから離れなきゃいけなくなっちゃう……かも」
「そんな……」


 ようやくまた一緒になれたのに? と、言葉にはしなかったが言いたかった。
 でも、アルフレートの役目は学生として勉学に励むことではなく、勇者として世界を救うことだ。だからなにも間違っていないし、それが本業。今がおかしいのだ。そして何より、アルフレートも、僕を、周りを巻き込みたくないっていう優しさからその言葉を口にしているんだろうなと思った。
 倉庫の外は温かな風が吹いており、港が見えた。王都の最短にある港だ。一回だけ近辺を通ったことがあるから間違いないだろう。
 カモメが青い海を飛んでいく。空には、うっすらと灰色の雲がかかっていた。


「でもね、ほら。テオのこと巻き込みたくないし。今回だって、こんなふうに巻き込んじゃって……俺のせい、だから」
「そんな、アルのせいじゃないよ。僕も不注意で」
「狙いは俺だったわけでしょ。それで、俺がテオの事好きだから、テオの事人質にとったらって。あいつらが考えそうなことだよ」
「わかってたの?」
「なんとなくね。もし、俺があいつら側だったらそうするから」


 アルフレートはそういってため息をついた。
 勇者の弱点となりうる存在。一緒にいれば危険は付きまとう。離れていても、僕の存在が魔物に知られた以上は、これからも利用されるかもしれない。
 そうなったとき、もう命はないかもだし、何よりもアルフレートを悲しませるし、危険にさらす。


「でも、もうちょっとだけ一緒にいさせて。絶対に世界を救うし、あいつらだって全員殺すから。だから、だから……俺は、テオと一緒にいたいよ」
「アル……」
「もう、二度と離れたくない。死ぬかと思った……テオが連れ去られて」


 そういったアルフレートの声は震えていて、彼の身体は冷たくなっていた。
 今回だって、すぐに助けに来てくれた。それでも、たった少し離れているだけで彼は不安になってしまうのだと。そんな勇者の姿を知っているのは僕だけ。きっと、みんなアルフレートは完璧で最恐な勇者だって思っている。現に、ガイツだってそう思っているようだった。
 僕は、アルフレートの頬に手を当てる。やっぱり冷たくて、手が氷そうだった。


「大丈夫だよ、アル。だって、アルは助けてくれるじゃん。それに、勝手にいなくなったりしないよ」
「本当に?」
「嘘つくわけないじゃん。僕の大好きな人に嘘ついて、何の得があるの?」
「…………そう、だね。テオ。大好きだよ」


 僕の手にすり寄って、それからその手のひらにキスを落とす。流れるような動作にドキリとしつつ僕は微笑んだ。
 胸の中に渦巻くこの不安に目を向けないようにして。今はただ、この愛しい人の不安を包んであげたかった。


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