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第2章 君は職務放棄勇者

09 勇者唯一の弱点

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 人の声がする。どこかで水漏れしているように、ぴちゃん、ぽちょんと音が聞こえる。そして、何より冷たかった。


「う……んん……」


 ハッ、と目が覚めると、そこに広がっていたのは、暗くて湿った倉庫の中、だと思う。まだ、ぼんやりとした視界なので、はっきりとそこに何があってというのは確認できないけど、どうやら僕は転移させられたらしい。
 アルフレートと魔物に追われて、それから転移魔法が施されたトラップを踏んで。


(……でも、あんな高度な技、あの魔物たちができるはずがない)


 妙に冴えている頭が、勝手に分析し始める。
 魔物は魔力を持っている動物だったり、異形だったりのことをさすが、基本的に魔法を意識的に使えるものは限られている。それこそ、人の形に近い魔物でなければ知能がない。先ほど現れたサルの魔物は、人型からは程遠い獣の姿をしていた。群れを成していたようだが、それはただの習性。だから、あのサルが意図的に魔法を仕掛けて、ここに飛ばしたというのは考えにくい。
 誰か外部の人間が、あの魔物を操っていたかもしれない誰かが仕掛けた罠。

 しかし、僕なんか捕まえてどうする気なのだろうか。本当は、アルフレートに魔法がかかるように設計していたのではないか。いろいろと考えることができたが、手足を縛られていることに気づき、その線も薄れていった。
 僕が体を起こして、倉庫内を見渡そうとすると、キィと音を立てて開いた扉からぞろぞろと何人かの男たちが入ってきた。男たちは黒いローブで体を覆っていたが、フードがついているのにそれが脱げていた。顔がまるわかりで、こいつらが僕を拉致したのだろうとわかった……が、何かおかしい。


(……ランベルトのところの家紋)


 ローブの下から見えたエンブレムを見て、それがランベルト家の家紋であることに気づいてしまう。では、これはクヴァール公爵家が企てた何か?

 男たちは部屋に入ってくるなり僕を見たが、特に何かアクションを起こしたりはしなかった。ただ茫然と僕を見下ろして、どこか虚ろな瞳で口を半開きにする。やはり、様子がおかしいのだ。
 ランベルトが何かを仕掛けてきたのだろうか、と思ったが、アルフレートに突っかかったこともあって今は謹慎中。この休日に家に戻ることも、外出することも禁止されている。監視の目を盗んで外に出ることはできるだろうが、そこまでランベルトがやるだろうか。いくらアルフレートを恨んでいるからとはいえ、自分が不利益を被るようなことはしないはずなのだ。彼は、喧嘩っ早いけど、一応それなりに考えられる人間だから。
 それと、アルフレートが現れたからと言って、彼がまだ完全に悪役令息へと変貌したわけじゃないだろう。


(確かに、素行は悪いけど。でも、今のランベルトは絶対にそんなことしない)


 誰かを陥れるよりも、真正面からぶつかって打ち負かすほうが気持ちがいいというような性格だし。ありえないとは言えないし、可能性がないとは言えないけど。


「目が覚めたか。テオフィル・ロイファー」


 カツン、カツンと靴を鳴らしながら、倉庫の奥のほうから目深にフードを被った男らしき人物が近づいてくる。すると、周りにいたクヴァール公爵家と何らかの関係があるであろう男たちはサッと横へよける。まるで、モーセの十戒のようで、洗礼された無駄一つない動きだった。
 男、とはいったもののその声は中性的であり、フードを被っているため顔が分からない。背丈は女性とも男性ともとらえることができる。


「……君は、誰なの」
「名乗るほどのものでもない。ああ、一つ言うとするのなら、魔物の王の配下、といえばいいだろうか」
「……っ、魔物の、王……」


 一瞬だけ感じた殺気に僕の身体は震えた。人が放てるようなプレッシャーじゃない。目の前にいる彼だか、彼女だか人間なのだろうか。
 いや、目の前のフードを被った何者かは人間じゃない。自らを魔物の王の配下といったのだから。それを信じるのであれば、目の前のそれは魔物だ。しかも、人の形をしているということで知性も、魔力もけた違い。
 自分の体が震えるのも納得がいった。僕じゃ到底かなう相手じゃない。それこそ、ランベルトや、アルフレートのような強者でなければ、この魔物を前にして立っていることもままならないだろう。僕は、膝立ちになりながら、その魔物を見つめることしかできなか会った。


「いいな、その反応。やはり、人間は恐怖におびえている姿がいい。威勢を張って、自分を取り繕うような惨めったらしい、無様な真似などやめ、弱者として震えていればいい」
「……目的は」


 クククと喉を鳴らしている魔物に、僕はすかさず質問を投げた。悦に入ったような笑い声を漏らしていた魔物は、こちらを見る。フードの奥の目が一瞬だけ光った。それは、白い縦長の瞳孔を持ち赤い瞳をした魔物だった。ゾッと、また背筋が震える。


「ハハハハハハハッ! 人間、図が高いぞ。誰が、質問をしていいといった?」


 と、魔物は、右手を前に出す。すると、その手は一瞬にして紫色に変色し、狂暴な爪を持ったおぞましい姿に変貌する。それが、僕の身体をガシッと掴んだのだ。


「うっ……」
「ああ、折れてしまいそうなほどか弱い。それなのに、どうして我らが王に立ち向かおうとするのだろうか」
「……君たちの目的は、アル?」
「いいだろう、その勇気は認めてやろう…………」


 そういったかと思うと、魔物は僕の身体から手を離す。だが、拘束が解かれたわけでもないので、逃げることはかなわない。
 魔物は、自身の手にうっとりするようにそれを撫でながら、その場をくるくると回っていた。その間も、周りにいる男たちは何も言わないで黙って立っている。もしかしなくても、この人たちはみな、この魔物に操られているのではないだろうか。


(でも、何でクヴァール公爵家の人たちを?)


 それは謎である。
 だが、それ以上にこの魔物がいかに危険な存在であるか、全身で感じ、僕は動けないでいた。ここで殺されるかもしれないと、脳裏に彼の顔が浮かぶ。
 魔物は、悠々とした態度でその場を回りながら、時々、男たちの身体に触れる。やはり、反応しないのだ。


「こいつらは、すでに洗脳済みだ。俺のいうことを聞くお人形になっている。変な行動をしてみろ? すぐに、こいつらにお前を輪姦しろって命令するからな?」
「……逃げられるわけないでしょ。君、すっごく強い魔物みたいだし」
「お褒めにあずかり光栄の至り」


 魔物は、フハハハハハ! と額に手を当て笑っていた。
 先ほどから言わんを覚えているのだが、この魔物はきっとこの口調じゃないのだろう。理由はわからないが、普段のキャラとは違うというか、取り繕っているようにも思える。それは、気づかれたくない何かがあるのだろうが……


「――ホッファートとファールハイトがやられた。お前のよく知っているあの金色の勇者に」
「アルに?」
「そうだ。そうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそう! 忌々しい勇者! アルフレート・エルフォルク! 確か、そう、そう名乗っていた! あの人間は!」


 魔物はいきなり声を荒らげ、ズカズカと近づいてきて僕の頭を鷲掴みにした。痛みで顔を顰めるが、魔物は気にも留めない。


「あの男のせいで同胞が死んだ! ああ、でも、いい。あいつらとは仲が悪かったから! あははははっ、仲悪いし、あいつらなんて僕様の足元にも及ばない! 殺されても悲しくない! あははっ! ハハハハハハハッ!」
「え……あ……」


 狂っている。

 話が通じる相手でもなければ、きっとこちらの常識も何もかも通じないのだろう。人間らしさのかけらもない。その姿かたちが人間に近いだけで、全くその雰囲気も、何もかもが。
 そんな異次元の存在を目の前にして僕は何を思うことができただろうか。死なないだけましだが、そもそも死なせてもらえるかもわからない。あの大きな紫色の怪物の手で体を拘束され、ブンブンと振り回されている。そのうち叩きつけられて、脳みそが地面にぶちまけられてしまうのではないかとすら思う。ただ、それをしない。どれだけ、この魔物は感情を高ぶらせてもそれはしなかったのだ。

 ふぅ……と、感情のまま言葉を吐き散らしていた魔物は、急に冷静になると息を吐いた。先ほどまで彼……の周りに漏れ出ていた殺気のような憤怒のようなものが引いていく。


「まあ、そういうこと。お前には餌になってもらおうと思う。あの勇者の唯一の弱点みたいだからさあ」
「僕が、アルの弱点?」
「あいつの記憶を覗いたときに見えたのがお前だった。だから、お前があいつの弱点」


 多分、にこりと笑って魔物はそういった。
 そういえば、先ほどこの魔物の口から出てきた「ホッファートとファールハイト」というのは、七大魔物の二体で間違いないだろう。ゲームの記憶がうっすらあるので、そうだったと思う。あれは、確か七つの大罪になぞらえた名前だったと記憶している。とすると、この魔物もいずれかに当てはまるのだろう。記憶があいまいなため、誰と判別はできないが、きっとそれはあっている。
 魔物は、僕がアルフレートの弱点だといったうえで、手を離し、人間の手をしているほうで僕の頬を撫でた。内側から撫でられるような気持ち悪さが体に広がっていく。アルフレートに触られたときとは全く違う。


「テメェ様を殺して、あの勇者の前に差し出してみても面白いと思ったけど……んーそうじゃないんだよ、そうじゃ! そう、人間は欲深い生き物なんですよ、そう欲深いね。うん、んで、そう! だからだからだからだから! あの勇者のすました顔をぐっちゃぐちゃにしたい!」
「どういう、こと?」


 クツクツと肩を震わせて笑っている魔物は、僕の身体を押し倒す。僕を押し倒した魔物は耳元で囁いた。熱い吐息に吐き気がする。ぞわぞわとしたものが全身を駆け巡っていくのだ。その寒気に身を捩って逃げようとしたが、どうにもならない。僕が解放されることはなかった。


「アルに、何をしようとしているの?」
「さっきも言っただろうが、低能クソヘボ下種。テメェは、あの勇者の足元にも及ばないお荷物だボケ」
「……」
「だから、ぐちゃぐちゃにしてやるっつってんですって。あの勇者は、すました顔で同胞を嬲り殺した。感情の起伏もない、それこそお人形のような奴だった。けどけどけどけどけど! 人間ってそうじゃないだろ!? 人間は欲深い生き物。内側に秘めたどす黒ーい感情。見て見ぬふりをしてんで、気づかず死んでいく! それはそれはかわいそうで、滑稽で。感情のまま、強欲のまま生きればいい。強盗も、強姦も、略奪、虐殺! すればいい! 人間同士で殺しあっても面白い! そう………………僕様は、あの勇者のそれがみたい」


 ようやく本性を現したようだった。
 それこそぐちゃぐちゃな口調。激しすぎる感情の起伏。支離滅裂な言葉。どれをとっても理解できず、同情も何もかも持てない、人外。
 アルフレートは過去に、二体の七大魔物を倒したらしいが、その二体もこんなんだったのだろうか。それに、感情のないアルフレートなんて僕は想像できなかった。


(……欲、強欲…………)


 思い出した。この魔物の名前は『ガイツ』だ。強欲の魔物ガイツ。

 この支離滅裂さと、欲をそのまま吐き出したような言動、感情の起伏の激しい魔物はガイツという名前だった気がする。他の七大魔物も狂ったやつばかりで、こいつだけが突出しているわけではない。けれど一人称が「僕様」で、多分二人称が「テメェ様」なのはガイツだけだったと思う。先ほどまで、お前といって取り繕っていたが、それもはがれていった。
 思い出したはいいが、どうにもできずに、ただこの狂った魔物を見上げることしか僕はできなかった。そして、何よりもアルフレートがこんなやつと戦ったら……と、助けてに来てほしいと素直に思えなかったのだ。


「じゃあ、餌。骨の髄まで利用されて♡」


 パチンと、ガイツが指を鳴らしたかと思うと、先ほどまで僕に無関心だった男たちがわらわらとこちらに歩いてくる。うつろな瞳は、僕なんか見ていない。けれど、興奮したように息を荒げて近づいてくる。
 ガイツは僕を餌といった。先ほどは、輪姦させるぞ? と脅したが、初めからそのつもりだったのだろう。なんとなく、こいつの思惑が見えてきた。


「や、やめっ」
「テメェも、本当は犯されたいんじゃないんすか? 快楽に流されればそれはもーなんも考えなくていいと思うんだよねえ。痛いのは最初だけ。ンハハハハハハハハ! あとは、流され、もみくちゃになって、すてられりゃあいんすよ。んで、んで、んで! 誰にでも股開いて、ぶち込まれて! 腹上死ッ! 愛とかほざくな、所詮は肉欲、性欲! んねえ? テメェ。愛のために処女守ってんしょ? 早く助けがくるといいねえ、その処女が奪われるま・え・に♡」


 それは悪魔の所業だ。
 気持ちの悪いねっとりとした声を聴きながら、抵抗できずに男たちに押し倒される。僕の服に手をかけ「ハアハア」と息を荒げているのも、気持ち悪かった。
 身体が動かない。動けたとしても、この男たちを押しのける力は僕にはない。


「やめっ……やめろッ!」
「あ? んなこといってぇ~期待してるんでしょ。誰でもいいんでしょ。うん、いい、いい! 回されちゃえばいい」
「……あ、る。アル…………っ」


 危険だから助けに来なくてもいい、そう一瞬でも思った。でも、恐ろしかった。
 彼の名前を呼んでも、助けに来てくれるかなんて、この声が届くだなんて思っていない。それでも、見ず知らずの男たちに体を明け渡すなんてしたくない。初めては、アルフレートがいい。
 耳には、甲高いガイツの声が響く。頬を伝って涙が流れ、破かれた服は布切れとなって冷たい地面にはらりと落ちる。腐った手が、意思のない手が僕を犯していく。


「やめっ……やだ、やだっ……あぁっ」


 僕の初めてはこんなやつらに奪われるの? そんなの嫌だ。受け入れたくない。僕は、僕が好きな人はアルフレートがいい。


「あ、る……たすけて、アル――ッ!」


 そう叫んだときだった。
 ドゴンッ! と大きな音がして、倉庫内に光が差し込む。重い鉄扉がいともたやすく吹き飛んで、これまた大きな音を立ててその場に落ちた。
 僕の上に乗っていた男たちは、さすがに驚いてそちらを振り向く。その状況を笑っていたのはガイツ、ただ一人だった。


「あ~らら。早い、早い。王子様のご登場で」
「テオ!」
「あ、る?」


 逆光になってその姿ははっきりと見えない。それでも、暗闇で光った黄金色の髪と、その美しいラピスラズリの瞳だけはわかった。アルフレートだ。
 その瞬間に、安堵したのか視界がぼやけて何も見えなくなってしまった。涙が次々と流れ落ちていくが、拭う気力なんて今の僕にはない。
 アルフレートは、僕を見るなり安堵の表情から一変し、どす黒い気を放った。彼の髪がすべて逆立って、ぶわりと今まで感じたことのないような殺気が広がっていく。


「……触れるな」


 一歩、アルフレートが踏み出すと、すさまじい風が吹き付け、僕に触っていた男が壁のほうまで吹き飛んだ。本当にただ一歩前に踏み出しただけなのに。


「アル?」
「触れるな、その汚い指で。俺の大切な人に――ッ!!」


 そういったアルフレートは、今まで見たことないような怖い顔でこちらを見ていた。


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