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第1章 君は勇者
10 初めまして久しぶり、編入生の君は
しおりを挟む朝から教室はざわついていた。
編入生がやってくることは、情報として出回っていたらしい。だが、気がかりなのは、その編入生の情報が限りなく少ないということだ。男なのか、女のかもわからない。まるで意図的に情報を制限しているようにも思われた。
教室の中心、段々と階段になっている講堂の一番奥に僕とランベルトは並んで座っていた。僕たちの半径五メートル以内に人はいない。みんな僕たちを避けるように座っている。
(ま、まあそうだよね……ランベルトに絡まれたくないだろうし)
ちらりと見ればランベルトは行儀悪く、机の上に足を乗せて頭の後ろで手を組んでいる。
ランベルトからしたら、自分は恐怖の象徴、恐れるべき人間と、自分の強さをアピールしているつもりだが、大半の人間はそんなランベルトに近づきたくないから避けているのだろう。怖いのはもちろん、とにかく厄介事には絡まれたくないというのが見てとれる。
「ランベルト、お行儀悪い」
「いいだろ、別に。この机が壊れようが、俺様が弁償すればいいだけの話だ」
「……君の家が、ね?」
細かいこと言うなよ、と僕を睨んでランベルトは舌打ちを鳴らす。機嫌が悪いのは、編入生がくるからだ。
僕はため息をつきながら、今日の予習でもしようかと教科書を開く。魔法を発動する際の注意点、応用魔法。一時間目の授業は、講義で、二時間目がその実践。魔法薬学も今日はある。
ランベルトは魔法薬学が好きだが、編入生の登場でどうなるかわからない。しっかりと、監視しておかなきゃ、と僕は意気込んだ。
とにかく、編入生に危害が及ばないようにすること。ランベルトは、水魔法の対処だけ下手だから。僕と相性がいい。
「昨日言ったこと忘れてないだろうな」
「忘れてないよ。編入生にかまわない、でしょ? ランベルトもかまわないでね」
厄介だから。
「……っ、な、それは。貴様だけを見ていろって、そういうことか?」
「え? えっと、そうじゃないけど。うーん、そう、かも」
ランベルトはガタンと椅子を鳴らす。驚いたように熟れたオレンジ色の瞳を丸くして、少し頬を赤らめている。
変なことを言ったつもりはなかったが、ランベルトの注意が僕に向いているのならいい。ランベルトの相手はもう慣れたし、これくらい朝飯前だ。
(……とはいえ、すでに目をつけられてるよね。その編入生)
ランベルトはこの学園で一番成績がいい。入試の成績も過去一、何においても高成績だった。見た目や態度とは裏腹に、かなりの努力家。彼の努力を知らずに、彼は何でもできると思っている人も多いだろう。でも、それも僕は知っていた。そして、だまっているようにもいわれた。
だからこそ、ランベルトは努力じゃどうにもならない、才能、ひいては勇者に選ばれたという運命を否定し、嫌っている。アルフレートは、ただの田舎者だと罵って。
先が思いやられるな、とため息をつくと、担任の男が教室に入ってきた。まばらになって話していたクラスメイトは席について姿勢を正す。みんな、今から何を言われるかわかって、さらにそわそわし始める。
「えー、もう情報が回っていると思うが、今日からこのクラスに編入生がくる。少し、特殊な事情を抱えているから、この話は内密に。実家に持って帰らないように」
と、教師は前置きをした。
編入生の特別扱いに、僕も驚きを隠せなかった。
教師が口酸っぱく言う、ということは王太子の入学、とかだろうか。今は留学しているとも聞いているし。もともと、この学園には通っていなかったけど。けど、そうだとするなら、それもストーリー通りではない。
「ハッ、なんかやらかしたやつなんじゃないのか?」
「もう、ランベルトはすぐにそういうこと言うんだから……」
ランベルトの言葉にいちいち反応していてもきりがないのだが、僕が、メッ、と怒ると、顔をそらされてしまった。少し伸びた黒髪を弄って、抜けた髪の毛をそこら辺に捨てる。
教師は、教室を一望した後「じゃあ」と学籍簿をトンと机の上で弾ませて、編入生を呼ぶ。
ワッ、ざわざわ、とクラスメイトの息をのむ音が聞こえてくる。そうして、開かれた教室の扉から入ってきたのは、この学園の真っ白な制服に身を包んだ黄金色の彼だった。
「……アル?」
息をのむほど美しい黄金色の髪に、呼吸を忘れるほどきれいなウォーキング。すっと伸びた背筋、一定のリズムを保って紡がれる足音。まるで、王子様の登場のような、歩くだけでその圧倒的な魅力のオーラを醸し出す。
「ええ……知っているやつはいると思うが、伝承に伝わる予言の勇者様だ。勇者様は……」
「先生、勇者様なんて堅苦しいですから。ここにいる間は、俺も一人の学生。特別扱いはしなくていいです」
と、すっと手を挙げたアルフレートは教師に微笑んだ。教師は、口を半開きにして、アルフレートの美しさに言葉を失っていた。それから、ハッと弾かれたように意識が戻って、ごほん、と咳払いをする。
「ええ、あー、ごほん、ごほん。勇者、アルフレート・エルフォルク公爵子息様、だ。みんな、仲良くするように」
教師は、自分の役目を終えたように息を吐く。
アルフレートはそれを見てにこりと笑っていた。その笑顔は誰に向けられたものでもなかったが、キャーとクラスの女の子たちが騒いでいるのが聞こえた。声を凝らしているつもりだが、完全に聞こえている。
(アル、アルだ…………でも、何で、アルが?)
僕も彼の自己紹介が終わってようやく、現実を受け止めることができた。いや、まだ受け止めきれていなくて、何度も自分の頬をつねっているけど。痛い。
アルフレートは、こちらを見てみんなの顔を見るように自身の首を動かして、それから胸のトンと手を当てて自己紹介をする。
「先生の紹介にあったように、俺からも。俺は、アルフレート・エルフォルク。勇者っていう肩書だけど、この学園にいる間は、ぜひ、アルフレートと呼んでほしいな」
また、優しい王子様のような笑みが向けられる。これには耐えきれなかったのが、女の子の黄色い歓声が講堂に響き渡る。手を振っている女の子に対しても、律儀にアルフレートは手を振り返している。本当に、ヒーローみたいだ。
「……アル…………ランベルト?」
「…………アルフレート。アルフレート・エルフォルクッ!」
ブワッと、隣ですさまじい量の魔力が漏れ出る。見れば、髪の毛を逆立て、机に足をかけたランベルトが、今にもアルフレートにとびかからんとする勢いで彼を睨んでいた。教室内での魔法の私用は禁止されている。それは学内通じてのルールだ。しかも、相手は勇者。そんな相手にあいさつ代わりに魔法をうとうとしているなんてどうかしていると思った。
編入生が、アルフレートだって思ってもいなかったから、反応に遅れてしまった。ランベルトがどれほど、アルフレートのことを嫌っていたか、それを目の当たりにして想像以上だと僕は立ち上がる。
抑えて、と腰を掴むが、僕を振り払うようにランベルトは腕を振った。僕は、ドンと椅子に跳ね飛ばされて腰をうつ。
「ここであったが百年目! この偽物勇者がッ!」
「ランベルト、ダメ!」
消し炭になれ、と叫びながら特大の火の魔法、真っ黒な火球をアルフレートに向かって放った。教師も反応が遅れて、防御魔法が間に合わない。火球はアルフレートに一直線に進んでいく。このままじゃ、アルフレートが――
ランベルトを止めるでもなく、僕はアルフレートのほうに向かって走ろうとした。だが、次の瞬間、ジュッと火が消えるような何とも情けない音が教室に響く。
「――誰だかわからないけど、熱烈な挨拶どうも。でも、感情に任せた攻撃っていうのは単調になりやすい。軌道も、防御に使う魔力も、こちらはそこまで対策しなくて済む……ね? 君とも仲良くなりたいけど、どうやら、君は仲良くなりたくなさそうだし……」
アルフレートはそういったかと思うと、パチンと指を鳴らした。刹那、隣で吠えていたランベルトの身体がカクンと大きく動いて、そのまま横に倒れてしまった。きゃあああ! なんて、女の子の悲鳴は響くが、それを安心させるようにアルフレートは「魔法で眠っていてもらっただけだよ」と軽く説明した。あの一瞬で魔法を発動させたなんて、どうやって。目には見えなかったし、何も感じなかった。
これが、勇者の――?
「先生。確か、学園での魔法の私用は禁止でしたよね」
「あ、ああ。そうだが……クヴァールは。エルフォルク?」
コツ、コツと靴を鳴らして、アルフレートは階段を上ってくる。
ゆすってもランベルトは起きなかった。強力な睡眠魔法がかけられているに違いない。解除方法もわからないし。
眠らせておいたほうがいいとはわかりつつも、さすがに起きたとき地面に突っ伏してたって知ったら、プライドの高いランベルトは発狂するだろう。どうにか起こそうとしたが、見かけによらず重くて持ち上げられなかった。
周りの誰も助けてくれないし、僕がランベルの腰巾着だから、全部押し付けたいんだろうな、というのもわかった。止められなかったこっちにも落ち度があるわけで。
「大丈夫だよ、眠っているだけだから」
「……っ、アル」
「久しぶり。テオ。元気にしてた?」
顔を上げれば、そこにラピスラズリの瞳があった。僕を目に移して、微笑んで、片手でランベルトを持ち上げる。すごい怪力、なんて思っていると、ランベルトは前の席にひょいと投げられてしまった。ゴッと音がしたけど、大丈夫だろうか。そう、覗こうとするとパシンと手を掴まれた。
「あ、アル?」
「テオは優しいなあ。変わってなくて安心した」
「……あ、アルは、アルフレートはどうしてここに? 今、世界を救う旅の途中じゃ」
訳が分からない。何でここにいるのか。だって、アルフレートがここに来るのはもっと先で。今は、仲間を増やして旅の途中で。
ぐるぐると頭は回るけど、答えはちっとも出てこなかった。
助けを求めて、アルフレートと目を合わせたとき、彼の口角がニヤリと上がった。
「勇者の権力行使して、ここに来たんだよ。テオに会うために、ね?」
と、アルフレートは、僕の手を骨が鳴るくらい強く握って満面の笑みを浮かべていた。
幼馴染の、見たことのない怖い笑顔に、僕は思わず、ひぇっ、と小さい声が漏れてしまった。
(ゆ、勇者の権力って、それって職権乱用じゃ!?)
「嬉しいなあ、またテオに会えるなんて。これから、いっぱい学園で思い出を作ろうね。あの十年ほどの空白を埋めるために」
そういったアルフレートの顔はまったく笑っていなかった。僕は、あはは、と愛想笑いをして目をそらすことで精いっぱいで、ぐがーといびきをかいて寝ているランベルトに意識をそらしながら、はたりと目を閉じたのだった。
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