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第1章 君は勇者
04 お別れのとき
しおりを挟む眠くて重たい眼を、どうにか開いて、僕はそのときを目に焼き付けようとした。
約束していた一週間。王国の使者たちは、この間よりも豪華な馬車に乗って村へと訪れた。質素な村に黄金の馬車はやはりあっていない。だが、それほど、勇者の存在というのは大切なのだろうと、思わされるほど手の込んだお出迎えだった。
村の人たちは、大人も子供もみんな揃って涙を流している。お見送りの時くらい笑顔で、と大人は言っていたのに、大人も誰につられてかはわからないが、みんなハンカチや手で目元をおおってずびずびと泣いていた。
ただ一人、アルフレートをのぞいて。
「勇者様、別れの挨拶はできましたか」
「はい。一週間の猶予を下さり、誠にありがとうございます。おかげで、決意が固まりました」
「さようでございますか。本当に、六歳とは思えないほどしっかりしていらっしゃる」
この間きた、王国の使者のリーダーである帽子をかぶった男は、深々と帽子をとって頭を下げた。すでに、アルフレートの従者のようにふるまい、周りのものも、アルフレートを王子様のように扱う。
勇者という存在の貴重さがよくわかる光景だった。
すでに、災厄の影響というのは王都にも広がっている。この村はまだ比較的影響は受けていないが、魔物が出没する地域では、狂暴化した魔物が人間や近隣の村を襲っていたり、群れを形成して王都に進行して来たりしているという。魔物の被害だけではなく、日照りや干ばつ、水害といった自然災害も起きているという。また、なぞの疫病も。
災厄というのは、魔物の王によって引き起こされるもので、魔物の王というのは、勇者によって封印され、周期的にその封印を破ってこの地に舞い降りる厄災の化身らしい。また、実態があるわけではなく、人の身体を乗っ取るともいわれており、すでにこの世界に潜伏しているとか。
それを見分けられるのも勇者であり、魔物の王を倒す、もしくは封印することこそが役目。
しかし、一筋縄ではいかない。その魔物の王によって呼び起こされた、各地に眠る強大な魔物も解き放たれており、この強大な魔物というのが力を増すたび魔物の王の力は増幅されるとか。その戦力さえ削げば、魔物の王は弱体化するらしい。
ただ、普通の魔物ではなくて、人間に扮しているというのが厄介で、勇者以外は見分けられないので、勇者がこいつだといっても、それを証明しようがない。いかに、勇者が人に信頼される人物であるかが大切であると。
(アルは、問題ないだろうけどね)
アルフレートの服は、この村で手に入る最上級の布を使って作られた一級品だった。もちろん、王都の布や、貴族がきている服には劣るが、この村から送り出そうという意思で、みんなでお金を集めて七日間で作り上げた力作である。アルフレートはそれを、嬉しそうに受け取ってきたが、ぽろっと僕だけに「ここまでしてくれなくていいのに」とこぼしていた。
アルフレートの性格からして、尽くされるより、尽くしたいというのが本音なのだろう。自分が、この村のために勇者として活躍し、この村で育った恩返しをするのが夢なのだとか。アルフレートらしい夢だな、と思いながら、僕はすでに使者のほうへと歩いていってしまった彼を寂しく見守るしかなかった。
また、ここで出しゃばったらなんていわれるかわからない。家族が干されでもしたら、今後の生活にも関わる。だから、僕は昨日の夜の思い出だけで十分と、少し引いたところでアルフレートを見ていた。
本当は、抱きしめて、いってらっしゃいとか……許されるのなら、彼を連れ出してどこかに行きたいけど。それもできないから。
(本当に、勇者になるんだな……)
ゲームではこんなシーン見たことなかった。いや、一瞬だけしか映らなかったし、ゲームを繰り返す中で重要なのは、中盤とか、レベル上げの過程。だから、こんな序盤はもう見慣れたものとしてスキップしてしまっていた。何度もプレイしたくなるそんな物語だったから。せっかく手に入れた武器とカ、経験値とかもリセットして、何度もやり直して。
でも、この世界は一度きりだから。
「では、勇者様。出発いたしましょうか」
「……待ってください。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいので」
と、アルフレートは使者のリーダーに抗議する。
リーダーは、他の使者と目配せして、アルフレートに視線を戻した。使者たちは、きっと貴族なのだろう。こんな田舎に長い時間滞在したくない、とそんな気が伝わってきた。
王都にはいったことないし、噂話でどういうところかと、空想の世界のものだった。けれど、平民を見下す人たちがたくさんいるんだろうなと、嫌な印象を受けてしまった。周りの大人は、自分たちが伝説の勇者を見送れる歴史的な瞬間に酔いしれているようで使者たちの様子には気づいていないようだった。
こういうのが見えてしまうのがつらい。前世の記憶があるから余計に。
思えば、ゲームの中で見ていたのはほんの一部でしかなかったのだと痛感させられる。
「いいでしょう。ですが、勇者様。この後の予定が詰まっていますので、お早めに」
「わかってます。お時間いただきありがとうございます」
アルフレートはまだ身に着けたばかりの敬語で対応し、くるりとこちらに体を向けた。
泣いていたみんなは、一瞬だけ涙を止めてアルフレートを見る。
アルフレートは、大きく息を吸って吐いた。その一つ一つの仕草もやはり、洗礼されているというか、神々しく見えてしまうのは勇者補正だろうか。
「みんな、俺にやさしくしてくれてありがとう。父さんも、母さんも、俺を育ててくれてありがとう。俺は、みんなのために、この村のために立派な勇者となって、世界を救うから。救ったらまた、帰ってくるから、それまで待っていてほしい……です」
精一杯のアルフレートの言葉に、拍手が巻き起こる。
アルフレートの言葉を、どこまで真摯に受け止めているだろうか。使者たちはこの村には戻れないといったのに、というように、少し呆れ気味にアルフレートを見ていた。所詮は、世界を救う道具としか思っていないのだろう。
アルフレートもそれをわかっていた。そのことも、僕に言ってくれていた。僕だけが知っているアルフレートの内側。
(無理しなくてもいいのに……)
みんなは気づいてないけれど、アルフレートの手は震えていた。我慢しているというか、これから起こる未来のことを考えて不安に押しつぶされそうなのだ。だから、彼を笑顔で送り出すことが、アルフレートのためになるわけじゃなくて、彼のために頼っていいんだよ、といってあげることがきっと、アルフレートにとっての救いだ。
耐えきれなくなったのか、親の腕の中から抜け出して、まだ小さい子供たちがアルフレートに駆け寄った。使者たちの中に、剣を持っていた何人かの騎士がそれを止めに入ろうとしたが、リーダーの制止で踏みとどまる。
「アルフレートお兄ちゃんがいなくなっちゃうのやだよ……」
「アルフレート兄ちゃん、いかないで」
「アルフレートおにいちゃん!」
アルフレートはあっというまに囲まれて、べしょべしょと泣く、村の子供たちを困惑気味にあやしていた。けれど、その表情は、先ほどよりも柔らかで、子供っぽい。
村の子供の中ではしっかり者だったアルフレート。みんなに慕われて、お兄ちゃんとまで呼ばれる兄貴分。
みんなアルフレートのことが大好きだったんだとわかった。
「……アル」
「ほら、いっておいで。テオフィル」
「お父さん?」
アルフレートは、みんなのアルフレートだ。僕よりも小さい子でも、かかわりがそんなにない子でもあれだけ泣いているんだ。今はその子たちを優先してあげようと、僕は後ろで見ていた。だが、僕の肩をポンと叩き、お父さんが優しく微笑んだ。見れば、お母さんも行っておいでというように微笑んでいる。
(……そっか、二人は、周りのことを気にして)
アルフレートが勇者に選ばれたから特別扱いしたのではなく、村の人がアルフレートを勇者としてあがめるから、それに合わせていただけなんだ。変わったと思っていたが、両親は変わっていなかった。それに、僕は気づけずにいた。
二人の善意を受け取って、僕はアルフレートに駆け寄った。
「テオ」
「アル、昨日ぶり」
「うん、昨日ぶり……テオ。眠れてない?」
「当たり前じゃん。だって、アルが、アルが……」
笑顔で見送ろうと思っていたのに、やっぱり目の前で見ると涙があふれる絵。もう、お別れなんだって、それを実感して胸が締め付けられる。
でも、頑張って笑顔を取り繕うとしているからそれはもう不細工な顔をアルフレートに向けているに違いない。目の下に隈があるのは、鏡を見たらすぐにわかった。
アルフレートはもちもちした小麦色の肌に、黄金色の髪が太陽に照らされていて輝いていた。アルフレートだって、眠れなかったはずなのに、すごくぴんぴんしているのだ。
「あ、アル。あのね、アル」
「テオ、一つ約束してくれる?」
「何?」
言葉が出ない僕の代わりに、アルフレートがはきはきと僕に言葉を投げかける。
何か僕も言いたいのに、口から何も出ない。
アルフレートは、僕の肩に手を置いたかと思うと、その手は腰におりてきてグッと僕を引き寄せる。いきなりのことで、前のめりに倒れそうになれば、ふにっと優しい感触が唇に広がった。それは一瞬で、すぐにも離される。
「あ、アル!?」
「待っていて。俺が、ちゃんと勇者になったらテオのこと迎えに来るから。だから、テオ、結婚しちゃだめだし、恋人も作っちゃだめだからね。特別に、誰も入れないで約束」
「え、え、え」
「好きだよ。テオ」
と、アルフレートは愛おしそうに僕を見て、ようやくそのラピスラズリの瞳に涙を浮かべた。
そんな刹那の出来事。使者たちのリーダーは「時間です」といって、アルフレートと僕たちの間に人間のバリケードを作る。その隙間からアルフレートがちらりと見えたが、顔は隠れてよく見えない。
何か、何か最後に言わなきゃと僕は先ほどの言葉を返そうと思った。
「アル! 待ってる、僕ずっと待ってるから! 約束!」
「うん、テオ。約束だよ」
そういって、アルフレートはあの金ぴかの馬車に乗り込んだ。そして間もなくして馬車は出発し、見えなくなるまで盛大なお見送りは続いた。だが、アルフレートの乗った馬車が見えなくなると同時に、みんな一斉にため息を吐いた。きっと、こっちも気を使っていたのだろう。
僕は、まだ現実味がなくて、彼が触れた唇に指をあてていた。
(初恋も、ファーストキスも、全部奪われたんだけど。アルに……勇者に)
これって、ゲームの中にあったっけ?
そんなことを考えていると、先ほどアルフレートの別れに泣いていた小さい子供が僕を見上げて指さした。
「テオフィルおにいちゃん、アルフレートおにいちゃんとチューしてた」
「えっ、いや、見間違いだよぉ……あはは」
その子は、「ちゅーしてたもん!」と何度も何度も言うので、僕は真っ赤になって顔を覆い隠すしかなかった。
これが、幼馴染との別れ。多分、もう二度と会えない幼馴染アルフレートとの一度目の別れだった。
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