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第1章 あざといお願い

10 帰宅

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「はあ……」


 げっそりと、重い足取りで、俺は自宅に向かって歩いていた。 
 昨晩、ゆず君に実際に痴漢に遭ってみる、と意味の分からない言葉を受けた後、本当に実際に電車の中を擬似的に再現し、痴漢役をゆず君が、される側を俺が、と言う感じで再現してみた。その再現度の高さは、異常なまでに高く、ゆず君に全て持っていかれた、という感じだった。ゆず君の声は変幻自在なのかってくらい、低かったし、雄みがあったというか、格好良くて思わず身体が反応してしまうと言うか。そこから、推察して声優かな? とも思ったが、あれだけ演技が上手くて、雰囲気が作れるなら、また違う職業かも知れないと思った。でも、今はニート(本人は認めていないけど)で。


「ただいまあ……」
「お帰り、兄ちゃん。あれ、すっごく、げっそりしてる」


 家の玄関を開ければ、パタパタとスリッパを鳴らしてあや君が出迎えてくれる。今日は土曜日で、部活もないみたいで、家にいるあや君はラフな格好をしていた。無防備すぎる……と言いたかったが、なにげにあや君は強いし、女子に付きまとっていたストーカーを蹴り飛ばしてとっ捕まえるほどの力は持っているし、心配は無いんだけど。
 そんなあや君はどうしたの? と俺の姿を見て、目を丸くしていた。
 さすがに、昨日痴漢ぷれ……して、男の手でいかされましたとか、そんなこと言えるはずもなくて、俺は「ちょっとね」で誤魔化した。


「え~俺に言えない事?」
「言えない事」
「何で!」


 兄弟じゃん! と言われてしまい、うっと言葉を飲み込んだ。そうだ、兄弟だ。隠し事はしちゃいけない、と脳が勝手に命令を出して、あや君に昨日の出来事を話せと言ってくる。でも、これを話して、兄としての尊厳も男としての尊厳も失うわけにはいかないと、どうにか、頭の中のリトル紡を追い払って、俺は息を吐いた。
 あや君には、「変な兄ちゃん」とため息をつかれたが致し方ない。

 昨日は、あや君の晩ご飯を作ったあと、ゆず君の家に行って、そのまま結局ゆず君の家でお風呂も借りることになってしまった。ゆず君は全然構わないといった感じに行ってくれたが、本当に持て余すほど拾い風呂だったし、部屋だったしで、もし両親が帰ってきたら、何て思ったけど、ゆず君はその事については何も触れなかった。まだまだ、分からない事だらけだし、きっかけが、忘れ物を届けに行って、そして、今にいたる、だから、まだ何も彼のことを分かっていない。ゆず君が俺に何も聞いてこないってことは、俺のこと、そこまで興味が無いのかもしれない。それはそれで、悲しいんだけど、関係性は薄い糸で繋がっているようなものだし、名のつけられる関係でもないし。これが適切な距離なのかも知れないけれど。


「兄ちゃん!」
「わっ、何? あや君」
「俺の話し聞いてた!? 昼ご飯食べてないから作って。兄ちゃんのオムライス食べたい」
「オムライス? いいけど、時間かかるよ? というか、朝ご飯食べてないの?」


 頬を膨らましたあや君はそれはもう可愛かった。うちの家系は、結構背が高めだと思っているから、あや君にはもう少しで抜かされそうだった。それでも、顔が童顔だし、くせっけが犬みたいだし、どれだけ格好良くなっても、大人になっても、あや君は可愛いままだ。
 あや君は、「朝ご飯抜いた、兄ちゃんの料理が美味しいから、他のもの食べられなくなっちゃったの!」とこれまた、可愛いことを言ってくれる。
 そんな可愛い弟の要求を聞きつつ、俺はキッチンへ向かい、俺はエプロンを着ける。


「で、兄ちゃん何処に行ってたのさ。昨日、結局帰って来れなくなったって言ってたじゃん」
「ま、まあ、ちょっと用事が……」


 用事というか、つかれて帰れなくなって、ゆず君のお言葉に甘えて泊めさせて貰ったという方が正しいんだけど。
 それは、言わずに、あや君を見ていれば、あや君はキラリと目を輝かせて、まるで探偵のように言う。


「もしかして、彼女?」
「かのっ」
「いや、彼氏かも。なんか、兄ちゃん色っぽくなったから」
「へ!? な、あや君、そんなわけないじゃん」
「そういう所が、怪しいんだよ~」


と、あや君は茶化しているのか、かまかけているのかわからない言い方で、俺を見つめてきた。

 俺は、どう誤魔化そうか、苦笑いを浮べていると、ちょうど、あや君の電話が鳴って、あや君は俺に背を向けた。


「え! 嘘!? あのBL漫画、映画化するの!?」


 声が大きいからまるぎこえだなあ、と思いつつ、どうやら、あや君が好きなBL漫画が映画化するとのことで、あや君はいつも以上にテンションが上がっていた。俺の事なんて忘れて、話に夢中になっていると、聞き慣れた名前が、あや君の口から飛び出す。


「主演は、眞白《ましろ》レオで、相手が祈夜柚!? ちょー神じゃん」


(祈夜柚?)


 いつも、ゆずゆず、言ってるから本名を聞いて数秒はピンとこなかった。でも、数秒後には、はっきりと意識が戻ってきて、顔と名前が一致する。


「ゆず……ゆう、君?」


 話し込む、あや君がだんだん遠のいていくようで、俺は、映画の主演を勤める名前を聞いて思わず、フライ返しを落としてしまった。


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