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第2部2章 フラグが次々立つ野外研修
07 セシルside
しおりを挟むどうやらはぐれてしまったらしい。
「あ、ありがとうございます。セシル、先輩」
「ああ……気をつけろリヒトヤー。貴様の魔力も特殊だからな。魔物たちの恰好の餌になる」
絶妙にお辞儀をした、魔法科一年生にして特待生のアイネ・リヒトヤー男爵子息はおどおどとした様子で俺を見ている。
まあ、怖い思いをしたのだから仕方がない。それか、俺が怖いのか……
先ほどオークを倒せたまではよかったが、そのオークが腹にためていたガスが噴射され、そのガスに紛れてリヒトヤーを魔物が連れ去った。俺は、先に動き始めたニルを追ったが、ニルはどうやらその魔物が放った囮に引っかかったらしかった。ニルを追うべきだとは思ったが、もしそれでリヒトヤーに何かあってはニルは悲しむだろう。俺は、迷わずリヒトヤーを追い、ついさっきリヒトヤーを攫った蛇の魔物を倒したばかりだった。
囮に引っ張り出されずに、俺についてきたのは、頭の固い宰相の息子ツァーンラート侯爵子息だけだった。
ヴィルベルヴィントと、アルチュールに関してはニルのほうにいったらしい。あいつらが、囮に騙されるということはあまり考えられないので、ニルを追っていったのだろう。
ニルも、以前であればこんな囮に引っかかることはなかった。ただ、今のあいつは魔力がほとんど心臓を維持するのに使われているため、魔力感知も精度が落ちた。あの一件さえなければ、ニルはここまで苦労していないだろう。
俺があの時、ライデンシャフト侯爵子息の無詠唱に気づいていればニルを……
グッと手に力がこもったことに気づいた。爪が食い込み痕になっている。今さら過去を思ったってどうにもならない。起きてしまった事実を覆すことはできないのだから。
生きているだけでも無問題だと思わなければならない。あのような思いはもうしたくない。
「ついてきただけか、ツァーンラート」
「ええ、だって殿下先輩が全部やっちゃってくれたんですもん。一年の俺が出る幕ないっすよ」
「ちょ、ちょっとフィリップ。一応、セシル先輩は皇太子で」
舐めた口を利く、ツァーンラートをリヒトヤーは止めに入る。ルームメイトと言っていたか、どうやら仲は良好らしい。その二人に、自分をニルと重ねてしまうほどに、俺はあいつのことが心配だった。
どうせ、俺がみていないと無理をするに決まっている。あの二人がストッパーになればいいが……
「本当に、助けてくださってありがとうございます。セシル先輩。でも、僕のせいで、はぐれて……」
「ああ、そうだな。だから、合流する」
「え、でもどうやって?」
「キャンプ地に戻って歩けばいい。だが、そう簡単にはいかないだろうな」
ここは圏外だ。また、先ほどのような魔物が出てくるかもしれない。俺一人であれば、その魔物を倒すのもたやすいだろうが、後輩を二人守っては少し厳しい。ニルならやってのけるだろうが。
(俺の頭の中も、心の中もニルでいっぱいだな)
あいつが強いのは知っている。
優しくて、強くて、美しくて……いつだって、目を奪われて、離してくれないそんな存在。だから、それゆえに儚くて、もろくて、危険だ。あの強かさにまとわりついているのはいつだって、死神の鎌だ。死神と踊るように、あいつはいつも死に近いところにいる。
そんなあいつの周りに群がるやつは星の数ほどいる。本人に自覚がないのが問題だが、かといって俺が独占欲を出しすぎると、ニルに引かれるのでしたくない。牽制もほどほどにと……
とにかく、面倒なやつを引っかけるのだ。年の近いものから、離れたものまで。
(……あいつは、守られたくないんだろうが、俺はずっと閉じ込めていたほどにはニルのことを大切にしたいと思うんだがな)
そうさせてくれない。ニルは、ああ見えても頑固だから。守られるのは性に合わないと、自分は騎士なのだという。それも間違っていないし、そんなニルが俺は好きだ。そこを曲げさせるつもりもない。
そうあってこそのニルだ。俺の好きなニルは、そんな頑固でかわいくて、どこかに行ってしまいそうなほど儚い……
それと、あの二人は気づいているだろうがニルは優しさを取っ払えば俺よりも強い。無情になれれば俺なんかではきっと手も足も出ないほどのポテンシャルを秘めている。それを、無意識に制御し、押し込めている。もちろん、俺との手合わせで手を抜いているわけではないのだろう。だがしかし、あいつの中でストッパーが作用して百パーセントの力を出し切れていない。高くても、七十パーセントに届くかどうかだ。それほど、ニルは常に自分を抑えている。
元から、ニルは自身をあまり出さない人間であったが、それは今では緩和された。出会った当時よりも、その氷は解けているはずなのだ。
それでも時々、どこか自分を引いて、謙遜して……卑下するまではいかずとも、自身の本来の能力にすら気付けていないような振る舞いをする。
しかし、時々見せる無情な、いや殺意の波動を感じると恐ろしさに俺でも身震いするほどだ。いつだったか見せたあの表情は、俺に向けられたものでなくとも恐ろしかった。
だが、やはり本人はそれすらも制御して、押し込めている。もったいない才能だと思う。ニルは努力家だと自分を表するが、努力を上回ってしまう才能を持っている。ニルは天才だ。だからこそ、もったいなくて、じれったい。あいつらなもっとできるのにと。
もどかしく思うのは俺だけか。
「殿下先輩、どこ向かってるんです? あっちじゃないです?」
「……」
「殿下せんぱーい」
だから、なんだ殿下先輩って。口に出そうになったが、ぐっとこらえて、俺はツァーンラートを睨みつける。
「貴様は、よく口が回るな。ツァーンラート」
「ええ? そうですかね。オレ……先輩にかわいがられる後輩だって自負してますけど」
「俺はかわいがるつもりはない。比べるのも悪いが、貴様の父は頭も堅ければ、頑固な宰相だ。仕事はきっちりしているしミスは一度もない。時間厳守、伝統を重んじ、変化を嫌う……そんな男だ」
ツァーンラートは「ふーん」と興味なさげに言うと、頭の後ろで腕を組んだ。
確かに、他の奴らなら絡んでくるかわいい後輩程度には思うだろう。先ほども感じたが、ツァーンラートは何気に人に付け入る、媚びを売るのがうまい。別に俺はどうでもいいのだが、相手をイラつかせない程度にからかうのが得意なようだった。
父親とは違う。それでいいのかもしれないが、俺からしたらよく知っている相手の息子であるので、そのギャップにやられてしまっている。
リヒトヤーに関しては、そんなツァーンラートの暴走を止めるので精いっぱいのようだった。
「んで、だから殿下先輩道違うっすよ」
「なぜわかる」
「いや、なんとなく……先輩絶対、方向音痴でしょ」
と、ツァーンラートはぷっと小ばかにするように言う。だが、否定できないのも事実だった。
ニルにも時々、俺は方向音痴だといわれた。俺はあっていると思って進むのだが、気づけば違うところに出ていることなんてざらにある。そもそも、ここがどこだかわからない時点で、俺たちは迷子で、むやみやたらに歩くのは危険なのだ。しかし、こんなところで立ち往生していてもということで、キャンプ地を目指そうと俺がいったのだが、この始末。
ツァーンラートは魔力の痕跡をたどればいけるといったが、この森にはどれほどの魔力の痕跡と、魔法植物があると思っているのだろうか。それをかぎ分け、キャンプ地に行くのは至難の業だ。しかしながら、手がないわけではない。
「ただ、合流するのが一番手っ取り早いかもしれないな」
「ど、どうしてですか。セシル先輩」
「ニルだ」
「ニル先輩がどうしたんです?」
「……ニルは、俺の場所が分かるように契約魔法を結んでいる。だから、あいつが生きてさえいれば俺の魔力をたどってくるだろう。だが、ここで立ち往生していては、また貴様の魔力に誘われ魔物が襲い掛かってくるかもしれない。とにかく、圏内に入ることを目標に歩くぞ」
キャンプ地は、他よりも標高の低い場所にある。そこに向かって緩やかに坂になっているため、下ればいつかつくだろうと思うのだ。
俺は、先導し二人についてくるよう言って歩き出す。
二人は、黙って俺の後をついてきた。俺は、こういうのが苦手だから、何を話せばいいかわからない。黙ってついてこさせて入るが、あいつらからしたら気まずいだろう。何せ、二つも年が離れているのだから。
「殿下せんぱーい。その、徒花先輩とはどういう関係なんです?」
「……徒花とは、ニルのことか」
「はい。なんか、めちゃくちゃ儚いっていうかあ、キレイで強かで、でも脆そうな感じがして」
「に、ニル先輩はそんなんじゃない! 強いのは確かだけど、そんな折れちゃうような花じゃないから」
ツァーンラートの言葉に反論するようにリヒトヤーが声を上げる。おどおどとしているばかりかと思ったら、そんな声が出せるのか、と俺は二人の会話に耳を傾ける。
ツァーンラートは、ニルのことを詳しくは知らないのだろうが、第一印象でそう思うということはニルは相当素敵で危険な魅力の持ち主だということ。惚れてはいないとは思うが、ニルは人を引き付ける魅力があるため、目を惹いてしまうのだろう。本人はその自覚がないので、俺はいつも内心ひやひやしている。
逆にリヒトヤーは、ニルに借りがある。
「ニル先輩は、僕を刺客から守ってくれたんだから。連れ去られそうになった時、一瞬で敵を氷漬けにして。セシル先輩の護衛騎士だっては知ってたんだけど、魔法も……本当に強くてかっこいい先輩なんだから!」
「そうだな、ニルは強くてかっこいい」
「せ、セシル先輩」
リヒトヤーは熱が入っていたのか、俺が声をかけたことに対して驚いているようだった。後ろをちらりと振り返れば、恥ずかしそうに顔を赤くしている。リヒトヤーはあの一件後ニルに惚れているらしい。
後輩にくれてやる気などはないが、俺のニルが好かれていることは少しうれしく思う。
「殿下先輩早いっすよ。少し、スピード落としてくださいよ」
「そうしたいが、日が暮れる。それに、あの二人にニルは任せておけない。何をするかわからないからな」
「あの二人って、パワハラ先輩と王子先輩ですか」
「……ツァーンラート、貴様のそれはなんだ」
「ええ? よくないですか。あだ名付けたほうが楽っていうか。ほら、一応特徴はとらえていると思うんですよね」
「パワ……それは、ヴィルベルヴィントのことか?」
ヴィルベルヴィントがパワハラ……セクハラなら心当たりがあるが、パワハラとは耳なじみがなかった。
ツァーンラートは身震いするように「昼寝邪魔しただけなんですけど、怒られて」と、怒られて当然なことを暴露し、俺は何をやっているんだと思った。だが、またサボってそんなことをしていたのかとヴィルベルヴィントに対しても呆れる。
王子先輩とはアルチュールのことで間違いない。同じ王太子、皇太子という立場であるのに、俺とはまた違ったタイプの男だ。ニルはかなりなついているようだが、あの男も隅にはおけない。初対面で、ニルの瞳を美しい海のようだといった男だ。自身の国で漁業が盛んであり、海を大切にしているためそういった発言が出たのだろう。だが、ニルの瞳は俺の夜色の瞳と対になるような真昼の瞳だ。それを間違えないでいただきたい。
「楽しそうだな、魔法科は」
「そうですよ。まあ、頭こんがらがることばっかですけどね~マンドラゴラの栽培とか、授業にあるんで」
「マンドラゴラの栽培か。だから、時々失神したと、担架で運ばれていくやつがいるのか」
やはり、魔法科は特殊だなと、俺は改めて思った。
騎士科は、いずれ騎士になるために勉学に励むものであふれている。そのため、基本的には規律に厳しく、皆誠実で、紳士的だ。だが、魔法科のことはよくわからない。魔塔への就職か、魔法騎士団への就職か。はたまた宮廷魔導士になるか。いろいろと道はあるのだが、変わったものが多いと聞く。
(ライデンシャフト侯爵子息も、そうだったな)
騎士科に転学科させられていたことは驚きだったが、あいつも魔法に魅せられた人間だったとニルは言う。確かに、騎士科であれほど魔法が使えるものはそうそういないだろう。だが、雷の魔法とは珍しい。
「殿下先輩もある程度は魔法使えるんですよね。見せてくださいよ」
「何故見せる必要がある? 今は、魔力を温存し、敵に備えるべきだと思うが」
「ええ~皇太子の魔法って気になるじゃないですか。なっ、アイネも」
「え、僕は、うん。気になるけど、セシル先輩のいうように、今は緊急事態だし、魔力は温存するべきだと思う」
「リヒトヤーもそういっているだろ。落ち着きのない」
チェッと、舌打ちをし、ツァーンラートは道端に落ちていた石を蹴っ飛ばしていた。
魔法は得意とはいかないが、それなりに仕える。皇族は代々魔力量は多く、魔法が得意なものが多い。だが、俺は魔力量もさることながら、剣の腕のほうが高いと評価された。ニルの本気には届かないが、それなりには。
まあ、ニルの魔法にも俺は及ばないが。
(だから、他のところでカバーするのだが……)
ニルにばかり守らせていてはいけない。護衛するに値する主君にならなければ意味がないのだ。弱いから守ってもらうのではなく、守る価値があるから守ってもらえる、そんな相互関係になれなければ意味がない。
「……それと、ツァーンラート。先ほど貴様の魔法を見せてもらったが、廊下に空間魔法を施したまま解除せず放置していったのは貴様だな?」
「え、ああ~そんなこともあったかも、しれない……かも」
先ほど、蛇の魔物を倒したあと、魔物がまき散らした血を防ぐためにツァーンラートは防御魔法を唱えた。その時感じた魔力というのが以前、俺たちが廊下で空間魔法のトラップを踏んでしまったときの魔力と類似した。この男の性格を考えると、悪戯ではなく、放置したという可能性は高い。
ツァーンラートは冷汗をかきながら俺から目をそらす。犯人はこいつで間違いないだろう。
(……あのときのことは忘れないが、悪くはない思い出だな。ニルのあの表情は)
狭い空間に閉じ込められ、そこで見たニルの顔はあまりにもかわいかった。あの時、俺はニルを抱きたいと初めて思ってしまった。キスも、その先も。すべて手に入れたいと。あんなもので気付いてしまったのは癪だが、あの日のことは忘れないだろう。
俺は、またしてもニルのことを考えながら歩く。
本当は心配だったんだ。研修が楽しみだったのは本当で、だが、ニルにあんなことがあった後の研修だったから。ニルも喜んでいたが、ニルの今の状態では、ヴィルベルヴィントとアルチュールと同じ班でよかったと俺も思う。今だって、心配だがあいつら二人がついていてくれれば……と安心感はある。まあ、他の心配はあるが、それは別として。
(とくに、ヴィルベルヴィントだな。あいつは好かない)
ニルに触れていいのは俺だけだ。ニルとアルチュールが探索に出ている時だって俺に――
思い出しては嫌になる。ヴィルベルヴィントとは、どうもそりが合わない。そして、重なる部分があり、同族嫌悪している。しかし、あいつもやるときはやる男で、俺はその実力を認めている。二つ上だったのは衝撃的だったが。
すると、しばらくして、木々の隙間から人影が見え、その人影から感じた魔力に俺は駆け寄った。見つけた、いや探しに来てくれたのだ。
「――ニル」
真昼の瞳は俺を見つけると、宝石のように輝き反射する。その小さな口で「セシル」と俺の名前を呼んで、花が咲いたように俺の愛しい人は笑ったのだ。
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