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第2部1章 死にキャラは学園生活を満喫します

08 口ふさいでよ

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「――セシル!」


 医務室にいた養護教諭に「静かに」と怒られつつも、俺はセシルが横になっているベッドへと駆け寄った。セシルは何ともないように、俺を見つけると「ニル」といつもの調子で名前を呼んでくれる。
 顔色も、声色も問題なし。
 セシルに異常がないことを確認しながら、俺はそこでようやくホッと胸をなでおろすことができた。一緒についてきたアルチュールも、ひとまずよかったというように息を吐く。


「よかった、セシルが無事で。セシルに何かあったら、俺どうにかなっちゃいそうだったから」
「……そうか、なればよかったんじゃないか?」
「え?」
「……ちが、まて、ニル、違うぞ」


 慌てて、セシルは訂正するが、ものすごいトーンで聞きなじみのない言葉を言われた気がする。
 俺がフリーズしていれば「ニーくん」と隣にいたアルチュールが俺の身体を揺さぶる。


「忘れたんですか、ニーくん。これは、彼の本音じゃないんですよ。調合に失敗した薬の影響で! だから、真に受けちゃいけません」
「え、そう、か。そっか、セシルがそんなこと言うわけないもんね」


 びっくりした、そうだった……と、アルチュールに言われてようやく事態を飲み込むことができた。
 『本音が裏返る薬』をセシルは被って、今に至ると。だから、セシルの言葉は今ちぐはぐになっているのだと。


(にしても、ヤバいな……だって、ガチトーンで『なればよかったんじゃないか?』って)


 正直、心臓がきゅっと止まりそうになった。セシルは基本的に表情が硬いし、怖い時があるから、それで低いトーンでそんなこと言われたら、本気で怒っているように聞こえてしまうから。長年セシルの隣にいるが、こんなこと言われたのは初めてで、新鮮な気持ちもありつつ、やはり傷ついてないといえば嘘になるというか。
 アルチュールは、はあ……と息を吐いて額に手を当てていた。
 こんな変な薬を被って……魔法事故にあったセシルとどう接すればいいか、俺は次のことを考えていた。この様子じゃ、授業に出られないのではないかと。


(全部が裏返ってるわけじゃないんだよな、多分。だって、違うって訂正できていたし)


 それこそ、不完全な薬だからこそ起きる効果というか。だから、どれが裏返るのかよくわからない。全て、裏返っていると考えられたらいいのだが、それも簡単そうじゃないし。しかし、面倒なので、そう考えておいたほうが一番楽かもしれないが。
 その後、養護教諭に薬の話をされ、どうやら明日の朝には治るらしかった。それまでは、やはり授業には出られないらしく、俺たちは医務室を追い出され寮に戻ることとなった。


「それにしても、災難でしたねセッシー。『本音が裏返る』なんてとても厄介で……しかも、完璧に裏返るのではなく、ちぐはぐに。これでは、本当にセッシーのことをよくわかっている人でなければ、本音か裏返っている言葉なのか見抜けられませんね」
「セシル、俺を庇ったばかりに……ほんと、ごめん」
「いや、いい。普通に話せないのは、あれだが、ニルに何もなくてよかったと思う」


 ああ、これは本音だ。

 うん、多分、そう、本音。いっそのこと、全部裏返ってくれればいいのにと思う。だって、そうじゃなきゃ、どれが本音かわからないから。アルチュールのいうように、セシルのことをよくわかっている人であれば見抜けるとは思うのだが、いかんせん、ちぐはぐしているため、裏返っているとわかっていても、ダメージはおってしまうというか。
 というか、本音が裏返っているときのほうが声のトーンが低く、いつもと違うと体が震える。セシルの声で拒絶されているような感覚になるから、耐えられる自信がない。
 ため息が出そうなところを何とか飲み込んだのだが、俺は目の前からやってきた赤色を見つけ、ため息が出た。


「またサボり?」
「早く終わったんだよ。俺が、毎回サボってると思うなよ?」
「だといいけど」


 もちろん、この学園で赤といえば彼しかいない。
 俺がサボっているのかといえば、苛立ったように「サボってねえ」ともう一度口にしたのはゼラフで、彼は自身の赤い髪をかきむしっていた。そして、俺とセシル、アルチュールの三人でいることが珍しかったのか首を傾げる。
 そこで、魔が差したのか何だか知らないがアルチュールがスッと前に出て、セシルと目を合わせたのち、ゼラフを指さした。


「セッシー、ゼラフのことどう思ってますか?」
「はあ? なんだその質問、そんなの皇太子殿下は決まって……」
「ヴィルベルヴィントのことなど、もちろん……す、き…………」
「は?」
「……アルチュール、こうなるってわかってたでしょ」


 ふむ、とアルチュールはやはりこうなったかというような顔でうなずいていた。いや、そんな確認のためにセシルを使うのも、ゼラフを巻き込むのも恐ろしいと、俺は少し離れる。本音がいいタイミングで裏返ったので、この場合『嫌い』なのだが。セシルはストレートに嫌いと思っていることが判明し、それもそれでゼラフがかわいそうに思える。
 問題はそこじゃないが。

 ゼラフは、鳥肌が立ったというように両手で体を抑え、頬を引くつかせていた。セシルも、眉間に眉を顰め「真に受けるな」と怒ったように言うと、今回の諸悪の根源であるアルチュールを二人して睨みつける。


「んで、こんな不快……じゃなかった、愉快なことになってんだよ。ニル」
「なんで俺に聞くの……ええっと、魔法薬学の魔法実験の事故で」
「へえ、皇太子殿下が調合ミスったと?」
「違う! セシルは、他の班が失敗したものを俺を庇ってかかって……それで『本音が裏返る』ようになっちゃって。ああ、明日の朝には元通りらしいけど。午後は休みで」


 ふーんと、説明をしたのだがつまらなそうな反応をされ、じゃあ、説明させるなよと怒りたい気持ちでいっぱいだった。
 セシルは、まだゼラフのことを好きと言ってしまったことに対して腹を立てているのか、顔が怖い。


「つか、この薬で困るのってニルだろ」
「え、俺? なんで?」


 ゼラフは、髪をかきあげながら、俺のことを心配そうに見る。
 だが、彼のいった言葉が理解できず、今度は俺が首を傾げることとなる。なぜ、俺がこの薬で困るのだろうか。困るのは、セシルで……
 そう思っていれば、アルチュールは何かに気づいたように、ポンと手を叩いた。


「ニーくん、今日は僕たちの部屋に来ませんか? なるべくセッシーから離れたほうがいいかもしれません」
「いや、そんな害みたいな……というか、僕たちって?」
「ああ、実は僕とゼラフは同室でして」
「……チッ、一人部屋だったのによ」


 悪態をつくゼラフと、にこりと微笑んだアルチュールを交互に見る。
 ゼラフは留年組だから一人部屋なのだろうか。そこに、アルチュールが入ったということか。魔法科だし、ゼラフなら、アルチュールが何者かに狙われても対処できるし、教師陣からしてもいいルームメイトだとは思うが。まあ、ゼラフは想像通りという反応で。
 しかし、二人の部屋にお邪魔することになるのはなんだか申し訳ない気がした。それに、セシルを一人にさせるなど。


「ダメだ。貴様らにニルを任せたら何をするかわからないからな」
「セシル……っ」


 ぎゅっと俺を抱き寄せて、セシルは二人に吠えるようにそういった。
 ここは、裏返っていないのか、と思いつつ、ゼラフとアルチュールを交互に見れば、呆れたようにセシルを見ているのだ。そんなにまずいのか? と、俺はいまいち状況を理解できずにいた。


「二人の気遣いはありがたいけど、さすがにセシルを一人にさせられないし。それに、俺がいったら、誰か床で寝なくちゃいけないだろうから。いいよ。効果は朝までだし」


 俺がそういうと、二人は、でも……と食い下がるように見てくる。しかし、セシルが、そんな二人の間を割って歩き、俺の手を引いて部屋へと向かって走り出した。


「いーのか、王子様よ。ニルと皇太子殿下を二人にして」
「仕方ありません。止められなかったんですから……何もないといいですが」


 そんな二人の会話を、俺は耳で拾い上げることはできなかった。


 部屋につくと、すぐに鍵を閉め、セシルが大きなため息をついた。いろいろとよからぬことが起きたこの状況で、あの二人に絡まれるのは相当なストレスだろうなということが分かる。しかも、本音が裏返るので、相手にされないというか。


「屈辱だな」
「……あはは、あれはアルチュールが悪かったとは思うけど。セシルも答えが分かってたなら、答えなくてもよかったんじゃない?」
「反射的に言ってしまったんだ。すまないな」
「別に。謝られるようなこと何もしてないじゃん」


 セシルがゼラフを好きっていったときはくすっとなったけど、それ以上に、胸の奥がチクチクとしていい気分ではなかった。通常ならありえないこと。わかってはいるのだが、何というかその、少し胸に来るものがあるのだ。
 俺以外に、セシルの口で、セシルの声で好きって。それが、どうしても許せない。俺が恋人なのに。俺だけが、セシルの好きを独占できるのに……って、対抗心が芽生えて、嫉妬して。バカみたいだなと思う。
 セシルは、すまなそうに、眉を下げていたので、俺は気にしていないよ、と言ってセシルの頬を撫でる。セシルは、俺の手のひらにすり寄るように目を閉じ、身体をゆだねた。
 言葉がなくても、いい場面だってある。
 そう感じつつも、会話がないのが耐えきれなくなってつい口が開いてしまう。


「でも、本当にありがとう。セシルが庇ってくれたおかげで俺は何ともないよ。本当なら、俺が自分で対処すべきだったんだけど……また守られちゃった」
「ああ、お前に怪我があればいいと思った」
「……っ、わかってるよ。セシル、本音が裏返っちゃうんだもんね。やめよっか、今日喋るの」
「いや、俺は……ニルとしゃべりたくない」
「セシル、わかったから!」


 わかっている。わかってはいても、その口から、その声で、その顔で言わないでほしい。
 頭がこんがらがって、すぐさま本音と裏返ったものを元通りにできない。想像以上に、俺は動揺していた。そのせいで、冷静さがかけている。このまま会話をするのは確実にまずい。
 セシルも、口をふさいでくれればいいのに。口からこぼれたそれが、互いに傷つけるものだってわかってくれれば、きっと。
 だが、セシルもセシルで自分のいった言葉が信じられなくて訂正したいのだろう。痛いほどその気持ちはわかる。しかし、喋って出てくるのはとげとげしい優しい本音とは裏返った言葉ばかり。
 セシルの夜色の瞳が激しく揺れている。クッと唇を噛んで、視線を逸らす。プルプルと震えている拳を見て、動揺と苛立ちが感じられた。もちろん、それは自身に対する怒りだろう。俺にぶつけるなんてセシルはしない。

 俺は、疲れただろうからとこの間売店で買ったクッキーとホットミルクを準備しようと思った。喋らなくとも、隣にいてくれるだけでいい。セシルが孤独を感じないように、隣にいてあげなければと使命感にかられる。
 俺は、準備するからとセシルに座ってもらうことにした。セシルは、喋るのが怖くなったのか、無言でうなずく。


(はあ、俺ダメだな……)


 俺に怪我があればいいとか、喋りたくないとか。セシルが絶対に言わないのをわかっているのに、その声で聴いてしまえばそれにしか聞こえなくなってしまう。
 アルチュールとゼラフが善意で言ってくれたことがようやくわかった気がして、彼らに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。こうなるってわかっていたから、俺を避難させたかったのだろう。
 俺に対して砂糖のような言葉ばかり吐くセシルの本音が裏返れば、どんなトゲを孕んだ言葉が出てくるか、その言葉をかけられていない他人さえもわかるのに、俺は。
 トレーでクッキーとミルクをもって移動し、目の前のテーブルに置く。
 俺はクッキーを手に持って、口へ運ぼうとしたとき、セシルと目があった。


「……余計なことを」
「余計かな……いや、余計かも」
「いや、違う、ニル。俺は」
「わかってる、ごめんごめん。俺が今のは悪かった。ありがとうっていいたかったんだよね」
「違う」
「……うん、わかった。うん」


 会話が成り立たない。

 俺も口を閉じればいいのに、閉じる方法が分からなかった。だって、セシルとしゃべるのが大好きで、セシルの言葉を声を聴きたいから。

 だめだ……抑えなきゃ。
 俺は、どうしようもなくなって、手に持ったコップをダンッと机に叩きつけ、セシルの唇を奪った。喋らなければいい。口をふさげば、そうすればあのとげとげしい言葉は――
 セシルは、驚いたようだったが、俺のキスに応えてくれた。舌が絡み合って、くちゅりと音が漏れる。キスだけで、涙が出そうになるほど幸せなのはおかしいだろうか。言葉じゃなくても、行動だけで愛されているのが分かる。先ほどの言葉が嘘だったんだって全部上書きしてくれるようなそんな気さえする。

 けど――

 唇が離れると、細い銀色の糸がプツリと切れる。
 肩で息をする。自分の目にもうっすらと涙がたまっていて、笑えてくる。気持ちよさに涙しているのか、セシルの先ほどの言葉に涙が出たのかわからない。ただ、セシルの夜色の瞳にも不安と、わずかながらの恐怖が浮かんでいて、泣きそうになる。
 そうだよな、一番怖いのはセシル。何を言っても、伝わらないって怖いの、わかる……から。


「ごめん、いきなりキスなんかして」
「……黙れ」
「……うん」
「気持ち悪い」


 ああ、やっぱり俺は馬鹿だ。

 方法はこれでもない。自分で、セシルのチクチクとした言葉を引き出している。俺が何もしなければ、セシルは喋らずいられるのに。俺がわざわざセシルをしゃべらせて。
 彼の傷付いている顔を見てしまった。俺が悪い。セシルだってそんなこと言いたくないのに。

 傷つけているのは俺。


「ニル、俺は――」


 と、セシルが立ち上がって俺の肩を掴む。

 カクンと体が左右し、俺は目の前が一瞬だけ白黒した。そして、真剣な顔で見下ろされ、俺はあっと言葉を失う。次にどんな言葉が飛び出すかわかってしまった。本来であればその言葉は特別で、幸せで、俺だけに向けられる唯一の言葉なのに。

 今はそれを言わないでほしい。だってきっとから。


「待って、その先言わないで……っ、せし」
「嫌いだ」
「……っ」
「ニル、違わなくない、俺はニルのことがきら――」
「お願いだから、口ふさいでよッ!」


 痛々しく響く自分の声。パシンッと彼の手を払いのけて、俺は呼吸が早くなる。なんで言ったの? と頭の中でぐるぐると『嫌い』という言葉が回る。でも、それがサアァと引いていくと、俺はハッと我に返る。俺は今何をした? と。


(セシルを……俺は、叩いて……)


 やってしまった。
 叩いてしまった。それだけじゃない。しまったと思って顔を上げると、そこにあったのはセシルの泣きそうな顔。先ほどよりもひどくゆがんで、大きく夜色の瞳が揺れている。
 セシル、違うんだ、と俺がいう前に、彼はふらふらっと立ち上がってどこかへといってしまう。待ってと俺の制止も聞かずに、閉めたはずのカギを丁寧に開けて。そして、ぱたんと扉が閉められたころには、部屋に静寂が戻っていた。


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