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過去編

あの頃の僕ら ※1のおまけ、セシルside

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 気になるやつがいた。
 生まれたときからずっと一緒に育ったはずなのに、いつの間にか俺の視界から消えていて、次会ったときは、俺との間に壁を作ってぎこちない顔で俺を見る。まるで、俺が魔王とでもいうように恐怖の顔で見るから気分が悪い。


「殿下、また表情が硬くなっていますぞ」
「…………うるさい。父上にも言われた。仕方がないだろ」


 父の側近であるバルドゥル卿は、こほんと咳払いをして俺にそう伝える。バルドゥル卿は、父に仕えて長く、父に生涯をささげたといってもいいほど忠誠心の塊のような男だ。父も彼を信頼しており、時々俺と俺の乳兄弟であるニル・エヴィヘット公爵子息との間に入ってくれる。白い頭に、隻眼の男で、とても紳士的だが口かづが多いおせっかいだ。もちろん、俺限定だが……俺のことを孫かなにかと思っているのだろう。

 まあ、だが問題はバルドゥル卿ではなく、ニル・エヴィヘット公爵子息のほうだ。

 俺は、たった今、今日の課題を終わらせ、庭園で散歩しようか考えているところだった。


「今日も、庭の薔薇はきれいですね。殿下。殿下の母君である皇后陛下も、とても薔薇が好きでして……」
「はあ、そうだな。だが、薔薇にはトゲがある。美しいものほど、その美しさを保つために武器を仕込んでいるのだ。だから安易に触れてはいけない」
「さすがは殿下。しかし、その優しさは、ニル様に伝わっていないのではないでしょうか」
「何?」


 失礼、とバルドゥル卿はまた咳払いをする。

 なぜ今、ニルの話が出てきたのか俺にはわからなかった。確かにあいつもよく庭にいて、薔薇に触れようとしていた。だが、庭園の薔薇は剪定され美しく保ってあるとはいえ、そのトゲをすべて切り落としているわけではない。だから、安易に手を突っ込めばそのトゲにより、皮膚が傷つく。あの空色の瞳を持った乳兄弟は、それすら気付かないように毎回のように指を伸ばす。とげが刺さったら危険だというのに。俺が何度注意しても聞かない。


「はあ……」
「ため息はいけませんよ、幸せが逃げるので」
「バルドゥル卿はうるさいな。いいだろ、別に」
「ニル様のことを考えてらっしゃるのが、よくわかります。彼は、大切に育てられていますからね」
「……騎士団長殿にか?」
「はい。それと、公爵夫人に」


 バルドゥル卿は補足するようにそういった。
 確かに、ニルはあの大柄な騎士団長と比べれば小さく、俺よりも身長も筋肉もない。生まれた月は同じで、数日の差なのだが、どうも発育が悪いようだった。それは、公爵夫人の遺伝だと団長殿は言っていたが、そんな団長もニルのことは大切にしているようだった。
 甘やかしているわけではないのだろうが、あまりに過保護というか。もう六歳になるのだから、もう少し手を離してやってもいいのではないかと俺は思う。


「……っ、バルドゥル卿。俺は庭園へ向かう」
「では、私もお供しましょうか」
「途中までだ。ニルと話すときは、離れていろ」
「はい、かしこまりました。殿下」


 庭園に見慣れた黒い頭が入っていくのが見えた。本当に、あそこが好きだな、と俺は呆れつつも、ニルに会うのは楽しみだったのだ。
 庭園に移動し、ニルを一瞬見失ったが、すぐに彼を見つけることができた。
 俺は、植木の陰からニルを観察する。


「話かけに行けばいいのではないですか、殿下」
「ば、バカ。簡単に行けるわけがないだろう」
「何故ですか? 殿下は、おしゃべりがしたいと顔に書いてるというのに」


 後ろからひょこりと出てきたバルドゥル卿は俺を笑うようにそういった。俺は、手でしっしっとよけながら、ニルのほうを見る。
 ニルは、団長との特訓が終わったらしく、庭を訪れていた。それが、ニルのルーティーンであり、そんなニルを迎えに行くのが俺のルーティーンでもあった。
 俺たちは、同じ教育を受けていない。だが、これ以上ニルと差ができてしまうと、あっちも気が重くなるだろう。だから近いうちに、同じ教育を受けさせるよう頼むつもりだ。


(……不思議と、目が離せないな)


 ニルのことは俺はよく知らない。

 乳兄弟であり、物心つく前はもっと一緒にいる機会が多かったというが。しかし、今はどうだろうか。俺の皇帝になるための勉強が始まってからは、あまりあわなくなったというか。あっちもあっちで、違う教育を受けているらしく、一緒にいる時間が減った気がする。知らぬうちに一緒にいて、また知らぬ間に離れ離れになっていた。それが、俺にとってはむずがゆく、寂しかった。
 俺が同じ年齢で、同性で心を開けるかもしれないと思ったのはニルだけだ。
 他にいろんな令嬢とパーティーで会うが、そういう令嬢は限って親に「皇太子と仲良くしてくるように」と言われているらしく、媚びをうってくるというか、面白くない話ばかりする。その点、ニルは違う。
 ほとんどは、そいつらと同じように俺の機嫌取りをするが、時々見せる素が、一人でいるときのあのほわほわとした表情は、俺しか知らないだろう。ニルは一人でいるときようやく、素でいられるらしい。俺もそうだ。
 周りに圧力をかけられている状態では、皇太子でいなければならないと強く思って、背筋が伸びる。だが、普通に手合わせとかではなく、剣を一緒にふるって練習する仲間や、難しい勉強の悪口とか、そういうのを言い合える人が欲しい。
 誰か、素の俺を受け入れて、笑ってほしいのだ。


「ニルは、なんであんなにかわいいんだ?」
「……で、殿下、今なんと」


 俺がこぼした言葉をばっちり聞かれていたらしく、バルドゥル卿はぎょっと目を向いて俺を見た。何だその顔は、と俺がいえば「何でもございませんよ」と手を後ろに隠した。


「ニルは、俺と同い年なんだろ」
「はい、誕生月は一緒ですね。数日違いでしたよ」
「それは知っている……だが、やはりやせすぎているというか。見ろ、あの頬っぺた。触ってみたくなるほどもちもちだろう」
「……はあ、私にはわかりませんが」
「バルドゥル卿には触らせないがな」
「殿下も触らせてもらえないでしょう?」


 バルドゥル卿がそういったので、俺はもう一度彼を睨みつけた。しかし、バルドゥル卿は今度はおかしそうにくすくすと笑っていた。


「何がおかしい」
「おかしくはありませんよ。ただ、殿下がそこまで誰かに執拗に構うのが珍しいと思いまして。ニル様が魅力的なのはわかりますよ。彼の母君は本当に美しい方なので」
「そうか……それは、一度挨拶に行くべきだな」


 俺は、庭園をふらふらと歩いているニルに視線を向けた。彼の周りには沢山の青い鳥が集まっており、その鳥と会話するように笑っていた。動物にも好かれるのか、と思っていれば、珍しい青い蝶が彼の周りをひらひらと飛んで舞う。それはまるで、ニルに求愛しているようだった。
 ニルは、それを見てまた嬉しそうに微笑んで、頬擦りする鳥の頭を優しくなでていた。
 もちもちとしてそうな白い肌に、大きな空色の瞳。黒髪はつややかで、その手も小さくて頼りない……だが、それが庇護欲にかられる。同い年とは思えないほど可憐で、まるで少女のような少年だ。
 それと、どこか危うさもある。


(雪解けを待ち焦がれている春……徒花…………春の儚さに魅せられた雪……)


 彼を表す言葉はいろいろ思いつく。とにかく、儚いというか、手を握っていないとどっかにいってしまいそうな危うさがある。
 病弱とか、貧弱とかそういうのではなく、彼自身が持つ根本的な魅力というか。言葉では言い表しづらいが、とにかく何とも言えない不思議な魅力に俺はくぎ付けになる。今までにこんなに美しい、愛らしい人に出会ったことがあっただろうか。
 尊大な父のような存在でも、最強の名を欲しいまでにしたニルの父親のような存在でもない。
 俺が初めて出会った、俺が初めて見つけた、そんな存在。閉じ込めてしまいたいほどに、愛おしさに胸が――


「……っ、バルドゥル卿はここにいろ」
「殿下、どうしたんです?」


 ニルのことを考えていると、日が暮れそうだ、と思い彼に目を移すと、また彼は俺が注意したというのに薔薇に手を伸ばしていた。俺は植木の陰から飛び出して、彼の手をひねり上げる。


「――だから、ダメだといってる」
「痛い、です。殿下」


 俺を見た。その瞳は俺を見たのに、なんだかちっともうれしくない。
 驚きはしたものの、ニルは嫌そうに、また怖いものでも見るような目を俺に向けてきた。だが、自分がどんな目をしているか気づいたのか、ふいっと顔をそらす。
 そういう態度は気に食わない。
 外から見る分には、雪のように淡く儚い存在だと思うのに、こうして触れるとしっかりと輪郭のあるただの人間に見えてしまうのが不思議だ。それでも、彼の手は小さくて、俺でも折ってしまいそうなほどやわに思える。


「何かい言わせるんだ」
「ごめんなさい…………」


 こんな会話がしたいわけじゃないのに、ニルは俺に謝る。ぺこぺこと。
 それがまた気に食わなくて、怒鳴りそうになったが、俺は抑えた。ニルと仲良くなるには、この方法じゃダメだと思うのだ。だが、どういえばいいか俺にはわからない。だって、注意以外にどう伝えればいいのだろうか。
 あまりにも、痛そうに顔を歪めたニルを見て、ようやく俺は彼の手を離す。すまないといえば、ニルのほうが申し訳なさそうに顔を歪める。
 ああ、これでもない。これじゃないんだ。


(俺が……もっと、素直になればいい?)


 バルドゥル卿がいいたかったのはそれじゃないかと思った。癪だ。自分で答えにたどり着きたかったのに。
 そう思いつつも、どうにかニルにこれまで何で注意していたか話すことにした。そうだ、俺に足りていなかったのは、その注意した理由だったのだ。


「なんで、そんなにめそめそする」
「めそめそ?」
「ああ! お前は、俺といてつまらなそうな顔をする。それに、何度言ってもトゲのある薔薇を触ろうとする。危ないだろ。けがしたらどうするつもりだ」
「ええと……」


 怪我をするかもしれないから、だから触るなと俺は言いたかった。
 腕をひねり上げる前にその言葉を言えていたなら、もっと彼の心を早く開けたのだろうか。
 わからない……これでも、伝わらないかもしれない。
 そう思って視線を下げようとしたとき、彼の顔が目に入った。それは、俺の意図が伝わったような、嬉しそうな表情で。

 これでいいのか?

 ニルの顔が、かわいい。かわいすぎて、胸が痛い、抑えられない。どうすればいいかわからなくなった。ニルの初めて見る顔に、俺は自分が抑えられなかった。あれほど、感情コントロールを身に着けたはずなのに、なのに、ニルが――


「い、痛い! 何すんの! ……あ」
「それでいい。お前は、それでいい」
「だから、わかんない。わかんないんですって、殿下」


 さらに彼の表情を引き出した気がした。何だか、駆け引きみたいだ、ゲームみたいだ。だが、そんなこと思っていると知られれば、また嫌われるかもしれない。というか、俺は今ニルに何をした?
 自分の手を見て、先ほどあった位置にないことに気づき、ニルを叩いたかもしれないことを知ってしまった。いや、これでは嫌われるだろう、と思ったが、引き出したニルの感情は今までで最高のものだった。
 しかし、またニルはいつもの様子に戻るので、俺は素でいろと『セシル』と呼べと彼に命令する。命令でもなければ、堅いニルは折れてくれないと思ったのだ。案の定、彼は折れてくれ、俺の名前を呼んでくれた。俺も、ニルをニルと呼ぶ。


「セシル」


 多くの人間に呼ばれ慣れた名前。
 それでも、殿下と呼ばれることのほうが多く、俺はいつしかセシルじゃなくなっていた気がした。皇太子であることが、俺であることと思うようにまでなっていた。
 それでも、彼が……ニルが名前を呼んでくれるだけで心が躍るのだから、仕方がない。
 知ってしまったのだ。


「……っ、ああ、そうだ。ニル。かっこいいだろう、俺の名前」
「うん。世界一、かっこいい。それと……ずっと言えなかったけど、その髪の毛の色も、夜をぎゅっと閉じ込めたような瞳も好き」


 続けざまに放った彼の言葉がさらに胸をきゅぅううんと締め付ける。先ほどまで喋らなかったくせに、おどおどしていたくせに何なんだ、その破壊力は。
 また俺は、ニルを叩いてしまい、怒られる。だが、本気で怒っているわけではなく「もうなんでよ」みたいな、可愛らしいもの。
 ああ、すべてがかわいい。かわいい、ニル。


(……温かいな、胸が。ニルが俺の名前を呼んで、話しかけてくれるだけで。俺はただのセシルでいられる)


 この関係を望んでいた。なんでもっと早くにこの関係を築けなかったのかと思うくらいに。
 それは、俺がへたくそだったからなんだろうが。
 そうして、俺たちは親友になる。親友だけじゃ足りない特別だと思っても、今は言葉が見つからなかった。俺の中の特別を、最上級をニルにあげた。ニルも、それを一応理解し受け取ってくれた。
 俺たちは親友となり、これまで以上に中を深めたわけだが。やはり、親友という言葉だけでは物足りなくて、しっくりこなくなった。
 俺が、この初めに抱いたニルへの思いは時間をかけて膨らんで、愛と呼べるものになるまで十八年もかかった。きっと、愛以上の感情もあるのだろうが、それはまだ見えてこない。
 ただ今は、ニルがかわいい。それが、俺が六歳のときに抱いた、ニルへの気持ちだった。


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