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過去編
あの頃の僕ら 7
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「――セシル!」
俺は、思わず前に出て彼を止めにかかった。
エキシビションマッチだって言っているのに、それを本当の決闘にする奴がどこにいるんだと。
俺には、「真剣になるな無駄だ」とか言っておいて、プチンときちゃっているのはセシルのほうじゃないか。入学したてで、それはまずいと思ったが、セシルが怒るのももっともだった。俺だって許されるのであれば、ぶん殴りたいが、それをしたら先輩と同じになってしまう。
セシルを止めつつ、俺は先ほどエキシビションマッチに参加した新入生の姿を見る。皆、ヘロヘロになっていたし、強くこつかれたのか起き上がれない生徒も何人かいた。痛そうに体を抑えている学生もいるし、明らかに痣になっている学生もいる。あの先輩が技術があるというのなら、傷めづけずとも彼らの手から剣を振り落とすことだってできただろう。それをせずに、痛みによって敗北を認めさせていた。それと、周りは気づいていないかもしれないが、見下すように試合中笑っていたのだ。
それを見てしまっては、俺もセシルも怒りを抱かずにはいられなかった。
「セシル、ステイ。抑えて……目立ちたくないんでしょ?」
「ああ。だが、さすがに頭に来た」
と、セシルは、なだめる俺を優しく振りほどいて一歩前に出る。
ああ、ここまで来たら止められないと、俺はあきらめて腕を下ろす。セシルは一度言ったら聞かない人間だから、煮るなり焼くなり好きにすればいいと思う。あっちも、セシルがいたのを知ってか知らずかやったのだから、その覚悟はあるだろう。騎士として、あるまじきことをしたのだから。
ここで身に着ける力も、騎士としての技術も弱者をいたぶるためのものではない。それをわかっていない人間が騎士を語るなどおこがましい。
「決闘って。殿下、今のは騎士科の伝統の催しですよ。毎年開催されてるんで今に始まったことじゃないですって。新入生が、四年生に勝てると思わないでしょ? 俺たちは、ここで四年間学んできたんですから。それを、入りたての一年坊に負けるなんて」
「それを指摘しているわけではない。やり方が気に食わないといっているのだ」
「ハンデはあげたでしょ。俺は一人、あいつらは複数人。数的不利ですよ、俺は」
と、先輩は肩をすくめる。そして、後ろを向いて同級生に問いかける。同級生と思しき男たちも、ニヤニヤと笑いながら「そうだ、そうだ」とヤジを飛ばす。
まったく品がなくて笑えない。
一応、伯爵子息なんだろう、と俺はため息が出そうになる。親元から、家から離れて気が大きくなっているのかもしれない。ここは、自由で気楽な場所だと、羽目を外しすぎているのかも。
セシルは、今にも切りかかりそうだったが、冷静さを取り戻し、笑えないな、と冷たく言い放った。
「貴様は、その四年間何を学んだんだ? 騎士科所属なのだろ? ならば、下級生に対する振る舞いというものがあるだろう。委縮させるだけが、上級生のやることか。笑えない……エキシビションマッチとはいえ、やりすぎだ。周りを見てみろ」
「戦って負けた。それだけじゃないですか。それとも、殿下は今のエキシビションマッチに何か不満があると?」
「だからそういっている」
「ハハハハハッ! 殿下は面白いことを言う。伝統だ、伝統。これは伝統。俺の言っていることを、殿下はなーんにも聞いてくれていないみたいですね」
そういって、先輩は大袈裟に笑って、周りからもくすくすといった笑い声が聞こえる。
セシルは皇太子として扱われるのが嫌いだが、こういうふうに扱われるのも望んでいないだろう。俺も、自然と剣に手がいって鞘から抜きそうになる。
先輩のいっていることは、一応道理にかなっている。だが、やりすぎという部分に対してはスルーしているのだ。
場の空気は最悪だった。セシルに向けられる目は嘲笑を含み、そして見下されているみたいだった。
しかし、そんなものに屈するセシルではない。
「そうか、俺が間違っているのか」
「そうですよ。殿下が。俺はなーんにも間違ってないので」
「……いいだろう。だが、決闘は取り消すつもりもないし、見逃すつもりもない。過度な暴力として、俺は貴様を許さない。貴様が、それほど四年生だから、上級生だからと傲慢たる態度をとるのなら、この決闘から逃げるわけないな? 強いと自負しているのなら、俺にも勝てるだろう」
フッと、セシルは口角を上げ、わざと相手を煽るように言う。
先輩の額に青筋がピキと立つ。だが、セシルが皇太子であるということが最後の理性の鎖になっているようでいきなり殴りかかってくることはなかった。先輩は、冷静を装うと必死に笑って「決闘、いいですよ。受けてやりますよ」と虚勢を張る。いや、本当に勝つつもりなのだろう。その目が、まだセシルの実力を疑っているから。
いつの間にか、周りにいた人たちはわっと外のほうに避けている。とばっちりを受けたくないのだろう。
「んで? 殿下は一人でいいんですか。俺は一応上級生ですし、ハンデを上げてもいいですよ。その後ろにいるヒョロッちいおつきの人も一緒でも」
と、今度は先輩は俺に突っかかってきた。
俺のことを何だと思っているのか、舐めるような目で見てくる。ひょろいのは自覚あるしいいのだが、おつきの人とは酷い。俺のことを使用人かなにかと思っているのだろうか。
「ニルのことをひどく言うのは許さないぞ、アインファッハ伯爵子息」
「ニルっていうんです? まあ、名前なんてどうでもいいですけど。それで、ネルだか、ヌルだかは、殿下の何だっていうんですか」
(ああ、もういちいち煽ってくるなあ……)
セシルが切れて止めれなくなったらどうしてくれるんだ、と俺は睨みつける。だが、それにもいちいち反応し、ハンッと鼻を鳴らす先輩。
名前を微妙に間違えてくるところも苛立った。だが、俺が出る幕もない。二人でこいつと戦ったら、先輩をリンチすることになりそうだから。骨も粉々だ。
「……はあ、言っておくが、アインファッハ伯爵子息。ニルは俺の護衛だ。それとニルは、帝国騎士団団長マグナ・エヴィヘット公爵の息子だぞ。貴様の父の上司に当たるだろう。あまり突っかからないほうがいい」
「なっ……こんなやつが」
「こんなやつって、酷いなあ……はあ。というか、セシル言わなくていいから」
ざわざわと会場にどよめきが起きる。そんなに、俺が帝国騎士団団長マグナ・エヴィヘット公爵の息子であることが驚きなのだろうか。まあ、似ていないし、体格だってこんなんだし。けど、この先輩よりは俺のほうが強い自信がある。
誰が親とか関係ない。
セシルも、そういうマウントをとるためにいったのではないだろう。あくまで牽制の意味で、またこの先輩が調子に乗らないように圧をかけただけだ。先輩の目がこちらへと向く。なぜか敵意のようなものを向けられ、俺は瞬きする。
「……はあ、俺が相手をしてもいいけど、どのみち結果は同じだと思うよ。主人の手を煩わせるのはあれだけど、俺よりも怒ってるみたいだから。殿下に勝った後だったら、俺が相手するよ。先輩」
「生意気な口を!」
「それで、どうする。アインファッハ伯爵子息。俺との決闘から逃げないよな?」
「ああ! 殿下とは言え、恨みっこなしですからね。俺に負けても、陛下に告げ口するなよ」
と、先輩はあらぶりながらそう言った。にじみ出る小物かんに、ため息しか出ない。俺は頭が痛くなりつつも、何気なく俺を守るようにして前に立ったセシルの背中を見る。すると、彼が振り返ってその夜色の瞳と目があった。
「すまなかったな、ニル」
「ううん、大丈夫だよ。それに、さっき言ったことも気にしてない。まーセシルが考えもなしに突っ込んだなあと思ったけど、スッキリしたし。頼むよ、俺のご主人様。ぼっこぼこにしちゃって」
「ニルも、かなり物騒なことを言うな。だが、ああ……ニルの分まで戦ってくる」
セシルは、俺の肩を叩き、会場の中心へと歩いていく。
セシルが負ける未来なんて想像つかない。セシルの強さは俺が知っている。周りの人は、セシルが勝つのか先輩が勝つのかわからないという顔をしているけど、結果なんて目に見えているだろう。それに、こんな野郎に負けたなんて国民に知られれば、セシルの評判も皇族の威厳もがくりと下がるだろう。セシルはそれを絶対に許さない。
会場の中心には、剣を抜いたセシルと先輩が向き合っている。先輩はコキコキと、首を鳴らしながら体を伸ばしている。セシルは、精神統一のため深呼吸を繰り返していたが、周りから見たらただつったっているようにしかみえないだろう。その顔も、初見じゃ何を考えているかわからない。
それから、剣を構え両者にらみ合う。そして、この決闘を取り仕切きる上級生の「はじめ」の合図で、先輩がいきなり飛び出した。
「先手必勝ッ! 恨むなよ、皇太子殿下!」
「……考えなしに突っ込むのは感心しない。その突進力は認めるが、筋が甘い」
先輩は叫びながら剣を振り下ろす。しかし、セシルは余裕の表情でそれを受け止める。確かにセシルのいった通り、開始の合図とともに走り出したにしてはその加速はずば抜けている。まるで、イノシシが突進するように、一気に間合いを詰めたが、それだけではセシルを倒せない。
セシルは、軽やかに受け流し剣を振るう。キンッと剣と剣がぶつかり合う音が響く。そして、そのまま一合二合と打ち合いが始まる。先輩の方が手数を打っているが、セシルは涼しい顔でそれを受けている。
先輩もかなりいい線はいっているが、如何せん力任せすぎる。相手をねじ伏せることしか頭にない攻撃は、相手に読まれて交わされるがオチだ。セシルも、パワータイプの剣士ではあるが、こちらは頭を使っている。そして、最小限の動きで、体力を温存し、ここぞというときで攻めるような戦い方を得意としている。初見で、セシルのすべての動きを読むなんて不可能だろ。
決して手を抜いているわけではないのだが、先輩が両手で剣を握っているのに対し、セシルは片手で握っている。重量のある先輩の攻撃を、片手でいともたやすく振り払って、軽くステップを踏む。そこでも、技術の差は歴然と現れる。
「攻めてこないのか、腰抜けだな。皇太子!」
「はあ……攻めないのではない、攻めさせてやっているんだ」
「んなっ!?」
そして、セシルが先輩の隙をついて軽く剣を薙ぐと、先輩は「くそっ」と剣で受け止める。しかし、その衝撃は大きかったようで、先輩の手から剣は弾かれてしまった。クルクルと弧を描いて剣が宙を舞う。皆がそれを目で追っていたが、俺はセシルの無駄のない洗礼された動きに魅せられていた。言葉通り、セシルは守ってばかりではなくて、わざと攻めさせていたのだ。しかも、かなり隙を見せて。
サクッと地面に刺さり、静まり返っていた会場にどよめきが起こった。あっ、と先輩は手から抜けた剣に視線を向ける。その隙に間合いを詰めたセシルが、先輩の喉元に剣を突きつける。
「勝負ありだな。アインファッハ伯爵子息」
静寂のあと、オオオオオオッと、会場は歓喜の声に包まれる。上級生よりも、新入生のほうが声が大きく、セシルの勝利を祝福しているように感じた。
やはり、上級生にびくびくしていたのだと、それだけでわかり、俺もほっとする。ヒュンと剣を振って、鞘に戻したセシルは、先輩に握手を求めたが、先輩は悪態をついてその手を取らなかった。払いのけるのは無礼だと思ったのか、そこはしっかりしているなと思いながらも、怒りに震えた目でセシルを見ている。
だが、セシルは素知らぬふり……いや、完全に気付いていないようで俺のほうに戻ってきた。
「早かったね。何回隙を与えたの? 四回?」
「いや、五回だ。まだまだだな、ニル」
「あっそう? まあ、よかったんじゃない。これで、新入生の株も戻るっていうか」
「株を上げるためじゃない。ただ気に食わなかっただけだ。だが、牽制にはなるだろうな。この伝統も、もっと形を変えて、楽しいものになればいい。それか、正々堂々と戦うものになれば」
セシルらしい、と俺は彼の肩をポンと叩く。
セシルは先ほどの試合で、わざと先輩に隙を与えた。攻めさせる隙。それに気づくことができれば、少しはセシルを押せたのかもしれないが、その隙さえ気づくことができなかったのだから勝算は初めからなかった。セシルも隙を何度か与えて、試していたが、全く気付く様子もなかったので、足早に終わらせようとしたのだろう。
それにしてもきれいに弧を描いて飛んでいったものだと、感心する。
俺たちのせいで、パーティーはかなりめちゃくちゃになってしまったので、俺らが出ていくことで仕切り直してもらおうかと俺たちは会場の外へ出ようとする。だが、誰かが危ないと叫んだ気がした。
「……んなっ、何故」
「――はあ、魔法か。魔力の痕跡をたどりやすくて、すぐに気づいちゃった。無詠唱魔法でもなかったし」
「クソッ」
剣を抜いて、セシルに向かって放たれた魔法を俺は剣で切り裂いた。また、どよめく会場。
それは、皇太子であるセシルを狙ったから、ではなくて剣で魔法を斬ったからだろう。そんな芸当できる人間はそう多くない。もしかしたら、今の代にはいないのかもしれない。
もちろん、セシルに魔法を撃ったのはあの先輩だった。懲りずに、しかも復讐でもしようという算段だったか。だが、それも俺が全部叩き潰す。
先輩はもう一度詠唱を唱え、セシルの頭上に魔法陣が現れるが、俺はそれを無視し、先輩へ詰め寄った。それに驚いたのか、先輩は途中で詠唱をやめる。その隙は大きい。
驚いている先輩とは、数十メートルほど距離があったが、俺は一瞬にして間合いを詰め、彼の喉元に剣先を向ける。下から突きあげるように、このままクソみたいな口を串刺しにしてもいいと思ってしまったほど、俺は怒っていた。
剣で負け、そして不意打ちの魔法……騎士の風上にも置けない。
しかも、セシルの頭上に魔法なんて。俺が許すはずがないだろう。
「お前、今何をしようとした」
「……魔力が、身体にたまってたんだよ。ほら、発散しないと、身体に毒だろう。ハハッ、その先に殿下がいたってだけで」
ははは、と笑ってごまかそうとするところがさらに俺を苛立たせた。
気づいたからよかったものの、もし当たっていたら? セシルが怪我をしたら?
頭に上った血は、簡単には冷めてくれなかった。
顎すれすれのところまで剣を突き上げ、俺は自分でも驚くほど冷たく、彼を見上げていた。先輩の喉仏がごくりと上下する。頬を伝って、汗が落ちる。俺が殺さないとでも思っているのか、顔は引きつらせつつも、どこか目が笑っていた。
俺は、さらに殺気を放ち、周囲を凍らせる。パキパキと、俺の立っている地面にうっすらと氷の膜が張る。吐く息も白く、さすがの先輩もヤバいと思ったのか動こうとした。だが、俺はそれを許さず、目で射抜く。
「死にたいのか? 俺の主人を殺そうとしたお前を、今ここで俺が串刺しにしても許されると思うけど、どう? そのクソ不躾な口を引き裂いてやっても構わないけど? 俺の主人を……皇太子暗殺未遂で――」
「ニル、やめろ」
透き通った声。耳に雑音も何もなく、スッとただその声だけが通って、閉じていた瞳孔がゆっくりと開かれる。手にこもっていた力も抜け、俺は視線だけを後ろに向ける。すると、優しく俺の肩を叩き、セシルが首を横に振っているのが見えた。
「下ろせ。俺は気にしていない」
「セシル、でも……」
「命令だ。おろせ、ニル」
「……」
優しく諭すように言われてしまえば、おろさないわけにはいかなかった。それに、主君の命令だ。逆らうわけにはいかない。
俺はスッと剣を下ろし、鞘にしまった。
セシルは先輩に対し、一瞥し「世話になったな。パーティーの続きを楽しんでくれ」と、言って俺の背中に手を回し、いくぞと歩き始める。俺は押されるようにその場を後にする。
最後、振り返り見た先輩の顔は絶望に染まり青くなっていた。ざまあみろ、と思うと同時に殺してもよかっただろうと思ってしまったのは絶対に口にしない。
俺は、思わず前に出て彼を止めにかかった。
エキシビションマッチだって言っているのに、それを本当の決闘にする奴がどこにいるんだと。
俺には、「真剣になるな無駄だ」とか言っておいて、プチンときちゃっているのはセシルのほうじゃないか。入学したてで、それはまずいと思ったが、セシルが怒るのももっともだった。俺だって許されるのであれば、ぶん殴りたいが、それをしたら先輩と同じになってしまう。
セシルを止めつつ、俺は先ほどエキシビションマッチに参加した新入生の姿を見る。皆、ヘロヘロになっていたし、強くこつかれたのか起き上がれない生徒も何人かいた。痛そうに体を抑えている学生もいるし、明らかに痣になっている学生もいる。あの先輩が技術があるというのなら、傷めづけずとも彼らの手から剣を振り落とすことだってできただろう。それをせずに、痛みによって敗北を認めさせていた。それと、周りは気づいていないかもしれないが、見下すように試合中笑っていたのだ。
それを見てしまっては、俺もセシルも怒りを抱かずにはいられなかった。
「セシル、ステイ。抑えて……目立ちたくないんでしょ?」
「ああ。だが、さすがに頭に来た」
と、セシルは、なだめる俺を優しく振りほどいて一歩前に出る。
ああ、ここまで来たら止められないと、俺はあきらめて腕を下ろす。セシルは一度言ったら聞かない人間だから、煮るなり焼くなり好きにすればいいと思う。あっちも、セシルがいたのを知ってか知らずかやったのだから、その覚悟はあるだろう。騎士として、あるまじきことをしたのだから。
ここで身に着ける力も、騎士としての技術も弱者をいたぶるためのものではない。それをわかっていない人間が騎士を語るなどおこがましい。
「決闘って。殿下、今のは騎士科の伝統の催しですよ。毎年開催されてるんで今に始まったことじゃないですって。新入生が、四年生に勝てると思わないでしょ? 俺たちは、ここで四年間学んできたんですから。それを、入りたての一年坊に負けるなんて」
「それを指摘しているわけではない。やり方が気に食わないといっているのだ」
「ハンデはあげたでしょ。俺は一人、あいつらは複数人。数的不利ですよ、俺は」
と、先輩は肩をすくめる。そして、後ろを向いて同級生に問いかける。同級生と思しき男たちも、ニヤニヤと笑いながら「そうだ、そうだ」とヤジを飛ばす。
まったく品がなくて笑えない。
一応、伯爵子息なんだろう、と俺はため息が出そうになる。親元から、家から離れて気が大きくなっているのかもしれない。ここは、自由で気楽な場所だと、羽目を外しすぎているのかも。
セシルは、今にも切りかかりそうだったが、冷静さを取り戻し、笑えないな、と冷たく言い放った。
「貴様は、その四年間何を学んだんだ? 騎士科所属なのだろ? ならば、下級生に対する振る舞いというものがあるだろう。委縮させるだけが、上級生のやることか。笑えない……エキシビションマッチとはいえ、やりすぎだ。周りを見てみろ」
「戦って負けた。それだけじゃないですか。それとも、殿下は今のエキシビションマッチに何か不満があると?」
「だからそういっている」
「ハハハハハッ! 殿下は面白いことを言う。伝統だ、伝統。これは伝統。俺の言っていることを、殿下はなーんにも聞いてくれていないみたいですね」
そういって、先輩は大袈裟に笑って、周りからもくすくすといった笑い声が聞こえる。
セシルは皇太子として扱われるのが嫌いだが、こういうふうに扱われるのも望んでいないだろう。俺も、自然と剣に手がいって鞘から抜きそうになる。
先輩のいっていることは、一応道理にかなっている。だが、やりすぎという部分に対してはスルーしているのだ。
場の空気は最悪だった。セシルに向けられる目は嘲笑を含み、そして見下されているみたいだった。
しかし、そんなものに屈するセシルではない。
「そうか、俺が間違っているのか」
「そうですよ。殿下が。俺はなーんにも間違ってないので」
「……いいだろう。だが、決闘は取り消すつもりもないし、見逃すつもりもない。過度な暴力として、俺は貴様を許さない。貴様が、それほど四年生だから、上級生だからと傲慢たる態度をとるのなら、この決闘から逃げるわけないな? 強いと自負しているのなら、俺にも勝てるだろう」
フッと、セシルは口角を上げ、わざと相手を煽るように言う。
先輩の額に青筋がピキと立つ。だが、セシルが皇太子であるということが最後の理性の鎖になっているようでいきなり殴りかかってくることはなかった。先輩は、冷静を装うと必死に笑って「決闘、いいですよ。受けてやりますよ」と虚勢を張る。いや、本当に勝つつもりなのだろう。その目が、まだセシルの実力を疑っているから。
いつの間にか、周りにいた人たちはわっと外のほうに避けている。とばっちりを受けたくないのだろう。
「んで? 殿下は一人でいいんですか。俺は一応上級生ですし、ハンデを上げてもいいですよ。その後ろにいるヒョロッちいおつきの人も一緒でも」
と、今度は先輩は俺に突っかかってきた。
俺のことを何だと思っているのか、舐めるような目で見てくる。ひょろいのは自覚あるしいいのだが、おつきの人とは酷い。俺のことを使用人かなにかと思っているのだろうか。
「ニルのことをひどく言うのは許さないぞ、アインファッハ伯爵子息」
「ニルっていうんです? まあ、名前なんてどうでもいいですけど。それで、ネルだか、ヌルだかは、殿下の何だっていうんですか」
(ああ、もういちいち煽ってくるなあ……)
セシルが切れて止めれなくなったらどうしてくれるんだ、と俺は睨みつける。だが、それにもいちいち反応し、ハンッと鼻を鳴らす先輩。
名前を微妙に間違えてくるところも苛立った。だが、俺が出る幕もない。二人でこいつと戦ったら、先輩をリンチすることになりそうだから。骨も粉々だ。
「……はあ、言っておくが、アインファッハ伯爵子息。ニルは俺の護衛だ。それとニルは、帝国騎士団団長マグナ・エヴィヘット公爵の息子だぞ。貴様の父の上司に当たるだろう。あまり突っかからないほうがいい」
「なっ……こんなやつが」
「こんなやつって、酷いなあ……はあ。というか、セシル言わなくていいから」
ざわざわと会場にどよめきが起きる。そんなに、俺が帝国騎士団団長マグナ・エヴィヘット公爵の息子であることが驚きなのだろうか。まあ、似ていないし、体格だってこんなんだし。けど、この先輩よりは俺のほうが強い自信がある。
誰が親とか関係ない。
セシルも、そういうマウントをとるためにいったのではないだろう。あくまで牽制の意味で、またこの先輩が調子に乗らないように圧をかけただけだ。先輩の目がこちらへと向く。なぜか敵意のようなものを向けられ、俺は瞬きする。
「……はあ、俺が相手をしてもいいけど、どのみち結果は同じだと思うよ。主人の手を煩わせるのはあれだけど、俺よりも怒ってるみたいだから。殿下に勝った後だったら、俺が相手するよ。先輩」
「生意気な口を!」
「それで、どうする。アインファッハ伯爵子息。俺との決闘から逃げないよな?」
「ああ! 殿下とは言え、恨みっこなしですからね。俺に負けても、陛下に告げ口するなよ」
と、先輩はあらぶりながらそう言った。にじみ出る小物かんに、ため息しか出ない。俺は頭が痛くなりつつも、何気なく俺を守るようにして前に立ったセシルの背中を見る。すると、彼が振り返ってその夜色の瞳と目があった。
「すまなかったな、ニル」
「ううん、大丈夫だよ。それに、さっき言ったことも気にしてない。まーセシルが考えもなしに突っ込んだなあと思ったけど、スッキリしたし。頼むよ、俺のご主人様。ぼっこぼこにしちゃって」
「ニルも、かなり物騒なことを言うな。だが、ああ……ニルの分まで戦ってくる」
セシルは、俺の肩を叩き、会場の中心へと歩いていく。
セシルが負ける未来なんて想像つかない。セシルの強さは俺が知っている。周りの人は、セシルが勝つのか先輩が勝つのかわからないという顔をしているけど、結果なんて目に見えているだろう。それに、こんな野郎に負けたなんて国民に知られれば、セシルの評判も皇族の威厳もがくりと下がるだろう。セシルはそれを絶対に許さない。
会場の中心には、剣を抜いたセシルと先輩が向き合っている。先輩はコキコキと、首を鳴らしながら体を伸ばしている。セシルは、精神統一のため深呼吸を繰り返していたが、周りから見たらただつったっているようにしかみえないだろう。その顔も、初見じゃ何を考えているかわからない。
それから、剣を構え両者にらみ合う。そして、この決闘を取り仕切きる上級生の「はじめ」の合図で、先輩がいきなり飛び出した。
「先手必勝ッ! 恨むなよ、皇太子殿下!」
「……考えなしに突っ込むのは感心しない。その突進力は認めるが、筋が甘い」
先輩は叫びながら剣を振り下ろす。しかし、セシルは余裕の表情でそれを受け止める。確かにセシルのいった通り、開始の合図とともに走り出したにしてはその加速はずば抜けている。まるで、イノシシが突進するように、一気に間合いを詰めたが、それだけではセシルを倒せない。
セシルは、軽やかに受け流し剣を振るう。キンッと剣と剣がぶつかり合う音が響く。そして、そのまま一合二合と打ち合いが始まる。先輩の方が手数を打っているが、セシルは涼しい顔でそれを受けている。
先輩もかなりいい線はいっているが、如何せん力任せすぎる。相手をねじ伏せることしか頭にない攻撃は、相手に読まれて交わされるがオチだ。セシルも、パワータイプの剣士ではあるが、こちらは頭を使っている。そして、最小限の動きで、体力を温存し、ここぞというときで攻めるような戦い方を得意としている。初見で、セシルのすべての動きを読むなんて不可能だろ。
決して手を抜いているわけではないのだが、先輩が両手で剣を握っているのに対し、セシルは片手で握っている。重量のある先輩の攻撃を、片手でいともたやすく振り払って、軽くステップを踏む。そこでも、技術の差は歴然と現れる。
「攻めてこないのか、腰抜けだな。皇太子!」
「はあ……攻めないのではない、攻めさせてやっているんだ」
「んなっ!?」
そして、セシルが先輩の隙をついて軽く剣を薙ぐと、先輩は「くそっ」と剣で受け止める。しかし、その衝撃は大きかったようで、先輩の手から剣は弾かれてしまった。クルクルと弧を描いて剣が宙を舞う。皆がそれを目で追っていたが、俺はセシルの無駄のない洗礼された動きに魅せられていた。言葉通り、セシルは守ってばかりではなくて、わざと攻めさせていたのだ。しかも、かなり隙を見せて。
サクッと地面に刺さり、静まり返っていた会場にどよめきが起こった。あっ、と先輩は手から抜けた剣に視線を向ける。その隙に間合いを詰めたセシルが、先輩の喉元に剣を突きつける。
「勝負ありだな。アインファッハ伯爵子息」
静寂のあと、オオオオオオッと、会場は歓喜の声に包まれる。上級生よりも、新入生のほうが声が大きく、セシルの勝利を祝福しているように感じた。
やはり、上級生にびくびくしていたのだと、それだけでわかり、俺もほっとする。ヒュンと剣を振って、鞘に戻したセシルは、先輩に握手を求めたが、先輩は悪態をついてその手を取らなかった。払いのけるのは無礼だと思ったのか、そこはしっかりしているなと思いながらも、怒りに震えた目でセシルを見ている。
だが、セシルは素知らぬふり……いや、完全に気付いていないようで俺のほうに戻ってきた。
「早かったね。何回隙を与えたの? 四回?」
「いや、五回だ。まだまだだな、ニル」
「あっそう? まあ、よかったんじゃない。これで、新入生の株も戻るっていうか」
「株を上げるためじゃない。ただ気に食わなかっただけだ。だが、牽制にはなるだろうな。この伝統も、もっと形を変えて、楽しいものになればいい。それか、正々堂々と戦うものになれば」
セシルらしい、と俺は彼の肩をポンと叩く。
セシルは先ほどの試合で、わざと先輩に隙を与えた。攻めさせる隙。それに気づくことができれば、少しはセシルを押せたのかもしれないが、その隙さえ気づくことができなかったのだから勝算は初めからなかった。セシルも隙を何度か与えて、試していたが、全く気付く様子もなかったので、足早に終わらせようとしたのだろう。
それにしてもきれいに弧を描いて飛んでいったものだと、感心する。
俺たちのせいで、パーティーはかなりめちゃくちゃになってしまったので、俺らが出ていくことで仕切り直してもらおうかと俺たちは会場の外へ出ようとする。だが、誰かが危ないと叫んだ気がした。
「……んなっ、何故」
「――はあ、魔法か。魔力の痕跡をたどりやすくて、すぐに気づいちゃった。無詠唱魔法でもなかったし」
「クソッ」
剣を抜いて、セシルに向かって放たれた魔法を俺は剣で切り裂いた。また、どよめく会場。
それは、皇太子であるセシルを狙ったから、ではなくて剣で魔法を斬ったからだろう。そんな芸当できる人間はそう多くない。もしかしたら、今の代にはいないのかもしれない。
もちろん、セシルに魔法を撃ったのはあの先輩だった。懲りずに、しかも復讐でもしようという算段だったか。だが、それも俺が全部叩き潰す。
先輩はもう一度詠唱を唱え、セシルの頭上に魔法陣が現れるが、俺はそれを無視し、先輩へ詰め寄った。それに驚いたのか、先輩は途中で詠唱をやめる。その隙は大きい。
驚いている先輩とは、数十メートルほど距離があったが、俺は一瞬にして間合いを詰め、彼の喉元に剣先を向ける。下から突きあげるように、このままクソみたいな口を串刺しにしてもいいと思ってしまったほど、俺は怒っていた。
剣で負け、そして不意打ちの魔法……騎士の風上にも置けない。
しかも、セシルの頭上に魔法なんて。俺が許すはずがないだろう。
「お前、今何をしようとした」
「……魔力が、身体にたまってたんだよ。ほら、発散しないと、身体に毒だろう。ハハッ、その先に殿下がいたってだけで」
ははは、と笑ってごまかそうとするところがさらに俺を苛立たせた。
気づいたからよかったものの、もし当たっていたら? セシルが怪我をしたら?
頭に上った血は、簡単には冷めてくれなかった。
顎すれすれのところまで剣を突き上げ、俺は自分でも驚くほど冷たく、彼を見上げていた。先輩の喉仏がごくりと上下する。頬を伝って、汗が落ちる。俺が殺さないとでも思っているのか、顔は引きつらせつつも、どこか目が笑っていた。
俺は、さらに殺気を放ち、周囲を凍らせる。パキパキと、俺の立っている地面にうっすらと氷の膜が張る。吐く息も白く、さすがの先輩もヤバいと思ったのか動こうとした。だが、俺はそれを許さず、目で射抜く。
「死にたいのか? 俺の主人を殺そうとしたお前を、今ここで俺が串刺しにしても許されると思うけど、どう? そのクソ不躾な口を引き裂いてやっても構わないけど? 俺の主人を……皇太子暗殺未遂で――」
「ニル、やめろ」
透き通った声。耳に雑音も何もなく、スッとただその声だけが通って、閉じていた瞳孔がゆっくりと開かれる。手にこもっていた力も抜け、俺は視線だけを後ろに向ける。すると、優しく俺の肩を叩き、セシルが首を横に振っているのが見えた。
「下ろせ。俺は気にしていない」
「セシル、でも……」
「命令だ。おろせ、ニル」
「……」
優しく諭すように言われてしまえば、おろさないわけにはいかなかった。それに、主君の命令だ。逆らうわけにはいかない。
俺はスッと剣を下ろし、鞘にしまった。
セシルは先輩に対し、一瞥し「世話になったな。パーティーの続きを楽しんでくれ」と、言って俺の背中に手を回し、いくぞと歩き始める。俺は押されるようにその場を後にする。
最後、振り返り見た先輩の顔は絶望に染まり青くなっていた。ざまあみろ、と思うと同時に殺してもよかっただろうと思ってしまったのは絶対に口にしない。
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