未来世界で恋と仕事と冒険を

藍条森也

文字の大きさ
上 下
7 / 7
第二話 鷹子の庭園

守るのはおれだ!

しおりを挟む
 その日、鷹子ようこがダイダと共に探索者協会の会合から帰ってくると、家の前に道場の門下生のひとりがまっていた。その門下生は鷹子ようこの姿を認めると、転がるようにして駆けてきた。
 「大変です、師範代! 揚子虎よしこがいなくなりました!」
 「なんですって⁉」
 「どうやら、修行のつもりで森に出て行ってしまったらしくて。いま、道場のもの全員で探しに行っていますが……」
 「……あのバカ! なんてことを。あたしもすぐに行くわ。あいつの行きそうな場所ならあたしが一番、心当たりがあるから。ダイダ。あんたは念のために警護騎士団に連絡しておいて」
 「了解しました、マスター」
 鷹子ようこは一目散に駆けだした。
 揚子虎よしこの行きそうな所ならたしかに心当たりがある。以前、何度かふたりで行ったことのある森のなかの小さな池だ。
 そこは、この辺りでは数少ない水場であり、野性動物たちの貴重な水場となっている。それだけに、多くの動物たちが立ちより、その動物たちを目当てに肉食獣も多く集まる。そして、当然、そのなかには、バイオハックによって生み出された常軌を逸した怪物も……。
 その分、武術の実戦経験を積むにはもってこいの場所なのだが、
 ――子どもがひとりで行っていい場所じゃないでしょうが!
 なんで、そんな無茶をするのか。
 鷹子ようこは腹が立って仕方がない。
 その怒りを力にかえて森のなかを突っ走り、目的の池に駆けつける。すると、たしかに揚子虎よしこはそこにいた。ただし――。
 その目の前には巨大なクマ。
 ――ヤクトベアー⁉ よりによって、なんてやつが……!
 鷹子ようこは走りながら舌打ちした。
 ヤクトベアー。
 それは、バイオハッキングによって作られたクマ型合成生物のなかでも最も強く、最も危険とされる種族。あの火炎熊ですら、一撃で打ち倒すという。その分厚い毛皮と強靱な筋肉に覆われた肉体は頑健そのもので、狩猟用のライフルでさえ一発や二発、当てたぐらいでは倒せない。
 ――ヤクトベアーに会ったら一撃で仕留めろ。その自信がないなら、ケツを巻くって逃げろ。
 探索者の間でそう言われる魔獣である。
 揚子虎よしこは、そんな怪物を前にしても怯んではいなかった。いや、怖いことはこわいにちがいない。内心ではガタガタと震え、泣いて、逃げ帰りたいのにちがいない。
 しかし、その恐怖を表に出してはいなかった。まっすぐに巨大熊を見据え、鬼式の構えをとっている。鬼式の使い手として、この怪物と戦う気なのだ。
 ――たとえ、虚勢だとしても……。
 鷹子ようこは駆けつけながら思った。
 ――そこまで意地を通せるのは立派なものだわ。
 そう思い、揚子虎よしこを見直す気になった鷹子ようこだった。
 ――でも、そもそも、ひとりでこんなところに来るんじゃないわよ、子どものくせに!
 そう怒ることも忘れなかったけれど。
 揚子虎よしこはたしかに素質はある。しかし、まだまだ磨きたりない。その上、攻撃ばかりを重視して、守りはつたない。ヤクトベアーの一撃を受けることができるとは思えない。その前足の一振りで殺されてしまうだろう。
 ――お願い、間にあって!
 鷹子ようこは心のなかに叫び、心臓も破裂せよとばかりに全速力で走りよる。
 ヤクトベアーが動いた。三〇〇キロを超える巨体が、軽量級のボクサーの素早さで動いた。その素早い動きから、ヘビー級の世界チャンピオンでもとうてい打つことの出来ない威力の一撃が繰り出される。
 想像をはるかに超えるはやさに、揚子虎よしこは反応できなかった。棒立ちのまま、ヤクトベアーの一撃を食らおうとしていた。間一髪――。
 鷹子ようこがタックルで揚子虎よしこの体を吹き飛ばした。
 「このバカ……!」
 「鷹子ようこ……!」
 目の前で獲物をさらわれたヤクトベアーが怒りの咆哮をあげた。突進した。さしもの鷹子ようこ揚子虎よしこを抱きかかえた状態ではまともに反応できない。そして、ヤクトベアーの動きは鷹子ようこの想像すらも超えていた。
 ――こいつ……カタログテータ以上の強個体!
 稀にいるのだ。
 公開されている合成遺伝子からは考えられない運動能力をもった突然変異の魔獣が。このヤクトベアーこそはまぎれもなく、その魔獣だった。
 ――られる!
 さしもの鷹子ようこがその恐怖に襲われた。揚子虎よしこを抱きしめ、目を閉ざした。そして――。
 ヤクトベアーの牙が首筋に突き立てられた。高い音がして、生首が吹き飛んだ。
 ダイダの生首が。
 警護騎士団への連絡を終えて後を追ってきたサポートロボットが、ヤクトベアーと主人の間に割って入り、その攻撃をかわりに受けたのだ。
 鷹子ようこは忠実なサポートロボットが作ってくれた隙を見逃すような真似はしなかった。立ちあがった。叫んだ。
 「揚子虎よしこ!」
 「ああっ!」
 揚子虎よしこも叫んだ。
 揚子虎よしこもまた鬼式の使い手。鷹子ようこの言いたいことはわかっていた。
 ふたりは同時に足を踏み出し、渾身の突きをヤクトベアーの頭に叩き込んだ。
 右足で踏み込むと同時に右拳を突き出し、左腕を逆方向に振るって勢いをつける。爪先を軸に足を回転させ、かかとで地面を叩いて反動を得る。
 回転運動によるエネルギーとかかとで地面を叩いた反動。そのふたつの力が足を登り、腰に伝わり、背中を通って腕に至り、右拳に集約される。さらに、インパクトの瞬間、右拳を下に降ろす。それによって、突きに最後の加速を加える。
 ――鬼式拳技・しのや。
 その名で呼ばれる技である。
 さしもの魔獣も戦国時代からの伝統を受け継ぐ突きを二発、まともに食らい、痛手を受けた。痛む頭を振りまわし、咆哮をあげた。
 「シャアアアッ!」
 鷹子ようこ揚子虎よしこ裂帛れっぱくの気合いが完璧に共鳴する。
 右足を引き、左足を踏みだし、体勢を入れ替える。その勢いで左拳を突き出す。
 爪先が回転し、かかとが地面を打ち、突き出された拳が振りおろされる。
 ふたつの拳は狙いを誤ることなく、ヤクトベアーの心臓の位置に叩き込まれた。二重の衝撃波が毛皮を貫き、筋肉を越え、心臓を直撃する。その威力に――。
 さしもの魔獣の心臓も耐えられずに、破裂する。
 ――鬼式拳技・しのや二重ふたえき。
 ヤクトベアーは口から大量の血を噴きだし、その場に倒れ伏した。
 鷹子ようこは地に転がったダイダの頭に駆けよった。
 「だいじょうぶ、ダイダ⁉」
 「問題ありません。重要なパーツに損傷はありません。すぐに修理できます」
 ダイダはいかにもロボットらしい、感情を感じさせない冷静な声でそう答えた。その素っ気なさがこのときばかりはありがたかった。
 ふう、と、鷹子ようこは息をついた。額の汗をぬぐい、胸をなでおろした。
 「よかった。ありがとう、ダイダ。でも、なんで、あんな無茶をしたの?」
 「これはおかしなことをおっしゃる。自分のかわりに痛手を受けるのが私の役目。マスターが日頃からそうおっしゃっていたではありませんか」
 「あ、あれは……」
 はああ、と、鷹子ようこは溜め息をついた。
 「……それを本気にするあたり、やっぱり、あんたってロボットなのね」
 「理解不能。論理的な説明を求めます」
 「あんたは良い相棒だってことよ。とにかく、帰りましょう。このまま、ここにいたらまたどんな相手に襲われるかわからないし……」
 そう言ってから鷹子ようこ揚子虎よしこを睨みつけた。
 容赦のない、本物の怒りがこもった視線だった。
 「……早く帰って、お説教してやらなきゃならないやつがいるしね」
 そう言われた、揚子虎よしこの額に一筋の汗が流れた。

 そして――。
 庭園に帰った揚子虎よしこをまっていたのは、道場主である祖母からのすさまじい雷だった。その搾られ方たるや、叱る気満々だった鷹子ようこでさえ震えあがり、その気をなくしてしまうほどのものだった。
 ――おとなになってから搾られることもなくなってたから忘れてたけど……本気で怒ったおばあちゃんって、どんな合成生物よりも怖かったのよね。
 子どもの頃、ヤンチャをしては祖母に怒られたことを思い出し、思わず揚子虎よしこに同情してしまう鷹子ようこだった。
 ――やっぱり、あたしたち、いとこ同士なのね。
 と、妙なところで納得もしたけれど。
 それでも、とにかく、ようやく、なんとかかんとか解放されて、揚子虎よしこ鷹子ようこの前にやって来た。さすがにうなだれた様子である。鷹子ようこの前ではメンテナンスマシーンにかけられたダイダが修理を受けている最中だった。
 「……怒らないのか?」
 揚子虎よしこが言った。
 鷹子ようこは肩をすくめた。
 「もういいわ。あたしの言いたかったことはおばあちゃんが全部、言ってくれたしね」
 ――さすがに、あの雷を見たあとではなにも言えない。
 そう思う鷹子ようこだった。だが――。
 「ごめんなさい!」
 揚子虎よしこがいきなり、叫んだ。体ごと頭をさげた。
 その勢いに、鷹子ようこの方が驚いた。
 「な、なに、いきなり……」
 「おれのせいで危険な目に遭わせて。ダイダまでこんな目に……」
 「気になさる必要はありません。マスターをお守りするのはサポートロボットとして当然の務めです」
 ダイダのその言葉に――。
 揚子虎よしこはうつむき、唇を噛みしめた。両拳はギュッと握りしめられている。
 「ど、どうしたの、いったい? ずいぶんと素直じゃない。あんたらしくもない」と、鷹子ようこ
 「お、おれだって謝ることぐらいはある……」
 揚子虎よしこはそっぽを向いて怒ったように言った。その頬が真っ赤になっている。
 「でも! 忘れるなよ。おれだっていつまでも子どもじゃない。すぐに大きくなるし、強くなる。絶対、ぜったい、お前より大きくなって、お前より強くなる!」
 お前を守るのは、このおれなんだからな!
 その一言を叫びだして、揚子虎よしこは身をひるがえした。
 「いいな、忘れるなよ! お前みたいなゴリラ女、嫁にするのはおれしかいないんだからなっ!」
 そう叫んで――。
 揚子虎よしこは顔を真っ赤にしたまま駆けていった。
 あとには残された鷹子ようこは――。
 ポカンとした表情でその後ろ姿を見送っていた。
 「嫁にするって……なに、あれ?」
 「あれは『プロポース』という行為です、マスター」
 「い、いや、それはわかってるんだけどね……」
 「では、なにをいぶかしんでいるのです?」
 クスッ、と、鷹子ようこは苦笑した。
 「まだまだ、ほんの子どもだと思っていたけど……いつの間にか、男の子になってたのね。それにしても『嫁にする』かあ」
 鷹子ようこはクスクス笑う。
 「まっ、あの年頃にはありがちよね。でもまあ、せっかくそう言ってもらったことだし、期待せずにまってみますか」
                 完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

もういいです、離婚しましょう。

うみか
恋愛
そうですか、あなたはその人を愛しているのですね。 もういいです、離婚しましょう。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

【完結】いいえ。チートなのは旦那様です

仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。 自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい! ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!! という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑) ※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

処理中です...