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第一話 真朝の庭園
結婚してくれ
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「あの新入りはどうしたんだ?」
立花リキが姿を見せなくなって数日。
真朝は屋敷の住人からそう尋ねられた。
「最近、姿を見ないけど、まさか、もう出ていったわけじゃないだろう?」
「え、ええ……。契約はそのままだから。それにほら、かの人、探索者だから。探索者なんて家にいる時間より野山を歩きまわってる時間の方が長いから」
「ふむ。それもそうか」
仕事でこのあたりの森の調査をしているのか。
そう思って納得したのだろう。屋敷の住人はそれ以上、なにも言わずに去っていった。
はあ、と、真朝は息をついた。
リキのことが気にかかっているのは真朝も同じ。と言うより、真朝こそが気にかけている。リキと一日一回はやり合うのが習慣になってしまっていたので、あの嫌味が聞こえないというのはなにかさびしい。認めたくはないが、さびしい。
――言い過ぎたかなあ。
真朝はそう思う。
あの夜の温泉での一件。
まちがったことを言ったとは思わないし、本人のためにもなる言葉だったはず。あんな態度をつづけていてはこれからの人生、損をすることはあっても得することはないはずだ。その点を指摘するのは年長者としての務めというものだろう。とは言え――。
――まだ一八歳。思春期だものねえ。おとなとして、もうちょっと言葉を選ぶべきだったかな。
とは、思う。
もちろん、本当に仕事に出ているだけ、と言うことはあり得る。契約はそのままなのだし、探索者が一年の大半を野外で過ごすのは事実なのだ。
――きっと、そのうち、帰ってくるわよね。あの程度のことで傷ついて帰って来れなくなるほど柔なやつじゃないだろうし。
リキには帰ってきてもらわないと困るのだ。
わたしの手料理でギャフンと言わせてやる!
そう誓ったのだから。
それから、さらに数日が過ぎた。
リキはいまだに帰ってこない。真朝がなんともスッキリしない気分のまま畑仕事をしていると、屋敷の住人が泡を食って走ってきた。
「大変だ! 怪物が現れた!」
「なんですって⁉」
こんな人の住みかの近くに⁉
とは、思わない。ファンタジー世界の魔獣や怪物たちとはちがい、この世界の怪物たちは人間によって生み出され、人間によって野に放たれる。必然的に、人の住みかの近くほど怪物の数も種類も多くなる。だからこそ、やっかいなのだし、探索者という職業が必要なのだ。
住人はつづけた。
「高橋親子がベリー摘みに森に出て襲われかけた! そこをちょうど、例の新入りが助けてくれたそうだ」
「高橋さん親子は⁉」
「大丈夫。怪我はない。いまは屋敷で休んでいる。それより、早く助けに行かないと。例の新入りがひとりで怪物の相手をしているそうだ。話によると成長した雄牛ほどもあるそうだ。いくら、プロの探索者だってひとりではキツいはずだ」
成長した雄牛。
その例えに真朝は青くなった。
肉用の、若くして殺されるウシしか見たことのない人間には想像もつかないだろう。成長しきった雄牛はそれこそ、おとなを見下ろすぐらい大きくなるのだ。
「ウシってこんなに大きくなるのか⁉」
はじめて見た人は誰もがそう驚き、子どもなどその大きさに怯えてしまう。
それほどに大きいのが成長した雄牛。
その雄牛と同じぐらい大きい。それだけでも人間にとっては充分に脅威。まして、バイオハックで生み出された新生物ならば、どんな力をもっていることか。
ファンタジー世界の魔獣・怪獣たちをモデルに生み出される現実の怪物たちは、まさにその世界にふさわしい特殊能力をもたされているのだ。
「警護騎士団に連絡して! それから、屋敷の人全員に屋敷のなかに閉じこもって決して外に出ないよう、伝えて」
真朝は叫んだ。叫んだときにはすでに走り出している。
「わ、わかった……!」
屋敷の住人は泡を食って屋敷に戻っていった。
真朝は全速力で自宅に入り込んだ。二階にあがった。操縦席についた。操縦AIに向かって叫んだ。
「アルカディア号、発進!」
真朝の指示に従い、真朝の自宅の二階部分を構成する部屋型飛行船、『部屋えもん』が巨大な翼を立ちあげる。
いまの時代、広大な交通網を必要とし、地球を傷だらけにしてしまう自動車などと言う古臭くて無粋な代物は使われていない。個人の移動はほとんどすべて、部屋えもんによって空を飛ぶ形で行われている。
真朝の指示を受けたAIが水素のつまった翼を立ちあげ、部屋えもん・アルカディア号を宙に浮かせる。真朝はつづけてリキを探すよう指示する。リキの特徴はすでにAIにインプットしてある。
アルカディア号が空から地上を捜査し、リキを探す間、真朝は狩猟用の二連装大口径ライフルに実弾を込めた。射撃スキルは住民を守る責務を負うオーナーメイドにとって必須である。
警告音が鳴り響き、目標を見つけたと騒ぎ立てた。
真朝は地上を見た。そこにはたしかにただひとり、怪物と対峙するリキの姿があった。
――リキ!
真朝は心に叫んだ。
いくら、気に入らないやつとは言え、怪物の餌食にさせるわけにはいかない。
真朝は怪物の姿を確かめた。たしかに大きい。成長した雄牛ほどの大きさは充分にある。姿からしてオオカミがベース。しかも、三つ首。ケルベロス系の怪物だ。
「あの怪物の種類を特定して!」
公表されている改造遺伝子から作られた量産型の怪物なら、データベースのなかに記録がある。それなら、特徴や弱点もわかる。しかし、アルカディア号の答えは、
――該当種なし。
つまりは、公表されていない新型遺伝子から作られた新型の怪物と言うことだ。それでは、特徴も、弱点もわからない。
真朝は舌打ちして状況を確認した。
リキは大振りのナイフ一本を手に怪物と対峙している。すでにあちこち傷を負っているが、この巨大なケルベロス系の怪物を相手にこの程度の傷ですんでいるのはむしろ、驚異的と言える。さすがに、名の知れた探索者だけのことはあった。
足元には狩猟用のライフルと大型拳銃が転がっている。当初は銃で立ち向かったが弾が尽きてしまい、ナイフ一本で渡りあう羽目になったのだろう。実際、怪物の体のあちこちからは血が噴きだしており、何発もの銃弾を食らっているのは明らかだった。
――それでも倒れないとか……どんだけ頑丈に作ってるのよ!
よりによってなんでそんなの、野に放すかなあっ!
真朝は腹が立って仕方がない。
多様性、多様性と言う前に、その場に住んでいる人間の安全を考えてほしいものだ。
とにかく、指をくわえて見ているわけにはいかない。あの体格差だ。捕まったら一発で食い殺されてしまう。
真朝は声をかけてリキの注意をそぐような真似はしなかった。アルカディア号を接近させてドアから身を乗り出し、怪物めがけて狩猟用ライフルをぶっ放した。
唸りをあげて放たれた銃弾が怪物の体を直撃する。
怪物の体から血がほとばしり、叫び声をあげて身を躍らせる。
「真朝!」
アルカディア号の接近に気付いたリキが叫んだ。真朝は空から予備のライフルをリキに向かって投げた。
「これを!」
リキはライフルを手にとった。
熟練の仕種で操作し、怪物目がけて撃ち放った。
撃った、
撃った、
撃った。
弾のつづく限り、撃ちまくった。
空からは真朝が同じように撃ちつづける。
ライフルを撃つ真朝の気は重い。
この怪物に罪がないことはわかっている。怪物を生んだのはあくまでも人間。作りたいから作り、野に放したいから放した。怪物は望みもしないのに勝手に生み出され、望みもしないのに野に放され、そこで生きていかなくてはならなくなった。そのために必要なことをしている。ただそれだけのこと。それでも――。
自分が人間である以上、人間を最優先にしないわけにはいかない。
――ごめん!
そう心のなかで詫びながら撃ちつづける。
大口径ライフル二丁による連射を受けて、さしもの頑丈な怪物も終わりのときがきた。全身から血を噴きだし、断末魔の叫びをあげてその場に倒れる。
真朝は地上に降り立った。リキの隣に並んだ。怪物を見た。血まみれの死体となったその姿を。
真朝の顔が哀れみと罪悪感に歪む。
「……ごめんなさい。せめて、安らかに」
真朝は両手を合わせた。
気がつくと、すぐ隣でリキも同じように手を合わせている。
その足元に転がっているものがあった。銃とはちがう、見慣れないなにか。しかし、そこから漂ってくる得も言われぬ芳香は……。
「えっ? もしかして、これ、王香木?」
真朝は芳香を放つ木片を拾いあげた。
「あっ……!」
と、リキが子どものような声をあげた。
それは、まぎれもなく王香木。そして、その表面に彫られた字は――。
――真朝へ。約束の品だ。一美より。
マジマジと――。
真朝はリキを見た。
リキは唇を噛みしめ、耳まで真っ赤にして顔をそらしている。
「リキ、あなた……。一美だったの⁉」
警護騎士団が到着し、事後処理が進められた。ケルベロス型の怪物はその大きさと予想される殺傷能力から駆除対象と認められた。駆除したリキには後ほど報酬が支払われることになる。
ちなみに、真朝の分はない。駆除対象の討伐で報酬が支払われるのはあくまでも正規の探索者のみ。素人が退治したところで一文にもならない。報酬目当てに素人が怪物に手を出すことを防ぐためである。
「まあ、一応、誰が作り、野に放したのか調査はするけど……」
警護騎士の責任者は言ったものである。
「期待はしないでくれ。なにしろ、バイオハッカーは数が多すぎて特定なんて出来ないからな」
もちろん、真朝も、リキも、その点は承知している。期待なんて最初からしていない。
そのリキはと言えば――。
真朝の家のベッドで不平満々という顔で寝かしつけられていた。
幾つもの傷を負っていたが幸い、どれも軽傷で、真朝の家の医療プラントで治療出来た。幸い、毒や、病原菌をもっているタイプではなかったようで、それらは検出されなかった。何日か休んでいれば傷も残らず治るだろう。
「……なんで、おれが寝かしつけられてなきゃならないんだ。それも、お前のベッドで」
『真朝のベッド』というのが一番の問題点であるのは、口調から明らかだった。顔も、耳まで真っ赤になっている。
「怪我人だからに決まってるでしょ」
真朝は両手を腰につけ、上半身をくの字に曲げて叱りつけた。その表情が『メッ!』と言っている。
「この程度、探索者にとっては傷のうちには入らない」
「ダメよ。ちゃんと休んでなさい」
そう叱りつける態度が完全に弟に対する姉。リキが一美とわかった以上、もはや、なんの遠慮もいらない。真朝にしてみれば、一気に一〇年前に戻ったような気分だった。
ほう、と、真朝は息をついた。
「それにしても、あなたが一美だったなんてね、なんで、ちがう名前を名乗ったの?」
「……『立花』というのはじいさんの名字だ。結局、親たちは、離婚したあとそれぞれ勝手にどこかに行ったから、おれはあのまま、じいさんに引き取られた。だから、名字がかわったんだ」
「名字がかわったのはそれてわかるとして、なんで名前までかわったのよ?」
リキは頬を赤らめながら、答えた。
「……あんな身勝手な親がつけた名前なんて名乗りたくなかった。だから、自分で自分の名前をつけたんだ」
それは、たしかに子どもっぽい抵抗だったかも知れない。それでも、親に捨てられた子どもにとってはゆずれない行いだったのだ。
「……そう。つらかったのね」
「……ふん」
「でも、なんで最初にそう名乗らなかったの? そうしていれば……」
そこまで言って思い出した。リキは最初、メダル売り場で出会ったとき、たしかに言ったのだ。
「わからないのか」と。
「もしかして……名前がちがっても会えばわかるはずだと思ってたの? それなのに、わたしがわからないから拗ねてたとか?」
リキはますます顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。唇を噛みしめたその表情が図星であることを告げていた。
突然――。
真朝は腹を抱えて笑い出した。
「なにがおかしい⁉」
「ご、ごめん、ごめん……。だって……」
真朝は一応、謝ったが、なにしろ、体をくの字に曲げて腹を抱え、涙まで浮かべて大笑いしながらなので誠意はない。
そういうことなら毎日まいにち、嫌味を言いながらメダル売り場に来ていたわけもわかる。なんとか、思い出してもらおうと会いに来ていたのだ。
――でも……。
真朝は笑いを収めた。
――一〇年前の約束、覚えてたんだ。
「いいか、真朝! おれは絶対、王香木を見つけてくる! そうしたら、お前はその王香木を使って婚約メダルを作るんだ。そして、おれに贈るんだ。いいな、忘れるなよ。それまで、メダル作りの腕を磨いておけ!」
一〇年前、リキはたしかにそう言ったのだ。
そして、その言葉を守るために探索者となり、『幻』と言われる王香木を見つけてきた。
祖母の味を再現していたのも同じ。リキは子どもの頃、真朝と一緒に祖母の料理を食べて育った。リキにとって祖母の料理こそは『幸せの象徴』だったにちがいない。
だからこそ、自分ひとりになっても祖母の味を思い出しながら試行錯誤を重ねてその味を再現したのだ。わざわざ、自分で料理して祖母の味を披露したのも、実は自分が一美であることを告げるための必死のアピールだったのだろう。
それぐらい、自分との暮らしを大切に思っていた……。
そう思うと、さすがに胸がキュンとなる。
「いいわ。この王香木で婚約メダルを作って、贈ってあげる。ただし……」
チョン、と、リキの鼻などをつついてお姉さん振りながら、真朝は言った。
「もっとおとなになって、言うべきことを言えるようになったらね」
「ふん」
と、リキは鼻を鳴らして見せた。
「……そんな台詞ならいつでも言える」
リキは真朝を見た。
そして、言った。
「結婚してくれ」
完
立花リキが姿を見せなくなって数日。
真朝は屋敷の住人からそう尋ねられた。
「最近、姿を見ないけど、まさか、もう出ていったわけじゃないだろう?」
「え、ええ……。契約はそのままだから。それにほら、かの人、探索者だから。探索者なんて家にいる時間より野山を歩きまわってる時間の方が長いから」
「ふむ。それもそうか」
仕事でこのあたりの森の調査をしているのか。
そう思って納得したのだろう。屋敷の住人はそれ以上、なにも言わずに去っていった。
はあ、と、真朝は息をついた。
リキのことが気にかかっているのは真朝も同じ。と言うより、真朝こそが気にかけている。リキと一日一回はやり合うのが習慣になってしまっていたので、あの嫌味が聞こえないというのはなにかさびしい。認めたくはないが、さびしい。
――言い過ぎたかなあ。
真朝はそう思う。
あの夜の温泉での一件。
まちがったことを言ったとは思わないし、本人のためにもなる言葉だったはず。あんな態度をつづけていてはこれからの人生、損をすることはあっても得することはないはずだ。その点を指摘するのは年長者としての務めというものだろう。とは言え――。
――まだ一八歳。思春期だものねえ。おとなとして、もうちょっと言葉を選ぶべきだったかな。
とは、思う。
もちろん、本当に仕事に出ているだけ、と言うことはあり得る。契約はそのままなのだし、探索者が一年の大半を野外で過ごすのは事実なのだ。
――きっと、そのうち、帰ってくるわよね。あの程度のことで傷ついて帰って来れなくなるほど柔なやつじゃないだろうし。
リキには帰ってきてもらわないと困るのだ。
わたしの手料理でギャフンと言わせてやる!
そう誓ったのだから。
それから、さらに数日が過ぎた。
リキはいまだに帰ってこない。真朝がなんともスッキリしない気分のまま畑仕事をしていると、屋敷の住人が泡を食って走ってきた。
「大変だ! 怪物が現れた!」
「なんですって⁉」
こんな人の住みかの近くに⁉
とは、思わない。ファンタジー世界の魔獣や怪物たちとはちがい、この世界の怪物たちは人間によって生み出され、人間によって野に放たれる。必然的に、人の住みかの近くほど怪物の数も種類も多くなる。だからこそ、やっかいなのだし、探索者という職業が必要なのだ。
住人はつづけた。
「高橋親子がベリー摘みに森に出て襲われかけた! そこをちょうど、例の新入りが助けてくれたそうだ」
「高橋さん親子は⁉」
「大丈夫。怪我はない。いまは屋敷で休んでいる。それより、早く助けに行かないと。例の新入りがひとりで怪物の相手をしているそうだ。話によると成長した雄牛ほどもあるそうだ。いくら、プロの探索者だってひとりではキツいはずだ」
成長した雄牛。
その例えに真朝は青くなった。
肉用の、若くして殺されるウシしか見たことのない人間には想像もつかないだろう。成長しきった雄牛はそれこそ、おとなを見下ろすぐらい大きくなるのだ。
「ウシってこんなに大きくなるのか⁉」
はじめて見た人は誰もがそう驚き、子どもなどその大きさに怯えてしまう。
それほどに大きいのが成長した雄牛。
その雄牛と同じぐらい大きい。それだけでも人間にとっては充分に脅威。まして、バイオハックで生み出された新生物ならば、どんな力をもっていることか。
ファンタジー世界の魔獣・怪獣たちをモデルに生み出される現実の怪物たちは、まさにその世界にふさわしい特殊能力をもたされているのだ。
「警護騎士団に連絡して! それから、屋敷の人全員に屋敷のなかに閉じこもって決して外に出ないよう、伝えて」
真朝は叫んだ。叫んだときにはすでに走り出している。
「わ、わかった……!」
屋敷の住人は泡を食って屋敷に戻っていった。
真朝は全速力で自宅に入り込んだ。二階にあがった。操縦席についた。操縦AIに向かって叫んだ。
「アルカディア号、発進!」
真朝の指示に従い、真朝の自宅の二階部分を構成する部屋型飛行船、『部屋えもん』が巨大な翼を立ちあげる。
いまの時代、広大な交通網を必要とし、地球を傷だらけにしてしまう自動車などと言う古臭くて無粋な代物は使われていない。個人の移動はほとんどすべて、部屋えもんによって空を飛ぶ形で行われている。
真朝の指示を受けたAIが水素のつまった翼を立ちあげ、部屋えもん・アルカディア号を宙に浮かせる。真朝はつづけてリキを探すよう指示する。リキの特徴はすでにAIにインプットしてある。
アルカディア号が空から地上を捜査し、リキを探す間、真朝は狩猟用の二連装大口径ライフルに実弾を込めた。射撃スキルは住民を守る責務を負うオーナーメイドにとって必須である。
警告音が鳴り響き、目標を見つけたと騒ぎ立てた。
真朝は地上を見た。そこにはたしかにただひとり、怪物と対峙するリキの姿があった。
――リキ!
真朝は心に叫んだ。
いくら、気に入らないやつとは言え、怪物の餌食にさせるわけにはいかない。
真朝は怪物の姿を確かめた。たしかに大きい。成長した雄牛ほどの大きさは充分にある。姿からしてオオカミがベース。しかも、三つ首。ケルベロス系の怪物だ。
「あの怪物の種類を特定して!」
公表されている改造遺伝子から作られた量産型の怪物なら、データベースのなかに記録がある。それなら、特徴や弱点もわかる。しかし、アルカディア号の答えは、
――該当種なし。
つまりは、公表されていない新型遺伝子から作られた新型の怪物と言うことだ。それでは、特徴も、弱点もわからない。
真朝は舌打ちして状況を確認した。
リキは大振りのナイフ一本を手に怪物と対峙している。すでにあちこち傷を負っているが、この巨大なケルベロス系の怪物を相手にこの程度の傷ですんでいるのはむしろ、驚異的と言える。さすがに、名の知れた探索者だけのことはあった。
足元には狩猟用のライフルと大型拳銃が転がっている。当初は銃で立ち向かったが弾が尽きてしまい、ナイフ一本で渡りあう羽目になったのだろう。実際、怪物の体のあちこちからは血が噴きだしており、何発もの銃弾を食らっているのは明らかだった。
――それでも倒れないとか……どんだけ頑丈に作ってるのよ!
よりによってなんでそんなの、野に放すかなあっ!
真朝は腹が立って仕方がない。
多様性、多様性と言う前に、その場に住んでいる人間の安全を考えてほしいものだ。
とにかく、指をくわえて見ているわけにはいかない。あの体格差だ。捕まったら一発で食い殺されてしまう。
真朝は声をかけてリキの注意をそぐような真似はしなかった。アルカディア号を接近させてドアから身を乗り出し、怪物めがけて狩猟用ライフルをぶっ放した。
唸りをあげて放たれた銃弾が怪物の体を直撃する。
怪物の体から血がほとばしり、叫び声をあげて身を躍らせる。
「真朝!」
アルカディア号の接近に気付いたリキが叫んだ。真朝は空から予備のライフルをリキに向かって投げた。
「これを!」
リキはライフルを手にとった。
熟練の仕種で操作し、怪物目がけて撃ち放った。
撃った、
撃った、
撃った。
弾のつづく限り、撃ちまくった。
空からは真朝が同じように撃ちつづける。
ライフルを撃つ真朝の気は重い。
この怪物に罪がないことはわかっている。怪物を生んだのはあくまでも人間。作りたいから作り、野に放したいから放した。怪物は望みもしないのに勝手に生み出され、望みもしないのに野に放され、そこで生きていかなくてはならなくなった。そのために必要なことをしている。ただそれだけのこと。それでも――。
自分が人間である以上、人間を最優先にしないわけにはいかない。
――ごめん!
そう心のなかで詫びながら撃ちつづける。
大口径ライフル二丁による連射を受けて、さしもの頑丈な怪物も終わりのときがきた。全身から血を噴きだし、断末魔の叫びをあげてその場に倒れる。
真朝は地上に降り立った。リキの隣に並んだ。怪物を見た。血まみれの死体となったその姿を。
真朝の顔が哀れみと罪悪感に歪む。
「……ごめんなさい。せめて、安らかに」
真朝は両手を合わせた。
気がつくと、すぐ隣でリキも同じように手を合わせている。
その足元に転がっているものがあった。銃とはちがう、見慣れないなにか。しかし、そこから漂ってくる得も言われぬ芳香は……。
「えっ? もしかして、これ、王香木?」
真朝は芳香を放つ木片を拾いあげた。
「あっ……!」
と、リキが子どものような声をあげた。
それは、まぎれもなく王香木。そして、その表面に彫られた字は――。
――真朝へ。約束の品だ。一美より。
マジマジと――。
真朝はリキを見た。
リキは唇を噛みしめ、耳まで真っ赤にして顔をそらしている。
「リキ、あなた……。一美だったの⁉」
警護騎士団が到着し、事後処理が進められた。ケルベロス型の怪物はその大きさと予想される殺傷能力から駆除対象と認められた。駆除したリキには後ほど報酬が支払われることになる。
ちなみに、真朝の分はない。駆除対象の討伐で報酬が支払われるのはあくまでも正規の探索者のみ。素人が退治したところで一文にもならない。報酬目当てに素人が怪物に手を出すことを防ぐためである。
「まあ、一応、誰が作り、野に放したのか調査はするけど……」
警護騎士の責任者は言ったものである。
「期待はしないでくれ。なにしろ、バイオハッカーは数が多すぎて特定なんて出来ないからな」
もちろん、真朝も、リキも、その点は承知している。期待なんて最初からしていない。
そのリキはと言えば――。
真朝の家のベッドで不平満々という顔で寝かしつけられていた。
幾つもの傷を負っていたが幸い、どれも軽傷で、真朝の家の医療プラントで治療出来た。幸い、毒や、病原菌をもっているタイプではなかったようで、それらは検出されなかった。何日か休んでいれば傷も残らず治るだろう。
「……なんで、おれが寝かしつけられてなきゃならないんだ。それも、お前のベッドで」
『真朝のベッド』というのが一番の問題点であるのは、口調から明らかだった。顔も、耳まで真っ赤になっている。
「怪我人だからに決まってるでしょ」
真朝は両手を腰につけ、上半身をくの字に曲げて叱りつけた。その表情が『メッ!』と言っている。
「この程度、探索者にとっては傷のうちには入らない」
「ダメよ。ちゃんと休んでなさい」
そう叱りつける態度が完全に弟に対する姉。リキが一美とわかった以上、もはや、なんの遠慮もいらない。真朝にしてみれば、一気に一〇年前に戻ったような気分だった。
ほう、と、真朝は息をついた。
「それにしても、あなたが一美だったなんてね、なんで、ちがう名前を名乗ったの?」
「……『立花』というのはじいさんの名字だ。結局、親たちは、離婚したあとそれぞれ勝手にどこかに行ったから、おれはあのまま、じいさんに引き取られた。だから、名字がかわったんだ」
「名字がかわったのはそれてわかるとして、なんで名前までかわったのよ?」
リキは頬を赤らめながら、答えた。
「……あんな身勝手な親がつけた名前なんて名乗りたくなかった。だから、自分で自分の名前をつけたんだ」
それは、たしかに子どもっぽい抵抗だったかも知れない。それでも、親に捨てられた子どもにとってはゆずれない行いだったのだ。
「……そう。つらかったのね」
「……ふん」
「でも、なんで最初にそう名乗らなかったの? そうしていれば……」
そこまで言って思い出した。リキは最初、メダル売り場で出会ったとき、たしかに言ったのだ。
「わからないのか」と。
「もしかして……名前がちがっても会えばわかるはずだと思ってたの? それなのに、わたしがわからないから拗ねてたとか?」
リキはますます顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。唇を噛みしめたその表情が図星であることを告げていた。
突然――。
真朝は腹を抱えて笑い出した。
「なにがおかしい⁉」
「ご、ごめん、ごめん……。だって……」
真朝は一応、謝ったが、なにしろ、体をくの字に曲げて腹を抱え、涙まで浮かべて大笑いしながらなので誠意はない。
そういうことなら毎日まいにち、嫌味を言いながらメダル売り場に来ていたわけもわかる。なんとか、思い出してもらおうと会いに来ていたのだ。
――でも……。
真朝は笑いを収めた。
――一〇年前の約束、覚えてたんだ。
「いいか、真朝! おれは絶対、王香木を見つけてくる! そうしたら、お前はその王香木を使って婚約メダルを作るんだ。そして、おれに贈るんだ。いいな、忘れるなよ。それまで、メダル作りの腕を磨いておけ!」
一〇年前、リキはたしかにそう言ったのだ。
そして、その言葉を守るために探索者となり、『幻』と言われる王香木を見つけてきた。
祖母の味を再現していたのも同じ。リキは子どもの頃、真朝と一緒に祖母の料理を食べて育った。リキにとって祖母の料理こそは『幸せの象徴』だったにちがいない。
だからこそ、自分ひとりになっても祖母の味を思い出しながら試行錯誤を重ねてその味を再現したのだ。わざわざ、自分で料理して祖母の味を披露したのも、実は自分が一美であることを告げるための必死のアピールだったのだろう。
それぐらい、自分との暮らしを大切に思っていた……。
そう思うと、さすがに胸がキュンとなる。
「いいわ。この王香木で婚約メダルを作って、贈ってあげる。ただし……」
チョン、と、リキの鼻などをつついてお姉さん振りながら、真朝は言った。
「もっとおとなになって、言うべきことを言えるようになったらね」
「ふん」
と、リキは鼻を鳴らして見せた。
「……そんな台詞ならいつでも言える」
リキは真朝を見た。
そして、言った。
「結婚してくれ」
完
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