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最終話 最後のピース
ラスト3 出会い
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「はじめまして! こんにちわ! ボク、沢木碧海と言います! 先生の大ファンなんです!」
藍条森也に出会った途端――。
沢木碧海は堰が切れたように『!』マークを連発してそう詰め寄った。ボーイッシュな童顔がキラキラ輝いて、まるで憧れの人に出会った小学生男子のよう。いや、ずっとファンであったマンガ家に会ったのだから『憧れの人に出会った』というのは正しいわけなのだが。その勢いが少年っぽい風貌をなおさら少年的に見せている。
アスリートのように短く整えられた髪型といい、スカートではなくスラックスという服装といい、顔よりも大きい胸のふくらみがなければ、森也も実際に男子だと思ったかも知れない。
「あ、ああ、ありがとう……」
さしもの森也も『大ファン』を名乗る少女の勢いに押され、引き気味である。『森也も』と言うよりは『森也だから』と言うべきか。
『おれは、図々しくて、馴れ馴れしくて、厚かましいやつは本当にきらいなんだよ。どこぞのツンデレ剣士とちがってな』
日頃からそう公言している森也である。
――いきなり、こんな勢いで詰め寄られたら悪印象、もっちゃうかも。
自分で引き合わせておいて後悔するさくらであった。
――せめて、事前に兄さんのきらう人間のタイプぐらい伝えておくだったかも。
とは言え、さくら自身、思いもよらなかったのだ。あのおとなしい感じで、無表情で、クール系に見えた碧海が、『憧れの人』を目の前にするとこんなにも活発になるとは……。
――おとなしそうに見えて、実は超積極派だったのね。
さくらはそう思い、ちょっとだけ溜め息をついた。
森也が赤岩あきらと共に共同経営する出版社兼書店兼カフェであるクリエイターズカフェ。そのなかに設けられたスタッフ用の休憩室でのことだった。
碧海は、さくらの思った通り、『超』がつくほど積極的だった。森也に対して思いの丈をぶちまけ、握手を求め、興奮して頬を赤くし、サインをねだった。
「サインしてください!」
そう言いながら差し出したのは、もう何年も前に出して、いまでは絶版状態になっている短編集だった。
――高一と言うことはまだ一五かそこらだろう。それなのに、こんな古い本をもっているのか。
あるいは、どこかの古本屋ででも見つけて買ったのかも知れない。ろくに売れなかった本だから古本屋に出回っていた数もたかが知れているとは思うが。
本の状態は悪くはなかった。『新品同様!』などと言うわけではもちろんないが、痛んだり、汚れたりはしていない。それでも、表紙やページは若干、色褪せており、何度もなんども読まれていることを示していた。もちろん、作者としては読みもせずに本棚に置かれているより、こうして何度も読んでもらった方が嬉しいに決まっている。
森也と言えど例外ではない。『大ファン』というのが社交辞令ではないとわかって、なにやらこそばゆい思いだった。
ともあれ、ファンにサインをねだられるなど森也にとってははじめての体験。これが売れっ子の赤岩あきらであれば、行く先々でファンに見つかり、サインをねだられるなどいつものこと。しかし、『売れないマンガ家』である森也はそんな経験をしたことはない。
新刊を出版する際に、言わば『ご褒美』としてサイン会を提案されることもあるにはあった。しかし、すべて断ってきた。
いまなら売れるためにはそんなイベントをこなすことも大切だとわかっているし、実際にこなせる程度には精神も成長している。しかし、当時はまだまだ世間知らずで『良いマンガさえ描けば読者はついてくる』などと甘い考えをもっていた。それでなくても、精神の成長が人より遅い森也である。面と向かってのファンサービスが出来るほど成熟していなかった。
断りつづけているうちにそんな話も来なくなり、『読者に直にサインする』などという機会は失われていったのだった。
そんなわけで森也にとってははじめてのファン相手の直々のサイン。
さすがに感慨深いものがあったし、緊張もした。
――まあ、出来るだけ丁寧に書いておこう。
はじめてのことなのでもちろん、サイン用の書体など考えていない。ごく普通の文字で、普通に書くことしか出来ない。それでも――。
碧海は大喜びしていた。
「ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
そう叫ぶ笑顔がとにかくまぶしい。
森也のような性格ではまぶしすぎてまともに見られないほど。とは言え、この場面で顔を背けるのは失礼だとの認識はあるのでちゃんと視線を向けてはいたが。
「あ、あの……それでですね」
碧海はしばらくモジモジしていたがやがて、思いきったように言った。
「ボク……わたしのマンガ、読んでみてもらえますか⁉」
それが主目的だったのだろう。自分の描いたマンガを好きなマンガ家に読んでもらいたいと思うのは普通のことだ。プロ志望のなかには直接、自分のマンガを持ち込んでくる熱心すぎて傍迷惑なタイプもいる。あきらのもとには年に何回かはそんな手合いがやってくる。もちろん、森也はそんな目に遭ったことはない。今回がはじめてである。
森也は碧海に言った。
「知っての通り、おれは『売れないマンガ家』だ。おれがアドバイスなどすれば売れない方向に行ってしまう可能性が高い。だから、内容に関してコメントはしない。それでもいいなら拝読しよう」
「お願いします!」
碧海は元気よく言うと原稿の束を差し出した。
――絵柄は王道の少年マンガ系だな。内容も王道の冒険ファンタジーか。
一読して森也はそう判断した。
――デッサンは正確だし、構図もよくできている。技術は高い。基礎的な練習をかなりこなしているな。しかも、最後まできちんと描ききっている。素人には最初に力を入れすぎて、途中で息切れして、ラストはふにゃふにゃになることも多いんだが……。
そもそも、きちんと完結させていると言うだけでも立派である。素人のなかには『内容が納得いかない』、『行き詰まった』などの理由で途中でやめてしまい、次の作品、次の作品と手を出すタイプも多い。そうして、未完成作品ばかりが溜まっていく。それをつづけていると結局、『マンガを描くこと』それ自体がいやになり、やめてしまうことになる。
マンガ家になりたいならとにかく完成させること。
それは、マンガを指導する立場にある人間なら誰もが口をそろえて言うこと。しかし、決して聞かれることのない忠告……。
それを思えばきちんと完成させているという一点だけで、碧海にはマンガ家になる資質があると言える。しかも、最後まで息切れせず、きちんと描ききっているのだから大したものだ。
――だが。
と、そこまでは褒めるべき要素。ここからは『プロ』として批判すべき箇所だった。
――全編にわたって同じように力を入れて描いているので展開にメリハリがない。山も谷もないからクライマックスでの盛りあがりに欠ける。まあ、真面目な新人にはありがちなことだし、直せる欠点ではあるが。ストーリー的にはまだまだ『物真似』の範囲だな。個性や独創性は出ていない。しかし……。
森也はじっと原稿を見つめた。それから、ドキドキした表情でまっている碧海を見た。
「この原稿……」
と、森也は言った。
「預かってもいいか? 他にも見せたい人間がいる」
「は、はい……!」
碧海は驚きと、喜びと、ついでに緊張も込めた顔で答えた。
「ありがとう」
と、森也は微笑を浮かべながら言った。身のまわりの女子たちから『「いちいち卑怯!』と言われる、その微笑である。
「せっかく、来てくれたんだ。カフェでお茶でもしていくといい。奢るよ」
と言うわけでその後しばらく、森也、さくら、碧海の三人でカフェでお茶をしながらおしゃべりした。碧海は最初のおとなしそうに見えた印象はなんだったのかと思うぐらいよく喋った。『憧れの人』を前にテンションがあがっていたのかも知れないが。
やがて、夕方になり、碧海はカフェを辞した。と言うより、遅くなることを心配した森也が帰るように告げた。なにしろ、いますぐグラビアアイドルが務まりそうな外見。とくに、その胸のふくらみを見れば、とてもではないが夜道をひとりで歩かせるわけにはいかない。その前に帰すか、あるいは送っていく必要があった。
碧海はカフェの前まで見送りにきたさくらに言った。
「ありがとう、先生に会わせてくれて。藍条先生、やっぱり、思っていたとおりの礼儀正しくて真面目な、いい人だった」
「いい人?」
「うん。だって、藍条先生はボクの胸、見なかった」
「はっ?」
「男の人ってボクの胸ばっかり見て、顔なんて見ないから。でも、藍条先生はちがった。胸なんか見ないでちゃんと顔を見て話してくれた。すっごくいい人だよ」
碧海はまぶしいほどの笑顔で言う。
――ああ。やっぱり、胸を見られること気にしてたんだ。
初対面でいきなり、胸をマジマジと見つめてしまったことを思い出し、気まずい思いにかられるさくらだった。とは言え――。
――その胸じゃ仕方ないでしょ。
とは、やはり思うのだが。
その『いい人』はその夜、自分の家に赤岩あきら、黒瀬ヒロ、緑山菜の花の三人を呼んで碧海のマンガを読ませた。全員が読み終えたところで尋ねる。
「どうだ、感想は?」
「うむ。良いな。実に良い。全編にわたって丁寧に描いてあって実に好感かもてる」と、あきら。
「起承転結もきちんとできている。この子、かなり基礎を勉強してるわね」と、ヒロ。
「絵も上手だし、構図もうまい。これならすぐにでも同人業界でデビューできるわ」と、菜の花。
「しかし……」
あきらがそう口にした。
「しかし、全編にわたって丁寧に描いている分、メリハリがない。単調な部分が長く、クライマックスが短い。盛りあがりに欠ける。これでは、読者は満足せんな」
「ストーリーも『よくある話』と言っておしまいなレベルだしね。まだまだ、プロのレベルには遠いわ」
ヒロもそう付け加えた。
ふたりのプロの容赦ない批評に森也もうなずいた。
「おれも同感だ。マンガ家としての適性はあるが、まだ未熟。しかし……わかっているだろう?」
「うむ」
「ええ」
「うん」
あきら、ヒロ、菜の花が口々に言った。そして、三人そろって同じ意味の言葉を放った。
「キャラ描写に関しては、お前より数段うまい」
「ああ。まさに、そうなんだ」
森也はむしろ、望んでそのことを認めた。
「真面目すぎるための欠点も目立つが、ことキャラ描写に関してはおれよりずっとうまい。キャラのやり取りが自然に描けている。これは持って生まれたセンスだろうな。勉強して身につくものではないだろう」
「でしょうね」
ヒロもそのことを認めた。
「この作品がうちの新人賞に応募してきたとして、入選はしないと思う。でも、その一点だけで、担当編集がついて鍛える、と言う結果になってもおかしくないわ」
まだ入社二年目の若手とは言え、大手出版社勤務の編集者。そんな人間がこれだけ言うのだ。どれほど優れているかわかろうというものだ。
「ならば、うってつけではないか」
あきらが言った。
「世にもめずらしいお前の大ファンなのだろう? お前の欠点であるキャラ描写に天性のセンスがあり、絵柄もお前の世界を描くのにピッタリはまる。お前が求めていた『ペン』としてうってつけの存在ではないか」
「あたしもそう思う」と、ヒロ。
「この子のセンスであんたのアイディアとストーリーを描いたら、売れると思う」
「ってか、なんでその場で誘わなかったのよ。あんたならその程度の判断、一目でつくでしょうに」と、菜の花。
森也は姉の言葉に答えた。
「相手が成人なら誘っていたさ。だが、まだ高校生。巻き込んで良いものかと思ってな。意見を聞きたかった」
「いまさら、なに言ってんのよ」
菜の花が『あきれた!』という感じで言った。
「いつの間にやら、現役JKばっかりはべらせてるくせに」
「……さくらが連れてきたんだ。おれが集めたわけじゃない」
姉の言葉に――。
森也は苦り切った表情で答えた。
「良いではないか。かわいい女子高生は何人いても困ることはない。しかも、群を抜く巨乳だそうではないか。これは、加えなければ損というものだろう」
「おれは胸より足派だ」
あきらの言葉に森也はそう答えた。
「まあ、スラックスの上からでも下半身の形の良さはわかったが」
「だが、真面目な話、その娘、マンガ家志望なのだろう? ならば、本人にとっても千載一遇のチャンスではないか。チャンスは与えてやるべきだ。仮にプロのマンガ家として一本立ちできなかったとしても、この画力があればプロアシスタントとして充分、やっていける。わたしが使いたいぐらいだからな。食うに困ることはない。ヒロとの関わりがあれば編集者になる道も開けるしな。とにかく、誘ってみるべきだろう」
「……ふむ」
売れっ子マンガ家の言葉に――。
森也はしばし、考え込んだ。
藍条森也に出会った途端――。
沢木碧海は堰が切れたように『!』マークを連発してそう詰め寄った。ボーイッシュな童顔がキラキラ輝いて、まるで憧れの人に出会った小学生男子のよう。いや、ずっとファンであったマンガ家に会ったのだから『憧れの人に出会った』というのは正しいわけなのだが。その勢いが少年っぽい風貌をなおさら少年的に見せている。
アスリートのように短く整えられた髪型といい、スカートではなくスラックスという服装といい、顔よりも大きい胸のふくらみがなければ、森也も実際に男子だと思ったかも知れない。
「あ、ああ、ありがとう……」
さしもの森也も『大ファン』を名乗る少女の勢いに押され、引き気味である。『森也も』と言うよりは『森也だから』と言うべきか。
『おれは、図々しくて、馴れ馴れしくて、厚かましいやつは本当にきらいなんだよ。どこぞのツンデレ剣士とちがってな』
日頃からそう公言している森也である。
――いきなり、こんな勢いで詰め寄られたら悪印象、もっちゃうかも。
自分で引き合わせておいて後悔するさくらであった。
――せめて、事前に兄さんのきらう人間のタイプぐらい伝えておくだったかも。
とは言え、さくら自身、思いもよらなかったのだ。あのおとなしい感じで、無表情で、クール系に見えた碧海が、『憧れの人』を目の前にするとこんなにも活発になるとは……。
――おとなしそうに見えて、実は超積極派だったのね。
さくらはそう思い、ちょっとだけ溜め息をついた。
森也が赤岩あきらと共に共同経営する出版社兼書店兼カフェであるクリエイターズカフェ。そのなかに設けられたスタッフ用の休憩室でのことだった。
碧海は、さくらの思った通り、『超』がつくほど積極的だった。森也に対して思いの丈をぶちまけ、握手を求め、興奮して頬を赤くし、サインをねだった。
「サインしてください!」
そう言いながら差し出したのは、もう何年も前に出して、いまでは絶版状態になっている短編集だった。
――高一と言うことはまだ一五かそこらだろう。それなのに、こんな古い本をもっているのか。
あるいは、どこかの古本屋ででも見つけて買ったのかも知れない。ろくに売れなかった本だから古本屋に出回っていた数もたかが知れているとは思うが。
本の状態は悪くはなかった。『新品同様!』などと言うわけではもちろんないが、痛んだり、汚れたりはしていない。それでも、表紙やページは若干、色褪せており、何度もなんども読まれていることを示していた。もちろん、作者としては読みもせずに本棚に置かれているより、こうして何度も読んでもらった方が嬉しいに決まっている。
森也と言えど例外ではない。『大ファン』というのが社交辞令ではないとわかって、なにやらこそばゆい思いだった。
ともあれ、ファンにサインをねだられるなど森也にとってははじめての体験。これが売れっ子の赤岩あきらであれば、行く先々でファンに見つかり、サインをねだられるなどいつものこと。しかし、『売れないマンガ家』である森也はそんな経験をしたことはない。
新刊を出版する際に、言わば『ご褒美』としてサイン会を提案されることもあるにはあった。しかし、すべて断ってきた。
いまなら売れるためにはそんなイベントをこなすことも大切だとわかっているし、実際にこなせる程度には精神も成長している。しかし、当時はまだまだ世間知らずで『良いマンガさえ描けば読者はついてくる』などと甘い考えをもっていた。それでなくても、精神の成長が人より遅い森也である。面と向かってのファンサービスが出来るほど成熟していなかった。
断りつづけているうちにそんな話も来なくなり、『読者に直にサインする』などという機会は失われていったのだった。
そんなわけで森也にとってははじめてのファン相手の直々のサイン。
さすがに感慨深いものがあったし、緊張もした。
――まあ、出来るだけ丁寧に書いておこう。
はじめてのことなのでもちろん、サイン用の書体など考えていない。ごく普通の文字で、普通に書くことしか出来ない。それでも――。
碧海は大喜びしていた。
「ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
そう叫ぶ笑顔がとにかくまぶしい。
森也のような性格ではまぶしすぎてまともに見られないほど。とは言え、この場面で顔を背けるのは失礼だとの認識はあるのでちゃんと視線を向けてはいたが。
「あ、あの……それでですね」
碧海はしばらくモジモジしていたがやがて、思いきったように言った。
「ボク……わたしのマンガ、読んでみてもらえますか⁉」
それが主目的だったのだろう。自分の描いたマンガを好きなマンガ家に読んでもらいたいと思うのは普通のことだ。プロ志望のなかには直接、自分のマンガを持ち込んでくる熱心すぎて傍迷惑なタイプもいる。あきらのもとには年に何回かはそんな手合いがやってくる。もちろん、森也はそんな目に遭ったことはない。今回がはじめてである。
森也は碧海に言った。
「知っての通り、おれは『売れないマンガ家』だ。おれがアドバイスなどすれば売れない方向に行ってしまう可能性が高い。だから、内容に関してコメントはしない。それでもいいなら拝読しよう」
「お願いします!」
碧海は元気よく言うと原稿の束を差し出した。
――絵柄は王道の少年マンガ系だな。内容も王道の冒険ファンタジーか。
一読して森也はそう判断した。
――デッサンは正確だし、構図もよくできている。技術は高い。基礎的な練習をかなりこなしているな。しかも、最後まできちんと描ききっている。素人には最初に力を入れすぎて、途中で息切れして、ラストはふにゃふにゃになることも多いんだが……。
そもそも、きちんと完結させていると言うだけでも立派である。素人のなかには『内容が納得いかない』、『行き詰まった』などの理由で途中でやめてしまい、次の作品、次の作品と手を出すタイプも多い。そうして、未完成作品ばかりが溜まっていく。それをつづけていると結局、『マンガを描くこと』それ自体がいやになり、やめてしまうことになる。
マンガ家になりたいならとにかく完成させること。
それは、マンガを指導する立場にある人間なら誰もが口をそろえて言うこと。しかし、決して聞かれることのない忠告……。
それを思えばきちんと完成させているという一点だけで、碧海にはマンガ家になる資質があると言える。しかも、最後まで息切れせず、きちんと描ききっているのだから大したものだ。
――だが。
と、そこまでは褒めるべき要素。ここからは『プロ』として批判すべき箇所だった。
――全編にわたって同じように力を入れて描いているので展開にメリハリがない。山も谷もないからクライマックスでの盛りあがりに欠ける。まあ、真面目な新人にはありがちなことだし、直せる欠点ではあるが。ストーリー的にはまだまだ『物真似』の範囲だな。個性や独創性は出ていない。しかし……。
森也はじっと原稿を見つめた。それから、ドキドキした表情でまっている碧海を見た。
「この原稿……」
と、森也は言った。
「預かってもいいか? 他にも見せたい人間がいる」
「は、はい……!」
碧海は驚きと、喜びと、ついでに緊張も込めた顔で答えた。
「ありがとう」
と、森也は微笑を浮かべながら言った。身のまわりの女子たちから『「いちいち卑怯!』と言われる、その微笑である。
「せっかく、来てくれたんだ。カフェでお茶でもしていくといい。奢るよ」
と言うわけでその後しばらく、森也、さくら、碧海の三人でカフェでお茶をしながらおしゃべりした。碧海は最初のおとなしそうに見えた印象はなんだったのかと思うぐらいよく喋った。『憧れの人』を前にテンションがあがっていたのかも知れないが。
やがて、夕方になり、碧海はカフェを辞した。と言うより、遅くなることを心配した森也が帰るように告げた。なにしろ、いますぐグラビアアイドルが務まりそうな外見。とくに、その胸のふくらみを見れば、とてもではないが夜道をひとりで歩かせるわけにはいかない。その前に帰すか、あるいは送っていく必要があった。
碧海はカフェの前まで見送りにきたさくらに言った。
「ありがとう、先生に会わせてくれて。藍条先生、やっぱり、思っていたとおりの礼儀正しくて真面目な、いい人だった」
「いい人?」
「うん。だって、藍条先生はボクの胸、見なかった」
「はっ?」
「男の人ってボクの胸ばっかり見て、顔なんて見ないから。でも、藍条先生はちがった。胸なんか見ないでちゃんと顔を見て話してくれた。すっごくいい人だよ」
碧海はまぶしいほどの笑顔で言う。
――ああ。やっぱり、胸を見られること気にしてたんだ。
初対面でいきなり、胸をマジマジと見つめてしまったことを思い出し、気まずい思いにかられるさくらだった。とは言え――。
――その胸じゃ仕方ないでしょ。
とは、やはり思うのだが。
その『いい人』はその夜、自分の家に赤岩あきら、黒瀬ヒロ、緑山菜の花の三人を呼んで碧海のマンガを読ませた。全員が読み終えたところで尋ねる。
「どうだ、感想は?」
「うむ。良いな。実に良い。全編にわたって丁寧に描いてあって実に好感かもてる」と、あきら。
「起承転結もきちんとできている。この子、かなり基礎を勉強してるわね」と、ヒロ。
「絵も上手だし、構図もうまい。これならすぐにでも同人業界でデビューできるわ」と、菜の花。
「しかし……」
あきらがそう口にした。
「しかし、全編にわたって丁寧に描いている分、メリハリがない。単調な部分が長く、クライマックスが短い。盛りあがりに欠ける。これでは、読者は満足せんな」
「ストーリーも『よくある話』と言っておしまいなレベルだしね。まだまだ、プロのレベルには遠いわ」
ヒロもそう付け加えた。
ふたりのプロの容赦ない批評に森也もうなずいた。
「おれも同感だ。マンガ家としての適性はあるが、まだ未熟。しかし……わかっているだろう?」
「うむ」
「ええ」
「うん」
あきら、ヒロ、菜の花が口々に言った。そして、三人そろって同じ意味の言葉を放った。
「キャラ描写に関しては、お前より数段うまい」
「ああ。まさに、そうなんだ」
森也はむしろ、望んでそのことを認めた。
「真面目すぎるための欠点も目立つが、ことキャラ描写に関してはおれよりずっとうまい。キャラのやり取りが自然に描けている。これは持って生まれたセンスだろうな。勉強して身につくものではないだろう」
「でしょうね」
ヒロもそのことを認めた。
「この作品がうちの新人賞に応募してきたとして、入選はしないと思う。でも、その一点だけで、担当編集がついて鍛える、と言う結果になってもおかしくないわ」
まだ入社二年目の若手とは言え、大手出版社勤務の編集者。そんな人間がこれだけ言うのだ。どれほど優れているかわかろうというものだ。
「ならば、うってつけではないか」
あきらが言った。
「世にもめずらしいお前の大ファンなのだろう? お前の欠点であるキャラ描写に天性のセンスがあり、絵柄もお前の世界を描くのにピッタリはまる。お前が求めていた『ペン』としてうってつけの存在ではないか」
「あたしもそう思う」と、ヒロ。
「この子のセンスであんたのアイディアとストーリーを描いたら、売れると思う」
「ってか、なんでその場で誘わなかったのよ。あんたならその程度の判断、一目でつくでしょうに」と、菜の花。
森也は姉の言葉に答えた。
「相手が成人なら誘っていたさ。だが、まだ高校生。巻き込んで良いものかと思ってな。意見を聞きたかった」
「いまさら、なに言ってんのよ」
菜の花が『あきれた!』という感じで言った。
「いつの間にやら、現役JKばっかりはべらせてるくせに」
「……さくらが連れてきたんだ。おれが集めたわけじゃない」
姉の言葉に――。
森也は苦り切った表情で答えた。
「良いではないか。かわいい女子高生は何人いても困ることはない。しかも、群を抜く巨乳だそうではないか。これは、加えなければ損というものだろう」
「おれは胸より足派だ」
あきらの言葉に森也はそう答えた。
「まあ、スラックスの上からでも下半身の形の良さはわかったが」
「だが、真面目な話、その娘、マンガ家志望なのだろう? ならば、本人にとっても千載一遇のチャンスではないか。チャンスは与えてやるべきだ。仮にプロのマンガ家として一本立ちできなかったとしても、この画力があればプロアシスタントとして充分、やっていける。わたしが使いたいぐらいだからな。食うに困ることはない。ヒロとの関わりがあれば編集者になる道も開けるしな。とにかく、誘ってみるべきだろう」
「……ふむ」
売れっ子マンガ家の言葉に――。
森也はしばし、考え込んだ。
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