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第三話 覇者マヤカの告白

一八章 覇者マヤカの告白

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 「マヤカの部屋? そんなところに行くの?」
 すばるに連れられて王宮内を歩いているさなか、メインクーンはそう尋ねた。
 「そうだ」と、昴はうなずいた。
 「なんでそんなところで会うの? 国王に謁見するとなったら謁見の間とかじゃないの?」
 「さすがに政務が立て込んでいるなかで、君に会うという『仕事』を割り込ませることはできなくてね。失礼だが私の個人的な友人を紹介すると言う形で休息時間中に会っていただくことにした」
 「休息時間中にわざわざ他人と会うの?」
 徹底した個人主義者である〝知恵ある獣ライカンスロープ〟にとっては信じられない対応だ。
 「本来ならばやらない。陛下は日頃からご多忙を極めておられる。休息時間は極めて貴重だ。しかし、その時間を削ってでも君とは会う価値がある。それぐらい、陛下は有為な人材を求めておられる。そういうことだ」
 「ふうん」と、メインクーンは別に感心したふうでもなくうなずいた。
 「まあ、わたしはどんな形でも聞きたいことが聞ければいいわけだけど」
 メインクーンはそう言ってから昴を見た。不思議なものを見るような色が瞳のなかに浮いている。
 「どうかしたかね?」
 「わたしはずっと『マヤカ』って呼び捨てにしているのに何も言わないんだなって思って」
 マヤカはシリウスの王。一国の王を、それも、臣下の前で呼び捨てにしているのだ。普通は不敬罪を食らうか、少なくとも注意ぐらいはされているだろう。
 「ああ、そのことか」と、昴は『なんだ、そんなことか』と言いたげに答えた。
 「君はシリウスの民ではない。シリウスの国から何の恩恵も受けていない。である以上、シリウス王に礼を払う必要はない」
 その言葉に――。
 メインクーンは今度こそ感心した表情を浮かべた。
 「堅苦しい冷血漢に見えるけど、以外と話がわかるのね」
 「……正直すぎるのが君の欠点だと言われたことはないかね?」
 「それを言われなかったら〝知恵ある獣〟じゃないわ」
 「……それもそうか」
 昴は諦めたように答えた。
 「とは言え、陛下は私にとって大切なご主君だ。呼び捨てにされるのは愉快ではない。せめて、陛下の御前では礼儀を払ってくれるとありがたい」
 「それは無理」
 「だろうな」
 昴は納得顔でうなずいた。
 〝知恵ある獣〟が人間的な上下関係など受け入れるわけがない。むしろ、国王だの、領主だのと聞けばそれだけで反発する。逆らいたくなる。それが徹底した個人主義者である〝知恵ある獣〟というものだ。
 メインクーンはトリトン公国では大公とその息子に対して敬語を使っていたし、礼儀も払っていた。しかし、それは、トリトン公国が流浪の身であった自分と母親に安住の地を与えてくれたからだ。
 いくら個人主義でも恩義のある相手には礼儀を尽くす。
 それもまた、〝知恵ある獣〟。
 マヤカに対しては何の恩義もない。それどころか、自分たちが戦火に追われ、苦しむ羽目になった原因を作った張本人なのだ。言わば怨敵。その怨敵相手に身分が違うなどと言う人間的な理由で下手に出たりはしない。それが〝知恵ある獣〟という種族。
 王宮のなかを昴に案内されて歩きつづける。
 案内されて、と言っても前に立っているのはメインクーンの方だ。昴は斜め後ろを歩きながら要所、要所で行く先を指示してくる。
 いつでも剣を抜いて斬り捨てられるよう、後ろから抜き打ちできる位置を確保しているのだ。
 そのことははっきりとわかっていた。メインクーンほど鋭敏な感覚の持ち主でなくてもわからざるを得なかったろう。何しろ、昴ははっきりと殺気をぶつけてきているのだから。
 本気でメインクーンを斬ろうというのではない。
 警告である。
 ――不審な真似をすれば斬る。
 そう告げているのだ。
 もし、本気で殺す気なら殺気を漏らすような真似はしない。そんな甘い人間ではない。殺すとなればあくまでも仕事として、何の感情もないままに斬り捨てる。
 そう言う人間だ、昴とは。
 メインクーンはそのことをはっきりと感じ取っていた。
 もちろん、昴の前で怪しまれるような真似をする気はない。いまの自分では昴に勝てない。そのことはわかっている。
 こんなところで昴に斬られて死ぬわけにはいかない。
 自分は何としても、自分を殺した戦争を踏みにじってやらなければならないのだ。
 それに何より、メインクーンがマヤカに会おうとするのは問い質すためであって殺すためではない。誤解を受けるような真似をして会えなくなったらそれこそ台無しだ。
 だから、メインクーンは昴に言われるままにおとなしく進んだ。
 やがて、王宮の上階にある扉の前についた。
 「ここが陛下のお部屋だ」
 昴がそう言ってはじめてメインクーンの前に出た。
 扉をノックする。
 「陛下。昴です。例の人物を連れて参りました」
 「お入りなさい」
 たおやかな女性の声がした。
 メインクーンは意外な思いを禁じ得なかった。
 ――いまのがマヤカの声?
 マヤカって女性なの?
 そう言えばマヤカの性別を聞いたことはなかった。『覇者マヤカ』などと言う大層な呼ばれ方からてっきり、ごつい男だと思っていた。そもそも性別など興味なかったので気にすることもなかった。それでも、扉の向こうから聞こえてきた声の、たおやかで上品な調子には意外な念を禁じ得なかった。とてもではないが『覇者マヤカ』などと呼ばれる人物の声とは思えなかった。むしろ、
 聖母。
 そう呼ばれる方がずっとふさわしい。そう思わせる声だった。
 ――それとも、いまの声は王妃のものとか?
 そうであってもおかしくはない。
 ――まあいいわ。会えばわかることだもの。
 メインクーンはそう思い、よけいな疑問をあっさり振り捨てた。行動する前にウジウジ考え込むなど〝知恵ある獣〟のやるべきことではない。
 「失礼します」
 昴は声をあげて扉を開いた。
 その姿は背筋をビシッと伸ばしたいかにも生真面目なもので、緊張しているのが一目でわかった。
 ――この男でも緊張したりするのね。
 そんな繊細な人間とはとうてい見えない。会う人間、会う人間すべて『この無能が』と内心で見下している無神経な怪物。そんな印象なのだが。
 ――それだけ、マヤカを敬っているというわけね。
 この昴をしてここまで敬わせるなんて、マヤカとはいったいどんな人物なのか。
 メインクーンはマヤカという人物に興味を持ち始めていた。
 扉を開けた瞬間――。
 ふわり、と、ほのかな花の香りが漂った。
 ――香水?
 ではなかった。
 その部屋のなかには多くの花の鉢植えか飾られており、濃密な生きた花の匂いが部屋のなかの空気を満たしていたのだ。
 部屋の中央。
 そこにひとりの人物が立っていた。
 昴はその人物の前に進み出ると膝をついた。普通ならば並んで膝をつくべき場面だがもちろんメインクーン、と言うより〝知恵ある獣〟はそんなことはしない。
 〝知恵ある獣〟が膝をつくのは、あの世にもこの世にも母親と恩義のある相手だけだ。
 だから、メインクーンは跪いたりしなかった。そのかわり、正面からじっとその人物を見つめていた。
 昴が頭を垂れまま言った。
 「陛下。このものがお話ししたメインクーンにございます」
 「ご苦労でした、昴」
 その人物はたおやかな笑みを黒衣の宰相に向けた、それから、メインクーンに視線を移した。
 「はじめまして。わたくしがシリウス国王マヤカです。あなたのことは昴から聞きました。大層な腕をもつ冒険者だそうですね」
 そう言ってにっこりと微笑む。
 「あなたが覇者マヤカ?」
 メインクーンは尋ねた。
 戸惑いこそしなかったが意外だったのはまちがいない。そこにいたのは『覇者』という名前にふさわしい屈強な体躯の大男ではなかった。冷徹鋭利な印象の美青年でもなければ、権謀術数を駆使する悪女めいた美女でもない。
 そこにいた人物。
 それは四〇代とおぼしき女性だった。
 体型はふくよかで、女性らしく丸みを帯びている。と言って、太っているという印象はない。それよりも、慈愛の笑みといい、母性と包容力とを感じさせる。思わず、その膝に抱かれて眠りたくなる。
 そんな女性だったのだ。
 メインクーンの言葉に――。
 その女性はふと悲しそうに眉を曇らせた。
 「……覇者マヤカ。ええ。そんな呼び方をされていることは知っています。わたくし自身がそんな名を名乗ったことは一度もないのですけど」と、悲しそうに微笑んでみせる。
 「わたしはあなたに聞きたいことがあって、きた」
 挨拶ひとつせずにメインクーンは本題を切り出した。よけいな挨拶や世間話で時間を浪費にする習慣は〝知恵ある獣〟にはない。この種族は常にまっすぐなのだ。
 「なんでしょう」と、マヤカは答えた。その答え方がまた、どんな質問も受け入れてくれそうな包容力を感じさせる。
 「なぜ、戦争を起こしたの?」
 「どういう意味でしょう?」
 「わたしは幼い頃、母とふたり、戦火に追われて旅をしていた。修道院の炊き出しにあってもスープを受け取る器がなく、母が自分の手に盛って真っ赤に焼けただれた手から飲ませてくれる、そんな旅だった。なぜ、わたしたちはそんな思いをしなくてはならなかったのか。それを戦争を起こした当事者であるあなたに問いたい」
 「まあ」と、マヤカは眉を曇らせた。
 「それは大変なご苦労をされたのですね」
 マヤカはそう言った。
 その一言だけで、人間の男であればたちまち母を恋しがる子供に戻り、胸に顔を埋めて泣き出してしまいたくなる。そんな母性を感じさせる声だった。
 もちろん、男でもなければ、人間でもないメインクーンはそんなことに心を動かされたりはしなかったけれど。
 マヤカは言った。
 「あなたとあなたのお母上の苦難には心から同情します。わたくしはまさに、そのような思いがするヒトが生まれないよう行動を開始したのです」
 「どういうこと?」
 「この北方大陸の歴史はご存じでしょう? この北方大陸は川と湖沼と湿地帯に覆われた水の領域。他の地域のように資源に恵まれているわけではなく、農耕に適した土地も少ない。そのために、ヒトは古くから川や湖に乗り出し、魚介類を採ることで生計を立ててきました。季節毎に漁場をもち、一年を通じて移動しながら漁をすることで生きてきたのです。
 そんななかで豊かになるためには他人の猟場を奪うしかない。そのため、古来から猟場を巡って人と人が殺し合いをしてきました。やがて、大きな漁場をもったものが他人をまとめあげ、大きな勢力となり、国が出来上がりました。
 そうなってもなお、争いは止むことはありませんでした。国と国が漁場を巡って争い、殺し合い、戦争こそが日常。そんな暮らしだったのです。
 事実、ラ・ド・バーン大陸のなかでもこの北方大陸ほど争いに満ちた地域はありません。わたくし自身、幼い頃に王位争いに巻き込まれ、母やわずかな従者と共に追手から逃れ、大陸中を転々としなければなりませんでした。それだけに、戦火に追われて旅をしなければならなかったあなたとあなたのお母上のご苦労はわかるつもりです」
 「別に、同情してほしいわけじゃないけど」
 メインクーンはそう言った。
 自分でもある程度は自覚しているが、仮にも自分のことを思いやってくれた相手に対し、かなり無礼な発言と言えた。しかし、そうと自覚してはいてもそう言ってしまうのが〝知恵ある獣〟。徹底した個人主義のもたらす弊害だ。
 相手によっては、と言うより、たいがいの国王ならば即刻、不敬罪で処刑しようとするだろう。しかし、マヤカはむしろ恥じ入ったように頬を赤くした。
 「これは失礼しました。たしかに、傲慢な物言いでしたね」
 マヤカはそう言って頭をさげた。
 一国の王とは思えない腰の低い態度。メインクーンもさすがに意外な思いに駆られた
 「ですが、どうか、あなた方のご苦労に対して同情することをお許しください。わたくしは、生命懸けの逃避行を繰り返すなかで誓ったのですから」
 「誓った? なにを?」
 「もう誰にも自分のような思いはさせない。そのことをです」
 「どういうこと?」
 「この地に永遠の平和を。戦争なんて二度と起こさせない。わたくしは子供心にそう誓ったのです」
 「戦争を起こさせない?」
 「そうです。そして、シリウス国王になったいま、その誓いを果たすために行動しているのです」
 「戦争を起こさないなんて言うなら、どうして自分から侵略をはじめたりしたの? おかしいじゃない」
 「私がそうすべきだと陛下に進言申し上げたのだ」
 いつの間にか立ちあがっていた昴がメインクーンを見ながら言った。
 「あなたが?」
 「そうだ。戦争を起こすことが陛下の御心にそぐわぬ行為であることはわかっていた。だが、誰かがそれをやらなければどうなる? 戦争は続き、いずれは再び文明が崩壊するときを迎えるだろう。せっかくここまで再興したと言うのにまた滅びるなど。我々とおなじ、いや、それ以上に惨めな思いを我々の子孫にさせるなど、私にはとうてい我慢ならなかった。だから、私は陛下に進言申し上げた。力をもって大陸を統一すべし、と」
 「心苦しい決断でした」
 そう言うマヤカの表情はとても悲しげであり、本心からの言葉であることは一目でわかった。
 「ですが、昴の言うとおり、それは誰かがやらなければならないことだったのです。でなければ、戦乱の果てにすべては滅びてしまう。その前に誰かが大陸制覇を達成し、すべてをひとつにまとめあげる。それこそが結果的には最も被害の少なくて済む道。そう納得し、開戦を決めたのです。ですが……」
 ほう、と、マヤカは悲しげに息をついた。
 「いまもなお、わたくしたちの思いを理解せず、大陸統一を阻んでいるものたちがいます。かの人たちは未来永劫、戦乱のつづく世を守ろうとしているのです。わたくしはなんとしてもかの人たちを屈服させ、大陸を統一し、戦乱のない世の中を実現しなくてはならない。そのためにひとりでも多くの有為な人材が必要です。あの塔を制覇したあなたであればその能力は申し分ありません。わたくしたちの思いは同じ。どうか、あなたの力をお貸しください」
 戦争をなくすために。
 マヤカはそう言って頭をさげた。
 「ひとつ聞くけど」
 「なんでしょう?」
 「あなたの起こした戦争によって多くの人が被害を受けた。その人たちがあなたに、と言うより、シリウスに従うと思っているの?」
 「従う、従わないの問題ではありません。共に手を取り合い、平和な未来を手に入れようと言うのです」
 「手を取り合う? 武力であなたの思いを押しつけておいて?」
 「たしかに、最初のうちは反発されるかも知れません。ですが、同じヒト、同じくこの北方大陸に住むものたちではありませんか。いつか必ずわたくしたちの思いが理解され、共に歩めるときが来る。わたくしはそう確信しております」
 「そう」と、マヤカの答えを聞いたメインクーンは静かに答えた。
 「わたしは北の果て、トリトン公国で育った。そこでひとりの師に出会い、教えを受けた。『平和こそヒトの敵』とね」
 その言葉に――。
 マヤカは悲鳴をあげそうな表情になった。
 「平和こそ敵ですって⁉ 何を言うのです、平和こそヒトが願ってやまないものではないですか! それを敵などとは……」
 マヤカはおぞましいものを見る目でメインクーンを見た。
 メインクーンは答えた。
 「では、平和とはなに? それは秩序の維持に他ならない。そして、秩序を維持するとは金持ちは永遠に金持ちのまま、貧乏人は永遠に貧乏人のままという意味。
 師は言ったわ。
 秩序を維持するとは車輪の回転を止めるようなもの。車輪の上の部分はその位置を維持しようとし、車輪の下の部分は車輪を回転させて自分が上に行こうとする。
 車輪をとめようとする力と車輪を動かそうとする力。
 そのふたつがぶつかり合えば車輪は壊れてしまう。そうさせないためには車輪は回しつづけなければならない。秩序は維持されてはならない。世界とは常に変化する流動的なものでなければならない。その意味で、秩序の維持を前提とする平和こそは争いの元凶であり、ヒトの敵。戦争のない世界を築くためにはまず、平和こそが否定されなければならないってね」
 「な、何と言う暴論を……。あなたの師は間違っています! 平和が争いの元凶だなととそんなことは絶対にありません!」
 「なぜ、そう言いきれるの? ヒトはずっと平和、平和と言いながら争いを起こしてきたじゃない。戦争を繰り返してきたじゃない。その事実こそが師の言葉の正しさの証明。そうは思わない?」
 「そ、それは……」
 「もういい加減ちがうやり方を試してみてもいいころよ。
 覇者マヤカ。
 あなたをここで殺しはしない。でも、あなたにつくこともしない。わたしはあなたに対抗する力となる。師の教えを実現し、あなたを倒す。そのときのために……あなたをいま、生かしておく」
 音もなく剣が抜かれた。
 昴の抜き打ちが疾風となってメインクーンの銅をなぎ払った。
 〝知恵ある獣〟の少女の身がまっぷたつに両断された。
 そう見えたのは一瞬の錯覚で、メインクーンは瞬時に後ろに飛び退き、昴の斬撃をかわしていた。
 メインクーンは油断などしていなかった。
 神経を張り詰め、昴の動きに注意していた。
 この男に勝つことは出来ない。けれど、逃げることなら出来る。逃げて、生き延びて、自らの勢力を作りあげ、マヤカを倒す。そのために――。
 メインクーンは神経を張り詰めていたのだ。
 ふわり、と、メインクーンは鳥の羽毛のような軽やかさで窓辺に降り立った。
 覇者マヤカと宰相、昴。
 自分と母の怨敵であるふたりを静かに見据えた。
 「覚えておきなさい。わたしが、あなたたちのまちがいを教えてあげる。このメインクーンがお母さんにかわって叱ってあげる」
 そして――。
 メインクーンは窓から身を投げ出した。

        第一部『旅立ち』完。
        第二部『宮廷円舞』につづく。
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