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第三話 覇者マヤカの告白

一三章 国王に会わせて

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 「国王に会わせて」
 いきなりそんなことを言われたら、門を守る衛兵としてはどうすればいいのだろう?
 しかも、そう言ってきた相手がまだ一五、六歳の〝知恵ある獣ライカンスロープ〟の少女――それも、とびきり美しい少女――だとしたら?
 答えは人によってちがうだろう。
 では、実際にそう言われた衛兵はどうしたかと言うと――。
 どうしたらいいのかわからなかった。
 だから、何もしなかった。と言うより、出来なかった。支給された長槍を右手にもち、束を地面に突いたままの格好で、戸惑った表情を浮かべて〝知恵ある獣〟の少女を見つめていた。
 〝知恵ある獣〟の少女はじっと見つめてくる。
 何もできずにいるこちらが恥ずかしくなるぐらい真摯な目だった。
 「国王に会わせて」
 少女は重ねて言った。
 ――さすがにこれ以上、ダンマリを決め込むのはまずいな。
 衛兵もそう思った。
 門を守るのが衛兵の職務、と言うのももちろんある。しかし、そんなことよりもこうも真摯に要求してくる少女に対し、何も言わずにいるのは失礼に過ぎる。そんな思いがあった。
 「え、ええと……」
 瞳を泳がせながら、とりあえず、そんな声を出してみる。その間に言うべき言葉を必死に探す。
 「な、なんで、国王陛下にお会いしたいのかな?」
 何とか、ようやく、それだけを言った。
 少女の答えはその真摯な眼差しにふさわしく、まっすぐなものだった。
 「聞きたいことがある」
 「聞きたいこと?」
 「そう」と、少女はうなずいた。
 「なぜ、戦争を起こしたのか。そう、国王マヤカに聞きたい」
 キッパリと――。
 〝知恵ある獣〟の少女メインクーンは言い切った。

 鳳凰ほうおう大陸たいりくラ・ド・バーン。
 その形が四枚の翼を広げた鳳凰を思わせるところからそう呼ばれる。
 また、巨大な恐竜たちが闊歩する大地でもあることから『恐竜大陸』とも呼ばれる。
 ラ・ド・バーン大陸はあまりにも広大であり、地域毎の自然環境の差異も大きい。そのために各地域ごとの行き来が困難であり事実上、各地域ごとに独立した区域として存在している。
 北頭部ほくとうぶ
 央胴部おうどうぶ
 南尾部なんびぶ
 東北翼とうほくよく
 東南翼とうなんよく
 西南翼せいなんよく
 西北翼せいほくよく
 その七つの区域に分けられ、それぞれに独自の在り方をしているのだ。ずっと過去においては大陸中を自由に行き来していたとも言われるが、それらの話はすでに伝説の領域であり、事実がどうかを知るものはいない。
 いまでは各地域を越えて移動するのはよほど腕の立つ冒険者か、野心あふれる商人ぐらいのもの。それ以外のほとんどのヒトは自分の生まれた区域から出ずに一生を終える。もっとも、ラ・ド・バーンはその広大さから、各地域一つひとつだけでもヒトの一生をかけても回りきれないぐらい広いのだが。
 その広さ故に北方大陸、中央大陸と言った呼び方をすることも多い。ラ・ド・バーンの七つの地域は海ではなく、距離と過酷な大自然とによって隔てられた独立した大陸なのだ。
 そして、ここは北方大陸最大の国家シリウス。
 その王都メグ。
 そのなかの王宮前だった。
 シリウスの領土の広さは北方大陸の国々のなかでも群を抜いており、北半分のほとんどを傘下に収めている。
 もっとも、そのうちの半分ほどは現国王マヤカが即位してから開始した征服戦争によって手に入れた、いわば即席の領土だが。それも、順調に領土を広げられたのは最初の数年間だけで、各国が連携して対抗するようになってからは領土獲得のペースは格段に落ちている。特にここ数年ほどは北方大陸第二の大国ヴェガの本格的な参戦もあって、ほとんど領土を広げられずにいる。
 さらに、征服した地域での反乱やサボタージュにも悩まされており、決して盤石と言えるような状況にはない。それでも――。
 国王マヤカは大陸統一の目標を掲げ、征服戦争をつづけている……。
 王都メグは前線から遠いこともあって直接的に戦火にさらされているというわけではない。古くからの王都と言うこともあって国民は王家に臣従しており、最近、征服した領土のような反抗や不服従と言った不穏な空気が漂っているというわけでもない。全体的に言って、まずはのんびりと過ごせる土地柄だった。
 とは言え、二〇年に及ぶ苛烈な戦争の費用を捻出するために年々、税はあがっているし、大規模な兵士の登用も行われている。最近では王都でもいよいよ徴兵制が導入されるのでは、という噂も飛び交っている。
 前線から遠いとは言っても決して戦争と無縁というわけではなく、一皮むいた水面下では不安と緊張が渦巻いている。
 そんな状況にあるところに『国王に会わせて』と、見知らぬ少女が言ってきたのだ。『はい、そうですか』などと通せるものではない。
 と言って、それではどうすればいいのだろう?
 衛兵は途方に暮れた。もちろん、すんなり通すわけにはいかない。不審な人物は追い返すのが衛兵の職務と言うものだ。しかし、どうやって?
 説得して穏便に帰ってもらうか。
 あるいは、手にした槍を突きつけ、追い返すか。
 どちらも見込みはありそうにない。少女の視線はあまりにも強く、真摯なもので、どんな説得にも耳を貸さないであろうことは容易に想像できた。では、力ずくで追い返す?
 とんでもない。
 衛兵は思わず首を左右に振っていた。
 相手は少女とは言え〝知恵ある獣〟。〝知恵ある獣〟の戦闘力の高さはよく知っている。と言うより、さんざんに聞かされている。それは、もはや神話の域にまで高められた伝説的なものなのだ。
 曰く、暴君竜ぼうくんりゅうと真っ向から打ち合い、これを打ち倒す。
 曰く、首長竜くびなかりゅうの首筋に食らいつき、食いちぎる。
 曰く、鎧竜よろいりゅうの装甲を素手でぶち破り、なかの内臓を食らい尽くす……。
 そんな噂が幾つも飛び交っている。
 さすがにそれは大げさだとは思う。いくら身体能力に優れているとは言え、人間とかわらない大きさしかない生き物に、あの巨大な恐竜相手に真っ向から打ち合うなんてできるわけがない。
 それでも、話半分、いや、話十分の一だとしても一般的な人間の兵士が太刀打ちできるような相手ではない。そんなことはわかりきっている。下手に槍など突きつけて怒らせて。襲いかかられたら……。
 〝知恵ある獣〟の襲撃から逃れられるだけの自信などまるでなかった。何しろ、かの人は素人なのだ。『衛兵』とは名ばかりの新人で、それまでその役職にあったベテランたちが前線に送られ、空きが出来たので『お前、かわりをやれ』と、無理やり押しつけられただけの商人の息子に過ぎないのだ。毎日の訓練を受けてはいても、実勢経験ひとつありはしない。
 ――冗談じゃない。こんなところで死んでたまるか。
 そう思う。
 無理やり押しつけられたとは言え、仕事は仕事。責任感をもっていないわけではない。だからと言って、自分の生命と引き替えにするほどの義理はない。
 何しろ、結婚してまだ数年の妻と、幼い子供がいるのだ。ふたりのためにも生きて、生きて、生き抜いて、生活費を稼がなくてはならないのだ。こんなところで〝知恵ある獣〟相手に喧嘩を売って死ぬわけにはいかない。
 ――と言って、職務放棄するわけにもいかないし。
 シリウスは法の施行には極めて厳格な国だ。功績あるものには厚く報いる一方、法を破ったものには容赦しない。
 職務放棄、それも、王宮の門を守るという重要な職務を放棄したりしたら見せしめという意味もあって死刑にされかねない。それも困る。どうしたら、この場を生き残れるのだろう? 
 「聞こえないの?」
 〝知恵ある獣〟の少女はやや苛立ったような声をあげた。
 「国王に会わせて」
 「え、ええと、なんで陛下に会いたいんだっけ?」
 少女はますます苛立ったようだった。真摯すぎるほど真摯な目に怒りの色が浮かびはじめた。
 ――これはヤバい。
 衛兵は本能的に危険を悟った。
 職務放棄は厳罰。
 その規定さえなければ槍など放り出して、この場から逃げ出したいぐらいだった。
 「言ったでしょう。なぜ、戦争を起こしたのか。それを聞くためよ」
 「え、ええと……」
 衛兵はまだ判断が付かない。
 話を聞く?
 本当にそれだけ?
 もし、そうなら通してもいいのか?
 しかし、それでもし、陛下を襲ったりしたら?
 すべては自分の責任とされ、処刑台に送られることはまちがいない。
 「え、ええと、それはつまり、陛下に拝謁はいえつしたいと言うことでいいのかな?」
 「拝謁でも、面会でも、なんでもいいけど、その通りよ。わたしは覇者マヤカに会いにきたの」
 覇者マヤカ。
 征服戦争を展開する国王マヤカがそう呼ばれていることはもちろん、衛兵も知っている。
 「だ、だけど、国王陛下は極めておいそがしいお方で、そうおいそれと拝謁することは出来ないわけで、その……」
 衛兵が戸惑っていると〝知恵ある獣〟の少女はさらにたたみかけた。
 「だったら、どうすれば会えるの?」
 「そ、それは……誰かの紹介状があるとか……」
 「誰の紹介状があればいいの?」
 「陛下に近いお立場におられる貴族さまとか、でなきゃ、一流どころの冒険者とか……」
 「この国の貴族や、一流冒険者の知り合いはいないけど……」
 少女はそう言いながら認識票を取り出した。
 「わたし自身が一流冒険者と言っていいわ。ほら、見ての通り、上級二位の冒険者よ」と、認識票を見せつける。
 衛兵はそれを見て目を丸くした。
 まちがいない。ギルドが発効している正規の認識票。そこに記されているのはまぎれもなく、上級二位の紋。とすると、この少女は本当に……?
 ――ヤ、ヤバいヤバいヤバい! 〝知恵ある獣〟って言うだけでもヤバいのにそのうえ、上級二位の冒険者だと⁉ そんなの、ますます喧嘩なんて出来ないぞ。
 上級ともなれば冒険者全体の一パーセント行くかどうかという凄腕だ。しかも、そのうちのほとんどは三位に納まる。上級二位というのは本当にめったにいない怪物なのだ。そんな怪物と戦って生き残る自信などまるでなかった。
 冷や汗が流れる。
 心臓がバクバクする。
 ――で、でも、まてよ。陛下は北方大陸統一を達成するために有力な人材は広く集めておられる。上級二位の冒険者ともなれば有力な人材であることはまちがいない。だったら、通しても職務違反にはならないよな? 少なくとも、上の人にお伺いを立てるぐらい……。
 お伺いを立てる。
 そのことに思い至ったとき、かの人はようやく安堵の息をついた。
 ――そうだ。そうすればいいんだ。おれはしょせん下っ端の門番。自分で何かを判断する必要なんてない。偉い人に報告して判断してもらえばいいんだ。そうすれば、何が起ころうとおれの責任じゃなくなる……。
 衛兵はそう判断した。
 それをズルいとか卑怯と言うわけにはいかないだろう。何しろ、将来、親の店を継ぐために、真面目に商人として働いていたのに『衛兵に空きが出来た。お前、かわりを務めろ』といきなり兵士にされ、槍を持たされた身なのだ。職務に責任を持てという方が無理である。
 「え、ええと……それじゃあ、上の人に通していいかどうか聞いてくるから、君はもう少しここでまって……」
 「まだ、またせる気?」
 スイッと――。
 少女は前に進み出た。
 いつ動いたのかわからない。それほどなめらかで無駄のない動きだった。
 真摯な瞳に静かな怒りが浮いている。激しさがない分、引き込まれそうな深みのある怒り。それが逆に恐ろしい。
 「ヒッ……」
 衛兵は恐ろしさのあまり一歩、引き下がった。
 そのときだ。
 「何事だ」
 衛兵に比べれば一万倍も威厳があり、ふてぶてしく、そして、冷徹な声がした。
 振り返ると、そこには何人かの随員を引き連れた男が立っていた。
 歳の頃は二〇代後半から三〇代前半と言ったところだろうか。若く見えるが意外と年かさという気もする。黒字に銀と金の刺繍をした礼服を着込み、左右の腰に一本ずつ、計二本の長剣を差している。
 ――強い。
 メインクーンはそう悟った。
 人間としての理性ではなく獣としての直感でそう感じたのだ。
 ――この人間、わたしより強い。
 それはまさに驚くべき事実だった。
 身体能力から言えば人間は〝知恵ある獣〟にはるかに劣る。その人間のなかに自分よりも強いものがいるなんて。
 ――人間と言うのは不思議な種族でな。
 トリトン公国で師である『誰?』から聞いた話を思い出していた。
 ――人間以外のヒト族は種族内の個人差などは、さしてない。なのに、人間だけがちがう。人間だけは個人間の差が極めて大きい。ごくごく稀には〝知恵ある獣〟以上の身体能力をもつ人間もいたりする。
 そう教わってはいた。しかし、実際にそんな人間を見るのははじめてだ。
 ――まさか、このわたしが人間相手に戦いを避ける気にさせられるなんてね。
 本気でやり合えば殺される。
 そう思えるぐらい、黒衣の男からは圧倒的な強さを感じていた。
 と言っても、戦いを避けることを不本意とか、屈辱だとは思わない。そんなことは野蛮な人間の思うこと。獣は勝てない戦いなどしない。それが獣の本能と言うものだ。
 「こ、これは、宰相閣下……」
 衛兵が救われたような、怯えたような声をあげた。
 実際、衛兵は救われた気分でもあり、また、怯えてもいた。
 判断を仰げる偉い人、それも、王国のナンバー2と言える宰相閣下が現れてくれたのは嬉しい。しかし、職務に対して極めて厳格、有能な人材は深く愛する一方で無能者には容赦しない。そう噂される冷徹な宰相にこの場を見られたとあっては、処罰の対象にされかねない。
 冷徹無比、絶対零度の宝剣。
 そう称される宰相に睨まれたらどんな目に遭うことか……。
 黒衣の宰相に対して事情を説明したのはメインクーンだった。と言っても、一言、伝えただけだが。
 「国王マヤカに会わせてと言っただけよ」
 「会えないのかね?」
 チラリ、と、メインクーンは衛兵を見た。
 「この人が通してくれないの」
 「そうか」と、黒衣の宰相は小さく呟いた。
 冷静でよどみのない、しか、その底に流れる不気味さを感じさせる声だった。
 「衛兵。名は?」
 「はっ、はっ?」
 「陛下は大陸統一の大望のため、広く有為な人材を募っておられる。にもかかわらず、これほどの逸材を門前払いしようとはな。その見る目のなさは処罰に値する」
 「そ、そんな……!」
 悪い予感が的中し、衛兵は泣きそうになった。
 これほどの逸材。
 黒衣の宰相は認識票を見ることもなく、そう言い切った。さすが、実力者だけあって、メインクーンの力量を一目で見抜いたのだ。
 哀れなのは衛兵だ。冷徹無比な宰相閣下に睨まれて、すっかり怯えている。そんな衛兵を助けてくれたのは〝知恵ある獣〟の少女だった。
 「まだ、わたしをまたせる気? こっちを先に済ませて欲しいんだけど」
 「ああ、そうだったな」
 黒衣の宰相はうなずいた。
 それきり、衛兵のことなど忘れてしまったらしい。もとより、この冷徹無比な宰相にとって一門番などその程度の存在。衛兵は自分が忘れられたことを察して、安堵の息をついた。この宰相に目を付けられるぐらいなら、存在を忘れてもらった方が百万倍もマシというものだ。
 ――助かったよ、ありがとう。
 衛兵は〝知恵ある獣〟の少女に心のなかでそう感謝した。
 もちろん、メインクーンにしてみれば衛兵を助けたつもりなとなどない。ただ単によけいな時間を取られることにうんざりしただけだ。それでも、衛兵にとって人生の恩人であることに違いはない。
 黒衣の宰相はメインクーンに向かって言った。
 「私の名はすばる。君の名は?」
 「メインクーン」
 「では、メインクーン。私の執務室まできていただこう。話はそこで聞こう」
 「ええ」
 メインクーンはうなずいた。
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