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第二話 戦争を起こした相手に会いに行く

一一章 学びの成果

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 ――何これ?
 メインクーンは自分の足に刺さった矢を見つめながら、心に思った。見てみるとエキノドルスたち三人はすでに、尻に帆をかけて逃げ出していた。
 一度たりと振り返ることなく、一目散に駆けていく。怪物と戦ってみようとか、ここまで一緒に戦ってきた同行者を見捨てることのへのためらいや躊躇、迷い、そんなものは一切、感じさせない。いっそ『あっぱれ』と言いたくなるような逃げっぷりだった。
 メインクーンはどんどん小さくなっていくエキノドルスたちの後ろ姿を、目を大きく見開いたまま見つめていた。そこへ――。
 『ディノシックル』の名の由来となった巨大な鎌が襲いかかった。
 轟!
 と、音を立てて巨大な鎌が振るわれる。強靱なオークの大木ですら一刀で両断されそうな勢いだった。もし、まともに食らっていれば、メインクーンの細身の体など鋭利なカミソリの前の紙切れのようにたやすく切り裂かれていただろう。だが――。
 巨大鎌が空気を裂いて通り過ぎたとき、メインクーンはすでにそこにいなかった。数歩離れた後方、怪物の間合いの外にその姿はあった。瞬間移動してのけたとしか思えないその動き。だが、魔法ではない。忍術だ。筋力ではなく、体重移動を使って一気に、しかも、遠距離を跳び去る。そのために、見慣れないものには瞬間移動したとか思えないその動き。『誰?』によって叩き込まれた忍びの技のひとつ。
 ――鬼式おにしき歩法ほほう・つむじ。
 その名で呼ばれる技であった。
 メインクーンは充分な間合いを取ると、かすかに身を屈め、足に突き刺さっている矢を引き抜いた。自分の血にまみれたその矢を、そろり、と、舐めあげる。
 ――おいしい。
 そう思う。
 血と肉こそは〝知恵ある獣〟本来の食料。例え、それが自分のものであっても――。
 血を味わえば獣の本能が沸き立つ。
 それにしても――。
 ――あいつら、なに考えてるの? この程度の矢で足を射貫いたぐらいで、〝知恵ある獣〟の動きを止められるわけがないじゃない。
 エキノドルスたちの姿を無言で見送っていたのは裏切られた衝撃に固まっていたのではない。この程度で動きを封じ、囮にできると思っていた人間たちの考えの甘さに呆れていたのだ。
 とは言え、即座にメインクーンの足を射貫いて囮にしようとした判断といい、なんらの迷いも、躊躇もなく、一目散に逃げ出した態度といい、その行動自体は見事と言っていいものだった。しかも、三人のメンバーが一糸乱れることなく同時に行動してのけたそのチームワーク。いままでに何度となく、実地で経験していなければできるものではない。
 「つまり、噂は事実だったということね。いままでに何度も、こうして新人を囮にして自分たちだけ逃げ出していたというわけね」
 ――さて、どうしよう?
 メインクーンは小首をかしげて考え込んだ。
 目の前の怪物は明らかに自分を標的と定めている。食うつもりでいる。しかし、すでに距離は充分に取っている。このまま逃げるなど造作もない。そして、エキノドルスたちに先回りし、〝丘〟の入り口で待ち構えることも。
 前にも思ったとおり、あの程度の相手なら例え五〇人いても傷ひとつ受けることなく倒すことができる。メインクーンにとってエキノドルスたち三人を叩きのめし、ギルドに突き出すなど簡単だ。そうすれば犯罪冒険者を捕えた功績で冒険者登録してもらえる。腕一本で稼げるようになる。が――。
 メインクーンは改めて怪物の姿を見た。
 ディノシックル。
 それは一言で言えば、三本足の獣人の下半身に巨大なカマキリの上半身を乗せたキメラ。両腕の先端は半月を描いた巨大な鎌となっており、それこそが『恐ろしい鎌』という名の由来であることを一目で理解させる。ただ、わからないのは背中から斜め後ろ上方に向かって突き出している二本の突起。先端は湾曲した一本角のようになっているのだが、あれは果たして腕なのか、触手なのか。そもそも、動くものなのか、動かないただの飾りなのか。それがわからない。この突起物の正体によって相手の危険度も、こちらの戦い方もまるでかわってくるのだが……。
 メインクーンは怪物を見た。
 怪物もまたメインクーンを見つめている。カマキリそっくりの巨大な複眼がメインクーンを獲物と定め、メインクーンを一呑みできそうな大きな口からは赤い舌が、シュル、シュル、と、出し入れされている。
 「……ディノシックル。危険度B。それなりに名の通った冒険者パーティーが戦おうともせずに逃げ出す相手」
 メインクーンはそう呟いた。
 「と言うことはつまり、こいつを倒せばわたしの強さの証明となる。辺境だけではない。中央でも立派に実力者として通用することがはっきりする。それなら……」
 メインクーンは後ろ腰に差している双刀を二本の腕で同時に引き抜いた。右手に短刀、左手に長刀。長さのちがう二本の刀を自在に扱う変幻自在の刀技。それこそが『誰?』から叩き込まれたメインクーンの闘技。
 「あなたには恨みはないけど、わたしの強さの証明のため、倒させてもらうわ」
 その言葉の意味を理解したかのように――。
 怪物が襲いかかった。
 二本の巨大な鎌を次々に繰り出し、メインクーンの細身の体を切り刻もうとする。
 轟、
 轟、
 轟!
 怪物が鎌状の腕を振るうたび、空気が切り裂かれ、激しい音を立てる。空気さえ断ち切るその斬撃をしかし、メインクーンはかすらせもせずによけていく。
 ――たしかに速いし、力強い。でも。
 相手の動きを観察する余裕さえもちながら、メインクーンは怪物の攻撃をよけつづける。
 ――ただ、それだけ。能力に任せて振りまわしているだけ。動きが大きい。無駄な動作が多い。惜しいわね。もし、この怪物に人間の積み重ねてきた技術が加われば、それこそ手に負えない化け物になるでしょうに。
 単純に物理的な速度で言えばディノシックルはメインクーン以上だった。このスピード差があればメインクーンを切り裂き、食らうことなど簡単なはずだった。しかし、メインクーンには怪物にはない技があった。人類という種がその争いの歴史のなかで考案し、積み重ね、洗練してきた技術。その身の持つ力を最大限に生かし、最短最小の動作で最大最速の効果を得る技術。その技術の差がある限り、メインクーンが怪物の餌食になることは有り得なかった。
 ふいに、ディノシックルの背中に生えた二本の突起が動いた。バネ仕掛けの罠のように跳ね上がり、メインクーンの頭上から襲いかかった。人間であれば反応することはおろか、そもそも動きに気がつくことさえできないほどの速さ。しかし、メインクーンの鋭敏な感覚はその動きをはっきりと捉えていた。充分な余裕を持って後ろに退き、致命の一撃をかわしていた。
 ――驚いた。
 と、メインクーンは表情ひとつかえずに思った。
 ――やっぱり、あれって動いたのね。しかも、伸び縮みまでするなんて。たしかに、切り札としてはなかなかのものだけど、でも……分かってしまえば通用しない。
 それまでよけることに徹していたメインクーンがはじめて攻勢に転じた。目の前を巨大な鎌が通り過ぎ、相手の動きに隙ができたその瞬間、速く、鋭く、踏み込んでいた。
 ――このまま懐に飛び込み、一気にケリを付ける。
 そう思ったその瞬間、メインクーンは自分の首筋の毛が、ぞわり、と、そそけ立つのを感じた。
 いきなりだった。いきなり、ディノシックルの巨大な口が開いた。そこから何本もの赤い舌が飛び出した。まるで、目の前のハエを捕えるカメレオンの舌のような勢いで。鋼の鞭のような鋭さをもった舌が何本も、それほどの勢いで繰り出されたのだ。いくら、メインクーンでも攻撃態勢に入った状態でよけられるものではない。何本もの舌が交差し、メインクーンを包み込み、切り刻む。暗夜色の忍び装束が切り刻まれ、小さな布切れとなって大気中に溶けていく。そして、メインクーンは――。
 ――ふう。
 と、怪物の間合いから離れた場所で安堵の息をついていた。忍び装束は切り刻まれ、乙女の柔肌が半分以上、むき出しになっている。まさに、間一髪だったのだ。
 「……いまのは本当に危なかったわ。あんな奥の手まであったなんてね。ちょっと、調子に乗りすぎて油断したみたいね」
 首筋の毛が、ぞわり、と、そそけ立つその感触。獣の本能が伝えた危険。本能の警告に従い、とっさに攻撃に出るのをやめて、つむじを使って後方に飛び退いていた。だからこそ、よけることができた。もし、本能の警告がなければ、あるいは、警告があっても無視していれば――。
 いかにメインクーンと言えども切り刻まれ、殺されていた。
 そして、もうひとつ。
 いくら本能の警告に従い、逃げようとしたところで『忍術・つむじ』という技がなければやはり、間に合わずに切り刻まれていた。
 獣の本能と忍術という技術。
 そのどちらが欠けてもメインクーンは死んでいた。そのふたつの力がかの人の生命を救ったのだ。
 『誰?』に出会い、その教えを受けることができたのは何と幸運なことだったのだろう。メインクーンはいまこそ、その幸運に感謝していた。これからはこの技術を真剣に極めよう。そう決意していた。
 「そのためにも……倒させてもらうわ」
 メインクーンはディノシックルの鎌をクルリと身を回転してかわしていた。ディノシックルに対して背を向ける格好になっていた。
 「月の光に射貫かれなさい」
 その言葉とともに――。
 回転の反動を利用して渾身の突きが繰り出されていた。左手の長刀が冴え冴えとした白銀に輝くひとすじの月明かりと化して、ディノシックルの身に吸い込まれていた。
 鍔元まで相手の身にめり込み、切っ先が背中から突き出している。それほどの威力の一撃。
 ――鬼式おにしき刀術とうじゅつ月牙閃げっがせん
 その名で呼ばれる技であった。
 その技は強力なだけではなく、正確でもあった。正確に、寸分の狂いもなく、ディノシックルの心臓を貫いていた。最後の咆哮を残し――。
 危険度Bの怪物は事切れていた。
 ――勝った。
 倒れ伏した怪物の死骸を見下ろしながら、メインクーンは心に思った。
 中央でもそれなりに名の通った三人組の冒険者。その冒険者たちが戦おうともせずに逃げ出した怪物。その怪物をたったひとりで倒したのだ。その事実がメインクーンに自分の強さを確信させた。
 ――わたしは強い。中央であってもわたしの力は充分に通用する。この力があれば冒険者として名を馳せることが出来る。
 そして、冒険者として名を馳せた暁には――。
 メインクーンは声に出して決意を告げた。
 「待っていなさい、覇者マヤカ。メインクーンがあなたに会いに行く。なぜ、わたしたちが戦火に追われなくてはならなかったのか。その答えを聞くために」
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