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二四章 ……美咲が来た

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 その日からまことの生活はかわった。
 なにしろ、それまで誰も目をとめなかった『その辺の』畑の風景、一円にもならなかった風景の映像が一二億五千万という高価格、歴史に残る偉大な画家の残した名画にも匹敵する価格で売れたのだ。世間の注目を引かないはずがなかった。
 マスコミが殺到し、取材の申し込みが雪崩のように押しよせ、興味をもった同業者からの連絡やら、講演の依頼やら、視察の申し込みやら……とにかく、ありとあらゆる異変が押しよせた。
 まこととしてはそれだけでも充分に辟易へきえきするところだが一番の問題は、
 「なんで、おれが制作者みたいな扱いなんだ⁉」
 という点。
 やってくるマスコミ、同業者、視察者などは、ほだかではなくまことをライフ・ウォッチング・オーバーアートの発案者にして、制作者のように扱った。まことはもちろん、
 「オーバーアートはほだかの作ったものだ。自分は関係ない」
 と、言ったのだが……。
 なにしろ、そのほだかが事あるごとに、
 「ライフ・ウォッチング・オーバーアートは師匠の力なしには作れませんでした」
 と、全力で主張するものだから、必然的に注目はまことに集まってしまった。
 おかげで、インタビューやら講演やら視察者相手の説明やら……いままでにしたことのない仕事の連続でもうへとへとに疲れはててしまった。
 農作業なら炎天下の日差しにさらされようが、風雨に打たれようが、冷たい雪に降られようが一日、何時間でもやってのける自信はある。しかし、取材や講演となると使う体力の質がちがう。精神的にもいままでにないことの連続でストレスがふえるし、たまったものではない。
 「おれは農家だ! 講師じゃないんだぞ!」
 と、そう叫びたくなる毎日だった。
 そんなまことに対し、もうすっかりマネージャー役を射止めている白馬はくばは言った。
 「まあ、もう少し辛抱することだ。こんな騒ぎはいつまでもつづかない。世間はいつだって新しいコンテンツを求めている。すぐに飛びつくと言うことは、すぐに次のコンテンツに移ると言うことだ。こんな騒ぎがつづくのもせいぜい二~三ヶ月。その間に売れるだけ顔と名前を売っておかないとすぐに忘れ去られる。
 それは、オーパアートそのものが忘れ去られると言うことだ。オーバーアートを広めて農業そのものを夢のある職業にかえたいんだろう?」
 「もちろんだ。うちだけが稼げればいいってものじゃない。苦しいなかで必死にがんばっている農家は世界中にたくさんいる。そんな人たちに少しでも良い生活をさせてやりたい」
 「だったら。いまはとにかく、やり遂げることだ。少しでも、顔と名前を売って、オーバーアートを広めておくことだ。そうすれば、いまの騒ぎが収ったあと、本気でオーバーアートに取り組もうという本物が増える。本物が多ければ多いほど、オーバーアートは定着し、農業を夢のある職業にする可能性が高まるんだ」
 白馬はくばはそう力説する。
 さすがに販売のプロの言葉だけあって、その言葉には内容以上の迫力が感じられた。
 まこととしてはうなずくしかなかった。
 「そ、それはわかってる。だけど……」
 まことはほだかを見た。ほだかは『ん?』という感じで小首をかしげながら、まことを見ている。
 「やっぱり、ほだかが出るべきだろう。オーバーアートはほだかが考えついて、ほだかが制作したんだ。おれの出る幕じゃない」
 「なにを言ってるんです、師匠。あたしがオーバーアートを作れたのは師匠があたしを信じて、任せてくれたからですよ。師匠あってのオーバーアート。師匠が注目を浴びるのは当然です」
 「だけど……」
 まことはなおも納得がいかない様子である。
 「これじゃ、お前の稼いだ金をおれがピンハネしてるみたいじゃないか。それは、納得できない」
 「あたしは、この畑の従業員ですよ。社員の稼いだ金が会社のものになるのは当たり前です。なにもおかしいことありませんよ」
 「だけど……」
 なおも言おうとするまことに対し、白馬はくばが言った。
 「それに、契約はちゃんと結んでいる。不当にならないだけの利益がほだかに行くようになっている。君が心配するような事態にはなっていないよ」
 「そうです。あたしもガッポリ稼がせてもらってますからね」
 ほだかもそう言って片目をつぶり、右手の親指と人差し指で『丸』をつくって見せた。
 そこで、伊吹いぶきねたような口調で言った。わざとねたような口調を作るのは中二病患者の伊吹いぶきにとってはいつものことだが、今回ばかりは本当にねているらしい。普段の中二病とは表情がちがう。
 「……ふん。だからと言って調子に乗るなよ。お前の作ったオーバーアートはしょせん、一二億五千万にしかならなかったんだ。ゴッホの『ひまわり』にはほど遠い」
 要するに、自分の絵にそんな高値がつかないことが悔しい、と言うことなのだった。
 そんな伊吹いぶきに対しほだかは
 「ふん!」
 とばかりに胸を張った。挑発的な笑みを向けた。
 「ゴッホだって最初の一枚から五〇億を突破したわけじゃないでしょう。オーバーアートははじまったばかりなんです。これから毎年、作っていくんです。『ひまわり』の価格なんてすぐに超えて、伊吹いぶきより先に一〇〇億を達成してみせますよ」
 「大地より生まれし黒き文言の誓いに懸けて。先に一〇〇億を達成するのはおれだ」
 若いふたりが火花を散らすそのさまは置いておいて、まこと白馬はくばに尋ねた。
 「その点が気になってたんだ。確かに、今回は途方もない額がついた。しかし、こんな額が毎年まいとしつくものか? それに、他の農家は? こんな額を出せる相手なんてそうはいないはずだ。世界中の農家がこんな額でオーバーアートを売れるわけじゃないだろう。ごくごく一部の運の良い農家だけが大金を稼いで、その他の農家はいままでどおり……というんじゃ、おれの望みからは外れるんだが」
 まことのその懸念に対し、白馬はくばはいつものにこやかな笑みで答えた。
 「なに、心配ないさ。もっと手軽に売る方法はちゃんと考えてある」
 「手軽に売る方法?」
 「誕生記念さ」
 「誕生記念?」
 「そう。子どもの成長に合わせて雛人形とか、五月人形とかを買い与えるだろう? それと同じさ。子どもの健やかな成長を祈って誕生祝いにオーバーアートを。なにしろ、こっちは成長しない人形とちがって、実際に成長する生命の加護付きなんだ。ついでに、神社にでも持ち込んで巫女に祝詞でもつけてもらえれば完璧。金のある祖父母が孫のためにこぞって買い与えるよ。
 少子化、少子化と騒がれているけど、それでもこの世界では毎年一億人以上の赤ん坊が生まれているんだ。その一〇分の一だとしても毎年、一千万以上の買い手がつく。これは、かなりのものだよ」
 「な、なるほど……」
 さすが、辣腕家として知られる販売のプロ。目の付け所にまことは唸るしかなかった。
 二〇一九年における世界の農業従事者はおよそ九億人。その全員が独立して畑をもっているわけではないだろうから戸数で言えばずっと少なくなるはずだ。そのなかで毎年、一千万戸の農家がオーバーアートによる収入を得られるとなれば……。
 全員が裕福になるというわけにはいかなくても確かに、農業を夢のある仕事にかえるには充分だろう。まして、ときには何十億という値がつくこともある、となれば。
 「……わかった。だったら、おれは、おれのできることを全力でやる。作物とオーバーアートを作りつづける。売る方はよろしく頼む」
 「任せてくれ」
 まことの真剣きわまる言葉に対し――。
 白馬はくばはウインクなどして答えた。
 「では、そのために……とりあえず、取材を受けてもらおうか」
 そう言われて――。
 まことは心の底から『ぎゃふん!』という顔をしたのだった。

 まさに、嵐のような時期だった。
 取材、講演、視察の依頼が相次ぎ、まさに疾風怒濤の忙しさ。慣れない受け答えにまことはさすがにへとへとだった。しかも、なにをどう答えればいいのかという点に関しては白馬はくばはもちろん、他の誰も教えてくれなかった。
 「師匠の思いをそのままぶつければいいんです!」
 ほだかは両手を握りしめ、まばゆい笑顔でそう言った。
 「魂の慟哭に勝る言葉はない」
 伊吹いぶきはその顔を手で覆いながらそう言った。
 「教科書通りの言葉なんて人の心には届かないよ。それより、君自身の思いを、君自身の言葉で語ることだ。言葉としてはつたなくても、『自分の言葉』で語ってこそ、人の心に届くんだからね」
 白馬はくばもそう言った。
 それらの言葉に押され、まことは取材に対して語った。
 「僕は先祖代々のコマツナ農家です。代々伝えられた畑を守るためにこの仕事に就き、働いています。『自分はコマツナ農家だ』と堂々と胸を張って言いたいし、先祖から受け継いだ畑を子孫に伝えていきたい。そのために、農業を安心して子どもに継がせることのできる仕事にしたい。自分の子どもが、夢をもって就くことのできる職業にしたい。それがすべてです」
 まことのその飾り気のない言葉はマスコミに取りあげられ、ネットでも広まった。まことは一躍、時の人となり、その注目度はあがりつづけた。そんな騒ぎを見ながら、まことは呟いた。
 「なんか……自分とは思えないな。同じ顔をした別人みたいだ」
 「いいえ、まちがいなく師匠ですよ」
 ほだかが力いっぱい言い切った。
 「だって、まちがいなく師匠の思いを口にしているじゃないですか。師匠自身の思いを、師匠自身の言葉で語ったことを。だから、人の心を打つんですよ」
 「ほだか……」
 まことはほだかを見た。
 ほだかは全力の笑顔でまことを見ている。
 この笑顔があったから。
 この笑顔が自分を見ていてくれたから。
 新しい人生を切り開くことが出来た。この笑顔とこれからも一緒にいられたなら……。
 「……ああ、そうだな。それならいいな」

 嵐のような時期も白馬はくばの言ったとおり、二ヶ月もすると過ぎ去り、台風一過のように穏やかな日々が戻ってきた。そのなかでも時折、オーバーアートに関して知りたいという問い合わせは入ってきた。
 これらの人々は話題になったから飛びついた、と言うわけではない。
 ――真剣に吟味した結果、自分たちの将来のために挑戦したい。
 本気でそう思っている人たちだ。
 そんな人たちと連携し、将来のために活動できるのは楽しかった。
 まこと自ら――もちろん、ほだかも一緒に――相手の畑に出向き、どんな形でオーバーアートを展開するのが適切かを話しあった。
 白馬はくばの助言に従って市民バンクを開き、オーバーアートに挑戦したい人が低金利で資金を借りられるようにもした。まこととしてはせっかくオーバーアートで稼いだ大金があるのだから無償で提供してもよかったのだが、
 「人間、タダでもらったものは大事にしない。無償提供を『お恵み』と感じて屈辱に思う人間もいる。なにより、『最初の資金が尽きたら終わり』では、未来につながらない。きちんと利益を出せるシステムを作っておかないとね」
 と言う白馬はくばの意見に反論できず、低金利で貸し出す、と言うシステムにした。
 疾風怒濤の日々のなかで月日は過ぎ、いつの間にか三月になっていた。
 世間は卒業シーズンのまっただ中。しかし、まことにとっては別の意味がある。
 「もう三月かあ。お前がうちにきてから一年なんだなあ」
 「あはは。そうですね。あっという間でした。月日のたつのは早いものです」
 「……う~ん。おれは逆かなあ。とにかく、いろんなことがあって、おれ自身も、生活も、ずいぶんかわったからなあ。なんだか、もう一〇〇年ぐらいたっている気がする」
 「あはは。それじゃ、あたしたち、さしずめオリハル婚の熟年夫婦ですね」
 屈託なく笑うほだかに、まこともついつい『夫婦』という言葉をスルーしてしまう。
 そんなふたりが家に帰ると思わぬ人物がまっていた。
 高遠たかとう美咲みさきである。
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