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六章 最強スキル『人脈!』

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 「この人はあまの育館いくだての先輩で平井ひらいたかし。ナチュラルレストランの経営者なんですよ」
 ほだかは自分が連れてきた人物をそう紹介した。
 まこととかわらない年齢の男性だが、まことより背が高く、やせ形で、まるでモデルのようにスタイルが良い。共に自分でハーブ染めしたという淡い若草色のセーターに、コーヒー色のパンツという気取らない服装がよく似合っている。
 決して、人混みのなかで目立つ派手な顔立ち、と言うわけではないが、穏やかで気品のある風貌で『イギリスあたりの気さくな貴族』と言われても違和感のない雰囲気がある。
 それこそ、モデルとしてどこかの雑誌を飾っていてもおかしくない。まわりの女子たちから『優しいお兄さん』として慕われそうなタイプで、まことのコンプレックスを刺激するには充分な存在だった。
 「はじめまして、小松こまつがわまことさん。平井ひらいたかしです。あなたのことは、ほだかから聞いています。あなたの畑の動画も拝見させていただきました」
 「あ、ああ、これはご丁寧に。小松こまつがわまことです。はじめまして……」
 客人に先に挨拶させてしまった気まずさを感じながら、まことはあわてて頭をさげた。
 しかし、たかしはそんな礼儀作法には興味はないようだった。
 「いきなりですが、畑を見させていただけますか?」
 「あ、は、はい、どうぞ……」
 やってくるなりいきなりそう言われて、まことは戸惑いながらも畑に案内した。と言っても、家に畑が隣接している、と言うより、畑のなかに家が建っている作り。『案内』と言うほどの必要もない。目の前一面、つぼみをつけたコマツナ畑である。
 たかしは畑を一通り見回ったあと、その場にしゃがみ込んだ。作物であるコマツナには目もくれず、ジッと地面を見る。手で直接、土を掘り、手にすくい、ジッと見つめる。匂いを嗅ぐ、舌で舐める。
 その表情があくまでも真剣そのもの。まるで、犯罪現場からわずかな証拠を見つけ出そうとする鑑識のよう。その真剣さは見ているだけで、こちらまで身構えてしまうぐらいのものだった。
 「たかしさんって、畑に来るといつもこうなんですよ」
 相変わらず、まことの側過ぎるぐらい側にいるほだかが言った。
 「いつも?」
 「はい」
 ほだかはうなずいた。その表情がたかしに劣らず真剣である。
 ――これは、おれも気を抜けないな。
 まことはそう思った。
 たかしが作物ではなく、土を見ている理由はまことにはすぐにわかった。
 化学的な手段に頼って作物だけを作る工業的農業を行っているか、それとも、土を養い、土のなかの生態系を豊かに保ち、その生態系によって作物を育ててもらう『持続可能な農業』を行っているか、その点を見ているのだ。
 『ナチュラルレストラン』と言うからには、化学肥料や遺伝子組み換え作物を使った工業的農業ではなく、自然の摂理に則った自然農業で育てられた野菜を求めていることは聞かなくてもわかる。まずは、その確認をしっかりと行っているというわけだ。
 ――毎度まいど、その確認をしっかり行っているとなると、ごまかしは利かないな。本物でなければ見破られてしまう。
 そう思えば緊張もすると言うものだ。
 もちろん、『先祖代々の畑を自分の代で潰すわけにはいかない』という思いで手間暇かけて養っている畑。『本物』であることには自信がある。自信があるからこそ、判定されることに緊張するのだ。
 たかしはじっくりと土の質を調べたあと、ようやく、コマツナに手をふれた。
 「食べてみてすいいですか?」
 「どうぞ」
 たかしはコマツナの葉をちぎって一枚、口に入れた。目を閉じ、ゆっくりと咀嚼する。その緊張感に満ちた態度はまさに、その年のワインの出来を確かめるソムリエそのもの。
 「かのは野菜ソムリエの資格ももっているのか?」
 「もちろんです」
 ほだかは得意そうにうなずいた。
 野菜ソムリエ。
 正式にはベジタブル&フルーツマイスター。
 日本ベジタブル&フルーツマイスター協会が認定する民間資格であり、『野菜・果物の知識をもち、その魅力を伝えることの出来るスペシャリスト』のことである。
 その野菜ソムリエであれば、野菜の質を確かめるその姿がソムリエそこのけなのも納得である。
 「なるほどな」
 と、まことも納得してうなずいた。
 たかしが立ちあがった。
 まことを見た。
 「今後の話をさせてもらっていいですか?」
 そう尋ねてきた。
 どうやら、一次審査はパスしたらしい。
 「どうぞ」
 と、まことは答えた。
 『当然』という思いと共に、肩から緊張が降りるのを感じながら。

 小松こまつがわ家の居間に六人の人物が集まっていた。食卓でもあるテーブルをはさんで一方の側にほだかとたかし。もう一方の側にまことと、その両親である誠司せいじ冬菜とうな
 ここまではわかる。
 わからないのは六人目。
 町長の江戸えどがわ好美よしみがそこにいた。
 ――なんで、町長がここにいるんだ
 いるはずのない人物がいることを知って、まことは作物の審査を受けるときとはちがう意味で緊張していた。どうやら、誠司せいじがほだかの話を聞いたときに呼んでおいたらしいのだが、まことはなにも聞かされていなかった。
 「あんたがほだかちゃんの言っていた、ナチュラルレストランの経営者か」
 誠司せいじがそう尋ねた。
 「はい」
 「失礼だが、うちの息子とそうかわらない年齢に思えるが。その若さでもう、自分の店をもっているのかい?」
 「僕は二代目ですから。両親が新しい店を出すに当たってそちらに移ったので、僕がいままでの店を継いだんです」
 「ご両親? あら、でも、たかしさんはあまの育館いくだてのご出身なんでしょう?」
 と、冬菜とうなあまの育館いくだてを単なる『孤児院』としてしか知らなければ当然の疑問である。
 「あまの育館いくだては『健全な親が我が子を預けたくなる環境を』が、モットーですから。両親のそろっている子どもも普通にいますよ。僕の場合、両親がレストラン経営で忙しかったのであまの育館いくだてに預けたんです。普段はそれぞれの場所で生活して月に一、二度、休みの日に親がやってきて一緒に出かける、という暮らしでした」
 「へえ」
 「おかげで、両親はレストランの経営に専念できましたし、僕も多くの仲間や講師に囲まれて育つことが出来ました。月に一、二度、親と一緒に出かける日も楽しみでしたしね。両親は良い選択をしたと思っています」
 「なるほど。いまどきはそういう子育てもあるのか」
 と、誠司せいじは感心した様子だった。
 「さて。それでは、肝心の仕事の話をさせていただきます」
 たかしが言うと誠司せいじも、冬菜とうなも、そして、まことも、さすがに居住まいを正した。小松こまつがわ家の昭和の雰囲気漂う居間のなかをビジネスルームの緊張感が支配する。
 「うちのレストランでは、こちらのコマツナをこの額で引き取らせていただきます」
 たかしが提示した金額を見て、誠司せいじは目を丸くした。
 「こんな高く⁉ こんな高値で買って、お宅の店の経営は大丈夫なのかね?」
 スーパーだって、農家が憎くて買いたたいているわけではない。少しでも安く買わないと客がはなれてしまうから値切ってくるのだ。それなのに、こんな高値で買えるとは……。
 「うちのレストランは『お客さまお断り!』ですから。うちのモットーに賛同してくれるファンの方だけにおいでになってもらっています」
 「ファン?」
 「うちのモットーは『まともな食べ物にまともな価格を』ですから。そのモットーに賛同し、そのために金を出してもいいと思う方だけが来てくださいます。ですから、よそより割高になってもやっていけるんです」
 もちろん、価格以上の価値のある料理を提供しているという自負はあります。
 たかしは誇りを込めてそう付け加えた。
 「なるほど。そんな経営もあるのか」
 「もちろん、ファンの方々に負担を強いる以上、農家の方にもそれだけの条件はつけさせてもらっていますが……」
 「その点は問題ない」
 誠司せいじはふんぞり返って答えた。
 「先祖代々、受け継いだ畑を自分の代で潰すわけにはいかない。次の代にもきちんと引き継がなくてはいけない。その思いで養ってきた畑だ。どこに出しても恥ずかしくないという自信がある」
 「はい。その点は先ほど畑を見せていただいて確認しました」
 「けっこう。しかし、高く買いとってくれるのは嬉しいんだが……」
 「ご懸念はわかっているつもりです」
 と、たかしは自分のバッグのなかから幾枚かの資料を取りだした。
 「うちの店の創業時からの年度別売り上げと来客数のグラフです。ご覧のように、うちの店の来客数はこの一〇年、微増傾向で安定しています。僕が店を継いでからもそれはかわっていませんし、両親の移った新しい店も順調です。
 それと、こちらは周辺市町村の人口変化と新生児の出生数です。こちらは若干、減少気味ですが、それでも、いまの時代としては充分に安定していると言っていいでしょう。
 結論として、うちの店は充分に周辺地域から支持されており、また、周辺地域も急激な人口減は考えにくい。その結果として、うちの店の売りあげは今後、長期間にわたって維持出来る。そう予測出来ます。つまり、小松こまつがわさんの作物をそれだけ長期間、この価格で買いとらせていただける、と言うことです」
 たかしは流れるようにそう説明した。
 農家にとって『作物を高く買いとってもらえる』のはもちろん、嬉しい。しかし、それよりも重要なのは『ずっとその価格で買いとってもらえるか』という点だ。
 『最初だけ高く買いとって、あとは安く買いたたく』とか、
 『高く買いつづけるつもりだったけど、経営難でそう出来なくなった』とか、そんなことになったら目も当てられない。そんな懸念があるなら長期にわたる実績がある分、いままで通りスーパーに卸していた方がずっと良い。
 しかし、それを知るためには相手の方針や経営状態についてくわしく聞かなければならない。必要なこととは言え、相手を疑うようで気が引ける。その聞きにくいことを自分から言い出したところは、たかしがこの手の交渉に慣れていることを示しているし、きちんと数字を出して説明してきたことは信頼できる人物であることを告げていた。
 畑の経営者である誠司せいじとしてはまずは安心できる交渉相手と言えた。
 誠司せいじ冬菜とうなと共にじっくりと手渡された資料を見た。
 「ふむ、なるほど。これならあんたと組んでもよさそうだ」
 「ありがとうございます」
 「ただし、今期の契約はすでにスーパーとしているから来期からになるが……」
 「もちろん、かまいません。それと、どうせ来期からなら他にも試していただきたいことがあるのですが……」
 「試してほしいこと?」
 「はい。世界にはまだまだ多くの作物があります。ですが、日本で手に入るのはそのうちの限られたものだけ。とくに、マメ類には興味深いものがたくさんあります。果肉がまるでアイスクリームのように甘いアイスクリームビーン、年二回収穫出来るバーソール、イモを作るマメであるシンカマスなど、試してみたいマメがたくさんあります。
 とくに、シンカマスは水筒がわりに使えるほど水分が多い上に、甘くておいしいそうです。それでいて、カロリーはサツマイモの三分の一程度と言うのですから、女性向けとして見逃せません。これらのマメが日本の環境で育つかどうかは僕にはわかりません。ですが、育つものなら育てていただきたいのです。もちろん、買い取りは保証します」
 「ふむ」
 「それと、ジャージー牛を飼育してもらえませんか?」
 「ジャージー牛?」
 「はい。ご存じのことと思いますが、日本で飼われているに乳牛の九九パーセント以上がホルスタインです。ホルスタインは乳量は多いが乳脂率は低い。だからこそ日頃、ゴクゴク飲む分にはいいのですが、チーズやバター、クリームの原料としては物足りない。乳脂率の高いジャージー牛のミルクが身近で手に入るようになれば、なにかと便利です」
 「ふむ。どうかな、町長?」
 「そうね。農家の人たちに話して、意見を聞いてみる価値はありそうね」
 そのままたかし誠司せいじ冬菜とうな、町長の四人で熱心に話しはじめた。
 本来、たかしは自分に会いに来たはずなのに忘れ去られてしまったような気がして、まことはなんとも手持ち無沙汰な気分だった。
 誠司せいじが資料をとりに居間を出た気にまことはあとをつけていった。そして、尋ねた。
 「おい、父さん。なんのつもりだよ、町長まで呼んだりして」
 誠司せいじはジッと息子を見つめた。そのあまりに真剣な眼差しにまことは思わずたじろいだ。
 「な、なんだよ、その目は……」
 「どうやら、お前とは今夜、きちんと話をしなければいけないらしいな」
 「えっ?」
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