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四章 家族か⁉

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 「おはようございま~す!」
 『元気いっぱい!』という言葉を掛け軸に書いて、床の間に飾ったような声と共に篠崎しのざきほだかが駆けてくる。朝の一仕事を終えて、これから家族で朝食という時間のことだった。
 『カメラマン志望』と言うだけあってジャンパーにジーンズ、ウォーキングシューズという、シンプルだけど実用性抜群の服装。肩にはカメラ機材を入れてあるのだろう。大きめのバッグをかけている。一歩駆けよるごとに短く整えられた髪が元気よく跳ねあがる。
 ヒマワリの花のような明るい笑顔が目にまぶしい。まぶしすぎてとてもではないが直視できない。まことは思わず顔をそらし、頬が熱くなるのを感じながらせいぜいぶっきらぼうな口調を作ってみせた。
 「また、来たのか。弟子なんかとらないと言っただろう。うちには他人を雇う余裕なんかないんだ」
 まこととしては『厳しいおとな』として『子どもを諭した』つもりだった。しかし、ほだかは効いていない。それどころか、駆けてきた勢いのまままことの脇を通りすぎる。
 ――えっ?
 あっさり無視され、驚きの――少々、傷つきもして――声をあげるまことを尻目に、ほだかは家の前に立つまことの両親、誠司せいじ冬菜とうなの前に向かった。ふたりの前で立ちどまり、体ごと頭をさげて挨拶する。
 「おはようございます、お父さん、お母さん」
 「ああ、おはよう、ほだかちゃん」
 「よく来てくれたわね。朝ご飯、食べて行きなさい」
 誠司せいじも、冬菜とうなも、当たり前のように出迎える。その嬉しそうな笑顔と言ったら、
 ――おれにはそんな表情、向けたことないだろう!
 と、まことが思わず腹のなかで怒鳴るようなものだった。
 いや、それはまあ、むさ苦しい息子なんぞより一八歳の美少女相手の方が楽しいに決まっているし、それは『よおく』わかるのだが……。
 誘われたほだかの方も遠慮の『え』の字も見せはしない。いっそう明るく、愛らしい笑顔を浮かべて返事をする。
 「はい、いただきます!」
 「うん、良い返事だ。若いものはそうでなくちゃな」
 「今日は腕によりをかけて作ったのよ。たくさん、食べていってね」
 「はい!」
 ――い、いつの間に、そんなに仲良くなってたんだ?
 その思いに呆然とするまことの前で――。
 三人はまるで、昔からの家族のように仲むつまじく家のなかに入っていったのだった。

 「おかわり、ください!」
 小松こまつがわ家の居間に明るい少女の声が響く。それはおそらく、この家の歴史がはじまって以来、はじめてのことであったろう。冬菜とうなは明るい笑顔と共に差し出されたご飯茶碗を受けとると、ご飯をたっぷり盛りつけて、ほだかに手渡した。
 ほだかは山盛りご飯を箸でつまむと、大きく開けた口のなかに放り込む。そのおいしそうな様子と言ったら。なるほど、これなら作り手が『どんどん食べてもらいたい』と思うのも無理はない。そう納得させられる姿だった。
 ――なんでだ? なんで、こいつが当たり前のように、おれの家で朝飯を食ってるんだ?
 まことはそう思ってご飯茶碗を手にしたまま固まっていた。しかし、三人ともそんなことにはお構いなし。事情を知らないものが見れば、まことの方こそ居候かなにかで、両親と娘の三人家族なのだと思うだろう。
 それぐらい、ほだかは家のなかに馴染んでいたし、誠司せいじ冬菜とうなもほだかの存在を当たり前に受け入れている。
 「この菜花なばなのおひたし、おいしいですねえ」
 「おう、当たり前だ。江戸時代からコマツナ作りつづけて三百年。そこらのぽっと出農家とはコマツナに懸ける情熱がちがわあっ」
 「素敵です、お父さん! お味噌汁も、野菜の煮物も味付けがとってもいいし。お母さん、お料理、お上手なんですね」
 「嬉しいこと言ってくれるわあ。もう、うちのボンクラどもは、なにを作ってもそんなこと言ってくれないんだもの。張り合いがないったらないわ」
 「ダメですよ、お父さん。毎日、おいしいご飯作ってもらってるんですから。ちゃんと『おいしいよ』と言ってあげないと」
 ほだかに『めっ!』とばかりに睨まれて、誠司せいじは――五〇男のくせに――頬を赤らめた。
 「お、おう……」
 と、答えるその表情は困りながらもにやけっぱなし。息子から見たら恥ずかしくてたまらない。
 ――かわいい嫁を前にした義父か⁉ ……いや、そもそも篠崎しのざきは嫁ではないんだが。
 まことはどう思っていいかわからず、とにかくモヤモヤしっぱなし。母親の冬菜とうながさらに追い打ちをかけるようなことを口にした。
 「でも、やっぱり、女の子がいるっていいわねえ。うちはひとり息子だからむさ苦しいばっかりで。ほだかちゃんみたいな娘がほしかったわあ」
 「あはは。あたしで良ければいつでも娘になりますよ」
 ――どういう意味だ⁉
 まことは腹のなかで怒鳴ったが、もちろん、その声は誰にも届かない。
 「わあっ、嬉しいこと言ってくれるわあ。ありがとう、ほだかちゃん」
 「おう。ほだかちゃんならいつでも歓迎だぜ」
 ――だから、どういう意味なんだ、それは
 まことはもういてもたってもいられない。母親が空になった鍋を片付けに台所に向かったのを機に、そのあとを追いかける。
 「ちょっと、母さん。なんのつもりだよ。娘だのなんだの……」
 「なにムキになってるの。あんなの、ただの社交辞令でしょう」
 「社交辞令って……だいたい、なんで、あんなに仲良くなってるんだよ。おれだって昨日、はじめて会ったばかりなのに……」
 「あんたに会う前にあたしたちのところに挨拶に来てくれたのよ。『まことさんの弟子になりに来ました。よろしくお願いします』ってね」
 そう言われて、まことは拍子抜けした気分だった。
 ――そ、そうだったのか? 勢い任せかと思っていたらちゃんと、順序は踏んでいたのか。意外と礼儀正しいんだな。
 まことは知らないことだが、あまの育館いくだては礼儀には厳しいのである。天真爛漫と元気いっぱいを足して、二を掛けて、その上で絵に描いて額縁をつけて飾っているようなほだかだが、礼儀に関する教育は物心ついたときからきっちり受けている。
 『施設の子どもたちに最高の教育を』
 という、あまの育館いくだての標語は伊達ではない。
 「お土産もしっかりもってきてくれたし、若いのに礼儀正しい、いい娘さんじゃない。あんたにはもったいないぐらいよ」
 「も、もったいないって……かのは弟子になりに来ているだけで、別にそういう……」
 「だから、さっさと弟子にしてあげなさいよ。あんなに熱心なのに無下にするなんて人間じゃないわよ」
 「かのはまだ一八だぞ!」
 「いまの一八歳は、法的にも立派に成人じゃない」
 「そ、それはそうだけど……」
 「一八歳の成人が高校を卒業して就職にやってきた。それだけのことでしょう。なにが問題なの?」
 確かに、言われてみればその通りなのだが……。
 ――いや、ちがう! なにかおかしい!
 まことはそう思うのだが、では、なにがおかしいのか『四〇〇字以内で説明せよ』と言われても多分、出来ない。なにがおかしいのか指摘できない。
 「だ、だけど、ほら! うちは他人を雇うような余裕なんてないだろう」
 「そこを稼げるようにしようって、ほだかちゃんは言っているんでしょう。ライフ・ウォッチング・オーバーアートだっけ? 畑の風景を何十億って言うお金にしようって言うんじゃない。それができればひとりどころか、一〇〇人だって雇えるわ」
 「いや、そんなの、うまく行くかどうか……」
 「うまく行くかどうかはやってみなくちゃわからないでしょう。あんた、まだ三〇前なのにそんな挑戦心もないの?」
 「あ、いや……」
 まことは答えにつまった。
 五〇代の母親からそう言われては、二八歳の男としてはやはり、忸怩じくじたるものがある。
 「それにあんた、自分の立場わかってる? 二八歳で、見た目は平凡、資産もない。そんな男と一八歳の美少女。どっちの方が社会的なステータスが高いかぐらい、わかるでしょう」
 「そ、それはわかるけど……」
 ――見た目が平凡なのと資産がないのは、親のせいだろう!
 そうは思ったが、さすがに口に出して言えはしない。
 「そんなあんたを、一八歳の女の子が慕ってくれてるのよ。このチャンスを逃したらあんたほんとに一生、ひとりものよ。それでもいいの?」
 「い、いや、よくはないけど……」
 残酷な現実を突きつけられて、思わずたじろぐまことであった。
 「だったら、なんとしてもモノにしなさい。男一匹、一生に一回ぐらはデカい勝負をしてみなさい」
 冬菜とうなはそう言いきると、食卓に戻った。食卓からはたちまち『親子三人』の楽しげな会話が聞こえてきた。
 まことは思わず頭をかきむしった。とは言え――。
 親の身になってみればけしかけるのも当然だろう。なにしろ、『嫁に来てくれる』と思っていた相手に捨てられ、『零細農家に嫁の来手などない』という現実を突きつけられたばかりなのだ。そこには、
 「将来の展望もないのに跡を継がせてしまった」
 と言う負い目もあるだろう。
 「自分たちが歳をとれば、どんどん重荷になる」
 と言う危機感もあるだろう。
 そこに、一八歳のかわいい女の子がやってきたのだ。
 「あの子が嫁に来てくれれば……!」
 そう思うのも無理はない。
 それを思えば、無下にも出来ない。とは言え――。
 「……一八歳の女の子から見れば、二八歳の男なんてオッサンだろ。それも、元気いっぱいの美少女となんの取り柄もない男の組み合わせだ。そんなことになるわけないじゃないか」
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