上 下
10 / 26
第一部 旅立ち篇

一〇の扉 卑怯者の証明

しおりを挟む
 その日も地下牢では過酷かこくな責め苦が行われていた。
 すべては、ラベルナの心を折り、いつわりの自白をさせるため。
 そうして、悪役に仕立て、王家の、と言うより、現国王アルフレッドの失政をごまかすため。
 ただ、その目的のためだけにひとりの女性を苦しませつづける。
 常人であればとうてい神経のもたないその作業を嬉々として行う。それが、地下牢を守る獄吏ごくりたち。遊興の徒であるアルフレッドが賭博場や売春宿、その他のいかがわしい場所で見つけてきた真の意味で下賤げせんな人間たちだった。
 その人間たちの手によってラベルナはいま、地下牢の天井から吊されていた。頭上に掲げられた両手首に縄をかけられ、天井から吊されている。もちろん、足は床に届いていない。完全に空中に吊りさげられている。
 全体重が縄のかかる手首にかかっている。
 自分自身の重みによって縄が手首に食い込んでいく。
 痛い。
 手首がちぎれそうだ。
 血管が締め付けられ、手首から先はすでに青黒くなっている。
 このまま吊されていれはいずれ完全に血の流れが止まり、手首から先は腐り果て、体の重みで千切れてしまうだろう。
 それだけでも充分に苦しい。
 しかし、もちろん、『責め苦』であるからにはそれだけてはない。
 ラベルナは一糸まとわぬ姿にされていた。
 身を守る薄物一枚なく、婚約者であるアルフォンスにさえ見せたことのない裸体をさらされている。
 目を背けたくなる姿ではあった。
 つややかだった髪はすっかり傷み、ぼさぼさになっている。
 『大理石のよう』と讃えられた肌は荒れ果て、カサカサになっている。
 女性らしい適度な肉付きをもっていた体はやせ衰え、肋骨が浮き出ている。
 もはや、皮と骨だけ。
 そう言ってもいい体付きになっている。
 すべては劣悪な環境と連日の責め苦によるもの。かつてのラベルナ、強靱な意志と知性を示し、光り輝くように魅力的だった貴族令嬢としての姿を知るものが見れば、涙を流さずにはいられなかっただろう。それでも――。
 かつての美しさの面影は残っていた。
 そして、何より。その強靱な意志と知性の輝きはまったく衰えていなかったのだ。
 「……女ひとりによってたかってこんな扱いをして、しかも、それを楽しむとは。あなたたちには人の心というものがないのですか?」
 全裸で吊されながらなお、ラベルナはまわりに立つ獄吏たちに向かってそう言い放った。獄吏たちはいずれも体格だけは立派だ。体重にしてラベルナの倍以上は優にある男たちばかり。そんな男たちを相手に、しかも、全裸で吊された状態でありながら、それだけのことを言ってのける。
 その気丈さには敬意を感じずにはいられなかっただろう。
 まともな人間ならば。
 あいにく、この場にいる男たちはそうではなかった。だからこそ、この場で、この役割を与えられているのだ。
 獄吏のひとりがニタニタ笑いながら答えた。
 「あいにく、おれたちゃあ、そういう人間だから獄吏として雇われてるのさ。いい子ぶって意見なんざしても無駄だぜ」
 「そうですか。よくわかりました。あなたたちを人間と思うのがまちがい。そういうことですね」
 ゲラゲラゲラゲラ。
 ラベルナの言葉に――。
 獄吏たちが一斉に下品な笑い声を立てた。
 ラベルナの言葉など、この堕ちるところまで堕ちた人間たちにとっては笑い話でしかない。獄吏たちはニタニタと笑いながらラベルナの裸体をねめ回す。幾つもの視線がむき出しの肌を刺す。ラベルナは家門の矜持に懸けて平静を保とうとしていたが、幾つもの視線で裸体を見つめられては怒りと恥辱のあまり頬が赤くなるのはどうしようもなかった。
 「傷ひとつ付けるでないぞ」
 国王アルフレッドからはそう厳命されている。
 例え、自白させることができたとしても、その体に傷など付いていては拷問によって自白を引き出したと疑われてしまう。そうなっては意味がない。一切の傷を付けることなく心を折り、自白を引き出さなくてはならない。
 傷つけてはならないなどむずかしい……かと言うと、そんなことは全然なかった。人類の長い残虐の歴史のなかで生み出されてきた拷問術の数々。そのなかには傷つけることなく苦しめつづける方法はいくらでもあったし、獄吏たちはその術を知り尽くしていた。
 こうして、集団でねめつけるのもそのひとつ。
 ひたすらに恥辱ちじょくを与えつづけ、気力をそぐための方法だ。
 水攻めもした。
 眠らせないようにもした。
 耳元で不快な音をたてつづけもした。
 無意味で単調な作業に延々と従事させもした。
 そのすべてが、その身に傷ひとつ付けることなく精神を弱らせ、心を折るための拷問術。
 そして、いま、新しい拷問が行われていた。
 貴族令嬢の玉の肌を羽箒はねぼうきがなで回し、くすぐっている。
 何人もの獄吏たちが交代でくすぐり、日がな一日かゆみを与えつづけているのだ。
 この羽箒には特殊な薬品が塗られており、かゆみを増幅させるようにできている。
 『くすぐる』という語感から勘違いしてはならない。これは、そんなかわいいものではない。恐ろしい拷問なのだ。
 人間は痛みには耐えられるが、かゆみには耐えられない。そう言う風にできている。皮膚病にかかり、ひどいかゆみに襲われた人間は、そのかゆみに耐えきれずに全身をかきむしり、皮膚がボロボロにむしられ、血だるまになるまでかきむしりつづける。
 皮膚がこそげ、血の吹き出る痛みよりもなお、かゆみは苦しいものなのだ。
 そのかゆみを与えつづける拷問は体を傷つけることなく苦しみを与え、心を折るためのきわめて効果的な方法だった。
 そして、この日。
 その『担当』に新たにひとりの人間が加わった。
 国王アルフレッドその人である。
 アルフレッドは地下牢には似つかわしくないファー付きの王者のマントをまとってやってくると、獄吏の手から羽箒を受け取り、自らラベルナの体をなで回しはじめた。
 ラベルナは苦悶くもんの表情を浮かべ、身をよじった。
 ――苦痛を見せて楽しませてなどやるものか。
 そう思っているのだが刺激に体が反応してしまうのはどうしようもない。
 アルフレッドはニタニタと獄吏たちに劣らずいやらしい笑いを浮かべながら、そんなラベルナをねめ回していた。もちろん、その間も手にした羽箒でラベルナの体を責めつづけることは忘れない。
 アルフレッドはすっかりやせ衰えたラベルナの姿を見てわざとらしく溜め息をついた。
 「はああ。なんとも無残な姿だのう、ラベルナよ。かつての輝くような令嬢であったそなたの面影はどこにもない」
 「……誰がそうしたのですか」
 ようやくのことで呼吸を整えてラベルナはそう言い返した。
 目には涙が溜まっていたが、強靱な意志と知性の光はくもってはいない。
 「おお、そうそう。余が命じたのだったな。忘れておったわ」
 と、アルフレッドが愉快そうに笑った。
 その態度には卑怯者特有の、自分の絶対的な優位と安全を確信したときのいやらしい傲慢ごうまんさが満ちていた。
 「さて、ラベルナよ。いまだに己の罪を自白する気にはならんのか?」
 「わたしは何の罪も犯してはおりません。何を自白する必要があると言うのです」
 「自白さえすれば解放されるのだぞ? 追放とはなるが、その先での暮らしに不自由はさせん。こっそり、援助はしてやる。なのになぜ、そこまで拒む?」
 「カーディナル家の矜持きょうじ。その一言にございます。わたしは必ず、カーディナル家の矜持を守り抜きます。どんな責め苦を与えても無駄と知ることです。亡き父上、母上、そして、人々の生命を救うべく尽力してきたカーディナル家の英霊たち。わたしの心は偉大なる祖先たちに守られております。その防壁を破り、わたしの心を折るなど無理なこと。わたしが屈することは決してございません」
 「ほうほう、カーディナル家の矜持か」
 ニタリ、と、アルフレッドはその肩書きにはあまりにも似つかわしくないいやしく、みにくい笑みを浮かべた。
 「カーディナル家の矜持とはこのような無残な姿をさらすことか? 仮にも貴族の娘がこのような姿をさらして恥ずかしくはないのか? そなたの自慢の祖先たちとやらもさぞかし、恥じておろうに」
 「なぜ、わたしが恥など感じなくてはならないのです」
 「なんだと?」
 「わたしはいま、家門の矜持を守るために戦っているのです。そのためのこの姿。ならば、この姿はわたしにとって誇りでこそあれ、恥などではありません。我が祖霊たちもわたしの姿を見て誇りに思いこそすれ、恥じたりするはずがありません。あなたのように、名誉も矜持ももたぬ恥知らずにはわからないでしょうが」
 「な、なんだと……?」
 「恥知らずのあなたに教えてあげましょう。『恥』とはあなたのことを言うのです。『恥ずかしい』とはあなたの振る舞いを言うのです。『祖霊たちが恥じる』とは、あなたのような人間のことを言うのです! 国王の身でありながら国民の幸福などはいささかも考えずに遊興にふけり、無謀な戦を仕掛ける。それに敗北するとすべての責任を女ひとりに押しつけ、責任逃れしようとする。それこそまさに恥ずかしい振る舞い、恥そのもの。そのことをお知りなさい!」
 「な、ななななな……」
 舌鋒ぜっぽうするどくラベルナに糾弾きゅうだんされて、アルフレッドはたちまち劣勢に追い込まれた。
 心当たりのあることを言われて耳が痛い……わけではまったくない。そんな、まともな人間らしい心など持ち合わせてはいない。ただ単に自分の絶対優位を確信していたというのに無力なはずの相手から苛烈な反撃を受けてうろたえただけのことである。
 「こ、こここここの生意気な小娘めが! 国王に向かって何と言う侮辱ぶじょくを……!」
 「『国王』を名乗るのは国王らしく振る舞ってからになさい! 『侮辱』とは事実にもとづかない恥ずかしめを与えることを言うのです! あなたのは単なる事実ではありませんか!」
 「こ、この小娘えっ!」
 アルフレッドが頬を真っ赤にして怒鳴った。
 それが恥ずかしさのためであればまだ救いもあったかも知れない。しかし、それは恥ずかしさのためではなく、怒りのためだった。発作的にむちを取り出し――気晴らしに使用人を殴るためにいつも持ち歩いている――ラベルナの裸体を打ち据えようとした。
 それを見た獄吏たちがあわてて止めに入った。アルフレッドの腕を押さえつけ、取り押さえる。このまま鞭を振るえばラベルナの体に傷が付いてしまう。そうなれば、罪を着せるための役に立たなくなる。
 そんなことになれば責められるのは自分たちだ。自身が傷つけたことなど忘れて自分たちのせいにして罪を問うに決まっているのだ、この国王は。
 それを知るだけに獄吏たちは必死になって止めに入った。
 獄吏たちに止められてアルフレッドもようやくのことで落ち着きを取り戻した。ラベルナの身を傷つけるわけには行かないことを思い出した。
 「ふううううう……。し、仕方がない。そなたの体は大切だからな。今日のところは勘弁しておいてやろう。だが! 忘れるな。余は国王だ。きさまなどいつでも、どうにでもできる立場なのだと言うことをな!」
 アルフレッドはそう捨て台詞を残すとドカドカと足音高く去って行った。
 獄吏たちは安堵あんどの息をついた。この場は、まともな世界では誰にも相手にされないかの人たちが主人でいられる大事なだいじな晴れ舞台なのだ。国王などに踏み荒らされてはたまらない。
 アルフレッドは怒りのあまり、必要以上に高く足音を立てて地上への階段をのぼっていく。この地下世界よりもかのに似合っているとはとても言えない光の世界へと。
 「ううう、あの生意気な娘め。頑固な娘め。自白すれば悪いようにはせんと言ってやっているものを。王家の恩を忘れおって」
 自分勝手な怒りに我を忘れていたが、しばらくすると冷静さを取り戻した。
 ニヤリ、と、一際、邪悪な笑みが浮かんだ。
 「きさまがそうならこちらにも考えがある。奥の手を使ってやるわ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語

Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。 チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。 その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。 さぁ、どん底から這い上がろうか そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。 少年は英雄への道を歩き始めるのだった。 ※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

【完結】異世界で急に前世の記憶が蘇った私、生贄みたいに嫁がされたんだけど!?

長船凪
ファンタジー
サーシャは意地悪な義理の姉に足をかけられて、ある日階段から転落した。 その衝撃で前世を思い出す。 社畜で過労死した日本人女性だった。 果穂は伯爵令嬢サーシャとして異世界転生していたが、こちらでもろくでもない人生だった。 父親と母親は家同士が決めた政略結婚で愛が無かった。 正妻の母が亡くなった途端に継母と義理の姉を家に招いた父親。 家族の虐待を受ける日々に嫌気がさして、サーシャは一度は修道院に逃げ出すも、見つかり、呪われた辺境伯の元に、生け贄のように嫁ぐはめになった。

アンドローム ストーリーズ(聖大陸興亡志)外伝 昔語り「眞説・トールン大乱」 第一巻 ヒューリオ高原の戦い(前篇)

泗水 眞刀(シスイ マコト)
ファンタジー
アンドローム ストーリーズ(聖大陸興亡志)の外伝です。 全体の前半は、騎士団どうしの戦さのシーンばかりです。 間にちょこっと挟まってる、強面ヤクザの代貸し「クエンティ(本名。バラード)」とバミュール候爵夫人「ダイレナ」の若き日の恋愛話は大変気に入ってます。(最後の別れのシーンも) 後半は、過去の大乱に至るまでの詳細な真実と、敗者を裁こうとする身勝手な裁判劇が主なる話となります。 本篇が地味な宮廷劇ですので、戦闘シーンはこの外伝でお楽しみください。 メインシリーズに出てくる人物はおりませんので、単独の話として読めます。 第一巻は徹頭徹尾、戦さのシーンのみです。 剣と槍と弓のみの戦闘シーンは単調になりがちですが、出来るだけ工夫したつもりです。 大活劇を、腹一杯に堪能してください。

異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
エドガーはマルディア王国王都の五爵家の三男坊。幼い頃から神童天才と評されていたが七歳で前世の知識に目覚め、図書館に引き篭もる事に。 そして時は流れて十二歳になったエドガー。祝福の儀にてスキルを得られなかったエドガーは流刑者の村へ追放となるのだった。 【カクヨムにも投稿してます】

悪役令嬢は毒を食べた。

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
婚約者が本当に好きだった 悪役令嬢のその後

RISE!~男装少女の異世界成り上がり譚~

た~にゃん
ファンタジー
「俺にしろよ。俺ならアンタに……特大の幸せと金持ちの老後をやるからよ…!」 私――いや俺は、こうして辺境のド田舎貧乏代官の息子サイラスになった。 性別を偽り、代官の息子となった少女。『魔の森』の秘密を胸に周囲の目を欺き、王国の搾取、戦争、さまざまな危機を知恵と機転で乗り越えながら、辺境のウィリス村を一国へとのしあげてゆくが……え?ここはゲームの世界で自分はラスボス?突然降りかかる破滅フラグ。運命にも逆境にもめげず、ペンが剣より強い国をつくることはできるのか?! 武闘派ヒーロー、巨乳ライバル令嬢、愉快なキノコ、スペック高すぎる村人他、ぶっ飛びヒロイン(※悪役)やお馬鹿な王子様など定番キャラも登場! ◇毎日一話ずつ更新します! ◇ヒーロー登場は、第27話(少年期編)からです。 ◇登場する詩篇は、すべて作者の翻訳・解釈によるものです。

神よ願いを叶えてくれ

まったりー
ファンタジー
主人公の世界は戦いの絶えない世界だった、ある時他の世界からの侵略者に襲われ崩壊寸前になってしまった、そんな時世界の神が主人公を世界のはざまに呼び、世界を救いたいかと問われ主人公は肯定する、だが代償に他の世界を100か所救いなさいと言ってきた。 主人公は世界を救うという願いを叶えるために奮闘する。

【完結】 元魔王な兄と勇者な妹 (多視点オムニバス短編)

津籠睦月
ファンタジー
<あらすじ> 世界を救った元勇者を父、元賢者を母として育った少年は、魔法のコントロールがド下手な「ちょっと残念な子」と見なされながらも、最愛の妹とともに平穏な日々を送っていた。 しかしある日、魔王の片腕を名乗るコウモリが現れ、真実を告げる。 勇者たちは魔王を倒してはおらず、禁断の魔法で赤ん坊に戻しただけなのだと。そして彼こそが、その魔王なのだと…。 <小説の仕様> ひとつのファンタジー世界を、1話ごとに、別々のキャラの視点で語る一人称オムニバスです(プロローグ(0.)のみ三人称)。 短編のため、大がかりな結末はありません。あるのは伏線回収のみ。 R15は、(直接表現や詳細な描写はありませんが)そういうシーンがあるため(←父母世代の話のみ)。 全体的に「ほのぼの(?)」ですが(ハードな展開はありません)、「誰の視点か」によりシリアス色が濃かったりコメディ色が濃かったり、雰囲気がだいぶ違います(父母世代は基本シリアス、子ども世代&猫はコメディ色強め)。 プロローグ含め全6話で完結です。 各話タイトルで誰の視点なのかを表しています。ラインナップは以下の通りです。 0.そして勇者は父になる(シリアス) 1.元魔王な兄(コメディ寄り) 2.元勇者な父(シリアス寄り) 3.元賢者な母(シリアス…?) 4.元魔王の片腕な飼い猫(コメディ寄り) 5.勇者な妹(兄への愛のみ)

処理中です...