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五章

えっ、天国? それとも、ただの聞き間違い?

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  朝日の差し込む部屋のなかをかん高い目覚し時計の音が響きわたる。
 真梨子はベットの上でもぞもぞと身じろぎした。ぼうっとしている頭が徐々に目を覚ましはじめる。
 ――そっか。あのまま眠っちゃったんだ……。
 子供のように泣きつかれて眠ってしまったことに気がついてなんともばつの悪い思いをした。知っている人間が誰もいないのが救いだ。ひとり暮らしにもたまにはいいこともある。
 それにしても喉が渇いていた。皮膚という皮膚がすべて水分を失い、かさかさになっているかのよう。湯船のなかに二四時間でもつかっていなければもとに戻らないかも。
 ミイラになったような気のする腕をのろのろと伸ばし、けたたましくベルを鳴らしつづける目覚し時計を手にとった。目ヤニのたまった充血した寝ぼけ眼で文字盤を見る……。
 「やばっ! もうこんな時間」
 仰天して飛び起きる。急がないと遅刻だ。落ち込もうが、泣きつかれて眠ってしまおうが、八年間つづけてきた習性は失われるものではない。
 ベッドから飛び降りた。ぼさぼさの髪を指てすいた。服のまま眠ってしまったことを思い出してこんなことでは間に合わないとあわてふためく。
 「ああ、もう!」
 苛々と叫びながら服に手をかけた。服から、下着から、すべて乱暴に脱ぎすて、その場に放り出し、バスルームに直行。女らしさのかけらもないふるまいだが誰も見ていないからいいのである。
 熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴びて頭をしゃっきりさせ、ミイラになったような皮膚にうるおいを取り戻す。すぐに飛び出してろくに体を拭きもしないままクローゼットに飛びつき、着ていく服を引っかきまわす。が……。
 「うそでしょお」
 絶望のうめきを上げた。目をつぶって天を仰いだ。下着がない。ここ数日、洗濯をさぼっていたのを思い出した。おかげで下着の棚は空っぽ。
 「じょ、冗談じゃないわよ! ノーパンで仕事になんか行けるわけないでしょお。だから、洗濯は毎日きちんとしろって言ってるのに……昨日までのあたしのバカ! 責任とれ!」
 自分で自分を罵りながら、せめて下着の一枚や二枚、ないものかとクローゼットのなかを掘り起こす。
 「一枚や二枚、あるはずよ! だって、買ってきた下着をそのまま放り込んで忘れているなんてしょっちゅうだもの。おかげで、買った覚えもない下着が見つかるなんてざらなんだから」
 後で冷静になってみれば、あまりにだらしない暮らしぶりに自殺したくなるようなことを言いながら、探しつづける。すると――。
 たしかにあった。クローゼットの奥のおく、ズボラな主人の手を逃れて無事に潜んでいた下着の勇者が。
 「……やった!」
 と、安堵したのもつかの間、広げて見せたその下着はなんと淡い紫のレース……。
 「な、なんでこんなのが……ああ、そうか」
 もう何年前のことだろう。デートともすっかり縁遠くなったまま、下着専門店によったとき、ふと見かけ、『こんなセクシーな下着でもつけてたら何かかわるかも……』という淡い期待とも予感ともつかぬものを抱いて買ったのだ。結局、一度も身につけることなくクローゼットの奥に押しこめられていたけれど。
 しかし、こんなにセクシーだったとは。あらためて見ればみるほど顔が赤らんでくる。とても職場につけていけるような下着ではない。まして、あたしは弁護士。お堅い職業だ。こんな下着はつけていけない。こんなのはいたら、まるでAV女優のコスプレ……。
 「……ああ、でも他にないものね。仕方がない。ノーパンよりはましだわ」
 ――とうせ、誰かに見せるわけでもなし。
 ほとんどやけくそでそう呟き、やむにやまれず身につけた。それからスーツを取り出し、何とか身仕度を整える。そこで時計を確認する。まだ少しはある。キッチンの棚からこういうときのために常備してあるコーンフレークをひっぱりだし、パンの袋についているシールを集めてもらった皿にぶちまけ、牛乳をかけて立ったまま一気にかきこむ。安物のインスタント・コーヒーを普段よりも濃い目にいれて、一息に飲み干す。熱さと渋みとついでに不快なエグミとが舌と喉を直撃し、真梨子は思いきり顔をしかめた。でも、おかげで何とか腹ごしらえもできたし、頭もすっきりした。皿を洗うのは帰ってからのことにしてテーブルの上に放り出したまま部屋を出た。つっかけるようにして靴を履き、まだ濡れている髪を手で整えながら駅に向かって駆けていく。
 「お早うございます!」
 息を切らせて顔中を汗て濡らして事務所に飛び込んだ。すでに他のメンバーは席について朝のミーティングの準備中。視線が一斉に真梨子に向いた。
 会議席の一番向こうに裁判官のような態度で立っている島村がおもむろに腕を上げ、腕時計に目をやった。いかにも残念そうに舌打ちする。
 「惜しかったな。あと五秒遅ければ減給してやれたのに」
 金の亡者な島村は部下の給料をけずるチャンスは見逃さない。朝のミーティングに遅れた場合、分刻みどころか秒刻みで減給されるのだ。
 『わずかな金を惜しんでのことじゃない。弁護士として常に緊張感を保って仕事をしてもらうためだ』
 などという言い訳は一切せず、『一円でも出したくないから』と公言してはばからないその態度がいっそ潔い。
 真梨子は作り笑いを浮かべながら席に着いた。
 ――給料しか期待できない職場なのに減給なんてされてたまるもんですか。
 と、心のうちで毒つきながら。
 ミーティングがはじまった。
 そのほとんどはいつも通りの内容で真梨子の気を引くようなものはなかった。だが、最後の最後で真梨子の脳天を直撃する名前が現れた。島村は資料をめくりながら言ったのだ。
 「ええと、それから……今日は新しい依頼人がくる。名前は森山鴻志……」
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