1 / 75
その1
生きる戦い、それは生むこと。ベランダのハチが教えてくれた。
しおりを挟む
去年の夏、我が家のベランダ菜園の片隅にハチが巣を作った。
アシナガバチだ。
別にめずらしいことじゃない。菜園をはじめてからというもの、野菜に付くイモムシやら何やらが増えたせいか、よくハチが巣を作るようになった。
もはや、毎年の風物詩と言っていい。
巣を作るのは決まってアシナガバチ。なぜか、それ以外のハチが巣を作るのは見たことがない。理由は知らないが、これは助かる。さすがにオオスズメバチなんかに巣を作られたりしたら怖くて近づけない。その点、アシナガバチならよっぽどのことがない限り、刺したりしないから安心。一度など頭に付いているのを知らずに手で触ってしまい、思わず握ってしまった。それでも刺されることはなかった(もしかしたらオスのハチだったのかも知れないが。ハチの針は産卵管が変化したものだから、針をもっているのはメスのハチだけ)。
それに、アシナガバチは狩人蜂だ。野菜に付くイモムシやら何やらを捕まえて、食べてくれる。だから、たいていの場合、巣を作るに任せている。
……いや、実は巣作りを放っておくことにしたのにはきっかけがあるのだが。
何年か前のこと。やはり、ベランダ菜園の片隅にちっちゃなハチの巣を見つけた。まだほんの作りかけの、巣穴が二つ三つあるだけの巣。働きバチはまだ一匹も孵っておらず、新米の女王バチが一匹で巣を作り、幼虫の世話をしていた。まだまだ生まれかけのハチの王国。そんなハチの王国を見つけたおれは……女王バチの留守を見計らって即座に巣を落とした。
そして、見たのだ。
巣のもとへと帰ってきた女王バチが、巣を探してさ迷う姿を。
――悪いことをした。
そう思った。
それからだ。ハチの巣を取り除くことが出来なくなったのは。
それはともかく、去年の夏のことだ。
アシナガバチがベランダ菜園に巣を作るのはすっかり毎年の風物詩になっていたので、去年もそのまま放っておいた。どれぐらい大きくなることか。そう楽しみにしていた。ところが……。
夏のある日、その巣にひときわ大きな見慣れないハチがいた。その体つきときたら、他のハチに比べて体積にしてざっと三倍はあるだろうか。
女王バチか?
そう思った。
そうではなかった。そのハチは巣穴に頭をつっこんで、なかの幼虫を引きずり出し、食べていたのだ!
あわてて調べてみると、スズメバチの一種らしい。ヒメスズメバチというのはアシナガバチの天敵で、ほとんどアシナガバチの幼虫だけを食べて暮らしているそうだから、このヒメスズメバチだったのだろう。
ヒメスズメバチは巣の上に堂々と陣取り、巣穴に頭を突っ込んでは、幼虫を引きずり出す。一番後ろの二本の脚だけで巣につかまり、残り四本の脚で幼虫を捕まえ、おおきな口でクチャクチャとかみ砕く。四本の脚を小刻みに動かして幼虫の位置を入れ替えながら、クチャクチャと噛みつづけ、団子状に丸めていく。
その作業がすむと肉ダンゴと化した幼虫を抱えたまま、どこへともなく飛んでいく。自分の巣に持ち帰って自分たちの幼虫に食べさせるのだろう。そして、またやってきては次の幼虫を引きずり出す。
その繰り返し。
何度もなんどもやってきては、そのたびに巣穴に頭をつっこんで幼虫を引きずり出す。四本の脚で捕まえた幼虫を大きな顎でクチャクチャやって、自分の巣に持ち帰る。
その間、おとなのアシナガバチが何をしているかと言うと……何もしない。子供たちが殺されている。食べられている。それなのに、おとなたちは何もしない。一匹として追い払おうなとどはせず、巣の上におとなしく止まったまま。
ニホンミツバチはスズメバチに襲われると、よってたかって取り囲み、体熱で蒸し焼きにするという。しかし、アシナガバチはそんなことはまったくしない。敵わない相手だからとあきらめているのか、ヒメスズメバチはアシナガバチと同じ匂いを出していて敵と認識されないのか、とにかく、アシナガバチのおとなたちはみんなそろって子供たちが食われるのに任せている。
当然の結果として、巣は滅びた。幼虫という幼虫すべて殺され、連れ去られて、巣にはもう一匹の幼虫も残っていない。おとなたちもからっぽになった巣をすてて、どこかにいってしまった。我が家のベランダ菜園に生まれるはずだったハチの王国は……生まれる前にに消えてしまった。
それからしばらくの後。
栽培している果樹の枝に小さなハチの巣があった。驚いた。子供を皆殺しにされたアシナガバチたちは、巣を捨てて逃げたのではなかった。しっかりと新しい巣を作り、新しい子供を育てようとしていたのだ。
――なんとたくましい。
はっきり言って感動した。けれど――。
「そこはおれの育てている果樹の枝だ。すぐそばに顔を近づけることもあるし、手で触ることなんてしょっちゅうだ。さすがに、そんな場所に巣を作られては放っておけない」
と言うわけで、心ならずも殺虫剤を使った。缶のレバーを引くと大きな音を立てて毒の霧が吹き出した。強烈なジェット噴射がハチごと巣を吹き飛ばした。生き残りのハチがその場に近づかないよう、巣のあとにはたっぷりと殺虫剤をかけておいた。
――今度こそ終りだ。ハチの王国は滅びた。
そう思った。ところが――。
そうではなかった。ハチたちの物語はまだつづいていた。
それに気がついたのは秋になった頃。
ベランダ菜園のプランターの位置を変えようと、手をかけた。そのとき、指先に何かが当たった。プランターの陰から転がり落ちたもの、それは――。
ハチの巣。
巣穴がいくつかあるだけの小さなハチの巣。
小さいけれど、それは確かにアシナガバチの巣だった。
何と言うことだろう。天敵のヒメスズメバチに子供を皆殺しにされ、身勝手な人間に殺虫剤をまかれ、二度までも巣を失いながらハチたちはなお、人目に付かない場所に三つめの巣を作り、新しい子供を育てていたのだ!
何とたくましい。
そう思った。
同時にわかった気がした。
どうして、おとなのアシナガバチたちはヒメスズメバチに立ち向かわなかったのか。
このためだったのか。
新しい巣を作り、新しい子供を育む。
そのためにヒメスズメバチと戦わなかったのか。
生き残り、子を残すために。
生きる戦い。それは生むこと。
ベランダのハチたちがそう教えてくれた。
終
アシナガバチだ。
別にめずらしいことじゃない。菜園をはじめてからというもの、野菜に付くイモムシやら何やらが増えたせいか、よくハチが巣を作るようになった。
もはや、毎年の風物詩と言っていい。
巣を作るのは決まってアシナガバチ。なぜか、それ以外のハチが巣を作るのは見たことがない。理由は知らないが、これは助かる。さすがにオオスズメバチなんかに巣を作られたりしたら怖くて近づけない。その点、アシナガバチならよっぽどのことがない限り、刺したりしないから安心。一度など頭に付いているのを知らずに手で触ってしまい、思わず握ってしまった。それでも刺されることはなかった(もしかしたらオスのハチだったのかも知れないが。ハチの針は産卵管が変化したものだから、針をもっているのはメスのハチだけ)。
それに、アシナガバチは狩人蜂だ。野菜に付くイモムシやら何やらを捕まえて、食べてくれる。だから、たいていの場合、巣を作るに任せている。
……いや、実は巣作りを放っておくことにしたのにはきっかけがあるのだが。
何年か前のこと。やはり、ベランダ菜園の片隅にちっちゃなハチの巣を見つけた。まだほんの作りかけの、巣穴が二つ三つあるだけの巣。働きバチはまだ一匹も孵っておらず、新米の女王バチが一匹で巣を作り、幼虫の世話をしていた。まだまだ生まれかけのハチの王国。そんなハチの王国を見つけたおれは……女王バチの留守を見計らって即座に巣を落とした。
そして、見たのだ。
巣のもとへと帰ってきた女王バチが、巣を探してさ迷う姿を。
――悪いことをした。
そう思った。
それからだ。ハチの巣を取り除くことが出来なくなったのは。
それはともかく、去年の夏のことだ。
アシナガバチがベランダ菜園に巣を作るのはすっかり毎年の風物詩になっていたので、去年もそのまま放っておいた。どれぐらい大きくなることか。そう楽しみにしていた。ところが……。
夏のある日、その巣にひときわ大きな見慣れないハチがいた。その体つきときたら、他のハチに比べて体積にしてざっと三倍はあるだろうか。
女王バチか?
そう思った。
そうではなかった。そのハチは巣穴に頭をつっこんで、なかの幼虫を引きずり出し、食べていたのだ!
あわてて調べてみると、スズメバチの一種らしい。ヒメスズメバチというのはアシナガバチの天敵で、ほとんどアシナガバチの幼虫だけを食べて暮らしているそうだから、このヒメスズメバチだったのだろう。
ヒメスズメバチは巣の上に堂々と陣取り、巣穴に頭を突っ込んでは、幼虫を引きずり出す。一番後ろの二本の脚だけで巣につかまり、残り四本の脚で幼虫を捕まえ、おおきな口でクチャクチャとかみ砕く。四本の脚を小刻みに動かして幼虫の位置を入れ替えながら、クチャクチャと噛みつづけ、団子状に丸めていく。
その作業がすむと肉ダンゴと化した幼虫を抱えたまま、どこへともなく飛んでいく。自分の巣に持ち帰って自分たちの幼虫に食べさせるのだろう。そして、またやってきては次の幼虫を引きずり出す。
その繰り返し。
何度もなんどもやってきては、そのたびに巣穴に頭をつっこんで幼虫を引きずり出す。四本の脚で捕まえた幼虫を大きな顎でクチャクチャやって、自分の巣に持ち帰る。
その間、おとなのアシナガバチが何をしているかと言うと……何もしない。子供たちが殺されている。食べられている。それなのに、おとなたちは何もしない。一匹として追い払おうなとどはせず、巣の上におとなしく止まったまま。
ニホンミツバチはスズメバチに襲われると、よってたかって取り囲み、体熱で蒸し焼きにするという。しかし、アシナガバチはそんなことはまったくしない。敵わない相手だからとあきらめているのか、ヒメスズメバチはアシナガバチと同じ匂いを出していて敵と認識されないのか、とにかく、アシナガバチのおとなたちはみんなそろって子供たちが食われるのに任せている。
当然の結果として、巣は滅びた。幼虫という幼虫すべて殺され、連れ去られて、巣にはもう一匹の幼虫も残っていない。おとなたちもからっぽになった巣をすてて、どこかにいってしまった。我が家のベランダ菜園に生まれるはずだったハチの王国は……生まれる前にに消えてしまった。
それからしばらくの後。
栽培している果樹の枝に小さなハチの巣があった。驚いた。子供を皆殺しにされたアシナガバチたちは、巣を捨てて逃げたのではなかった。しっかりと新しい巣を作り、新しい子供を育てようとしていたのだ。
――なんとたくましい。
はっきり言って感動した。けれど――。
「そこはおれの育てている果樹の枝だ。すぐそばに顔を近づけることもあるし、手で触ることなんてしょっちゅうだ。さすがに、そんな場所に巣を作られては放っておけない」
と言うわけで、心ならずも殺虫剤を使った。缶のレバーを引くと大きな音を立てて毒の霧が吹き出した。強烈なジェット噴射がハチごと巣を吹き飛ばした。生き残りのハチがその場に近づかないよう、巣のあとにはたっぷりと殺虫剤をかけておいた。
――今度こそ終りだ。ハチの王国は滅びた。
そう思った。ところが――。
そうではなかった。ハチたちの物語はまだつづいていた。
それに気がついたのは秋になった頃。
ベランダ菜園のプランターの位置を変えようと、手をかけた。そのとき、指先に何かが当たった。プランターの陰から転がり落ちたもの、それは――。
ハチの巣。
巣穴がいくつかあるだけの小さなハチの巣。
小さいけれど、それは確かにアシナガバチの巣だった。
何と言うことだろう。天敵のヒメスズメバチに子供を皆殺しにされ、身勝手な人間に殺虫剤をまかれ、二度までも巣を失いながらハチたちはなお、人目に付かない場所に三つめの巣を作り、新しい子供を育てていたのだ!
何とたくましい。
そう思った。
同時にわかった気がした。
どうして、おとなのアシナガバチたちはヒメスズメバチに立ち向かわなかったのか。
このためだったのか。
新しい巣を作り、新しい子供を育む。
そのためにヒメスズメバチと戦わなかったのか。
生き残り、子を残すために。
生きる戦い。それは生むこと。
ベランダのハチたちがそう教えてくれた。
終
10
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
BL書籍の印税で娘の振り袖買うつもりが無理だった話【取らぬ狸の皮算用】
月歌(ツキウタ)
エッセイ・ノンフィクション
【取らぬ狸の皮算用】
書籍化したら印税で娘の成人式の準備をしようと考えていましたが‥‥無理でした。
取らぬ狸の皮算用とはこのこと。
☆書籍化作家の金銭的には夢のないお話です。でも、暗い話じゃないよ☺子育ての楽しさと創作の楽しさを満喫している貧弱書籍化作家のつぶやきです。あー、重版したいw
☆月歌ってどんな人?こんな人↓↓☆
『嫌われ悪役令息は王子のベッドで前世を思い出す』が、アルファポリスの第9回BL小説大賞にて奨励賞を受賞(#^.^#)
その後、幸運な事に書籍化の話が進み、2023年3月13日に無事に刊行される運びとなりました。49歳で商業BL作家としてデビューさせていただく機会を得ました。
☆表紙絵、挿絵は全てAIイラスです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる