神の物語

藍条森也

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第二部

《スサノオ》(2)

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 ふたりは姫君の恩人ということで城に招かれた。『城』などという場所にはまるで縁のないシュランドである。窮屈で堅苦しい印象が先行して、できれば遠慮したかったのだが、
 『生命の恩人どのを感謝の宴ひとつ招かぬとあっては一族の名折れ。ぜひ!』
 と、まるで親の仇に決闘を挑むかのような表情でつめよるタマモの前に断りきることもできず、お招きを受けることとなった。
 城に入ったところでタマモは着替えがあると言っていったん、別れた。部下に案内されて謁見の間に通された。
 謁見の間は新しい畳でしめられた大きな部屋で、入ったとたん、強いイグサの香が鼻をついたほどだった。細長い部屋の両側には重臣たちが正座して並び、上座の前にふたつの座布団が並んで置いてあった。ふたりはその座布団の上に座るよう言われた。
 やがて、王の来訪を告げる声がして、奥の襖を開いて壮年の男が姿を現した。その姿を一目見て、シュランドは目を見張った。
 男には右の手足がなかった。手足を覆い、ふくらんでいるべき袖と裾はともに平らにつぶれ、男が動くたび、左右にゆれている。男はひとりでは歩けないと見えて従者が右側に立ち、その身を支えていた。
 従者の手を借りて男は上座に座った。シュランドを見た。カグヤに視線を移した。それから口を開いた。威厳のある、重々しい声だった。
 「わしが出雲の王ミカゲ。そなたらが我が娘を救ってくれた英雄どのか。このミカゲ、心より礼を言う」
 「……いえ」
 「英雄などでは……」
 王たる相手に頭をさげられて、シュランドもカグヤもあわてて頭をさげた。それでも、シュランドの視線は自然とミカゲの右半身に移ってしまう。
 「わしの身が気になるかな?」
 ミカゲに言われ、シュランドは身をちぢこませた。
 「い、いえ、そういうわけでは……」
 「よい。三月ほど前、尸解仙どもとの戦いで失ってな」
 「そ、そうでしたか……」
 「おかげでいまでは身動きひとつするにも手助けが必要な有様。戦場で指揮をとるなどできるはずもなく、年端もいかぬ娘にその責を負わせる始末。ふがいない親と笑ってくれ」
 「……と、とんでもありません」
 『一発、かましてやりたい』などと思っていたのを見透かされた気がしてシュランドはますます身をちぢこませた。同時に、自分の愚かさをののしりたくなった。王が戦場に出てこず、年若いその娘が指揮をしているとなれば、そう想像するのが当たり前ではないか。それなのに、そんな当たり前のことをちらっとも考えずに怒っていたのだ。自分はなんと視野のせまい子供なのかと思い知らされ、シュランドは頬を真っ赤に染めた。
 「実際、娘には苦労をかける」
 ミカゲの声は沈痛そのものだった。
 「今日もそなたらの助けがなければ殺されるところであったとか。娘をそのような危地に追いやらねばならぬとは親として慚愧に耐えぬ」
 「いいえ、父上。それはちがいます」
 タマモの声がした。
 奥の襖が開き、豪奢な衣裳に身を包んだタマモが姿を現した。
 そのタマモの姿にシュランドは胸がどきりとした。甲武者の姿のときとはちがい、こうして姫君らしい衣服に身を包んだタマモは、凛々しいなかにもあまやかな少女らしさを漂わせ一際、魅力的だった。
 「父上。わたくしは幼い頃よりずっと、父の力となり、民のために働くことを望んでまいりました。そのために武芸を習い、兵法を学んできたのです。父にかわり、戦いの指揮をとるはまさにわたくしの望むところ。どうか、自責の念ではなく、称賛をもってわたくしを迎えてくださいませ」
 「タマモ……」
 タマモは父の横に座った。シュランドとカグヤに向けて頭をさげた。
 「シュランドどの、カグヤどの、あらためて礼を申す。この恩義は決して忘れぬ。もし、今後、御身になにかがあればこのタマモ、一命を賭してお助けする覚悟。あてにしてくれ」
 「あ、は、はあ……」
 シュランドは芸もなくあいまいな返事を繰り返すばかりだった。他人から礼を言われたり、丁寧に扱われたりしたことがないのでどう返事をすればいいのかわからないという理由もある。だが、それ以上に、タマモのような美しい少女が武骨一本の旅の兵法者のような態度なのがどうにも落ち着かない。
 ――女の子なんだから、もっとおしとやかにすればいいのに……。 
 そう思うのだ。
 「さて、お二方は旅のものだと聞いたか……」と、ミカゲ。
 「着いた早々、かような騒動に巻き込み、申し訳ない。危険を犯させた以上、事情を説明するべきと思うが、あやつらが現れはじめたのは一年ほど前のことでな」
 「あやつら……尸解仙ですね?」と、シュランド。
 「うむ。一年ほど前、黄泉よもつ比良坂ひらさかより突然、尸解仙の一団が現れおってな」
 「黄泉比良坂?」
 「町の西にある山のことじゃ」
 と、タマモが説明した。
 「わが出雲……というより、この土地一体は古来から黄泉比良坂より流れる黄泉川の恵みによって繁栄してきたのじゃ。黄泉川に魚や貝をとり、黄泉川の水をもって田畑の作物を育ててきた。黄泉川こそはわれらの暮らしを支える文字通りの生命の川なのじゃ。ためにその源たる黄泉比良坂はわれらにとって何物にもかえがたい聖なる山。また、この山には宿すくびとが住んでおってな」
 「スクナビトって?」
 いちいち聞き返すことに少々、抵抗を感じながらシュランドは尋ねた。ミカゲが重々しくうなずいた。
 「両面りょうめん宿儺すくなとも言う。前後ふたつの顔に四本の腕と四本の脚をもつ巨人でな」
 「……怪物ですね」
 「無礼なことを申すな!」
 叫んだのはタマモだった。シュランドはびっくりして目を見張った。部門の少女ははっとしたように頬を赤らめ、居住まいを正した。
 「……すまぬ。恩人どのに対してあるまじき振る舞い。許されよ。じゃが、宿儺人は断じて怪物などではない。それどころか、われらの守り神と言ってよいお方なのじゃ」
 「守り神?」
 「うむ。宿儺人は偉大なるお力をおもちなのじゃ。日照りがつづけば口のひとつから轟きをあげて雨を呼び、冷害となればもう一方の口より炎をはき、冷魔を退散させてくださる。宿儺人のおかげをもって、われらは飢饉を知らずに過ごせてきたのじゃ」
 「タマモの言うとおり」と、ミカゲ。
 「われらは先祖代々、宿儺人のおかげをもって暮らしてきた。ゆえにわれらもその礼として毎年、宿儺人に供物を捧げ、祭りを開いてきた。聖地ゆえに死者を葬る地としても使われてきた。つまり、黄泉比良坂はいくつもの理由でわれらにとって、かけがえのない山なのだ」
 「でも、その聖地から尸解仙たちが現れはじめた……」
 「さよう。まったく信じられぬ思いであった。先祖代々、崇めてきた聖地からあのような化け物どもが現れようとは。一体、黄泉比良坂に何事が起きたのか。宿儺人に尋ねるべく、幾度も使者を出したがひとりも帰ってこぬ。尸解仙に食われたか、あるいは、宿儺人の身に異変が起きたのか、あるいは……」
 「……宿儺人が心変わりなされたか」
 ミカゲが言いよどんだ言葉をはっきり口にしたのはカグヤだった。シュランドは驚いてカグヤを見た。カグヤはたおやかななかにも確固たる強さを秘めてまっすぐに出雲の王を見返していた。そうしているカグヤはとても十代の少女には見えなかった。
 「……考えたくはないことだがな」
 カグヤの言葉にミカゲは沈痛な面持ちでうなずいた。
 「だが、事情はどうあれ、民が襲われる以上、退治せねばならぬ。だが、そなたらも見たことと思うが、尸解仙ども、なまなかな化け物ではない。攻めてくるのを追い払うのが精一杯で、とても黄泉比良坂に攻め入る余裕はない。守るにしてもいつまでもつことか……」
 ミカゲはため息をついた。その表情はこの威厳をもった王にも似合わず、疲れと心細さとが入り交じったものだった。タマモはそんな父の姿を気遣わしげに見つめている。
 ――むりもない。
 シュランドは思った。尸解仙がいかに強敵かその目で見ている。出雲の武士の数も無限ではない。このまま戦いをつづけていればいずれ全滅する。いや、すでに全滅に近い状態なのかも知れない。といって、相手の正体が不明では交渉など最初から不可能。打つ手もないままに尸解仙たちの食料となるのをまつしかない。どんな肝の座った人物であっても弱音のひとつも吐きたくなるだろう。
 そもそも、いくら娘の恩人とはいえ、風来坊の子供ふたりにこんなことを言うこと自体、疲れ果てている証拠だろう。誰でもいいから内心の思いを吐き出して、思いをおろしたいのだ。それには、なんのしがらみもない旅人はむしろ適当な存在かも知れない。シュランドはそこまで追いつめられているミカゲに同情した。
 それにしても、と、シュランドは思った。
 「あのう……」
 遠慮がちに尋ねる。
 「なにかな?」
 「この町に侍はいないんですか?」
 常人をはるかにしのぐ戦闘能力をもつ侍であれば、尸解仙といえど敵ではないはずだ。侍さえいればあんな苦戦はせずにすむはずなのに……。
 ミカゲはきっぱりと言った。
 「おらぬ」
 「いないって……なぜ?」
 「話せば長くなるが……ことは百年前にさかのぼる。当時、この一帯は小さな村々が林立し、争いが絶えなかった。その事態を憂い、この一帯を統一することで争いを収めようとなさったのか当時の出雲の領主、すなわち、わが祖先たるカンバヤさま。そして、その息子にして『若き武神』とまで讃えられたヤチホコさまだ」
 シュランドとカグヤは顔を見合わせた。この町にくる前に出会った、あの大男の侍から聞いた話だ。
 「おふたりは長い戦いの果てについに統一を果たし、新生・出雲を作りあげられた。それがすなわち、この町だ。その頃にはカンバヤさまはすでに亡くなって遠く、ヤチホコさまが新生・出雲の初代国王となられた。だが、ヤチホコさまには大きな憂いがあった」
 「憂い?」
 「さよう。この地に残る侍たちだ。侍は戦いがあってこそ英雄となれる。平時の侍などその力を一般人から恐れられるだけの存在に過ぎん。侍たちを放っておけばいずれ、自分たちを恐れる人々の目に敗け、再び戦の世に戻そうとするかも知れぬ。それこそがヤチホコさまの憂いであったのだ。
 そこでヤチホコさまはこの地より侍の血を消すことをご決心された。『平和の地に侍はいらぬ!』とな。ヤチホコさまが五十になられたおり、王の座を弟であるナムチに譲り、ご自身はすべての侍を率いて黄泉比良坂に向かわれたのだ。ナムチはヤチホコさまの弟ではあったが、その身に侍の血は流れていなかった。そして、このナムチこそわしの曾祖父にあたる。いまの出雲の王はナムチの血統なのだよ。ゆえに、われらにも侍の力はない」
 ミカゲはそこまで言って息をついた。
 「なぜ、黄泉比良坂に向かわれたのか。それはわからぬ。とにかく、この行動によって出雲の地より侍の血統は失われた。そして、それは正しかったのだ。統一されたとはいえ、諍いがなくなるわけではない。この百年の間にも小さな争いはいくつもあった。だが、侍がいないためにわずかな被害ですんだ。もし、わずかでも侍が残っていればその争いははるかに大きく広がり、被害は比べものにならないほど大きくなっていたろう。争いが起きるたびわれらは、侍の血統をこの地から無くされたヤチホコさまの賢明さに感謝してきたのだよ。ところが……」
 ミカゲは再びため息を吐いた。
 「いまになって侍の力が必要なときがこようとはな」
 「でも、おかしいな」
 シュランドは首を傾げた。
 「おれたち、この町にくる前に侍に会いましたけど……」
 「本当か⁉」
 ミカゲが思わず叫んでいた。不自由な体を浮かせかけたほどだった。その横ではタマモも、まるで窒息寸前にようやく水面から顔をだし、息を吸えたときのような表情になっている。それだけでふたりにとって『侍』という存在がどれほど大きな希望となっているかがわかる態度だった。
 カグヤがあわてて口をはさんだ。
 「いえ、たしかにお侍を見たというわけではないのです。ただ、この町にくる前にひとりのとても大きな男性に会いました。その方がお侍に見えたということです」
 「……ふむ」
 ミカゲは顔をしかめた。与えられたと思った希望をすかされたようで気分を害したのだろう。そんな父にタマモが言った。
 「父上。もし、その方が本当に侍ならば我々にとって大きな力となってくださるはず。とにかく、探してみるべきでしょう」
 「たしかにな」
 娘に言われ、ミカゲもうなずいた。
 「すぐに手配しよう。そなたら、ご苦労だがその侍の似顔絵作りに協力してくれ」
 すぐに係の者が呼ばれ、ふたりは謁見の間から退出することになった。その前にカグヤが尋ねた。
 「そういえば、なぜ彼らを尸解仙と呼ぶのです?」
 「尸解仙が一度、死んだのちに蘇る仙人であることは知っているな?」
 「はい」
 「仙人に三種あり。生きたまま天に昇る天仙、地上に残り、大地を遊山する地仙、そして、死んだのち蘇る尸解仙。それ故に我らはあのものたちを尸解仙と呼んでおる」
 「どういうことです?」
 「幾度か襲撃を受けているうちに気づいた。あやつらは皆、黄泉比良坂に埋葬した死者、すなわち、我々の祖先の変わり果てた姿なのだよ」
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