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第二話

名君へと至る奴隷にされた姫君と下僕にされた令嬢たちの物語

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一の扉 昨日までの姫君は奴隷へと堕とされる

 「お前との婚約を破棄する!」
 嘲りを含んだその声が王の間にこだまする。
 そう宣告されたのはつい昨日までこの王の間の主人であった美しき姫君。しかし、玉座はすでに彼女のものではない。玉座には彼女のいとこに当たる令嬢が座り、その横には昨日までの姫君の婚約者――いまでは、令嬢の婚約者――たる若き伯爵。
 姫君は王族としての正装も、姫君としての宝飾品もひとつ残らずはぎ取られ、奴隷用の衣服を着せられ、首には犬用の首輪、両手には枷、その姿で令嬢の座る玉座の前に跪かされている。
 「ふふん、いい気味ね」
 玉座に座る令嬢はたっぷりの嘲りを込めて言い放つ。
 「あなたにはその格好がお似合いよ。少しばかりきれいで、人受けがいいからって、誰にでも愛想を振りまく犬っころ。振りすぎてすり切れてしまった尻尾のかわりに、作り物の尻尾でも縫い付けてあげようかしら」
 「それはいい!」
 令嬢の言葉に、元婚約者の伯爵は声をあげて笑う。
 「もともと、お前のように誰にでもいい顔をする八方美人は私にはふさわしくない。私にはこの彼女のように、確固たる自分の意思を持つ女性こそがふさわしいのだ」
 「ホホホ、そう言うことよ、犬っころ。よくもいままでわたくしのことをバカにしてくれたわね。こんな目に遭ったのもその報いよ。思い知りなさい」
 「ちがう! わたしはあなたをバカにしたことなんて……」
 ヒュン! と、音を立てて鞭が振るわれる。令嬢の振るった鞭は姫君の美しい頬をかすめ、切り裂いた。真っ赤な血が流れ、白く輝く肌を深紅に染める。
 「口の利き方に気をつけなさい! お前はもう姫君なんかじゃない、それどころか、王族ですらない、ただの奴隷なのよ!」
 「も、申し訳ありません。……王女殿下」
 「そう。それでいいの。わたくしは王女。お前は奴隷。それを二度と忘れないことね」
 「……はい」
 「ああ、それにしても、わたくしったらなんて優しいのかしら。戦に負けて玉座を追われた無能者を殺しもせず、こうして奴隷として所有してやるなんて。きっと、わたくしは愛の女神の生まれ変わりにちがいないわね」
 「………」
 「そう。わたくしは優しいの。とっても、とってもね。だから、性根の腐った犬っころのお前でも生かしておいてあげる。何と言ってもわたくしのいとこだもの。落ちぶれたからと言って殺したりはしないわ。一生、わたくしが保護してあげる。わたくしの言うとおりにしていれば不自由はさせないわ。よろしくてね?」
 「……はい」
 再び鞭が振るわれ、姫君のもう片方の頬を切り裂く。
 「『はい』じゃないでしょう! 『ありがとうございます』でしょう! まったく、身の程をわきまえない不出来な犬っころね」
 「……ありがとうございます、王女殿下」
 「そう。それでいいの。本当なら八つ裂きにしてやるところだけど、優しいやさしいわたくしはそんなことはしないわ。そのかわり、任務をあげる」
 「任務?」
 「そうよ。最近、近くの村の墓地にグールが出没して死体をむさぼり食っているそうなの。そいつを退治してきなさい」
 「グール⁉」
 「そうよ。下賤な犬っころには似合いの仕事でしょう。必ずややり遂げなさい。逃げたりしたらお前の妹がどうなるか……分かっているわね?」
 「……はい」
 「物わかりがよくてけっこうね! その調子でせいぜい任務に励みなさい、オーホッホッホッ!」
 令嬢の高笑いが玉座の間に響き渡る。


二の扉 奴隷にされた姫君はいま、旅立つ

 謹厳たるべき王宮に軍靴の音が響き渡る。
 床という床、壁という壁を血に染めて、反乱軍の兵士たちは玉座に迫る。父の死を受けて玉座に着いたばかりの姫君はたちまちのうちに兵士たちの粗野な腕に捕えられ、王族の証をすべてはぎ取られ、乱暴に床に組み伏せられた。そこへ、ひときわ重々しい足音を立ててひとりの男がやってくる。
 「叔父上!」
 それは姫君の叔父、父王の弟に当たる大将軍。そして──。
 病に臥せっていた王を殺した反逆者だった。
 「叔父上! なぜ、あなたが謀反などを起こすのですか⁉ 父の右腕として長年にわたり国を守ってきたあなただというのに……」
 「なればこそだ。時は戦国乱世。賢王と呼ばれ、国民に愛され、近隣諸国にまでその名を轟かせた兄が病に臥せり、お前ごときが王となる。かような事態となれば、この国は周囲のケダモノどもから狙われよう。この危急存亡の時をお前ごとき、柔弱な小娘に託すわけには行かん。国を守るために必要なのは敵を打ち倒す大いなる力。女子供の感傷などではない」
 大将軍は自慢の愛刀を振りかざす。
 「安心しろ。これでも叔父だ。苦しまぬようひと思いに殺してやる」
 断熊刀。
 熊すら一撃で両断することからそう呼ばれる剛刀が、いましも姫君の首筋に振りおろされようとした。まさにその瞬間、
 「お待ちください、父上」
 嘲りの微笑を浮かべて令嬢がやってきた。
 「この場で殺してしまっては面白くありませんわ。せっかく捕えたんですもの。この澄まし返った犬っころはわたくしが奴隷として飼ってあげますわ」
 「おお、さすがは我がファアンセ。何とお優しい」
 令嬢の側に立つのは伯爵。姫君の婚約者であるはずの伯爵が令嬢を『フィアンセ』と呼んでそこにいた。
 「あ、あなた……! あなたがどうしてそこに……」
 「あなただと? 気安く呼ぶのはやめてもらおう。私はもはや、お前ごときの婚約者ではない。この将軍令嬢の婚約者だ。何しろ、彼女はつい先ほど、私の求婚を受け入れてくれたのでな」
 「な……」
 「オーホッホッホッ! そう言うことよ。あなたの婚約者も、玉座も、もはや、すべてはわたくしのもの。あなたはこれからわたくしの奴隷として飼ってあげる。栄華に包まれたわたくしの暮らしを身近で見ながら、せいぜい歯がみするがいいわ」
 こうして、姫君は奴隷として飼われることとなった。
 そして、いま、彼女は旅立つ。令嬢の命令に絶対服従の奴隷、魔物たちを狩り取る狩人として。
 姫君の前には彼女の妹がいた。クリスタルのなかに閉じ込められて。呪術師である令嬢の呪いによって閉じ込められたのだ。このクリスタルに閉じ込められいる限り、令嬢の意思ひとつでいつでもその生命は奪われてしまう。
 姫君はそのことをよく知っていた。だから――。
 令嬢に逆らうことは出来なかった。
 「……行ってくるわ。愛する妹」
 昨日まで王族のドレスに包まれていたその身に狩人の戦装束をまとい、姫君は旅立った。修羅の世界へと。


三の扉 そして、姫君は戦士へ変わる

 こわい、
 こわい、
 こわい!
 いやだ、
 戦いたくない、
 傷つきたくない、
 死にたくない!
 こんなこわいのはもういや!
 心のなかではひっきりなしにその叫びが吹き荒れる。
 王都近くの村の墓地。粗末な木の墓標が建ち並ぶそのなかで、戦装束に身を包んだ姫君はグールと戦う。
 熊よりも巨大な体。杭のような牙。凶猛な食欲に目をたぎらせ、襲いかかってくる。
 姫君は必死に戦う。いや、抵抗する。
 もういや。
 逃げたい。
 戦いたくない。
 でも、逃げられない。令嬢が彼女の妹を殺さずにいるのは姫君を奴隷として飼っておくためなのだ。もし、彼女が逃げれば妹はたちまち殺される。
 だから、逃げられない。
 戦うしかない。
 戦って、相手を倒し、生きて帰る。
 それ以外、捕えられた妹を救う術はない!
 その思いだけで姫君は戦う。幼少の頃から魔法の才能に長けていたとは言え、戦場に立つことなど夢想だにしたことのない身。恐怖に身はすくみ、頭のなかは真っ白になる。いまにも心臓が止まりそう。それでも――。
 身を震わせ、涙を流しながら、姫君は戦う。
 ――妹を守る!
 その一心で。
 気がついたとき、グールは死体となって彼女の足元に倒れていた。
 姫君は勝った。
 生き残った。
 そして――。
 姫君のなかで何かが永遠に変わっていた。


四の扉 令嬢は今日も高笑う

 「オーッホッホッホッホッ!」
 令嬢の高笑いが王宮内に響き渡る。
 「ああ、いい気味。笑いが止まらないわ。あの澄まし返った犬っころが血と泥にまみれて化け物どもと殺し合っているかと思うと……こんなに楽しいことは他にないわ」
 「まったくだ。あいつときたら二言目には貴族の義務だ何だと説教たれやがって。何が義務だ、何が責任だ。貴族さまってのは偉いんだ。何をしても構わないんだ。平民どもの一〇〇〇や二〇〇〇、犠牲にして何が悪い!」
 「その通りですわ、伯爵さま。平民どもはわたくしたちに奉仕するために生まれた存在。生かしておいてもらえるだけでありがたいと思わなければね」
 「まったくだ。あなたは、あの取り澄ました偽善者とはちがう。素直で、正直で、何より、貴族と平民の違いというものをよく知っている。あなたこそ、私にふさわしい」
 「そう、その通りよ。なのに、あの犬っころがあなたの婚約者となって、わたくしがどれほど歯がみしたことか。でも、それももうお終い。あの娘は報いを受け、わたくしたちは正しい関係に戻る。これこそ正義というものですわ!」
 オーホッホッホッホッ!
 令嬢の高笑いが王宮中に響き渡る。


五の扉 滅びの予兆

 国は傾きはじめていた。王位を簒奪した大将軍はたしかに戦場においては無双の勇者だった。しかし、政にはまったく関心がなかった。戦を求めて各地を飛びまわるばかりで内政にはまったく関与しようとしない。そのかわりに国を任されている令嬢は国民のことなどまるで頭になく、自分の趣味を押し通すことしか考えていなかった
 「いいこと? 王宮内のあの目障りな建物を跡形もなく打ち壊し、あとには美しい湖を作りなさい」
 「し、しかし、あの建物は姫さまが……」
 「姫さま?」
 「い、いえ、あの……奴隷女……が、貧しくて医療を受けられない人々のために作られた救護院でして……」
 「だから、打ち壊せと言っているのよ! 貧しい人々のため? 冗談ではないわ。どうして、このきらびやかな王宮にそんな下賤なやからをおいておかなくてはならないの? あり得ないわ。あんな連中、ひとり残らず追い出しておしまい。そして、そのあとには美しい湖を作り、一〇万羽の白鳥を放すのよ」
 「じゅ、一〇万羽⁉」
 「そうよ。何か文句がある? わたくしは白鳥が大好きなの。白く、汚れのないあの姿! ああ、まるで、わたくしの心のよう。その白鳥に囲まれて暮らすことこそ、わたくしの幼い頃からの夢。いまこそ、その夢を実現させるのよ」
 「し、しかし、戦費圧迫の折、そのような贅沢をなさるのは……」
 「ああ、うるさいわね! お金がないなら平民どもからいくらでも税金を取り立てればいいでしょう。やつらはそのために生きているんだから」
 「し、しかし、白鳥のために人間の暮らしを犠牲にするようなことは……」
 「ああ、うるさいわね、あれこれと! そんなやつはわたくしには必要ないわ。わたくしに必要なのは、わたくしの言うことを何でもハイハイと聞いて、実現してくれる忠実な臣下なのよ!」
 そして、臣下は不服従の罪で処刑された。もはや、誰も令嬢に意見しようとはしなくなった。国は破滅への理道を転がりはじめた。


六の扉 姫君は運命の出会いを迎える

 王女となった令嬢に命じられるまま、姫君は戦いつづける。
 あるときは瘴気漂う沼地に行き、またあるときは日のささない地下の大空洞に赴き、魔物たちと戦いつづけた。
 姫君は戦いつづけた、そして、勝ちつづけた。
 ――妹を守る。
 その一心で。
 そして、数年が過ぎた。
 姫君はもはや、かつての深窓の令嬢ではなかった。あまたの修羅場をくぐり抜けた研ぎ澄まされた狩人だった。
 戦いの日々で彼女は多くの体験をした。王宮のなかで花嫁修業をしていた頃には出会うはずもない人々、体験するはずもない出来事に幾つも出会った。そのなかで多くの敵と出会い、それ以上に多くの仲間を作った。
 ――わたしが王宮の奥深くで何不自由ない暮らしをしている間、世の人たちはこんなにも多くの苦難にさらされていたなんて。
 自分は何と世間知らずだったことか。
 その思いが彼女の目を開かせていった。
 ――妹を守る。
 ただ、それだけで戦っていたはずだった。
 いつしか、その思いは、
 ――人々の暮らしを守る。
 と言うものにかわっていた。
 そして、ある日。姫君はついに運命の出会いを迎える。
 彗星の盗賊王。
 そう呼ばれる男との邂逅である。


七の扉 令嬢は滅びの予兆に気がつかない

 国はもはや取り返しのつかないところまで来ていた。
 新王となった大将軍はいたずらに戦争を重ね、国庫を圧迫し、令嬢はひたすらに自分の望みを叶えることに没頭していた。数年の間に正式に結婚し、王太子となった伯爵もまた、妻と共に贅沢にふけり、国政を顧みることはなかった。周囲の人々の心がすっかり自分たちから離れていることにも気がつかないまま――。
 ふたりは『裸の王様』の暮らしに埋没していた。


九の扉 姫君はついに反撃を決意する

 最初は反発していた。
 姫君にとって盗賊王は、自分の悪行を世のなかのせいにして正当化する卑怯者に過ぎなかった。盗賊王にとって姫君は、憎むべき王族の片割れに過ぎなかった。会えば互いに罵り合い、口喧嘩をかわす関係だった。しかし――。
 ――人々の暮らしを守る。
 その共通の思いのなかで共に戦ううち、ふたりは互いに理解を重ね、激しく愛し合うようになる。そして、ある日。盗賊王はついに言った。
 「お前が玉座を取り戻すときだ」
 「わたしが?」
 「そうだ。もともと、お前こそがこの国の正統の王。いまの王は兄殺しの簒奪者に過ぎない。いまこそ、お前が正統の王として玉座に戻るんだ」
 「でも……」
 「お前だって分かっているだろう。いまのこの国がどんなにひどいことになっているか。王は戦争に明け暮れ、その娘と夫は自分のことにしか興味がない。おかげで、未来を担う若い人間たちが次々と戦場に倒れ、国内では飢えと貧困が広がる。いまや、人が人を食う有り様だ。いまこそやつらを追い払い、この国を正しい姿に戻すんだ」
 「まって! もちろん、わたしだってこの国がいま、どうなっているかは思い知っている。でも、だからと言って革命なんか起こしたら、また多くの被害が出る。わたしは人々にそんな悲しみを与えたくない」
 「だからって! 手をこまねいていては死者が増えていくだけだ。いますぐ起たなくちゃならないんだ!」
 「まって! だとしても、わたしにそんな資格はない。いまのこの事態を招いたのはわたしなのよ。わたしが無力だったから、単なる世間知らずの小娘だったから……いまにしてみれば叔父の気持ちも分かるの。だって、あの頃のわたしは本当に、王宮の外のことなんか何も知らない温室育ちのお嬢さまに過ぎなかったんだから。乱世の現実を知る叔父からすれば、そんな小娘に国を任せておけないと思って当然よ。わたしがもっとしっかりしていれば叔父だって謀反を起こしたりしなかったはず。すべてはわたしのせい。そのわたしがいまさら王になんて……」
 「お前のせいだと言うならなおさらだ。お前はその罪を償い、人々に報いる責任がある。いまのお前は昔とはちがう。おれと出会った頃と比べてさえずっと強くなった。そして、お前の後ろにはおれがいる。他にも何人もの頼もしい仲間がいる。すべてはお前が自分の力で得た財産だ。お前が起てば誰もがお前の味方になる。共に起ちあがる。簒奪者どもを追い払うなど簡単だ」
 「そのなかで何人が死ぬの? 叔父に仕える兵士たちだって同じ我が国の民なのよ。その民をわたしの手で殺せと言うの?」
 「……わかった。では、こうしよう。いきなり戦うことはしない。できうる限りの兵を揃え、王都を包囲する。そして、降伏を呼びかける。降伏すれば身命は保証するとな。それで降伏すればよし。しないとあれば一気に王宮に突入し、簒奪者の首を取る。それなら、被害は最小限で済む」
 「でも、王宮には妹が……」
 「おれを誰だと思っている? 彗星の盗賊王だぞ。王宮内の抜け道、隠し通路、仕掛け……すべて把握済みだ。お前の妹は必ず無事に助け出してやるさ」
 そして、姫君は決意した。かつての自分、いたらなかった自分が招いた事態を収めることを。


一〇の扉 誓いの時

 国を取り戻す。
 その決意を固めた姫君は仲間たちと共に封印の山に登った。その山上、いつ、誰が建てかかもわからない神殿に収められるひとつの神器、それを持つ者が世界を制すると言われる宝剣を手に入れるために。過酷な山肌を登りつめ、ついにたどり着いた神殿で姫君は叫ぶ。
 「力ある者が力なき者を虐げるのではない、誰もが自分の持つ力を存分に振るい、この世界をより良い場所にするために貢献できる、そんな世界を作りたい。そのために宝剣よ、力を貸して!」
 その叫びを終えたとき――。
 姫君の手には光輝く一振りの剣が握られていた。
 「おおっ!」
 仲間たちが喜びに沸き立つ。
 姫君は宝剣を抜くと仲間たちに宣言した。
 「わたしはこの宝剣と、そして、あなたたちに誓う。誰もが自分の持つ力を存分に振るい、この世をより良い場所にするために貢献できる、そんな世界を作るために一生を捧げると!」
 「ならば、おれは誓おう。生涯、お前の陰として働き、お前を支えると」
 「私は誓おう。魔道の知識を広め、人々の暮らしを良くすることを」
 「あたしは誓います! 身につけた医術の力でひとりでも多くの人々を病から救うことを!」
 「おれさまは誓うぜ。魔物どもをぶちのめし、この筋肉でおれさまのファンを守ってみせるってな」
 「……僕は誓おう。この呪われた力を用い、人々を悪しき運命から解放することを」
 姫君の元に集った仲間たちが次々と誓いを立てる。
 それは、誰に指示されたのでもない。誰に付いていくのでもない。自分自身が自分自身の人生のなかで見つけた自らの役割を果たすという誓い。それだけに、決して破ることの許されない神聖なる誓い。
 「行きましょう。わたしたちの誓いを果たす、そのために」
 「おおっ!」


一一の扉 革命

 姫君率いる大軍勢は王都を包囲した。
 それに先立ち、姫君の妹は盗賊王の手によって救い出されていた。戦いの日々のなかで仲間となった呪術師によってクリスタルの呪いからも解放された。もはや、姫君にためらう理由はなかった。叔父である大将軍に向かって降伏を呼びかけた。
 降伏すれば身命は保証する。拒否するなら殲滅する、と。
 大将軍は拒否した。
 姫君は――心ならずも――王宮への進撃を下した。
 人数、技量、装備、士気。すべてにおいて姫君の軍は大将軍の軍を圧倒していた。姫君の軍は得物を狙うハヤブサのように王宮に突入し、立ちはだかる敵を草でも刈るようになぎ倒した。
 そして、ついに、姫君は大将軍と対峙した。
 「お久しぶりです。叔父上。いまこそ、この国を、この国の民を返していただきます」
 「つくづく見下げ果てた娘だな。玉座を取り戻すのに宝剣なぞに頼るとは。やはり、きさまにこの国を任せることは出来ん」
 「叔父上。あなたを倒すのは宝剣ではありません。磨きあげた、わたし自身の技と心です」
 「ほう。おれを倒すだけの力を手に入れたと、そうほざくか?」
 「そうです。いまのわたしはあの頃とは違います。王宮の奥深くで花嫁修業だけにいそしんでいた世間知らずの小娘ではない。多くの修羅場をくぐり抜けてきたプロの狩人。それがいまのわたし。いまのわたしであればこの国を任せるに足る。そう納得していただいた上ですべてを返していただきます」
 「やって見ろ!」
 ふたりは真っ向から斬り合った。
 盗賊王も、その他の仲間たちも、この戦いには手を出さなかった。なぜなら、これは姫君自身の戦い、自らの罪を償うためにも姫君自身が勝ち取らなければならない勝利だったから。
 十合、二十合、剣と剣が打ち合い、音を立てる。
 姫君の剣が比類ない速さと正確さを誇る研ぎ澄まされた技巧の剣なら、大将軍のそれは熊すら両断する剛刀。
 対照的なふたりの剣は永遠に打ち合わされるかと思われた。
 しかし、ついに終わりの時はきた。姫君の放った渾身の突きが大将軍の胸を貫いたのだ。
 とうに百合を越えていた。
 長い戦いに大将軍が息を乱したその瞬間、姫君の剣が大将軍の心臓を貫いたのだ。
 あり得ないことだった。かつての大将軍ならばどれほど戦いがつづこうとも息を乱すことなどあるはずがなかった。しかし、大将軍もすでに初老。ほんのわずかとは言え、たしかに体力は衰えていた。そのわずかな衰えが命取りとなった。
 「……強くなったな」
 胸から滝のように血を流しながら、大将軍は呟いた。
 「……叔父上」
 「たしかに納得したぞ。いまのお前であったなら、おれも……」
 その一言を残し――。
 兄殺しの簒奪者は息絶えた。
 決して膝を突かず、倒れず、仁王立ちのまま。


一二の扉 白鳥たちは羽ばたく

 他にどんな欠点があろうとも戦場では無敵であったはずの大将軍。その大将軍が討たれた。そうなれば、もはや、姫君の軍と戦おうとする者はいなかった。次々に投降し、姫君の軍の一員となって大将軍の一派を追い回しはじめた。
 「助けて、助けて!」
 令嬢はひとり、王宮のなかを駆けまわっていた。
 こんなことは考えてもいなかった。自分は王の娘、次期王の妻として一生、栄華に包まれて生きるはずだった。それなのになぜ、どうして、こんなことに?
 この期に及んでなお、令嬢にはそのことが分からなかった。
 「ああ、助けて! あの反逆者どもを打ち倒しなさい!」
 王宮内で偶然、見つけた兵士に向かってそう叫ぶ。しかし、その兵士たちは自らの剣を令嬢に向けた。
 「大切な白鳥さまたちに助けてもらったらどうだ?」
 白鳥さま。
 王宮では令嬢のペットである白鳥たちはそう呼ぶよう厳命されていた。そして――。
 人々の間にいかに飢えが広がり、やせ衰えた子供たちが死んでいこうとも――白鳥さまたちだけは食うものに困ることは決してなく、丸々と太っていたのだ。
 令嬢は逃げ出した。
 王宮の外へ。
 彼女自身が作らせた湖へと。
 そこには彼女がありったけの愛情を注ぎ、世話をしてきた一〇万羽の白鳥たちがいた。
 「助けて!」
 令嬢は白鳥たちに叫んだ。白鳥たちは――。
 一斉に羽ばたき、令嬢の元から逃げ出した。
 令嬢は絶望にくずおれ、その背後からは軍靴の足音。令嬢は姫君の軍に捕えられた。


一三の扉 そして、すべては逆転する

 玉座の間。
 数年前、勝ち誇った令嬢が玉座に座り、その婚約者となった伯爵が姫君をあざ笑ったその場所で、今度は令嬢と伯爵が捕えられた姿をさらしていた。
 玉座に座るのは王の正装に身を包んだ姫君。その左右に並ぶのは盗賊王と助けられた妹。姫君は令嬢と元婚約者に視線を向けた。ふたりは卑屈な笑みを姫君に向けた。
 「……ね、ねえ、まさか、わたくしを殺したりはしないでしょう? 何と言っても、わたくしたちはいとこなんだし、それに、ほら、わたくしはあなたを殺しはしなかったわ」
 「な、なあ、君、わかってくれるだろう? あのときの私にはああするしかなかったんだ。彼女と婚約しなければ君を殺すと脅されて……すべては演技だったんだ。君の生命を守るためだったんだよ」
 そう述べ立てるふたりに対し、姫君は言った。
 「ええ。もちろん、あなたたちを殺したりはしないわ。大切ないとこと、かつての婚約者ですもの」
 その一言に――。
 ふたりの表情に生気が満ちた。
 ――やっぱり、こいつは底抜けのお人好しだわ。これなら、これから先、いくらでも仕返ししてやれる機会はある。
 令嬢はそう思った。
 ――こいつはまだおれのことが好きなんだ。これならまた、こいつの婚約者に戻って王になれるぞ。
 元婚約者の伯爵はそう考えた。
 そんなふたりに姫君は言った。
 「だから、あなたたち夫婦を祝福してあげる。あなたたちはこれからも夫婦として生涯を連れ添いなさい。そして、わたしの従者として生涯を過ごすの」
 そうして、令嬢と元婚約者の伯爵は、姫君の栄華に満ちた日々をすぐそばで見守りつづける栄誉を担ったのだった。


最後の扉 そして、姫君は名君へと至る

 国は急速に復興に向かった。
 王となった姫君と、姫君が戦いの日々のなかで得た仲間たちの手によって。国民は歓喜し、彼女は常に歓呼の声に包まれた。そして、その側には常に、夫となった盗賊王と、呪いから助け出された妹の姿があった。でも――。
 「……革命ではやはり、多くの血が流れてしまった。同じ国の人間同士なのに。すべては、わたしがいたらなかったせいなのに。多くの人を死なせておきながら、わたしはいま、こうして、幸福に暮らしている……」
 その思いは一本の鋭い棘となって姫君の心に刺さっていた。そして――。
 その棘こそが彼女をして『史上最高の名君』と呼ばれる存在へと成長させるのだった。
                   終
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