上 下
35 / 36
第六話 歴史の真実と反撃ののろし

三五章 戦いの真実

しおりを挟む
 「力のほとけ?」
 小首をかしげるアーデルハイドに対し、目覚めしものは力強くうなずいた。それだけで首の筋肉が唸りをあげそうだった。それほどに首が太く、筋肉が発達している。
 「目覚めしものに二種あり。理を説いて人を正しき道に誘う知恵のほとけと、聞く耳をもたぬものを力によって従え、正しき道を歩ませる力のほとけ。わしがその力のほとけと言うことよ」
 「あるじ
 式神しきがみ童子どうじが口をはさんだ。
 「このような場で立ち話でもないでしょう。いおりに戻り、そこでごゆるりとお話なされてはいかがでしょう」
 「おお、そうだな。これは失礼した。気がまわらなかった。それでは、いおりに戻ってゆっくり話をするとしよう」
 「はい」
 目覚めしものは、いまだ大量の蒸気を噴き出しつづける筋肉の塊を動かしていおりに向かった。一歩、歩くごとにズシズシと地鳴りが響き、大地が揺れる。
 「あ、あの……アーデルハイドさま」
 チャップが頬をほのかに赤く染めてアーデルハイドに耳打ちした。
 「わたし、なんだかこの島にきてからやたらと男の裸を見せられている気がするんですけど……」
 「よく見ておきなさい。本番のときに役に立つわ」
 平然とそう言ってのけるアーデルハイドはさすが、婚姻政策によってのし上がったエドウィン家の血統なのだった。

 アーデルハイドたち三人はいおりのなかの一室で目覚めしものと対峙していた。四人の前にはそれぞれ茶と茶菓子が置かれており、式神しきがみ童子どうじが戸の前に座っている。
 目覚めしものは相変わらず全裸のままだった。まるでそそり立つ男性器を見せつけるかのように、床の上に直接、座り込んでいる。それも、両方の足裏を天に向けると言う、奇妙な足の組み方で。
 結跏けっか趺坐ふざ
 アーデルハイドたちは知らないが、その名で呼ばれる座り方である。
 アーデルハイドたちには小さいながらも椅子が用意され、その前にそれぞれ小さな卓が用意されている。その卓の上に湯気をたてる茶を満たした湯飲みと茶菓子を載せた皿とが置いてある。
 「皆さんの民族は床の上に直接、座る文化をおもちではありませんから」
 童子どうじがそう言って椅子を用意してくれたのだ。これには、アーデルハイドもさすがにホッとした。床の上に直接、座るのはまだいいとしても、目覚めしものと同じ座り方を要求されてはとても出来る気がしない。
 それはいいとして、問題は目覚めしものが衣服のたぐいをなにひとつ身につけていないと言うこと。カンナとチャップはとてもではないが直視出来ず、頬を赤く染めて顔をそらしている。唯一、まともに正面を向くことの出来るアーデルハイドが尋ねた。
 「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
 「むろんだ。おぬしたちは問うためにきたのだし、わしはすべての問いに答えるためにここにいる」
 「では……あなたはなぜ、裸なのですか?」
 「神に相対あいたいするためだ」
 「神に?」
 「神に対しなにひとつ隠すものはない、すなわち、よこしまな心はなにひとつもっておらぬ。そう証明するために裸でいるのよ」
 「あなたは神官なのですか?」
 「神官とはちがう。力人ちからびとだ」
 「力人ちからびと?」
 「角力すもうという、神に奉納ほうのうするための武道を歩むもののことだ」
 「力人ちからびと……。では、あなたは人間なのですか?」
 「人間だ。ただし、悟りを開き、目覚めしものとなった、な。そして……」
 「そして?」
 「鬼たちの始祖だ」
 その言葉に――。
 アーデルハイドたちはさすがに衝撃を受けた。そろって驚きの表情を浮かべた。
 「鬼の始祖……。それは、どういう意味なのです?」
 「最初から説明しよう。長くなるがまずは聞くがよい」
 目覚めしものはそう前置きしてから話しはじめた。
 「遙かな昔、わしは角力すもうに生きる力人ちからびとだった。生涯無敗、史上最強と呼ばれた、な。神々に奉納ほうのうするための角力すもうの試合を行い、稽古けいこに励む日々。そんなある日、何気なく庭を眺めていたわしはふと気付いた。この世界はわしをまってくれている、とな」
 「まってくれている?」
 「春には草木が芽生え、夏には花が咲き、秋には様々な実りがもたらされ、冬はすべてが休みにつく。そして、また春が来る。この世界には四季の移ろいがあり、四季しき折々おりおりの恵みを与えてくれる。時の移ろいとともに必ずわしのもとを訪れ、わしに無限の恵みを与えてくれる。そのことを感じたとき、わしの足元から光の柱が立ちのぼった」
 「光の柱?」
 「そう。無限と言っていい時間がたったいまでも、あのときのことははっきりと覚えておる。おお、なんと言うことだ。世界はわしをまってくれている。わしを愛し、生かしてくれている。立ちのぼる光の柱に包まれながら、わしはそう感じ入った。わしは世界であり、世界はわしであった。涙があふれるほどの幸福感、いかなる悩みも不安もないまったき幸福。そこにはそれがあった」
 「………」
 「まさに、あれこそは悟りのときであった。それ以来、わしは根本からかわった。道ばたに落ちている石ころひとつにまでたまらない愛おしさを感じるようになった」
 「石ころにまで?」
 「不可解、と言った顔だな。そう思うのはわかる。だが、『悟り』とはまさにそういうことなのだ。この世界はすべてがつながりあっており、この世に存在するすべてのものは等しい価値をもつ。そう感じとること。それこそが悟り。この世に悪人も善人もいない。いるものはただ、自分のことしか考えられない子どもと、他者に対して敬意を払うことの出来るおとなだけ。子どもがおとなになるために歩むべき道筋。それが『正しい道』」
 「その『正しい道』を力ずくで歩ませるのがあなたの役目だと?」
 「そうだ」
 目覚めしものは茶を一口飲むと、改めてつづけた。
 「さて。わしが鬼の始祖であると言う話だったな。悟りを開いたわしはそれをもって神々の一員として迎えられた。そして、天界にて世界を見守りながら永遠の時を生きることになった。だが、その頃、神々の王たる天帝は悩んでおった」
 「悩む? 神の王が?」
 「そうだ。人類のすえについてな。天帝はあまたいる生物のなかから人類をこそ世界の管理者として選んだ。それは、すべての生物が等しく繁栄することを願ってのものであった。ところが、人類は『文明を生み出す』という自らの能力におごり、自分たち以外のすべての存在を見下し、支配した。あまつさえ、人類同士で争うことで世界を滅ぼしてしまった。
 それを見た天帝は決めた。
 めいあらためる。
 つまり、人間にかわる世界の管理者を置くと。
 そのために人類のなかでただひとり、悟りを開いた存在であるわしをもとに鬼を創った。鬼はわしの精神を受け継ぎ、他の生き物を見下すことはなかった。すべての生命に己と同じ価値を見出した。その片鱗へんりんはおぬしも自分自身で体験したのではないか?」
 「……たしかに。鬼部おにべは『食べられることこそ生き物の義務』と言っていました。それは、わたしたち人類には決して出来ない発想であり、受け入れることのできないものです」
 「そう。鬼部おにべは人類にはない特性をもっておった。すべての生命を等しく扱う、と言うな。天帝は鬼部おにべをもって新たな世界の管理者へと任命した。
 『鬼部おにべであれば人類のように他者を見下し、支配することはあるまい』
 そう言ってな。
 それは確かにその通りであった。だが、鬼部おにべにも致命的な問題があった」
 「問題?」
 「そうだ。鬼部おにべはすべての生命を平等に扱ったが、まさにそれゆえに人類のように文明を発展させることはなかった。文明を発展させないために人類のように家畜を飼って繁殖させる、と言うこともなかった。食はすべて自然から得ていた。自然の生き物を殺し、食らっていた。鬼は強いのですべての生き物を殺し、食うことが出来た。そのために鬼部おにべの数は増えつづけ、ますます多くの食糧が必要となり、ますます多くの野生の生き物たちを殺した。そして、ついにはすべての他の生物を食い尽くしてしまった……」
 「………」
 「なんとも皮肉なことよな。人類は文明を発展させることで世界を滅ぼした。鬼は文明を発展させないために世界を食い尽くした。人と鬼。いったい、どちらを世界の管理者とすればよいのか。天帝は迷った。その迷いがふたつの世界が同時に存在するという結果になってしまった」
 「ふたつの世界が同時に存在? どういうことです?」
 「言葉通りの意味だ。この世界にはいま『人が繁栄する歴史』と『鬼が繁栄する歴史』とが重なって存在しておる。むろん、ひとつの世界にふたつの歴史が同時に存在することは出来ぬ。人の歴史が争いを深め、滅びの世界を迎えようとすれば鬼の歴史が力を強め、接近してくる。同様に、鬼の歴史が生き物すべてを食い尽くそうとすれば人の歴史が強まり、鬼の歴史に介入する。そうすることで本来、出会うはずのないふたつの歴史が出会い、争うことになる。
 おぬしたちは覚えておらぬが、このふたつの歴史の戦いははるかな過去より幾度となく繰り返されておる。だが、一度として決着がつくことはなかった。なぜなら、この戦いの決着は力ではつかぬからだ。
 『我が種族こそが世界の管理者としてふさわしい』
 そう天帝を納得させた側こそが勝者となり、その歴史が定着する」
 「つまり……天帝を納得させることが出来なければ人と鬼の戦いは永遠につづく。そう言うことですか?」
 「そうだ」
 「天帝を納得させることが出来れば戦いは終わる?」
 「そうだ。いままで人も、鬼も、天帝を納得させることは叶わなかった。そのために戦いがつづいてきた。だが、いまになってようやくその決着がつきそうではある」
 「決着がつく? どういう意味です?」
 「かつてない変化が起きておる。鬼部おにべが文明をもちはじめた。人と契約し、人を繁殖させ、食用とすることで、自然に食を求める必要がなくなった。この文明が鬼部おにべ中に広がれば鬼部おにべが世界を食い尽くす心配はなくなる。この世のすべての存在に等しく価値を見出し、敬意を払う。そんな鬼部おにべが世界を食い尽くさないとなればそれはまさに世界の管理者。天帝の迷いは晴れよう」
 「天帝の迷いが晴れる……。つまり、鬼の歴史が選ばれる。そういうことですか?」
 「そうだ」
 目覚めしものは力強くうなずいてからつづけた。
 「だが、変化は鬼部おにべだけのものではない。おぬしたち人類にも変化が起きておる。おぬしの盟友であるハリエットがいま、『新しい文明』を築こうとしておる」
 「ハリエットをご存じなのですか?」
 「むろんだ。わしは人ではあるが神でもある。天界から地上のことを見守っている身なのだからな。ハリエットが自分の文明を生み出し、人類すべてに広がったなら、『世界を滅ぼさない』文明が築かれよう。そのような文明をもった人類であればまさに天帝の理想そのまま。人の歴史こそが選ばれよう」
 「つまり、どちらが先に天帝を納得させるかの勝負、と言うことですか?」
 「そうだ」
 「先に天帝を納得させることが出来なければ負け?」
 「そうだ」
 「では、もうひとつ。負けた側の歴史はどうなるのです?」
 「知れたこと」
 目覚めしものは迷いなく言い切った。
 「根こそぎ、消滅するのみ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

平凡女だってイケメンが欲しい

雨宮志津
恋愛
雨宮玲 18歳 今年の春から大学生として東京に上京してきた。 そこでADとしてアルバイトで働くが、いつか自分のことを見初めてくれるカッコイイ人が現れてくれるのではないかと期待している自意識過剰な普通の女子大生 そんな中、27歳という若干にして大人気俳優である新堂歩と出会い、勝手に運命を感じるも、初対面にして 「自意識過剰なんだよ。あんた」 と言われ、恋が怒りへと変わる そんな最悪の出会いをした2人と周囲の人々の恋愛物語です

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

ピー子と過ごした13週

家紋武範
大衆娯楽
辛く哀しい堕胎の道を選んでしまった主人公、菅山奈々40歳。 一時は自殺を考えるものの、母のすすめで共に喫茶店を始めることに。 そこに雇われてきたのは38歳の角田純平だった。 家紋 武範が送る哀しく切ないヒューマンドラマ。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...