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第一話 新王アンドレア
一章 騎士の帰還
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勇者の敗北。そして、死。
それから、三年の月日が流れていた。
勇者とその仲間たちを失った人類は鬼部に立ち向かうための最大戦力を失い、鬼部の侵攻に太刀打ちできなくなっていた。
三年の間に鬼部はジワジワと勢力範囲を広げ、いまや、レオンハルト王国は王都をのぞく全域が鬼部の支配下にあった。
「いったい、どうなさるのです、陛下⁉」
唯一残された都市である王都。その王宮のなかですでに残り少なくなった廷臣たちが国王レオナルドに詰め寄っている。
「もはや、我が国に残された領土はこの王都のみ! それ以外の地域はことごとく鬼部の手に落ち、支配されているのですぞ!」
「しかも、制圧された地域では鬼部に捕えられた国民たちが狩りの獲物として扱われ、人間としての誇りも尊厳も奪われ、ただただ強者に食らわれるだけの小動物としての生を強制されておるのですぞ」
「その国民たちへの責任をどうなさるおつもりか⁉ このまま放っておかれるつもりなのか!」
廷臣たちは口々に国王レオナルドを責め立てる。
三年前までなら想像も出来なかった光景。熊猛将軍ウォルターと勇者ガヴァン。人類最強の将と、やはり、最強の戦士であるふたりの弟。そのふたりがいた頃は誰もがレオナルドの威光を怖れ、顔色をうかがい、ご機嫌取りに終始していたものだ。
非難するなどもっての外だった。レオナルド自身、廷臣から怖れられるにふさわしい辣腕ぶりを発揮して国内を統治していたのである。しかし――。
戦線を支えつづけたふたりの弟。そのふたりを失ってからすべてがかわかった。内政においては優れた手腕をもつレオナルドも戦となると素人だった。戦いは弟たちに任せきりだっただけに報告を聞いてもなにをどうしていいかわからず、うろたえるばかり。結局、適当な相手に丸投げするしかないのだが、なにしろ、熊猛将軍と勇者に頼り切りになっていたレオンハルト軍である。鬼部の大群の前に太刀打ちできるはずもなく連戦連敗。気がつけば王都をのぞく全域が鬼部に手に落ち、逃げ遅れた人々は狩りの獲物にされていたのだった。
「しかも!」
ドン、と、廷臣のひとりが音高く会議卓を叩いた。
その態度といい、表情といい、口調といい、もはや『主君に対する敬意』などはすっかり失われていることを示していた。
「我が国はハリエットどのを追放して以来、すっかり各国からのけ者扱いです。各国からの助けや、補給すらもあてに出来ない状態」
「そのとおり! おかげで武器も、食糧も、医薬品も、すべてが不足しています。このまま王都に籠もっていても、いずれは飢えが広がり、全滅するだけですぞ」
どうなされるのです、
どうなされるのです、
どうなされるのです!
廷臣たちの唱えるその言葉が津波のように国王レオナルドに襲いかかる。
レオナルドは苦りきった表情でその声を聞いていた。かつてのレオナルドなら、廷臣たちのこんな態度を許しはしない。自分を非難するような相手は容赦なく不敬罪で告発し、よくて追放、普通なら断頭台へと送り込んできたのだ。
しかし、威厳の失われたいまではそうするわけにもいかない。そもそも、残された廷臣たちはすでに少ない。その少ない廷臣たちを死刑にしていては国の運営が成り立たなくなってしまう。
いくら、王都以外の全域を奪われたとは言え、王都はいまだ健在。そこには何百万という人間が住んでいる。いや、しがみついている。鬼部の侵攻によって故郷を追われ、一縷の望みを託して王都まで流れながれてやってきた人々なのだ。その人々の生活を守るためにはどうあってもこの場にいる廷臣たちが必要なのだ。
――しかし、こやつら、余を責めるばかりでなにもしようとせんではないか。仮にも、会議に出席する身なら、対応策ぐらい自分で用意したらどうだ。
レオナルドはそう思った。
もっともな不満ではあったが同時に、これほど傲慢で無責任な感想もなかっただろう。すべてを自分で取り仕切る制度を導入し、自ら意見し、行動するような人間はすべて追い出し、ただひたすらに自分の指示を受け、指示通りに動く人間たちを残してきたのはレオナルド自身なのだ。いまさら、『自分ではなにもしない!』などと不満を漏らしてみても自業自得、悲劇を通り越して滑稽な喜劇でしかない。
「それに……!」
廷臣のひとりがさらに言った。
「この期に及んでもまだ白鳥宮には一〇万もの白鳥たちが飼われ、何不自由ない暮らしをしております。人間が飢えているというのに白鳥たちだけは穀物をたらふく食らい、丸々と太っているのですぞ。白鳥たちを処分し、白鳥の餌とされている穀物を人間にまわせば、王都の食糧事情はかなり改善されると言うのに」
「この件に関しては余の方でもデボラに言っているのだ」
レオナルドははじめて答えた。その表情は『苦虫を噛み潰した』などと言う表現ではとても追いつかないほどに苦いものだった。
「しかし、デボラのやつがどうしても納得せんのだ」
「デボラ、デボラと! いったい、この国の王は陛下なのですか、それとも、あの色仕掛けしか能のない女なのですか」
一国の王に対してこれほど過酷で容赦のない弾劾も歴史上、そうはなかっただろう。しかし、そうされても仕方のないことではあった。一〇万羽を越える白鳥たちを養うために日々、大量の穀物が消費され、国民が飢えているのだから。
しかも、はじめての相手であり、いまでも愛人としての関係をつづけているデボラの意向を無視できず、廃止したくても出来ない、と言う状況。それでは、王としての権威、覚悟、責任感、それらすべてを疑われるのも当然だった。
「恐れながら申しあげます」
廷臣のひとりが言った。それまでの感情ばかりに走った声とはちがい、落ち着きのある、理性的な声だった。
――おっ? こやつは他の役立たずどもとはちがう。なにか役に立つことを言ってくれるか?
レオナルドも思わずそう期待した。しかし、その口から出た言葉は――。
「この際は、陛下御自らご出陣なされるべきと存じます」
「なんだと⁉」
レオナルドは『素っ頓狂な』と言っていい声をあげた。
『獅子王』と呼ばれ、その厳格さと辣腕振りを怖れられたレオナルドが、こんな声をあげたのは即位後はじめてのことだった。
「余に戦場に出ろだと⁉ 馬鹿を言うな。余の役目はあくまでも国を治めること。戦場で勇をふるうのは将軍たちの仕事であろうが」
「その将軍がもはやいないのです。鬼部との戦いでことごとく倒れるか、逃げだすかしてしまいました。いまや我が国に千を越える兵を指揮した経験のあるものはひとりもいないのです。兵の士気ももはやこれ以上、下がりようがないところまで来てしまっています。そこに来て、鬼部たちの一軍がこの王都目がけてやってきているとの報があります。もはや、選択の余地はありません。陛下御自らご出陣なされることで兵士たちの士気をあげていただくしかないのです」
「むうう……」
立て板に水の勢いでそう言われ、レオナルドの額に脂汗が浮いた。
レオナルドは傲慢な自信家ではあったが、幻想家ではなかった。自分になにができて、なにができないかは承知していた。
国内を治め、治安を維持し、産業を振興し、教育を充実させ、政治の安定と経済の発展をもたらす。
その点にかけては自信があるし事実、充分な実績を残しても北。しかし――。
戦場に出て指揮を執るとなると、まったく、自信がなかった。
結局、その日の会議ではなんの結論も出ないままに休憩となった。
これもいつものこと。もう一年もレオンハルトでの会議と言えばこんな感じだった。
会議の後、レオナルドはデボラのもとへと向かった。
かつては艶福家として幾人もの愛妾を侍らしていたレオナルドだが、最近ではそこまでの気力も体力もなく、すでに五〇を過ぎているデボラを相手に性交ならぬ情交にふけるのがせいぜいだった。
「お疲れのようですわね、陛下」
「ああ。疲れておる。まったく、この国の廷臣どもは役立たずばかりだ。おれを責めるばかりでなにひとつ、自分で解決しようとせん」
その大元の原因が自分の態度にあったことなどまるで自覚せず、子供のように文句をつけるレオナルドだった。
「おまけに、おれに直々に戦場に出るよう要求してきおった」
「まあ、なんと言うことを!」
デボラはふたつの目と口で三つの『○』を作り、大袈裟に驚いて魅せた。
「なりませんわ、陛下。陛下御自ら戦場に出られるなど。陛下はレオンハルト随一の大切なお体。陛下にもしものことがあればこの国は成り立ちませぬ。戦場で死ぬ役目は配下の将軍たちに任せなさいませ」
「おれとてそう思う。だが、もはやこの国にまともな将軍がいないのは事実だからな」
レオナルドの表情と口調は幾重にも苦い。
――冗談ではないわ。
デボラは心のなかで叫んだ。
レオナルドに見えないよう後ろに隠したてでギュッとハンカチを握りしめた。憎い誰かの首を絞めてでもいるかのように。
――この男に死なれてたまるものですか。この男あってのわたしの権勢だというのに。
デボラ自身にはなんの力もない。かの人の権力はすべて『国王の愛人』というその立場にある。しかも、その立場にあぐらをかいて権勢を振るってきたことで廷臣たちの恨みをたっぷりと買ってもいる。もし、レオナルドが死ねば、たちまちのうちに捕えられ、処刑されることだろう。
デボラはそのことを知っていた。
自分の立場と身命を守るためにはどうあっても国王レオナルドに健在でいてもらわなくてはならないのだ。
――そうよ。こんなところで廷臣どもに殺されたりしてたまるものですか。わたしはまだまだ愛する白鳥たちと一緒に暮らすのよ。
「なあ、デボラよ。例の白鳥宮の件なのだが……」
「ええ、陛下。白鳥たちは今日も元気に暮らしております。心のお慰みに見に行かれますか?」
その答えに――。
レオナルドは思いきり苦虫を噛み潰した。
「そんなことではない。お前はすぐにそうやって話をごまかす。おれが言っているのは白鳥宮にかかる経費のことであり……」
「陛下! そのことは何度もお話になったはず。もし、いま、白鳥宮を閉鎖するようなことがになれば、我が国が白鳥すらも飼えないほどの窮状にあると知らせるようなもの。そんなことになれば人心は乱れ、思いあがった隣国が攻め込んでこないとも限りません。人心を安定させ、他国につけ込む隙を与えないためにも、白鳥宮を維持することで『我が国にはまだそれだけの余裕があるのだ』と示すことが必要なのです」
「むう……」
白鳥宮に関してはこれまでにも何度も話題にはした。しかし、そのたびにこうしてデボラの勢いに押し切られてしまう。
はじめての女という弱みがあるためか、どうしてもデボラに対しては他の人間たちのように強くは出られない。
その後も会議が重ねられ――提言もなく、討論もなく、ただただ口々に不満をぶつけ合うことを会議と言うのなら、だが――結局、レオナルド自らが指揮官として戦場に赴くこととなった。
レオナルドとしては気乗りしないどころの話ではなかったが、事実としてレオンハルトにはもうまともな数の兵を指揮した経験のある将軍は残っていなかった。そこに加えて万を数える鬼部の軍勢が王都目がけて進軍していると聞けば否応はなかった。レオナルドは傲慢で冷徹な王であったが、国と国民に対する責任感がないわけではない。国民のために身を張る程度の覚悟はある。
「やむを得ん。余が直々に戦場に出る。すぐに兵を整えよ」
レオナルドはやむなくそう指示した。しかし――。
集められた兵を見てレオナルドは唖然とした。
「なんだ、これは⁉ これが我が国の軍だと申すか!」
なんの冗談だ⁉
思わず、そう叫び散らすレオナルドだった。
それぐらい、その場にいたのはみすぼらしい軍勢だった。いや、『軍勢』と言っていいのかどうかさえ怪しい。かつての、世界中の精鋭を集め、最新鋭の装備で武装した熊猛紅蓮隊とは比べることもできない。並んでいるのは疲れきった顔にあきらめの表情を浮かべた男たち。年齢もバラバラなら、装備もバラバラ。あるものは穴の空いた重鎧に細剣という奇妙な出で立ちをしているし、またあるものは防御用の大盾に攻撃用の投槍という不釣り合いな装備をしている。甚だしい場合には鎧も、盾も、兜すらもなく、厚手の服を着込んだだけの格好に木の棒をもっているだけ、と言う兵士までいた。
その姿はどこからどう見てもまともな軍とは言えない。
女房に尻を叩かれ、嫌々やってきた人生に疲れ果てた中年男たちの群れ。
そうとしか見えない光景だった。
「なんだ、これは! なぜ、我が国の軍がこんな惨めな姿をさらしているのだ! 我がレオンハルトは人類最強最大の国であり、人類軍の柱なのだぞ!」
そう叫びかけられた将軍――昨日までの下士官――は『まだ、そんなことを言っているのか』と言いたげな表情を国王に向けた。
「まぎれもなく、これがいまの我が国の全軍です。他の兵士たちはことごとく戦死するか、逃亡するかしてしまいました」
「せめて、装備品だけでも整えられんのか これでは、まるで子供の戦争ごっこだ。遊びに行くのではないのだぞ」
「金がないもので」
「金がないだと⁉ 我が国の命運を懸けた決戦に赴くというのに装備品を整えるだけの金すらないと言うのか」
「なにしろ、勇者一行の装備品を開発するために膨大な額の予算が費やされましたので。残った金ではこれが精一杯なのです」
「開発局の博士どもはどこだ⁉ 責任をとらせて縛り首にしてくれる!」
「とっくの昔に全員、残った予算を奪って逃げております」
「くっ……」
レオナルドは地団駄を踏んだが、いまさら出陣を取りやめにするわけにはいかない。どのみち、迎え撃たなければ王都は鬼部によって蹂躙されるのだ。
かくして、戦場の素人である国王レオナルドは、くたびれはてた男たちを引き連れて出陣した。
装備などもはや、ないに等しく、付き従うのはくたびれはて、生きる気力もなくしたような中年男たち。しかも、指揮を執るのはまったくの素人。
これで戦いに勝てるとすれば、運命の女神も自らの職務を放り出して賭博三昧の暮らしを送るようになるにちがいない。
運命の女神の名誉のためにはよかったのだろう。レオナルド率いるレオンハルト最後の軍勢は鬼部相手に予想通りの大敗を喫した。しかも、全軍の半数以上が鬼部の食糧にされるという、もはや、戦争とも言えない負け方だった。
レオナルド自身、食欲に目をギラギラさせた鬼部の群れに取り囲まれ、もはや、戦うことも、脱出することもできないありさまだった。
――くっ。『獅子王』とまで呼ばれたこのおれが、こんなところで鬼部どもに食われて死ぬというのか。
それは、目も眩むような屈辱だった。
――ウォルター、ガヴァン。お前たちさえ生きていたら。
レオナルドはそうも思った。
しかし、その弟ふたりを失ったのも結局のところ、レオナルド自身の傲慢さによるものなのだ。運命を恨みようもなかった。
鬼部たちが動きはじめた。食欲に目を滾らせ、その牙をむき出しにして。
本来ならば――。
これでレオナルドの生命は終わっていた。鬼部たちに食われ、跡形もなくなっていたはずだったのだ。しかし――。
運命の女神はレオナルドの人生の別のステージを用意していた。
悲鳴があがった。
鬼部の悲鳴が。
金属の塊が肉を貫く音が連鎖し、血がしぶいた。どこからか放たれた大量の矢が鬼部たちを次々と射貫いたのだ。
見るとそこには幻か、それとも、伝説の偉大なる王が子孫の危機に蘇り、救世の軍となったのか、そう思わせるほどにきらびやかな甲冑に身を包んだ軍勢が立ち並んでいた。
「そこまでだ、人間を食らう悪鬼ども!」
朗々とした声が響いた。
それはまだ若い、凜とした女性の声だった。
「これ以上の狼藉は我らが許さん! 我ら闘戦母がいる限り、もはやきさまらがこの先に進むことはかなわん!」
高らかにそう宣言するその姿。
その姿を見てレオナルドは叫んだ。
「ア、アンドレア……⁉」
それはまぎれもなく、かつてのレオナルドの婚約者、そして、自ら追放したレオンハルト最強の女戦士アンドレアだった。
そう――。
三年に及ぶ月日を越えて、アンドレアがレオンハルトに帰還したのだ。
それから、三年の月日が流れていた。
勇者とその仲間たちを失った人類は鬼部に立ち向かうための最大戦力を失い、鬼部の侵攻に太刀打ちできなくなっていた。
三年の間に鬼部はジワジワと勢力範囲を広げ、いまや、レオンハルト王国は王都をのぞく全域が鬼部の支配下にあった。
「いったい、どうなさるのです、陛下⁉」
唯一残された都市である王都。その王宮のなかですでに残り少なくなった廷臣たちが国王レオナルドに詰め寄っている。
「もはや、我が国に残された領土はこの王都のみ! それ以外の地域はことごとく鬼部の手に落ち、支配されているのですぞ!」
「しかも、制圧された地域では鬼部に捕えられた国民たちが狩りの獲物として扱われ、人間としての誇りも尊厳も奪われ、ただただ強者に食らわれるだけの小動物としての生を強制されておるのですぞ」
「その国民たちへの責任をどうなさるおつもりか⁉ このまま放っておかれるつもりなのか!」
廷臣たちは口々に国王レオナルドを責め立てる。
三年前までなら想像も出来なかった光景。熊猛将軍ウォルターと勇者ガヴァン。人類最強の将と、やはり、最強の戦士であるふたりの弟。そのふたりがいた頃は誰もがレオナルドの威光を怖れ、顔色をうかがい、ご機嫌取りに終始していたものだ。
非難するなどもっての外だった。レオナルド自身、廷臣から怖れられるにふさわしい辣腕ぶりを発揮して国内を統治していたのである。しかし――。
戦線を支えつづけたふたりの弟。そのふたりを失ってからすべてがかわかった。内政においては優れた手腕をもつレオナルドも戦となると素人だった。戦いは弟たちに任せきりだっただけに報告を聞いてもなにをどうしていいかわからず、うろたえるばかり。結局、適当な相手に丸投げするしかないのだが、なにしろ、熊猛将軍と勇者に頼り切りになっていたレオンハルト軍である。鬼部の大群の前に太刀打ちできるはずもなく連戦連敗。気がつけば王都をのぞく全域が鬼部に手に落ち、逃げ遅れた人々は狩りの獲物にされていたのだった。
「しかも!」
ドン、と、廷臣のひとりが音高く会議卓を叩いた。
その態度といい、表情といい、口調といい、もはや『主君に対する敬意』などはすっかり失われていることを示していた。
「我が国はハリエットどのを追放して以来、すっかり各国からのけ者扱いです。各国からの助けや、補給すらもあてに出来ない状態」
「そのとおり! おかげで武器も、食糧も、医薬品も、すべてが不足しています。このまま王都に籠もっていても、いずれは飢えが広がり、全滅するだけですぞ」
どうなされるのです、
どうなされるのです、
どうなされるのです!
廷臣たちの唱えるその言葉が津波のように国王レオナルドに襲いかかる。
レオナルドは苦りきった表情でその声を聞いていた。かつてのレオナルドなら、廷臣たちのこんな態度を許しはしない。自分を非難するような相手は容赦なく不敬罪で告発し、よくて追放、普通なら断頭台へと送り込んできたのだ。
しかし、威厳の失われたいまではそうするわけにもいかない。そもそも、残された廷臣たちはすでに少ない。その少ない廷臣たちを死刑にしていては国の運営が成り立たなくなってしまう。
いくら、王都以外の全域を奪われたとは言え、王都はいまだ健在。そこには何百万という人間が住んでいる。いや、しがみついている。鬼部の侵攻によって故郷を追われ、一縷の望みを託して王都まで流れながれてやってきた人々なのだ。その人々の生活を守るためにはどうあってもこの場にいる廷臣たちが必要なのだ。
――しかし、こやつら、余を責めるばかりでなにもしようとせんではないか。仮にも、会議に出席する身なら、対応策ぐらい自分で用意したらどうだ。
レオナルドはそう思った。
もっともな不満ではあったが同時に、これほど傲慢で無責任な感想もなかっただろう。すべてを自分で取り仕切る制度を導入し、自ら意見し、行動するような人間はすべて追い出し、ただひたすらに自分の指示を受け、指示通りに動く人間たちを残してきたのはレオナルド自身なのだ。いまさら、『自分ではなにもしない!』などと不満を漏らしてみても自業自得、悲劇を通り越して滑稽な喜劇でしかない。
「それに……!」
廷臣のひとりがさらに言った。
「この期に及んでもまだ白鳥宮には一〇万もの白鳥たちが飼われ、何不自由ない暮らしをしております。人間が飢えているというのに白鳥たちだけは穀物をたらふく食らい、丸々と太っているのですぞ。白鳥たちを処分し、白鳥の餌とされている穀物を人間にまわせば、王都の食糧事情はかなり改善されると言うのに」
「この件に関しては余の方でもデボラに言っているのだ」
レオナルドははじめて答えた。その表情は『苦虫を噛み潰した』などと言う表現ではとても追いつかないほどに苦いものだった。
「しかし、デボラのやつがどうしても納得せんのだ」
「デボラ、デボラと! いったい、この国の王は陛下なのですか、それとも、あの色仕掛けしか能のない女なのですか」
一国の王に対してこれほど過酷で容赦のない弾劾も歴史上、そうはなかっただろう。しかし、そうされても仕方のないことではあった。一〇万羽を越える白鳥たちを養うために日々、大量の穀物が消費され、国民が飢えているのだから。
しかも、はじめての相手であり、いまでも愛人としての関係をつづけているデボラの意向を無視できず、廃止したくても出来ない、と言う状況。それでは、王としての権威、覚悟、責任感、それらすべてを疑われるのも当然だった。
「恐れながら申しあげます」
廷臣のひとりが言った。それまでの感情ばかりに走った声とはちがい、落ち着きのある、理性的な声だった。
――おっ? こやつは他の役立たずどもとはちがう。なにか役に立つことを言ってくれるか?
レオナルドも思わずそう期待した。しかし、その口から出た言葉は――。
「この際は、陛下御自らご出陣なされるべきと存じます」
「なんだと⁉」
レオナルドは『素っ頓狂な』と言っていい声をあげた。
『獅子王』と呼ばれ、その厳格さと辣腕振りを怖れられたレオナルドが、こんな声をあげたのは即位後はじめてのことだった。
「余に戦場に出ろだと⁉ 馬鹿を言うな。余の役目はあくまでも国を治めること。戦場で勇をふるうのは将軍たちの仕事であろうが」
「その将軍がもはやいないのです。鬼部との戦いでことごとく倒れるか、逃げだすかしてしまいました。いまや我が国に千を越える兵を指揮した経験のあるものはひとりもいないのです。兵の士気ももはやこれ以上、下がりようがないところまで来てしまっています。そこに来て、鬼部たちの一軍がこの王都目がけてやってきているとの報があります。もはや、選択の余地はありません。陛下御自らご出陣なされることで兵士たちの士気をあげていただくしかないのです」
「むうう……」
立て板に水の勢いでそう言われ、レオナルドの額に脂汗が浮いた。
レオナルドは傲慢な自信家ではあったが、幻想家ではなかった。自分になにができて、なにができないかは承知していた。
国内を治め、治安を維持し、産業を振興し、教育を充実させ、政治の安定と経済の発展をもたらす。
その点にかけては自信があるし事実、充分な実績を残しても北。しかし――。
戦場に出て指揮を執るとなると、まったく、自信がなかった。
結局、その日の会議ではなんの結論も出ないままに休憩となった。
これもいつものこと。もう一年もレオンハルトでの会議と言えばこんな感じだった。
会議の後、レオナルドはデボラのもとへと向かった。
かつては艶福家として幾人もの愛妾を侍らしていたレオナルドだが、最近ではそこまでの気力も体力もなく、すでに五〇を過ぎているデボラを相手に性交ならぬ情交にふけるのがせいぜいだった。
「お疲れのようですわね、陛下」
「ああ。疲れておる。まったく、この国の廷臣どもは役立たずばかりだ。おれを責めるばかりでなにひとつ、自分で解決しようとせん」
その大元の原因が自分の態度にあったことなどまるで自覚せず、子供のように文句をつけるレオナルドだった。
「おまけに、おれに直々に戦場に出るよう要求してきおった」
「まあ、なんと言うことを!」
デボラはふたつの目と口で三つの『○』を作り、大袈裟に驚いて魅せた。
「なりませんわ、陛下。陛下御自ら戦場に出られるなど。陛下はレオンハルト随一の大切なお体。陛下にもしものことがあればこの国は成り立ちませぬ。戦場で死ぬ役目は配下の将軍たちに任せなさいませ」
「おれとてそう思う。だが、もはやこの国にまともな将軍がいないのは事実だからな」
レオナルドの表情と口調は幾重にも苦い。
――冗談ではないわ。
デボラは心のなかで叫んだ。
レオナルドに見えないよう後ろに隠したてでギュッとハンカチを握りしめた。憎い誰かの首を絞めてでもいるかのように。
――この男に死なれてたまるものですか。この男あってのわたしの権勢だというのに。
デボラ自身にはなんの力もない。かの人の権力はすべて『国王の愛人』というその立場にある。しかも、その立場にあぐらをかいて権勢を振るってきたことで廷臣たちの恨みをたっぷりと買ってもいる。もし、レオナルドが死ねば、たちまちのうちに捕えられ、処刑されることだろう。
デボラはそのことを知っていた。
自分の立場と身命を守るためにはどうあっても国王レオナルドに健在でいてもらわなくてはならないのだ。
――そうよ。こんなところで廷臣どもに殺されたりしてたまるものですか。わたしはまだまだ愛する白鳥たちと一緒に暮らすのよ。
「なあ、デボラよ。例の白鳥宮の件なのだが……」
「ええ、陛下。白鳥たちは今日も元気に暮らしております。心のお慰みに見に行かれますか?」
その答えに――。
レオナルドは思いきり苦虫を噛み潰した。
「そんなことではない。お前はすぐにそうやって話をごまかす。おれが言っているのは白鳥宮にかかる経費のことであり……」
「陛下! そのことは何度もお話になったはず。もし、いま、白鳥宮を閉鎖するようなことがになれば、我が国が白鳥すらも飼えないほどの窮状にあると知らせるようなもの。そんなことになれば人心は乱れ、思いあがった隣国が攻め込んでこないとも限りません。人心を安定させ、他国につけ込む隙を与えないためにも、白鳥宮を維持することで『我が国にはまだそれだけの余裕があるのだ』と示すことが必要なのです」
「むう……」
白鳥宮に関してはこれまでにも何度も話題にはした。しかし、そのたびにこうしてデボラの勢いに押し切られてしまう。
はじめての女という弱みがあるためか、どうしてもデボラに対しては他の人間たちのように強くは出られない。
その後も会議が重ねられ――提言もなく、討論もなく、ただただ口々に不満をぶつけ合うことを会議と言うのなら、だが――結局、レオナルド自らが指揮官として戦場に赴くこととなった。
レオナルドとしては気乗りしないどころの話ではなかったが、事実としてレオンハルトにはもうまともな数の兵を指揮した経験のある将軍は残っていなかった。そこに加えて万を数える鬼部の軍勢が王都目がけて進軍していると聞けば否応はなかった。レオナルドは傲慢で冷徹な王であったが、国と国民に対する責任感がないわけではない。国民のために身を張る程度の覚悟はある。
「やむを得ん。余が直々に戦場に出る。すぐに兵を整えよ」
レオナルドはやむなくそう指示した。しかし――。
集められた兵を見てレオナルドは唖然とした。
「なんだ、これは⁉ これが我が国の軍だと申すか!」
なんの冗談だ⁉
思わず、そう叫び散らすレオナルドだった。
それぐらい、その場にいたのはみすぼらしい軍勢だった。いや、『軍勢』と言っていいのかどうかさえ怪しい。かつての、世界中の精鋭を集め、最新鋭の装備で武装した熊猛紅蓮隊とは比べることもできない。並んでいるのは疲れきった顔にあきらめの表情を浮かべた男たち。年齢もバラバラなら、装備もバラバラ。あるものは穴の空いた重鎧に細剣という奇妙な出で立ちをしているし、またあるものは防御用の大盾に攻撃用の投槍という不釣り合いな装備をしている。甚だしい場合には鎧も、盾も、兜すらもなく、厚手の服を着込んだだけの格好に木の棒をもっているだけ、と言う兵士までいた。
その姿はどこからどう見てもまともな軍とは言えない。
女房に尻を叩かれ、嫌々やってきた人生に疲れ果てた中年男たちの群れ。
そうとしか見えない光景だった。
「なんだ、これは! なぜ、我が国の軍がこんな惨めな姿をさらしているのだ! 我がレオンハルトは人類最強最大の国であり、人類軍の柱なのだぞ!」
そう叫びかけられた将軍――昨日までの下士官――は『まだ、そんなことを言っているのか』と言いたげな表情を国王に向けた。
「まぎれもなく、これがいまの我が国の全軍です。他の兵士たちはことごとく戦死するか、逃亡するかしてしまいました」
「せめて、装備品だけでも整えられんのか これでは、まるで子供の戦争ごっこだ。遊びに行くのではないのだぞ」
「金がないもので」
「金がないだと⁉ 我が国の命運を懸けた決戦に赴くというのに装備品を整えるだけの金すらないと言うのか」
「なにしろ、勇者一行の装備品を開発するために膨大な額の予算が費やされましたので。残った金ではこれが精一杯なのです」
「開発局の博士どもはどこだ⁉ 責任をとらせて縛り首にしてくれる!」
「とっくの昔に全員、残った予算を奪って逃げております」
「くっ……」
レオナルドは地団駄を踏んだが、いまさら出陣を取りやめにするわけにはいかない。どのみち、迎え撃たなければ王都は鬼部によって蹂躙されるのだ。
かくして、戦場の素人である国王レオナルドは、くたびれはてた男たちを引き連れて出陣した。
装備などもはや、ないに等しく、付き従うのはくたびれはて、生きる気力もなくしたような中年男たち。しかも、指揮を執るのはまったくの素人。
これで戦いに勝てるとすれば、運命の女神も自らの職務を放り出して賭博三昧の暮らしを送るようになるにちがいない。
運命の女神の名誉のためにはよかったのだろう。レオナルド率いるレオンハルト最後の軍勢は鬼部相手に予想通りの大敗を喫した。しかも、全軍の半数以上が鬼部の食糧にされるという、もはや、戦争とも言えない負け方だった。
レオナルド自身、食欲に目をギラギラさせた鬼部の群れに取り囲まれ、もはや、戦うことも、脱出することもできないありさまだった。
――くっ。『獅子王』とまで呼ばれたこのおれが、こんなところで鬼部どもに食われて死ぬというのか。
それは、目も眩むような屈辱だった。
――ウォルター、ガヴァン。お前たちさえ生きていたら。
レオナルドはそうも思った。
しかし、その弟ふたりを失ったのも結局のところ、レオナルド自身の傲慢さによるものなのだ。運命を恨みようもなかった。
鬼部たちが動きはじめた。食欲に目を滾らせ、その牙をむき出しにして。
本来ならば――。
これでレオナルドの生命は終わっていた。鬼部たちに食われ、跡形もなくなっていたはずだったのだ。しかし――。
運命の女神はレオナルドの人生の別のステージを用意していた。
悲鳴があがった。
鬼部の悲鳴が。
金属の塊が肉を貫く音が連鎖し、血がしぶいた。どこからか放たれた大量の矢が鬼部たちを次々と射貫いたのだ。
見るとそこには幻か、それとも、伝説の偉大なる王が子孫の危機に蘇り、救世の軍となったのか、そう思わせるほどにきらびやかな甲冑に身を包んだ軍勢が立ち並んでいた。
「そこまでだ、人間を食らう悪鬼ども!」
朗々とした声が響いた。
それはまだ若い、凜とした女性の声だった。
「これ以上の狼藉は我らが許さん! 我ら闘戦母がいる限り、もはやきさまらがこの先に進むことはかなわん!」
高らかにそう宣言するその姿。
その姿を見てレオナルドは叫んだ。
「ア、アンドレア……⁉」
それはまぎれもなく、かつてのレオナルドの婚約者、そして、自ら追放したレオンハルト最強の女戦士アンドレアだった。
そう――。
三年に及ぶ月日を越えて、アンドレアがレオンハルトに帰還したのだ。
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