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一章 追放されたら、空から美女が降ってきた
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「今日限り、お前はクビだ」
山之辺育美は突然、チームリーダーである国枝大悟からそう言われた。
古い町工場を改装したチーム・ハクヨウのオフィス兼工場。いつも通りにシェアハウスを出てやってきた八月の朝。すでに目玉焼きを作るかのような暑さに包まれているなかで、クーラーをガンガンに効かせて『さあ、はじめるぞ!』と、意気込んでいた矢先のことだった。
突然のことに呆然とする育美に向かい、チームの他の三人、斉藤海路、今村聡美、上条唯がそれぞれに気まずそうな視線を送っている。
一瞬の自失から立ち直った育美は、血相をかえて大悟に詰め寄った。『女性的』と言ってもいい端正な顔が真っ赤に染まっている。
「どういうことだ、いきなりクビって! おれがなにをしたって言うんだ⁉」
激昂して詰め寄る育美に対し、大悟は小バカにしたような視線を向けた。
「お前、それ、本気で言ってんのか?」
「どういうことだ?」
「だから、お前はいつまでたってもガキだって言うんだよ。いまだに『空飛ぶ部屋』を作るなんて、そんな子どもの夢みたいなことを言ってるんだからな」
「空飛ぶ部屋は夢やロマンなんかで目指しているんじゃない! 何度も言ったろう、この災害列島において、人々の暮らしを守るためには空飛ぶ部屋が必要なんだ。だいたいこのチームは、おれがそのためにみんなに声をかけて結成したんじゃないか! みんなだってその意義は充分にわかっていたはずだろう。それなのに、なんでいまさらそんなことを言うんだ⁉」
「あの頃はおれたちもまだ学生だった。つまりはガキだった。そう言うことさ」
大悟はますますバカにしたように鼻を鳴らして見せた。
「だが、おれたちはもう、そんな学生の遊びからは卒業したんだ。これからはおとなとして現実に向き合っていく。堅実に、着実に、現実的な仕事を請け合って働いていく。そして、このチームを大きくしていく。そのためにはお前みたいな夢見るガキは邪魔なんだ」
大悟はそう断言した。
その口調には迷いも、後ろめたさもまったくない。自分の正しさを全面的に信じる人間特有の自信だけがあった。
――もう、こいつにはなにを言っても通じない。
育美はそう悟った。
育美でなくても悟らずはにいられないだろう。それぐらい、大悟の態度ははっきりしたものだった。
育美は他の三人を見回した。視線を向けられた三人はそっと顔をそらした。
「みんなもか? みんなも大悟と同じ意見なのか?」
「……育美。おれたちはもう、親に養ってもらえる学生じゃないんだ。いつまでも夢を食って生きていくわけには行かないんだよ」
海路が視線をそらしたまま言った。
「……そうね。いつまでも学生気分でいられてはこれから先、一緒に仕事をしていく仲間として信頼することはできないわ」
聡美がメガネに包まれた目を向けながら言った。
「あたしは……育美の思いは立派だと思う。でも、やっぱり、理想は理想。現実を見ていかないと。せっかく、これまでの苦労が実って仕事が順調に入るようになったところなのよ。それなのに、チーフ・エンジニアがいつまでも『空飛ぶ部屋、空飛ぶ部屋』なんて言っていたら信用に関わるわ」
唯が後ろめたさを含んだ声でそう言った。
育美はひとり、拳を握りしめたまま立ちすくんでいた。その場に四人の人間がいても育美はひとり、ひとりきりだった。育美と他の四人の間には巨大な深いクレバスが走っており、それを埋めることは不可能だった。
――同じ目的を追う仲間。そう思っていたのに。
育美はギュッと唇を噛みしめ、両手を握りしめた。
――もう、おれは、こいつらにとっての仲間じゃないんだ。
そう悟るしかない、みんなの態度だった。
「……わかった。おれは出て行く。いままで世話になった」
その一言を残し、山之辺育美は自分自身の作りあげたチームから出て行った。
山之辺育美はひとり、夜の町をさ迷っていた。
どこをどう歩いたのかなど覚えていない。と言うより、自分が歩きつづけていることも自覚していなかった。頭のなかで仲間、いや、かつての仲間たちとの思い出が渦巻き、その思いに支配されたまま自動人形のように歩きつづけていたのだ。
大学時代、育美自身が大悟たちに声をかけて結成したチームだった。
空飛ぶ部屋を作る。
その目的のために結成した、技術開発のためのチーム。
対人スキルの高い大悟をチームーリーダーに、育美、海路、聡美が技術開発を、唯が経理を担当する。その形で大学時代にチームを結成して仕事をはじめ、大学を卒業してから本格的に活動をはじめた。経費節約のために五人全員でシェアハウスを借りて共同生活をしながら、必死に道を切り開いてきたのだ。
最初のうちは、若造五人で立ちあげたチームなど誰からも相手にされず、仕事のない日がつづいた。全員で他のバイトを掛け持ちして、なんとか生活してきた。そんな日を繰り返しながらも、本職である技術開発は欠かすことなく行ってきた。
自分と海路と聡美。三人でバイトから帰ったあとに研究室に集まり、夜遅くまで――ときには明け方まで――新技術の研究と開発に没頭した。
唯はそんな自分たちのために毎日、夜食を作ってくれた。大悟も仲間の頑張りを無駄にすまいと毎日まいにち営業に精を出していた。それこそ、どんなに嫌な相手であろうが、どんなに失礼なことを言われようが、心のなかの怒りと屈辱を押し隠して笑顔を浮かべ、頭をさげつづけた。
そうやって、大学を卒業してからの四年間、五人で力を合わせて働いてきたのだ。
大悟の必死の営業のおかげもあって、その小さなチームの技術力の高さが知られはじめ、仕事が入るようになった。ひいきにしてくれる固定客もついた。
さあ、これでもう、他のバイトをして時間をなくす必要はない。本職に全力で励めるぞ!
そう言って、張り切っていたまさにその矢先、育美は仲間たちから追放を言い渡されたのだ。
――一緒にやってきたのに。何度もなんども皆で話し合い、空飛ぶ部屋を実現させようと盛りあがっていたのに。
いつの間にか、皆の思いはかわっていたのか。
そう言えば、最近は飲み会でも空飛ぶ部屋の話題が出ることはなくなっていた。育美がそのことを口にしても他のみんなは視線をそらし、すぐに他の話題に移ってしまった。最後に空飛ぶ部屋の話題で盛りあがったのはいつのことだったろう。二年前か、三年前か、それとも、もしかしたらもっと前か。
そのことに気がつかずに皆、同じ思いでいると思っていた。
――仕事のない日々。バイト、バイトで本職に励む時間もない日々。そんな日を送るうちに皆、もともとの目的を忘れて『金を稼ぐ』という目的だけを追うようになった。そういうことか。
それが『おとなになる』と言うことなら――。
――相変わらず、空飛ぶ部屋を作ろうとしているおれは、ガキ扱いされても仕方ないな。
そう思う。
だからと言って、自分がまちがっているとは思わない。初心を貫くことがガキだというなら、自分は一生、ガキでいい。この災害列島で人々の暮らしを守っていくためにはどうしても空飛ぶ部屋が必要なんだ。おれは絶対に、空飛ぶ部屋を実現させる。
「スティーブ・ジョブズだって、一度は自分の作った会社から追放されながら自分の望みを叶えたんだ。おれにできないはずがない! そうとも、こんなことで負けるか! やってやるぞ!」
両腕を突きあげ、そう叫んだ。
そこで、気付いた。
「あれ? ここってどこだ?」
思い出に捕らわれて歩き、さ迷っているうちにすっかり知らない場所にやってきてしまっていた。いくら、朝から夜まで歩きまわっていたからと言っても徒歩は徒歩。さすがに、そう遠くまできたわけではないと思うが……。
北関東のさびれた地方都市。過疎の町、と言うほどではないが、『都会』を名乗るのはあまりにも畏れ多い。そんな町。かつては、多くの町工場が林立し『工場の町』として賑わっていたらしい。しかし、それも今は昔。ほとんどの町工場は倒産して、かつてを忍ばせる古い工場跡だけが残っている。
だから、自分たちもこの町にやってきた。この町なら古い工場跡を安く借りて自分たちの工場を開くことができるから。
「とりあえず、現在地を確認しないと……」
そう呟いてスマホを取り出し、地図を確認しようとした。そのとき――。
ドサッ! と、重々しい音を立てて空からなにかが落ちてきた。
「な、なんだ……!」
驚いて視線を向けた育美の先。
そこには黒ずくめの格好をした男がいた。一瞬、目があった。かと思うと、その男は怯えた表情を浮かべて一目散に逃げ去った。
「な、なんなんだ……」
育美がそう呟いた、そのときだ。
「逃がすか、この下着ドロ!」
その叫びと共に――。
ひとりの若い美女が空から降ってきた。
「なっ……!」
驚きのあまり動けない育美。その育美の胸に空から降ってきた美女の蹴りが炸裂した。特撮ヒーローばりの見事なジャンプキックだった。
「げふっ……!」
育美は、悪の組織の雑魚戦闘員のような声をあげて吹っ飛んだ。地面に叩きつけられた。とっさに体を丸め、頭を打たずにすんだのはまったく奇跡に近い幸運だった。
その育美に怒りに満ちた声が降りそそぐ。
「思い知ったか、この変態野郎!」
それにつづいて若いと言うより、まだ幼い少女の声。
「志信お姉ちゃん、その人、下着ドロとちがう。下着ドロは向こうに逃げていくやつ」
「えっ? えっ?」
「きゃあ、大変! 無関係のない人を巻き込んじゃった!」
「志信ちゃん! 本物の下着ドロが逃げていくよ」
「え、えと……こ、この野郎、まちやがれ! お前のせいで罪もない一般人が……絶対、逃がさないぞ!」
「だいじょうぶですか、だいじょうぶですか⁉」
若い女性の慌てふためいた声。それと同時に両肩をつかまれてガクガク揺さぶれる。蹴りを食らった胸が痛む、痛む。
「お願いだから、死なないで! あなたが死ぬのもダメだけど、わたしの妹を人殺しにしないで!」
――勝手に殺すな!
そう叫びたかったが、体を揺さぶられる衝撃で胸が激しく痛むのでなにも言えない。
冷静な少女の声がした。
「志信お姉ちゃんの蹴りをもろに食らった。だいじょうぶなわけがない」
「そんな! 殺人犯? 殺人犯になっちゃうの⁉ お願い、しっかりして!」
「希見ちゃん! そんなにガクガク揺さぶったらよけい危ない! そっとしておいて、救急車を呼ばないと……」
まだ小学生らしい幼い女の子の声に、息を切らした凜々しい女性の声が被さった。
「……この野郎。やっと捕まえたぞ。見ろ。お前のせいで無関係の人が巻き添えになったんだ。ちゃんと、謝れ」
――なにが……いったい、なにが、どうして、どうなったんだ?
近づきつつある救急車のサイレンの音を聞きながら――。
育美の意識は深いふかい闇の底へと沈んでいった。
山之辺育美は突然、チームリーダーである国枝大悟からそう言われた。
古い町工場を改装したチーム・ハクヨウのオフィス兼工場。いつも通りにシェアハウスを出てやってきた八月の朝。すでに目玉焼きを作るかのような暑さに包まれているなかで、クーラーをガンガンに効かせて『さあ、はじめるぞ!』と、意気込んでいた矢先のことだった。
突然のことに呆然とする育美に向かい、チームの他の三人、斉藤海路、今村聡美、上条唯がそれぞれに気まずそうな視線を送っている。
一瞬の自失から立ち直った育美は、血相をかえて大悟に詰め寄った。『女性的』と言ってもいい端正な顔が真っ赤に染まっている。
「どういうことだ、いきなりクビって! おれがなにをしたって言うんだ⁉」
激昂して詰め寄る育美に対し、大悟は小バカにしたような視線を向けた。
「お前、それ、本気で言ってんのか?」
「どういうことだ?」
「だから、お前はいつまでたってもガキだって言うんだよ。いまだに『空飛ぶ部屋』を作るなんて、そんな子どもの夢みたいなことを言ってるんだからな」
「空飛ぶ部屋は夢やロマンなんかで目指しているんじゃない! 何度も言ったろう、この災害列島において、人々の暮らしを守るためには空飛ぶ部屋が必要なんだ。だいたいこのチームは、おれがそのためにみんなに声をかけて結成したんじゃないか! みんなだってその意義は充分にわかっていたはずだろう。それなのに、なんでいまさらそんなことを言うんだ⁉」
「あの頃はおれたちもまだ学生だった。つまりはガキだった。そう言うことさ」
大悟はますますバカにしたように鼻を鳴らして見せた。
「だが、おれたちはもう、そんな学生の遊びからは卒業したんだ。これからはおとなとして現実に向き合っていく。堅実に、着実に、現実的な仕事を請け合って働いていく。そして、このチームを大きくしていく。そのためにはお前みたいな夢見るガキは邪魔なんだ」
大悟はそう断言した。
その口調には迷いも、後ろめたさもまったくない。自分の正しさを全面的に信じる人間特有の自信だけがあった。
――もう、こいつにはなにを言っても通じない。
育美はそう悟った。
育美でなくても悟らずはにいられないだろう。それぐらい、大悟の態度ははっきりしたものだった。
育美は他の三人を見回した。視線を向けられた三人はそっと顔をそらした。
「みんなもか? みんなも大悟と同じ意見なのか?」
「……育美。おれたちはもう、親に養ってもらえる学生じゃないんだ。いつまでも夢を食って生きていくわけには行かないんだよ」
海路が視線をそらしたまま言った。
「……そうね。いつまでも学生気分でいられてはこれから先、一緒に仕事をしていく仲間として信頼することはできないわ」
聡美がメガネに包まれた目を向けながら言った。
「あたしは……育美の思いは立派だと思う。でも、やっぱり、理想は理想。現実を見ていかないと。せっかく、これまでの苦労が実って仕事が順調に入るようになったところなのよ。それなのに、チーフ・エンジニアがいつまでも『空飛ぶ部屋、空飛ぶ部屋』なんて言っていたら信用に関わるわ」
唯が後ろめたさを含んだ声でそう言った。
育美はひとり、拳を握りしめたまま立ちすくんでいた。その場に四人の人間がいても育美はひとり、ひとりきりだった。育美と他の四人の間には巨大な深いクレバスが走っており、それを埋めることは不可能だった。
――同じ目的を追う仲間。そう思っていたのに。
育美はギュッと唇を噛みしめ、両手を握りしめた。
――もう、おれは、こいつらにとっての仲間じゃないんだ。
そう悟るしかない、みんなの態度だった。
「……わかった。おれは出て行く。いままで世話になった」
その一言を残し、山之辺育美は自分自身の作りあげたチームから出て行った。
山之辺育美はひとり、夜の町をさ迷っていた。
どこをどう歩いたのかなど覚えていない。と言うより、自分が歩きつづけていることも自覚していなかった。頭のなかで仲間、いや、かつての仲間たちとの思い出が渦巻き、その思いに支配されたまま自動人形のように歩きつづけていたのだ。
大学時代、育美自身が大悟たちに声をかけて結成したチームだった。
空飛ぶ部屋を作る。
その目的のために結成した、技術開発のためのチーム。
対人スキルの高い大悟をチームーリーダーに、育美、海路、聡美が技術開発を、唯が経理を担当する。その形で大学時代にチームを結成して仕事をはじめ、大学を卒業してから本格的に活動をはじめた。経費節約のために五人全員でシェアハウスを借りて共同生活をしながら、必死に道を切り開いてきたのだ。
最初のうちは、若造五人で立ちあげたチームなど誰からも相手にされず、仕事のない日がつづいた。全員で他のバイトを掛け持ちして、なんとか生活してきた。そんな日を繰り返しながらも、本職である技術開発は欠かすことなく行ってきた。
自分と海路と聡美。三人でバイトから帰ったあとに研究室に集まり、夜遅くまで――ときには明け方まで――新技術の研究と開発に没頭した。
唯はそんな自分たちのために毎日、夜食を作ってくれた。大悟も仲間の頑張りを無駄にすまいと毎日まいにち営業に精を出していた。それこそ、どんなに嫌な相手であろうが、どんなに失礼なことを言われようが、心のなかの怒りと屈辱を押し隠して笑顔を浮かべ、頭をさげつづけた。
そうやって、大学を卒業してからの四年間、五人で力を合わせて働いてきたのだ。
大悟の必死の営業のおかげもあって、その小さなチームの技術力の高さが知られはじめ、仕事が入るようになった。ひいきにしてくれる固定客もついた。
さあ、これでもう、他のバイトをして時間をなくす必要はない。本職に全力で励めるぞ!
そう言って、張り切っていたまさにその矢先、育美は仲間たちから追放を言い渡されたのだ。
――一緒にやってきたのに。何度もなんども皆で話し合い、空飛ぶ部屋を実現させようと盛りあがっていたのに。
いつの間にか、皆の思いはかわっていたのか。
そう言えば、最近は飲み会でも空飛ぶ部屋の話題が出ることはなくなっていた。育美がそのことを口にしても他のみんなは視線をそらし、すぐに他の話題に移ってしまった。最後に空飛ぶ部屋の話題で盛りあがったのはいつのことだったろう。二年前か、三年前か、それとも、もしかしたらもっと前か。
そのことに気がつかずに皆、同じ思いでいると思っていた。
――仕事のない日々。バイト、バイトで本職に励む時間もない日々。そんな日を送るうちに皆、もともとの目的を忘れて『金を稼ぐ』という目的だけを追うようになった。そういうことか。
それが『おとなになる』と言うことなら――。
――相変わらず、空飛ぶ部屋を作ろうとしているおれは、ガキ扱いされても仕方ないな。
そう思う。
だからと言って、自分がまちがっているとは思わない。初心を貫くことがガキだというなら、自分は一生、ガキでいい。この災害列島で人々の暮らしを守っていくためにはどうしても空飛ぶ部屋が必要なんだ。おれは絶対に、空飛ぶ部屋を実現させる。
「スティーブ・ジョブズだって、一度は自分の作った会社から追放されながら自分の望みを叶えたんだ。おれにできないはずがない! そうとも、こんなことで負けるか! やってやるぞ!」
両腕を突きあげ、そう叫んだ。
そこで、気付いた。
「あれ? ここってどこだ?」
思い出に捕らわれて歩き、さ迷っているうちにすっかり知らない場所にやってきてしまっていた。いくら、朝から夜まで歩きまわっていたからと言っても徒歩は徒歩。さすがに、そう遠くまできたわけではないと思うが……。
北関東のさびれた地方都市。過疎の町、と言うほどではないが、『都会』を名乗るのはあまりにも畏れ多い。そんな町。かつては、多くの町工場が林立し『工場の町』として賑わっていたらしい。しかし、それも今は昔。ほとんどの町工場は倒産して、かつてを忍ばせる古い工場跡だけが残っている。
だから、自分たちもこの町にやってきた。この町なら古い工場跡を安く借りて自分たちの工場を開くことができるから。
「とりあえず、現在地を確認しないと……」
そう呟いてスマホを取り出し、地図を確認しようとした。そのとき――。
ドサッ! と、重々しい音を立てて空からなにかが落ちてきた。
「な、なんだ……!」
驚いて視線を向けた育美の先。
そこには黒ずくめの格好をした男がいた。一瞬、目があった。かと思うと、その男は怯えた表情を浮かべて一目散に逃げ去った。
「な、なんなんだ……」
育美がそう呟いた、そのときだ。
「逃がすか、この下着ドロ!」
その叫びと共に――。
ひとりの若い美女が空から降ってきた。
「なっ……!」
驚きのあまり動けない育美。その育美の胸に空から降ってきた美女の蹴りが炸裂した。特撮ヒーローばりの見事なジャンプキックだった。
「げふっ……!」
育美は、悪の組織の雑魚戦闘員のような声をあげて吹っ飛んだ。地面に叩きつけられた。とっさに体を丸め、頭を打たずにすんだのはまったく奇跡に近い幸運だった。
その育美に怒りに満ちた声が降りそそぐ。
「思い知ったか、この変態野郎!」
それにつづいて若いと言うより、まだ幼い少女の声。
「志信お姉ちゃん、その人、下着ドロとちがう。下着ドロは向こうに逃げていくやつ」
「えっ? えっ?」
「きゃあ、大変! 無関係のない人を巻き込んじゃった!」
「志信ちゃん! 本物の下着ドロが逃げていくよ」
「え、えと……こ、この野郎、まちやがれ! お前のせいで罪もない一般人が……絶対、逃がさないぞ!」
「だいじょうぶですか、だいじょうぶですか⁉」
若い女性の慌てふためいた声。それと同時に両肩をつかまれてガクガク揺さぶれる。蹴りを食らった胸が痛む、痛む。
「お願いだから、死なないで! あなたが死ぬのもダメだけど、わたしの妹を人殺しにしないで!」
――勝手に殺すな!
そう叫びたかったが、体を揺さぶられる衝撃で胸が激しく痛むのでなにも言えない。
冷静な少女の声がした。
「志信お姉ちゃんの蹴りをもろに食らった。だいじょうぶなわけがない」
「そんな! 殺人犯? 殺人犯になっちゃうの⁉ お願い、しっかりして!」
「希見ちゃん! そんなにガクガク揺さぶったらよけい危ない! そっとしておいて、救急車を呼ばないと……」
まだ小学生らしい幼い女の子の声に、息を切らした凜々しい女性の声が被さった。
「……この野郎。やっと捕まえたぞ。見ろ。お前のせいで無関係の人が巻き添えになったんだ。ちゃんと、謝れ」
――なにが……いったい、なにが、どうして、どうなったんだ?
近づきつつある救急車のサイレンの音を聞きながら――。
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