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二四章

自分の道を選ぶ

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 それからは獣医に教わって点滴も行った。栄養剤の注射もした。もちろん、そんなことははじめての経験。普通の女の子なら生き物の体に針を刺すなんてためらうだろう。しかし、そこは木花舞楽。人を傷つけることへの恐れをもたない欠落した性格の持ち主。恐れも不安も一切感じず、まるでベテランの獣医のようにあっさりやってのけた。隣で指導していた獣医が思わず口をあんぐりさせたほどの落ち着きと手際のよさ。平気で人を傷つけることのできるヤバい精神も場合によっては役に立つ。
 小屋のなかを常に清潔に保ち、虫が寄り付かないよう虫除けをまき、ブラシをかけて体を温める。
 その間もずっと唄いつづけていた。音のシャワ―で子ウシを包み込むように延々と唄いつづける。声の質や声域の広さだけではない。それだけ唄いつづけることのできる体力と声帯の強さも、他の人間にはない舞楽だけの特別な素質だった。
 その成果か、子ウシはようやく体力をつけはじめた。最初のうちはストマックチュ―ブの管を胃まで差し込まなければミルクも飲めなかったのに、徐々にだけど自分から管を吸い、ミルクを飲み込むようになった。ミルクを飲む量もふえた。立っているだけでフラついていた足もずいぶんしっかりしてきた。
 それを確認して舞楽は子ウシを小屋の外に連れ出すことにした。一日一度は外に出して新鮮な空気を吸わせ、日に当たらせ、運動させた。
 もちろん、まだまだ体力がついていないので長時間出しておくことはできない。せいぜい、イヌの散歩程度の時間でしかない。それでも、ジッと座ったまま身動きもろくにとれずにいたころに比べると大変な進歩だった。
 ――これならだいじょうぶ。きっと、この子は助かる。
 舞楽は改めてそう確信した。
 ただひとつ、問題が残っていた。スタ―タ―を食べてくれないのだ。
 スタ―タ―を桶に入れて目の前に差し出し、いくら『ほら、食べて』と勧めてもまるで興味を示さない。ミルクを飲む量はふえているから食欲がないわけではないはずだ。それなのになぜ、食べようとしないのだろう?
 不思議に思い、陽菜に獣医に尋ねたみた。ふたりの答えは同じだった。
 『動物がものを食べるのは本能ではない』
 とのことだった。
 母ウシやその他のウシが食べているのを見て、はじめてそれが『食べ物』だと認識するようになり、興味をもちはじめる。そうしてようやく自分も食べはじめる、つまり、何かを食べるには学習が必要だと言うことだ。
 「つまり,スタ―タ―を食べさせるためには手本となる相手が必要,というわけね」
 舞楽は口に出して確認した。
 その手本なしではいつまでたってもスタ―タ―を食べ物と認識できず、興味ももたない。そして、スタ―タ―を食べなければル―メンは発達せず、いくら草を食べても栄養を吸収できない虚弱体質のウシになってしまう。
 早く食べさせなければ。でも、どうすればいい? 舞楽が子ウシの世話をできるよう、ひなたは引き離してしまったし、『ひのきファ―ム』には他のウシはいない。子ウシのそばにいるのは自分だけ。
 「なら、わたしが手本になればいいのよね」
 舞楽はあっさり答えを出した。
 抵抗はなかった。ウシ用といっても中身は穀物。人間が食べて悪いことはないはずだった。
 「まあ、多少の問題はあるかも知れないけど、わたしならだいじょうぶでしょ。病気ひとつしたことないし」
 スタ―タ―を入れた桶に顔を突っ込み、子ウシの目の前で食べて見せた。それこそ、自分がウシになったようなつもりで。
 「なんだ。意外とおいしいじゃない」
 スタ―タ―を顔中につけた顔でそう言った。
 「おいしいわよ、食べてみて。でないと、わたしが全部、食べちゃうわよ」
 そう言っても子ウシはスタ―タ―を食べようとはしなかった。舞楽は肩をすくめた。
 「まっ、そう簡単に好き嫌いは治らないわよね」
 味覚が子供の母親にピ―マンを食べさせるのにどれだけ苦労したことか。それに比べれば産まれたばかりの子供の好き嫌いなんてかわいいものだった。
 何日もなんにちも子ウシの前でスタ―タ―を食べて見せた。一緒に寝泊まりしているので手本になる時間はたっぷりあった。
 小屋に泊まることに抵抗はなかった。何しろ、過去の家出で野宿は何度も経験済み。駅の地下ホ―ムで人目に付かないよう、コソコソ隠れながら寝たときに比べれば、毛布があるだけでももうけもの。何より、他人に見つかって捕まる心配なしにぐっすり眠れる。家出の経験が思わぬところで役に立ったことに、舞楽も何だかおかしな気分だった。
 とは言え、子ウシがおとなしく寝ている間は舞楽もとくにやることはない。そんなときはLebabを操作し、歴史の勉強をつづけていた。
 自分の時代がどんなに世界をメチャクチャにしたかはいやと言うほど知らされた。でも、それだけではない。舞楽の生きていたまさにそのときにも世界をかえよう、もつといい場所にしよう、そう思い、行動していた人たちはいた。
 水から感染する病気を防ぐために携帯型浄水器を作った人間がいた。
 水を運ぶという重労働から貧しい人々を解放するため、水を転がして運べるド―ナツ型の容器を作った人間がいた。
 薪用に伐採され、森林が失われていくのを食い止めるために、畑から得られる資材を燃料にかえた人間がいた。
 貧しい農民が収穫をふやし、より多くの収入を得られるよう、格安の灌漑システムを作った人間がいた。
 貧しい人々が最先端医療を受けられるよう、ネットワ―クを作りあげた人間がいた。
 貧しい子供たちが知識を得られるよう、格安のラップトップを作った人間がいた。
 その他にも世界中で多くの人々が『世界をよりよくするため』に地道な努力をつづけていた。生森遠見は突如として現れたわけではない。生森遠見ひとりの存在によって世界がかわったわけでもない。生森遠見の前には願いを同じくする多くの人間がいて、その人々の生み出した技術があり、デザインがあった。生森遠見が新しい世界をデザインできたのはその蓄積があったからだ。生森遠見が新しい世界を実現できたのは賛同する多くの人たちがいたからだ。
 そのことを舞楽ははじめて知った。そして、恥ずかしくなった。これらのすべては舞楽が暮らしていたまさにそのときにすでに行われていたことだ。参加しようと思えば自分だって参加できた。家出してそのまま飛行機に飛び乗って、そんな人たちの仲間になることができた。不満ばかりを抱えて夜の町をうろつき、ケンカするのではなくて……。
 そのことを思うとたまらなく恥ずかしい。もちろん、舞楽のことだから自分が反省するだけでは終わらない。
 「なんで、学校とかニュ―スって頭にくることや腹の立つことはいくらでも教えるくせに、こういう『おもしろいこと』は教えないわけ?」
 教えられていれば自分も少しはちがっていただろう。もし、自分が教師ならこういう『おもしろいこと』こそ生徒たちに教えるのに。やっぱり、あの世界はまちがっている。何としてもかえてやらなきゃならない。
 「でも、わたしだって悪いのは確かよね。その気さえあれば探すことは出来たんだから」
 いまならわかる。いままで舞楽がいた場所はしょせん、『普通の人間』のための場所だった。一〇〇メートルを超える大木の苗木が育つのにふさわしい場所ではなかった。だから、いつも苛立って、不満に思って、それでも、自分で何か行動を起こそうとはしなかった。いつもいつも不満を抱えて、まわりのせいにしていただけ。もし、あの老婆に出会ってこの世界に送られていなかったらきっと、一生、そうして生きていたのだろう。そう思うとゾッとする。
 「あのおばあさんに感謝しないとね」
 それにあの子たち。自分の周りにいて、自分に対してねたんだり、ひがんだり、そんなことしかしなかった子たち。何てつまらない人生だろう。もし、この世界に生まれていたなら他人の才能に嫉妬したりせず、自分に出来ることを思いきりやれたはずなのに。
 「だったら、わたしの望む世界は決まっている」
 舞楽は決意を込めてつぶやいた。
 誰もが自分のもつ可能性に限界まで挑める世界、限界を超えて育つことに挑戦出来る世界。それがわたしの望む世界。そしてそれは『人類が身内同士の争いにせっかくの能力を浪費することなく、限界まで可能性を追求できる世界』という生森遠見の掲げた世界そのもの。このeFREE世界の根幹を貫く精神そのものだ。
 「だったら、わたしは……」
 舞楽は静かにつぶやいた。
 「eFREE世界そのものを作る」
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