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一八章

自分の世界を望む

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 答えは『風景そのもの』だった。
 生森遠見は言った。
 『球遊びをしているだけの連中が年に何億と稼ぎ英雄になる。それなのに、食料という何よりも貴重なものを生産している人間は金も稼げず、英雄にもなれない。
 風景を描いた絵には何十億という値がつく。それなのに、本物の風景には一円の値もつかない。こんなふざけたことがあるか。食料を作る人間こそ、本物の風景こそ、その価値を認められるべきだ。農業はスポ―ツや芸術と同じ、いや、それ以上のレベルにまで引き上げられるべきだ。おれがそうする』
 そして、田園風景を大々的に売り出した。毎日少しずつ撮影して、それを二時間ぐらいの動画にまとめた。それは、毎日の田園の変化がギュッと詰まった、同じものは二度と決して作れないア―ト作品。
 ライフ・ウォッチング・オーバーアート――生命を見る超芸術。
 そう名付けた一連の作品を、生森遠見は大々的に売り出した。このア―トを買えば『自然エネルギ―の普及を推進し、環境保護に熱心』という宣伝文句も手に入る。おかげで世界中の金持ちたちがこぞって買い集めた。いまではとくに優れた風景動画には何百億という値がつくという。
 「何百億……」
 さすがの舞楽が目を丸くしてあきれたほどだった。
 生森遠見によって農業は一気に『夢を追える仕事』になった。当時は何十億という貧しい人がいたわけだけど、そのほとんどは小さな畑を耕す零細農家。そんな零細農家の人たちにいきなり、センスひとつで億万長者になれるチャンスができたのだ。その意義はとんでもなく大きなものだった。しかも――。
 eFREE世界には税金がない。舞楽の時代ではいくら稼いでも税金でがっぽり持って行かれたけど、eFREE世界ではそんなことはない。稼げば稼いだだけ、確実に手元に残る。
 なぜ、税金なしでやっていけるかというと、杜というのは一つひとつが言わば独立した民間企業であるから、福利厚生の義務をもっている。会杜が自身の売り上げのなかから杜内環境を整えるように、杜もまた自身の産業で得た資金によってインフラ整備などを行う。
 それでやっていけるのは何と言っても支出が少ないからだ。
 第一にeFREE世界に軍備はない。言うまでもなく軍備というのは何ひとつ生産することなく、消費されるだけの金だ。そんな予算が必要ないと言うことは支出が劇的に減ることを意味する。
 第二にeFREE世界には領土がない。領土がないと言うことは広範囲にわたって道路やら電線網を張り巡らし、維持管理する必要がないと言うこと。限られた杜のなかだけを整備すればそれでいい。そのための資金などたかが知れている。何しろ、そのために必要な製品はたいてい、タダで手に入るのだから。
 それに、医療や教育はeFREE世界基金によって賄われるから杜が金を出す必要はない。生活保護の類いもない。緑豊かな杜の大地。緑地帯がたくさんあって家に住めなくてもその辺りでけっこう快適なキャンプ生活を送ることができる。緑地帯には木の実や山菜も豊富だし、ウサギや野鳥ぐらいはいる。水路には魚やカモもいる。これらはすべて杜の住民の共有財産だから勝手にとって食べても文句は言われない。農地での落ち穂拾い――収穫が終わったあと、残ったわずかばかりの作物を拾い集める――も認められている。どんなに丁寧に収穫しても落ちた麦穂とか、土のなかのイモなど、けっこうな量が残るものだ。そのままにしておいては野鳥や野ネズミを招き寄せる餌になってしまう。勝手に芽を出されても迷惑だ。と言って、自ら広い農地を歩きまわってかき集めるには少なすぎて割が合わない。落ち穂拾いにやってきた人々がそれをかわりにやってくれるのは農家としてもありがたいわけだ。
 つまり、いまの時代のホ―ムレスは『都市の狩猟採集民』として暮らしているわけだ。実際、たいていの杜には人口の一~二パ―セントぐらいはそんな暮らしをしている人たちがいるらしい。
 『大地の民』と呼ばれている。
 失業などで余儀なくされた、と言うケ―スはほとんどなく、大半は自ら望んでそんな暮らしをしているらしい。それからするとホ―ムレスの進化形と言うよりはヒッピ―の正当なる末裔と言うべきなのだろう。
 もともとは公平性と人命保護とを両立させるための制度だった。生活保護費を払えば働いている人間から不満が出る。かと言って、放っておけば飢え死にする。そこで、eFREE世界では『誰でも、生きていくだけならタダ』というシステムを作りあげたのだ。これなら不満も出ないし、とりあえず飢え死にすることはない。基本的な医療と教育も無料だから親に収入がなくても子供の将来に影響する心配はない。ただし、『生きていくだけならタダ』である分、それ以上のことを望むなら金がなければ何もできないわけだけど。
 ともかく、支出が少ないので税金なしでもやっていける。この『税金がない』というのは世界中の金持ちたちをeFREE世界に集める最大の動機となった。
 とくに熱心だったのが世界中で活動して膨大な富を得、その分、税金も多く払わなければならなかったグロ―バル企業だ。彼らは『税金なき世界』を求めてeFREE世界を熱烈に支持した。各国政府を骨抜きにし、eFREE世界が一気に広まることができたのはまさに彼らの協力あってこそのものだった。あとになってみればそれは『自分たちを滅ぼす世界』をせっせと育てていたことになるわけだけど。
 もちろん、生森遠見は最初からすべてを計画してグロ―バル企業を利用していたわけだ。まんまと利用された旧世界の金持ちたちの無念はいかばかりだったことか。
 とにかく、稼ぐ方法はわかった。このままデイリ―メイドとして働いて、eFREEガ―デンを魅力的にデザインし、ライフ・ウォッチング・オーバーアートとして売る。評価されればたちまち億万長者だ。
 「となればまずはきちんと働いて先輩の信頼を得ることね。わたしのデザインした風景が高く売れれば少なくとも半分ぐらいはもらえるだろうし。自分の望む杜を作るには充分よね。そうなれば、わたしの望む世界を作ることができる……」
 わたしの望む世界。
 それはいったい、どんな世界? わたしは世界に何を望む?
 何をしてもいい。どんな世界も自分の思いのままに作ることができるのだ。
 想像するだけでワクワクしてきた。思わず照れたような笑みが浮いていた。
 「……どうしよう。柄じゃないとは思うけど、何だか燃えてきたわ」
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