戦火に殺された猫耳忍者娘、戦争を殺すために世界の経営者へと成り上がる2 〜宮廷円舞〜

藍条森也

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第二話 猫と王女と暗殺メイド

一〇章 雌狐の素顔

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 メインクーンがヴェガきっての大貴族エリンジウム公アドプレッサの押しかけ妹になってから一ヶ月が過ぎた。
 その間、メインクーンはヴェガ貴族として必要な教養と礼法を学びつつ、兄となったアドプレッサをイジったり、兄となったアドプレッサをからかったり、兄となったアドプレッサの悪口をリアナとふたりで言い合ったりして過ごしていた。
 約一名、災難さいなんと言っていい人物がいたにはいたが、本人も周りもおおむね平穏な一ヶ月だったと言っていい。
 その平穏を打ち破ったのは執事のウッドワーディーから届けられた一通の手紙。それは何と、王妃ドーナからの手紙だった。
 「王妃さまがわたしに……?」
 メインクーンは不審に思いながらも手紙を読んだ。
 そこには、メインクーンとふたりきりで会いたい旨、記されていた。しかも、場所は玉座の間でもなければ、執務室でもない。王妃ドーナの私室とのこと。王家の印が使用されていないことからも公的な手紙ではなく、あくまでもドーナ個人としての招待であるらしい。
 「わたしに会いたいと言うのはまあ、わかるけど……」
 ――あの娘を味方に付ければアド坊やを追い落とせる。
 兄とふたりでそう言葉を交わしていたドーナの言葉は忘れていない。いずれは自分に接近してくるとは思っていた。しかし、こうも私的に連絡してくるとは。
 「何を考えているかはわからないけど……まあ、ここは招待に乗らなくちゃ面白くないわよね」

 そして、メインクーンは指定された期日通りにドーナの私室を訪れた。
 そこは、もちろん、狭いとか、粗末とか言うような部屋ではない。充分な広さがあるし、調度品もどれも品が良い。平民から見れば『……これが同じ人間の部屋か』と思いたくなるような部屋だ。しかし――。
 ――これが、北方大陸屈指の大国の王妃の部屋?
 メインクーンは正直、拍子抜けだった。
 名の知れた冒険者としてこれまでいくつかの国の王族の私室にも立ち入ったことがある。それら、小国の王族の部屋の方がこの部屋よりも贅沢だった。ドーナの部屋は狭くはないが特別に広いというわけでもなく、調度品も品の良い品はそろっているが数は少ないし、一流ではあっても超一流とは言いがたいものばかり。少なくとも、好事家の貴族が金に飽かせて買いあさる、などというレベルの品ではない。
 もちろん、一般庶民から見れば『まちがって壊してしまったらどうしよう』とハラハラする程度に高価なのは確かなのだが。
 むしろ、『王妃たるもの、この程度の形式は整えなければ』という義務感から用意された部屋に思える。
 「よく来てくれたな。歓迎する」
 ドーナが言った。
 ふたりきりで会いたい。
 そう言ったとおり、ドーナはただひとり、部屋で出迎えた。テーブルの上にはこれも上品だが高価過ぎはしないティーセット。それに、手作りらしい茶菓子が並んでいた。
 「今回はお招きにあずかりまして……」
 型どおりに挨拶を述べようとするメインクーンをドーナはさえぎった。
 「良い。よけいは挨拶はいらん。とくに〝知恵ある獣ライカンスロープ〟はそのような手間を嫌うと聞く。そなたの流儀で良い」
 「助かります」
 メインクーンは率直に答えた。実際、人間風の礼儀を守るのは面倒くさくてしょうがない。
 「それともうひとつ。ここにはわらわとそなたのふたりしかおらぬ。間者の類いも一切、置いてはおらぬ。正真正銘のふたりきりじゃ。よけいな小芝居は無用。良いな?」
 「承知しました」
 メインクーンはそう答えるとうながされるままに席に着いた。
 鼻の前を漂う茶の香りと菓子の匂い。いずれも、食欲をたいそう刺激する心地よいものだった。
 「〝知恵ある獣〟は肉食と聞く。茶菓子など口に合うかどうかはわからぬが、よければ食べてくれ。わらわが手ずから焼いたものじゃ」
 「王妃さまが自分で菓子を?」
 自分で菓子を作り、客をもてなす王妃。
 そんな王妃、いままで訪れたどんな小国にもいた試しはない。
 「これでも料理には自信があるのだ。娘時代、将来のためにと仕込まれたのでな」
 「いただきます」
 メインクーンはそう言うと菓子を頬張ほおばった。
 目を丸くした。
 「……おいしい」
 「口に合ったようでなによりじゃ」
 ドーナは静かに言った。
 表情ひとつかえることはなかったが、本気で嬉しがっていることは感じられた。
 ドーナも自ら焼いた菓子を一口食べ、紅茶を飲んだ。そして、切り出した。
 「さて。今回、そなたを招いたのは他でもない。そなたとはお互い腹を割って話しておきたかったからじゃ」
 「腹を割って?」
 「そうじゃ。〝知恵ある獣〟に隠し事は効かぬと聞く。ならば、本音を語った方が味方にしやすかろうと思ってな」
 「わたしを味方に?」
 「そなたの素性は調べさせてもらった。冒険者としての実績・実力は申し分ない。評判もきわめて良い。お主ほどの冒険者、我が国にも三人といまい。それほどの逸材が我が国に来てくれたとなれば心強いし、ぜひとも、味方になって欲しいからの」
 「なるほど」と、『謙遜けんそん』という美徳とは縁のない〝知恵ある獣〟の少女は真顔でうなずいた。
 「ただ、そなたの生まれまでは確かめられなかったがな。じゃが、かわりに面白い話を聞けた」
 驚いたことに――。
 このいかにも『悪女』という見た目の王妃は、おかしそうに苦笑して見せた。
 「なんでも、婚約発表の場に置いて、婚約者である大公の息子を裸にいて飛び出したそうではないか。なんとも痛快じゃった。久し振りに声を立てて笑ったわ」
 ドーナはそう言ってかすかに白い歯を見せた。『久々に笑った』というどうやら嘘ではないようだ。
 「大公殿下はご息災そくさいでしたか?」
 メインクーンは尋ねた。
 自ら望んで飛び出したとは言え、大公ナローリーフには母娘ともども、人並みの生活をさせてもらった恩がある。気にしていないわけではない。
 「あまり息災とは言えんようじゃな。そなたが婚約者の立場を捨てて国を出たあと、その座を懸けて貴族間の争いがあったらしい。結局、その争いを制したのは大公の亡くなった妃の一族だそうじゃ。早くも外戚として権勢を振るいはじめ、大公もなにかと苦労しておるそうじゃ」
 「……そうですか」
 「そんな話を聞くと、王党派の貴族たちがわらわの存在を危惧するのもわかるな。たしかに、わらわがその立場であっても、王家をないがしろにして外戚が権勢を振るうとなったら面白くはなかろう」
 ドーナはそう言って一口、茶を飲んだ。
 「最初に言ったとおり、そなたとは腹を割って話し合いたい。そこで、正直に言おう。わらわはたまたま貴族の家に生まれたと言うだけの平凡な女じゃ。まさか、自分が王妃になるなどとは思っていなかったし、そんな望みもなかった」
 「国王陛下とご結婚なされたのに?」
 「わらわが、我が夫君ふくんエルウッディと結婚したとき、かのは王ではなかった。当時の王はエルウッディの兄アルバータが努めておった」
 「なるほど」
 「エルウッディもあの通り、野心などとは縁のない人柄。わらわは名ばかりの王族の妻として一生を終えるはずじゃった。わらわ自身もそれで良いと思うておった。子を産み、夫と子のために料理を作り、つつましく暮らせればそれで良い。本気でそう思うておったのじゃ」
 「………」
 「ところが、一〇年ほど前のことじゃ。この国で政変が起きた。国王アルバータ陛下は謀殺ぼうさつされ、国中に混乱が起きた。放置しておけば我が夫君エルウッディの生命もなかったであろう。もちろん、わらわも、そして、リアナもな」
 リアナもな。
 そう言ったときのドーナの言葉には紛れもない母親としての情が満ちていた。
 「それだけは防がねばならなかった。しかし、我が夫君エルウッディはあの通り、気力にも能力にも欠ける凡人。政戦をくぐり抜け、家族を守り通すなどとうてい無理。そこで、思ったのじゃ。わらわがやらなければならぬ、とな。そして、必死に戦った。単なる平凡な主婦であれば良いと思っていたわらわがじゃ。そして、気が付いたときには我が夫君エルウッディが国王となり、わらわは王妃となっていた。まったく、運命とはわからぬものよ」
 ふふ、と、ドーナは自分自身と運命を|《嘲弄ちょうろう》するかのように笑って見せた。
 「重ねて言うが、わらわはたまたま貴族の家に生まれただけの平凡な女じゃ。王妃などという柄ではない。まして、一国の運命を背負うなど身に余る。じゃが、わらわには守らねばならぬものがある。夫と娘だけはこの手で守り通さなければならぬ」
 「シリウスとの戦いに参戦したのもそのためですか?」
 「そうじゃ。シリウスは自身による北方大陸統一を掲げ、制圧した国の王族はひとり残らず殺す。もし、我が国が制圧されれば我が夫君も娘リアナも殺される。じゃからこそ、シリウスと戦うことを選んだ。夫と娘を守る。わらわの願いは本当にただ、それだけなのじゃ。信じてもらえるとは思ってはおらんがの」
 「いえ。王妃殿下が嘘をついていないことはわかります」
 匂いによって相手の感情を知ることが出来る〝知恵ある獣〟。
 とは言え、〝知恵ある獣〟と人間では感情の在り方がちがうし、同じ感情でも放つ匂いがちがう。だから、以前は人間が多種多様な匂いを出すことはわかっていてもどの匂いがどんな感情を示すかはわかっていなかった。だが、この一年間、冒険者として活動してきたおかげでほとんどの匂いを判別できるようになっていた。
 そのなかでも最初に理解したのが『嘘をつく』ときの匂いだった。希少な〝知恵ある獣〟の雌を利用しようとして、嘘をついて近寄ってくる人間はあとを絶たなかったので。
 だから、わかる。
 王妃ドーナからは嘘を感じさせる匂いは何ひとつ漂っていないことが。
 ――この人は本心だけを語っている。
 自らの獣の本能に懸けて、メインクーンはそう確信していた。
 「……そうか。〝知恵ある獣〟に隠し事は通用しない。そうであったな」
 「はい」
 「ふふ。ならば、わらわの言葉が本心であることもわかってくれるわけか。やはり、腹を割って話すことにして良かった。さて。必死に戦ううちにわらわには大層な呼び名が付いた。女狐、策謀家。じゃが、何と言われようとわらわは負けるわけにはいかぬ。わらわの敗北は我が夫君と娘の死を意味するのじゃからな。そのために……勝ち残るために強力な味方が欲しい」
 「わたしに味方になれと?」
 「さようじゃ」
 「あなたの味方をすることは構いません。ですが、それは兄を敵とすることを意味しない。そのことはご承知ください」
 「兄とな? 小芝居は無用と申したはずじゃが?」
 「芝居などしておりません」
 メインクーンはドーナの顔をまっすぐに見つめながら答えた。
 ドーナもその視線を真っ向から見つめ返した。やがて、ふ、と、息をついた。どこか、面白がっているような息の付き方だった。
 「……そうか。それならそれで良い。じゃが、わらわとアド坊や、両方の味方になると言うのは無理な話じゃぞ。何せ、アド坊やはわらわをひどく嫌っておるからのう」
 「そうでもないでしょう。あのバカ兄貴はエリンジウム公という立場に縛られているだけ。立場上、王党派の貴族の代表としてあなたに対抗しなければならないと思い込んでいるだけです。個人的に、あなたと敵対する理由はありません。手を組むことは不可能ではありませんよ」
 「手を組む? わらわとアド坊やが?」
 「はい。わたしにとってもその方が都合が良いので」
 「都合とは?」
 「わたしの狙いはこのヴェガにおいて貴族としての力を手に入れることです。わたし自身の目的のために。そのためには、この国が安定した強国である必要があります。だからこそ、あなたとバカ兄貴には手を組んでもらった方がいい。そういうことです」
 わたし自身の目的のために。
 〝知恵ある獣〟の少女は〝知恵ある獣〟らしく、直截ちょくせつにそう言い切った。
 「なるほどな。それは面白い。じゃが、そんなことが本当に出来るものかの?」
 「やります」
 メインクーンはそう言い切ると付け加えた。  
 「バカ兄貴ひとり、手のひらで転がせないようで何が妹ですか」
 「ふふ。なるほど。アド坊やも大変な妹をもったものじゃな」

 やがて、時が立ち、退出するときが来た。
 「長居をさせてすまなかったな。楽しかったぞ」
 「わたしこそ、あなたのお人柄にふれることができて楽しかったです」
 「そうか……」
 ドーナはしばらく言いづらそうに口ごもった。
 それから、思いきったように口を開いた。
 「娘、リアナには、もう会っておるのじゃろう?」
 「はい。うちのバカ兄貴のことでよく話しています」
 「……そうか。娘のこと、どう思う?」
 「明るく、ほがらかで、魅力的。『光の王女』と呼ばれるのもわかります。ただ……」
 「ただ?」
 「かなり、無理をされているようです。あの方もうちのバカ兄貴同様、立場に縛られすぎのようです」
 母親なら気遣きづかってあげるべきでは?
 メインクーンのその一言に――。
 ドーナは顔をしかめた。
 「……耳が痛い。あれにはまったく母親らしいことはなにもしてやれずにいるからな」
 そう言うドーナの表情には、紛れもなく母の苦悩がにじんでいた。
 「無責任な母と思うだろうが、どうか娘の力になってやって欲しい。宮廷とのしがらみのないそなたの方がなにかとうまくやれるじゃろう」
 驚いたことに――。
 王妃ドーナは頭をさげて頼んだ。
 その態度にメインクーンも真摯しんしに応えた。
 「あの方がご不幸になるのはわたしも望みません。力の限り、尽くしましょう」
 「助かる。礼を言うぞ」
 メインクーンが退出しようとしたとき、ドーナは再び声をかけた。
 「実はの……」
 「はい?」
 「この国にはもうひとり、王女がおる」
 「もうひとりの王女?」
 「先代国王アルバータの娘、スクアローサ。ローサと呼ばれておる」
 「ローサ……」
 「リアナよりひとつ上の一七歳。その年にしてすでに『化石の王女』などと呼ばれておる」
 「化石の王女?」
 「それだけ、宮廷内では忘れられた存在じゃと言うことじゃ。権力争いに敗れ、敗死した王の娘じゃからの。誰も関わろうとはせぬ。わらわにしても公式に立場を与えてぐうしてやるわけには行かぬ。理由はわかるであろう?」
 「……先王の娘。王党派の貴族にとってはうちのバカ兄貴以上に祭りあげやすい存在」
 「そういうことじゃ。実のところ、アド坊やは王党派の神輿みこしとしては理想的とは、とても言えん。あの見た目からわかると思うが、アド坊やは北方系と言ってよい。その点ではわらわとかわらぬ。その点、ローサはいまどきめずらしくなった純血の東北翼系。しかも、悪い意味での深窓の令嬢ときておる。神輿として担ぎ出したい輩にとって、これほど好都合な相手もおるまい」
 何より、アド坊やは有能すぎるし、実力がありすぎるのでな。
 ドーナはそう付け加えた。
 メインクーンもうなずいた。
 アドプレッサが剣士として極めて強力なだけではなく、為政者としても優れていることはこの一ヶ月でよくわかっていた。能力、責任感共に現国王エルウッディなどとは比較にもならない。アドプレッサならいますぐにでもエルウッディよりもはるかに強力で有能な王になれる。それほど有能で強力な相手、神輿として担ぎたいとは誰も思わないだろう。
 「重ねて言うが、わらわとしてはローサを公式に遇してやることは出来ぬ。我ら一家にとって致命傷になり得る娘じゃからな。しかし、あの不遇ふぐうな娘には幸せになって欲しいと思っておる。これも本心じゃ。冒険者としてのそなたなら、あの娘にちがう世界を見せてやれるかも知れぬ」
 「わたしにローサ姫をさらって逃げろと?」
 ドーナはかすかに苦笑したようだった。
 「そこまで露骨ろこつなことは言えんな。それに、そなたに逃げられるのは困る」

 そして、メインクーンは退出した。
 王宮を出ると外はすでに夜のとばりに包まれていた。思いの外、長い時間、王妃と過ごしていたことになる。
 「忙しいなか、わたしと話す時間を作るだけでも大変だったでしょうに」
 おそらく、これから夜通し仕事に励むのだろう。それを思うと頭がさがる。
 「あの王妃の人柄はわかったし、うちのバカ兄貴に個人的に王妃さまと敵対する理由はない。リアナ姫のこともある。あとはあのバカ兄貴が素直になれば済む話なんだけど……」
 さて、どうやって手玉に取ってやろうか。
 そんなことを思いながら歩いていると――。
 チリチリと、首筋の毛が逆立つのを感じた。
 身に危険が迫ったときに必ず訪れる本能の警告だ。
 その本能の示す先を見た。
 そこにはひとつの人影が立っていた。夜の帳に包まれ、しの装束しょうぞくに身を包んだ小柄な人影。
 ――刺客しかく
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