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第二部 絆ぐ伝説
第一一話五章 この時代はおれが守る!
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砦の門が開き、そこから何万という軍勢が、いや、人間たちが出陣していく。剣や槍を手に、怒濤の足音を立てて突撃していく。
この世界を、仲間を、友人を、家族を、亡道の世界から守るための誇りある出陣……とは、とても言えない。悲しいことに。
自分たちが勝てるはずはない。
そんなことは、ここまでの戦いを見ていれば誰にだってわかる。出陣し、戦いを挑めば殺される。亡道の軍勢に殺されるか、自分自身が亡道の怪物と成り果てて、ついいままでの仲間に殺されるか。そのどちらかしかない。
そんなことは皆、わかっている。
承知している。
事実、雪崩を打って出陣していく兵士たちの誰ひとりを見てもその表情には勝利への思いもなければ、生への希望もない。あるものはただあきらめ。自らの生をあきらめ、死ぬ覚悟を定めたものだけが浮かべる表情。
出陣する軍勢のどこを見てもその表情が浮かんでいる。その表情だけに占められている。
それでもなお、なにも言わずに出陣していく。
その理由はただひとつ。
――このまま砦にこもって殺されるのをまつぐらいなら、自分から出陣して一思いに死んだ方がマシ。
その思いからだった。
極限の恐怖にさらされた人間特有の心理として、とにかく、この恐怖から逃れたい。この恐怖から逃れるためにあの世へと避難する。その思いに囚われたための行動。
自暴自棄の勇。
そう言っていい突撃だった。
それでもなお、誰ひとりとして恐慌に走ることなく、軍としての規律を保ち、整然と列を成して突撃していく。それは、兵を指揮するプリンスたち三人の将の統率力の高さを示すものだった。
そのプリンス、このなかで自らの生をあきらめていないごく少数の人間――おそらくは、片手の指で足りるほど――のひとりであるプリンスは、自暴自棄の勇に駆られて突撃していく兵士たちに向かって力の限りに叫んでいた。
「進め、突撃しろ! 狙いはただひとつ、敵の将軍だけた! 他のやつには目もくれるな! 全軍の総力をあげて敵の将軍ただひとりを仕留めるんだ!」
叫ぶ、
叫ぶ、
叫びつづける。
喉が破れ、血が吹き出るかと思えるほどに叫びつづける。
実際、プリンスたち人間の軍勢が亡道の軍勢相手に勝利できるとすれば、それしかないのだ。亡道の軍勢の意思そのものである将軍を倒し、混乱させ、その隙に殲滅する。それ以外、勝利の可能性はまったくない。
プリンスの叫びに従い、兵士たちは突撃していく。もてる力のすべてを先頭の一点に集中し、亡道の軍勢のど真ん中に楔を打ち込むかのように。
魚鱗の陣。
東方は盤古帝国の伝統に従えば、その名で呼ばれる陣形である。
先頭に行くほどに陣形を細く絞り込み、もてる力のすべてを一点に集中して敵陣を真っ二つに両断する。ただひたすらに突撃するための陣形であり、守りを捨てて攻め込むためだけの陣形である。
それは、銃火器の発達した現代の戦い方ではない。飛び道具のなかった時代の戦い方であり、現代ではとうの昔に時代遅れとなった戦い方である。
しかし、消耗品である銃弾に天命の理を付与するだけの生産力がなく、剣や槍といった繰り返し使える武器に付与するのが精一杯、といういまの状況では、そんな前時代的な戦い方をするしかない。
そのありさまを天命の理を付与した武器制作の責任者、『もうひとつの輝き』の長代理であるセアラが見れば歯がみして悔しがったにちがいない。
「ボクたちの先祖はまわりから迫害され、弾圧されて逃げまわらなくちゃならなかった。世の中の陰に隠れて、コソコソ行動してこなくちゃならなかった。だから、仲間を増やすこともできなかったし、大々的に天命の理を付与することもできない。そんなことさえなければ。堂々と日の当たる場所で行動することさえできていれば。そうしていれば仲間を増やして、亡道の司と戦うために必要な武器を大量生産することができたのに!」と。
ここでもまた現代の人間たちは、先祖たちが人間同士で争い、亡道の司と戦うための準備をしてこなかったことのツケを払わされているのだった。
激突した。
人間の軍勢と、亡道の軍勢とが。
先端を槍の穂先のように絞り込んだ魚鱗の陣と、真四角に整然と列をなした方形陣とが。
人間の軍勢は口々に奇声をあげ、叫び、必死の形相で攻め込んでいく。突撃していく。対して、亡道の軍勢は表情ひとつかえず――そもそも、亡道の怪物と化したこの元人間たちに、表情をかえることなどできるのかどうかも不明だが――なにも言わず、息する音さえ響かせることなくただ黙って迎え撃つ。人間たちの自暴自棄の攻勢を受けとめる。
それは、あまりにも対照的な態度であり、神の視点をもってその様を見つめるものがいれば、経験の浅い猟犬が獅子を前にした恐怖心から我を忘れ、むやみやたらに食いつこうとしているように見えただろう。
実際、その通りではあるのだが、そんな状況においても叩き込まれてきた三位一体の戦法は堅持していた。
長柄武器をもったふたりの兵士がその武器を相手の身に突き立てて動きを封じ、天命の理を付与された武器をもつひとり、武芸に優れた真打ちとも言うべき兵士がとどめを刺す。
これまで、亡道の怪物たちを相手に絶大な効果を発揮してきた戦法。この戦法を徹底してきたおかげで、不死身の亡道の怪物を相手にしても大きな被害を出すことなく勝利することができていたのだ。いままでは。
しかし、それもしょせんは、亡道の怪物たちが飛び道具をもっていなかったから。銃はおろか、弓や飛刀すらもたず、その身ひとつで戦っていたから。同じく肉弾戦しかできないから効果を発揮できたのだ。しかし――。
この亡道の軍勢はいままでの怪物たちとはちがう。銃となった右腕から次々と自らの組織を飛ばし、攻撃してくる。近づく前に狙われてしまう。
そして、その組織を撃ち込まれたが最後、組織はたちまち兵士の身に食らいつき、もぐり込み、内側から侵食して、この世ならざる存在、亡道の怪物へと変貌させる。
盾を掲げて防いだところで意味はない。攻撃を受けた盾がたちまちのうちに侵食され、膨張し、爆発したようにふくれあがり、巨大な人食いの怪物と化して襲いかかってくるのだから。
どうして、物でしかない盾が生きた怪物になるんだ⁉
そのありさまを目の当たりにした兵士たちのなかにはそんな思いを抱いたものもいたかも知れない。
無意味な問いだった。
生物も、非生物もなく、すべてが入り交じり、ひとつになった存在。それが、亡道なのだから。亡道の世界の侵食を受けてしまえば生物が物となり、物が生物となるなど当たり前のことだった。
人間の軍勢はたちまちのうちに崩壊した。近づく前に攻撃を受け、敵と戦う前に怪物と化したつい先ほどまでの仲間と戦わなくてはならないのだから。
先頭を走る仲間たちが次々と怪物になる。
敵へとかわる。
そんな状況でどうやって勝てというのか。いや、戦えというのか。悲鳴があがり、血しぶきが舞い、人間たちの軍勢は崩れていく。崩壊していく。そこで展開されているのは戦いなどではなかった。人間を食糧とする怪物たちの饗宴でしかなかった。
人間たちの数は次々に減っていく。減った分はそのまま亡道の怪物の増加分となり、数の上でも人間たちを呑み込んでいく。そこへ、亡道の軍勢の本隊、『雪原の狼』と言われたパンゲア屈指の勇将マルコシアスの指揮する本隊が襲いかかる。
もはや、人間の軍勢にその攻勢に対抗する術などなく、一方的に虐殺されていくだけ。戦いなどとはとうてい言えない座興の血祭り。それこそが、いま、この場で展開されている現実だった。
そのなかで、全軍を指揮する立場にあるプリンスはただ、兵士たちが殺され、血祭りにあげられていくのを、指をくわえて見ていることしかできなかった。プリンスがいかに勇敢であり、剽悍な戦士であってもしょせん『ただの人間』。殺されていく兵士たちを救う術のひとつもなかった。
それでも、プリンスはうつむくことなく前を見ていた。その鋭い視線はこの座興の血祭りのなかでもはっきりとある一体の亡道の怪物の姿を捉えていた。
その怪物、他とは明らかにちがう軍服を着込んだその姿。その姿はまぎれもなく、レディ・アホウタから聞いたパンゲア七二将のひとり、マルコシアスの姿だった。
『雪原の狼』との異名をとるほどの勇将だけあって、思ったよりもずいぶんと前に出てきていたのだ。
――やつのもとにたどり着くことさえできれば。
愛用のカトラスの柄を握る右手に力を込めながら、プリンスは思った。
あそこまで行ければ。
マルコシアスのもとにたどり着くことさえできれば。
天命の理を付与されたこのカトラスであれば、亡道の怪物となったマルコシアスであっても斬ることができる。殺すことができるはずだった。
――やつひとりを殺すことさえできれば戦況は一気に覆る。
プリンスのその思い自体はまちがってはいない。しかし――。
いったい、どうやったらマルコシアスのもとにたどり着けるというのか。
プリンスとマルコシアスの間には亡道の怪物たちが十重二十重に列をなし、行く手を阻んでいるというのに。しかも、前線の兵士たちが次々と亡道の怪物にかえられていくことで、両者を遮る壁はどんどん高く、厚くなっているというのに。
――もう、ここまでなのか。
プリンスはついにそう思った。
決して、あきらめない。
そう思うことはできる。
その思いのままに行動することもできる。
しかし、いまのこの状況で『あきらめない』ことになんの意味があるというのか。神話世界の英雄のごとき力があろうと、神の化身のごとき知恵があろうと、この状況を覆すことなどできはしないというのに。
――おれはここで死ぬのか。亡道の怪物どもをとめることすらできずに。妻と子を守り抜くことすらできないのか。
底知れない悔しさが込みあげてくる。思わず唇が食い破れるほど強く噛んでいた。
しかし、どんなに悔しがろうが、歯がみしようが『ただの人間』であるプリンスに、いまのこの状況を覆すことはできない。それをやってのけるためには人の世ならざる力、人外の力が必要だった。そんな力はプリンスにはない。しかし――。
救いの風は吹いた。
どこから表れたのか突然、亡道の軍勢のただなかに三つの人影が躍り込んだのだ。
巨大な太刀を振るう剣客と、結いあげた髪にかんざしを挿した美しい少年。そして、そのふたりにはさまれて大刀を振るう船長服姿の青年。
プリンスはその三人にははっきりと見覚えがあった。
「野伏! 行者!」
太刀を振るう剣客と、かんざしを挿した美しい少年。
それはプリンスの仲間である野伏と空狩りの行者だった。そして、そのふたりにはさまれて大刀を振るうのは、
「ロウワン!」
プリンスは叫んだ。
そう。それは、まぎれもなくプリンスの知る若者、ロウワンだった。
ロウワン、いまはマークスⅡを名乗る青年は左右を頼もしい仲間に守られながら、まるで無人の野を征くがごとくに亡道の軍勢を斬り裂き、突き進む。
野伏の太刀が風車のように回転して行く手を遮る亡道の怪物たちを片っ端から斬り倒し、行者の振るう力が亡道の怪物たちの不死性を奪う。
マークスⅡ自身も〝鬼〟から受け継いだ大刀を振るい、マルコシアスのもとへと向かう道を切り開く。
一瞬。
そう言ってもいいほどに短い時間の間にマークスⅡたちはマルコシアスのもとにたどり着いていた。野伏と行者がそれぞれの力を振るい、まわりに連なる亡道の怪物たちを倒し、マークスⅡの前にマルコシアスのもとに向かう道を切り開く。
マークスⅡは仲間たちの尽力を無駄にしたりはしなかった。そのまま開いた道をひた走り、手にした大刀でマルコシアスを両断した。
おおおおおっ!
突如として響いたその雄叫びは、いったい誰のものだったろうか。
将軍を失った亡道の軍勢はたちまち動きをとめた。それまでの整然とした動きも、統率も、嘘のように消え去り、なにをしていいかわからないかのようにボンヤリと辺りをうろつきはじめた。
あまりの状況の変化に人間の兵士たちがあっけにとられるなか、マークスⅡは敵将を葬った大刀を高々と掲げた。力の限りに叫んだ。
「おれは現代の英雄、マークスⅡ! 英雄マークスの名において、この時代はおれが守る!」
この世界を、仲間を、友人を、家族を、亡道の世界から守るための誇りある出陣……とは、とても言えない。悲しいことに。
自分たちが勝てるはずはない。
そんなことは、ここまでの戦いを見ていれば誰にだってわかる。出陣し、戦いを挑めば殺される。亡道の軍勢に殺されるか、自分自身が亡道の怪物と成り果てて、ついいままでの仲間に殺されるか。そのどちらかしかない。
そんなことは皆、わかっている。
承知している。
事実、雪崩を打って出陣していく兵士たちの誰ひとりを見てもその表情には勝利への思いもなければ、生への希望もない。あるものはただあきらめ。自らの生をあきらめ、死ぬ覚悟を定めたものだけが浮かべる表情。
出陣する軍勢のどこを見てもその表情が浮かんでいる。その表情だけに占められている。
それでもなお、なにも言わずに出陣していく。
その理由はただひとつ。
――このまま砦にこもって殺されるのをまつぐらいなら、自分から出陣して一思いに死んだ方がマシ。
その思いからだった。
極限の恐怖にさらされた人間特有の心理として、とにかく、この恐怖から逃れたい。この恐怖から逃れるためにあの世へと避難する。その思いに囚われたための行動。
自暴自棄の勇。
そう言っていい突撃だった。
それでもなお、誰ひとりとして恐慌に走ることなく、軍としての規律を保ち、整然と列を成して突撃していく。それは、兵を指揮するプリンスたち三人の将の統率力の高さを示すものだった。
そのプリンス、このなかで自らの生をあきらめていないごく少数の人間――おそらくは、片手の指で足りるほど――のひとりであるプリンスは、自暴自棄の勇に駆られて突撃していく兵士たちに向かって力の限りに叫んでいた。
「進め、突撃しろ! 狙いはただひとつ、敵の将軍だけた! 他のやつには目もくれるな! 全軍の総力をあげて敵の将軍ただひとりを仕留めるんだ!」
叫ぶ、
叫ぶ、
叫びつづける。
喉が破れ、血が吹き出るかと思えるほどに叫びつづける。
実際、プリンスたち人間の軍勢が亡道の軍勢相手に勝利できるとすれば、それしかないのだ。亡道の軍勢の意思そのものである将軍を倒し、混乱させ、その隙に殲滅する。それ以外、勝利の可能性はまったくない。
プリンスの叫びに従い、兵士たちは突撃していく。もてる力のすべてを先頭の一点に集中し、亡道の軍勢のど真ん中に楔を打ち込むかのように。
魚鱗の陣。
東方は盤古帝国の伝統に従えば、その名で呼ばれる陣形である。
先頭に行くほどに陣形を細く絞り込み、もてる力のすべてを一点に集中して敵陣を真っ二つに両断する。ただひたすらに突撃するための陣形であり、守りを捨てて攻め込むためだけの陣形である。
それは、銃火器の発達した現代の戦い方ではない。飛び道具のなかった時代の戦い方であり、現代ではとうの昔に時代遅れとなった戦い方である。
しかし、消耗品である銃弾に天命の理を付与するだけの生産力がなく、剣や槍といった繰り返し使える武器に付与するのが精一杯、といういまの状況では、そんな前時代的な戦い方をするしかない。
そのありさまを天命の理を付与した武器制作の責任者、『もうひとつの輝き』の長代理であるセアラが見れば歯がみして悔しがったにちがいない。
「ボクたちの先祖はまわりから迫害され、弾圧されて逃げまわらなくちゃならなかった。世の中の陰に隠れて、コソコソ行動してこなくちゃならなかった。だから、仲間を増やすこともできなかったし、大々的に天命の理を付与することもできない。そんなことさえなければ。堂々と日の当たる場所で行動することさえできていれば。そうしていれば仲間を増やして、亡道の司と戦うために必要な武器を大量生産することができたのに!」と。
ここでもまた現代の人間たちは、先祖たちが人間同士で争い、亡道の司と戦うための準備をしてこなかったことのツケを払わされているのだった。
激突した。
人間の軍勢と、亡道の軍勢とが。
先端を槍の穂先のように絞り込んだ魚鱗の陣と、真四角に整然と列をなした方形陣とが。
人間の軍勢は口々に奇声をあげ、叫び、必死の形相で攻め込んでいく。突撃していく。対して、亡道の軍勢は表情ひとつかえず――そもそも、亡道の怪物と化したこの元人間たちに、表情をかえることなどできるのかどうかも不明だが――なにも言わず、息する音さえ響かせることなくただ黙って迎え撃つ。人間たちの自暴自棄の攻勢を受けとめる。
それは、あまりにも対照的な態度であり、神の視点をもってその様を見つめるものがいれば、経験の浅い猟犬が獅子を前にした恐怖心から我を忘れ、むやみやたらに食いつこうとしているように見えただろう。
実際、その通りではあるのだが、そんな状況においても叩き込まれてきた三位一体の戦法は堅持していた。
長柄武器をもったふたりの兵士がその武器を相手の身に突き立てて動きを封じ、天命の理を付与された武器をもつひとり、武芸に優れた真打ちとも言うべき兵士がとどめを刺す。
これまで、亡道の怪物たちを相手に絶大な効果を発揮してきた戦法。この戦法を徹底してきたおかげで、不死身の亡道の怪物を相手にしても大きな被害を出すことなく勝利することができていたのだ。いままでは。
しかし、それもしょせんは、亡道の怪物たちが飛び道具をもっていなかったから。銃はおろか、弓や飛刀すらもたず、その身ひとつで戦っていたから。同じく肉弾戦しかできないから効果を発揮できたのだ。しかし――。
この亡道の軍勢はいままでの怪物たちとはちがう。銃となった右腕から次々と自らの組織を飛ばし、攻撃してくる。近づく前に狙われてしまう。
そして、その組織を撃ち込まれたが最後、組織はたちまち兵士の身に食らいつき、もぐり込み、内側から侵食して、この世ならざる存在、亡道の怪物へと変貌させる。
盾を掲げて防いだところで意味はない。攻撃を受けた盾がたちまちのうちに侵食され、膨張し、爆発したようにふくれあがり、巨大な人食いの怪物と化して襲いかかってくるのだから。
どうして、物でしかない盾が生きた怪物になるんだ⁉
そのありさまを目の当たりにした兵士たちのなかにはそんな思いを抱いたものもいたかも知れない。
無意味な問いだった。
生物も、非生物もなく、すべてが入り交じり、ひとつになった存在。それが、亡道なのだから。亡道の世界の侵食を受けてしまえば生物が物となり、物が生物となるなど当たり前のことだった。
人間の軍勢はたちまちのうちに崩壊した。近づく前に攻撃を受け、敵と戦う前に怪物と化したつい先ほどまでの仲間と戦わなくてはならないのだから。
先頭を走る仲間たちが次々と怪物になる。
敵へとかわる。
そんな状況でどうやって勝てというのか。いや、戦えというのか。悲鳴があがり、血しぶきが舞い、人間たちの軍勢は崩れていく。崩壊していく。そこで展開されているのは戦いなどではなかった。人間を食糧とする怪物たちの饗宴でしかなかった。
人間たちの数は次々に減っていく。減った分はそのまま亡道の怪物の増加分となり、数の上でも人間たちを呑み込んでいく。そこへ、亡道の軍勢の本隊、『雪原の狼』と言われたパンゲア屈指の勇将マルコシアスの指揮する本隊が襲いかかる。
もはや、人間の軍勢にその攻勢に対抗する術などなく、一方的に虐殺されていくだけ。戦いなどとはとうてい言えない座興の血祭り。それこそが、いま、この場で展開されている現実だった。
そのなかで、全軍を指揮する立場にあるプリンスはただ、兵士たちが殺され、血祭りにあげられていくのを、指をくわえて見ていることしかできなかった。プリンスがいかに勇敢であり、剽悍な戦士であってもしょせん『ただの人間』。殺されていく兵士たちを救う術のひとつもなかった。
それでも、プリンスはうつむくことなく前を見ていた。その鋭い視線はこの座興の血祭りのなかでもはっきりとある一体の亡道の怪物の姿を捉えていた。
その怪物、他とは明らかにちがう軍服を着込んだその姿。その姿はまぎれもなく、レディ・アホウタから聞いたパンゲア七二将のひとり、マルコシアスの姿だった。
『雪原の狼』との異名をとるほどの勇将だけあって、思ったよりもずいぶんと前に出てきていたのだ。
――やつのもとにたどり着くことさえできれば。
愛用のカトラスの柄を握る右手に力を込めながら、プリンスは思った。
あそこまで行ければ。
マルコシアスのもとにたどり着くことさえできれば。
天命の理を付与されたこのカトラスであれば、亡道の怪物となったマルコシアスであっても斬ることができる。殺すことができるはずだった。
――やつひとりを殺すことさえできれば戦況は一気に覆る。
プリンスのその思い自体はまちがってはいない。しかし――。
いったい、どうやったらマルコシアスのもとにたどり着けるというのか。
プリンスとマルコシアスの間には亡道の怪物たちが十重二十重に列をなし、行く手を阻んでいるというのに。しかも、前線の兵士たちが次々と亡道の怪物にかえられていくことで、両者を遮る壁はどんどん高く、厚くなっているというのに。
――もう、ここまでなのか。
プリンスはついにそう思った。
決して、あきらめない。
そう思うことはできる。
その思いのままに行動することもできる。
しかし、いまのこの状況で『あきらめない』ことになんの意味があるというのか。神話世界の英雄のごとき力があろうと、神の化身のごとき知恵があろうと、この状況を覆すことなどできはしないというのに。
――おれはここで死ぬのか。亡道の怪物どもをとめることすらできずに。妻と子を守り抜くことすらできないのか。
底知れない悔しさが込みあげてくる。思わず唇が食い破れるほど強く噛んでいた。
しかし、どんなに悔しがろうが、歯がみしようが『ただの人間』であるプリンスに、いまのこの状況を覆すことはできない。それをやってのけるためには人の世ならざる力、人外の力が必要だった。そんな力はプリンスにはない。しかし――。
救いの風は吹いた。
どこから表れたのか突然、亡道の軍勢のただなかに三つの人影が躍り込んだのだ。
巨大な太刀を振るう剣客と、結いあげた髪にかんざしを挿した美しい少年。そして、そのふたりにはさまれて大刀を振るう船長服姿の青年。
プリンスはその三人にははっきりと見覚えがあった。
「野伏! 行者!」
太刀を振るう剣客と、かんざしを挿した美しい少年。
それはプリンスの仲間である野伏と空狩りの行者だった。そして、そのふたりにはさまれて大刀を振るうのは、
「ロウワン!」
プリンスは叫んだ。
そう。それは、まぎれもなくプリンスの知る若者、ロウワンだった。
ロウワン、いまはマークスⅡを名乗る青年は左右を頼もしい仲間に守られながら、まるで無人の野を征くがごとくに亡道の軍勢を斬り裂き、突き進む。
野伏の太刀が風車のように回転して行く手を遮る亡道の怪物たちを片っ端から斬り倒し、行者の振るう力が亡道の怪物たちの不死性を奪う。
マークスⅡ自身も〝鬼〟から受け継いだ大刀を振るい、マルコシアスのもとへと向かう道を切り開く。
一瞬。
そう言ってもいいほどに短い時間の間にマークスⅡたちはマルコシアスのもとにたどり着いていた。野伏と行者がそれぞれの力を振るい、まわりに連なる亡道の怪物たちを倒し、マークスⅡの前にマルコシアスのもとに向かう道を切り開く。
マークスⅡは仲間たちの尽力を無駄にしたりはしなかった。そのまま開いた道をひた走り、手にした大刀でマルコシアスを両断した。
おおおおおっ!
突如として響いたその雄叫びは、いったい誰のものだったろうか。
将軍を失った亡道の軍勢はたちまち動きをとめた。それまでの整然とした動きも、統率も、嘘のように消え去り、なにをしていいかわからないかのようにボンヤリと辺りをうろつきはじめた。
あまりの状況の変化に人間の兵士たちがあっけにとられるなか、マークスⅡは敵将を葬った大刀を高々と掲げた。力の限りに叫んだ。
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