壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一〇話一八章 電話線を引くには?

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 「今日のところは、このへんにしておかないかね?」
 トウナがグラウンド・ボール世界大会の開催を宣言したあと――。
 ドク・フィドロが好々爺こうこうやぜんとした柔和にゅうわな表情を浮かべながらその実、強い意思を込めて言った。それは、提案というより『医師としての命令』と言うべき口調だった。
 「もうかなりの時間を費やしておるし、なかなかに心揺さぶる提言も行われた。あまりこんをつめたり、感情を激しく動かすことは妊婦には毒だ。そろそろ、切りあげた方がいい」
 「あ、そうだね」
 ドク・フィドロの言葉にセアラが声をあげた。そのことに気がつかなかった自分のうかつさを責める口調だった。
 「ボクたちはともかくトウナは、お腹に赤ちゃんがいるんだもんね。無理しちゃダメだよね」
 「たしかに。そのことに気がつかなかったのはうかつでした。トウナさんはそろそろ休んだ方がいいですね」
 パットもそう言って、他の参加者たちも同意したので、今日の会議はここで終了ということになった。別室に移ってコーヒータイムと相成った。と言っても、実際に飲んでいるのはコーヒーではない。ミルクである。
 「刺激物は妊婦には毒だからの」
 ドク・フィドロがそう言って、コーヒーや酒類を飲むことをトウナに禁じているからだ。トウナが飲めないものを自分たちだけが飲むのも気がひける、と言うことで全員、刺激の少ないミルクを飲んでいるのである。
 丸テーブルのまわりに並んで座り、人肌に温めたミルクを飲んでいるのだが、トウナの隣に座るセアラはトウナの腹に興味津々である。もうすっかり丸くなっているトウナの腹をしげしげと見つめ、感心した口調で言った。
 「すっかり大きくなったねえ」
 と、ぷっくりと丸くふくらんだ腹部を手でさすりながら言う。
 「生まれるのもそろそろだから」
 「でも、不思議だよねえ。このなかで新しい生命が生まれ、新しい人間が育っているなんてさ。いったい、どんな仕組みでそんなことが可能になるんだろう。う~ん。考えれば考えるほど不思議だ。なんとかして、解き明かしたいなあ」
 セアラは腕を組み、首をかしげながら、いかにも科学者らしいことを言った。
 すると、今度はパットが気遣わしげに尋ねた。
 「しかし、だいじょうぶなのですか、トウナさん? そろそろ臨月だというのに、仕事しごとの毎日で」
 「だいじょうぶよ」
 トウナは『大袈裟ね』と言いたげに肩をすくめながら答えた。
 「タラの島の女たちは、子どもが生まれる前日まで網の修理をしているなんて当たり前だもの。作業中に陣痛を迎えてそのまま出産……なんていうこともめずらしくないし」
 さすが、漁師の島の女たち。たくましい。
 参加者全員がその思いに打たれ、タラの島の女たちへの畏敬いけいの念に駆られた。
 「まあ、トウナの体調管理は、わしやマーサが行っておるからな。妊娠初期からずっと問題もなく来ておるし、大丈夫じゃろう」
 「だけど、妊娠って大変なことなんじゃないの?」
 トウナと同年代ながら妊娠未経験のセアラが口にした。
 「うちの母さんは、ボクや姉さんがお腹のなかにいるときはつわりがひどくて大変だった。早く、そんな苦労なしに妊娠・出産できる技術を開発したいって、いつも言ってたけど」
 「つわりには個人差があるからの」
 ドク・フィドロが医師としてそう語った。
 「トウナは体質的につわりが軽い方なんじゃろう。気分を悪くするようなことはほとんどなかったからの」
 「たしかに、特につらかったことはなかったわね。あたしに限らず、タラの島の女たちはつわりに苦しむなんてほとんどないし、そういう血統なのかも」
 「タラの島の女はつくづくたくましいな。おれも嫁さんをもらうなら、タラの島の女にするかな」
 新聞記者のハーミドがそう言って見せた。腕を組み、何度もなんどもうなずきながら感心しきりの様子である。
 「でも……」
 と、トウナはため息交じりにつづけた。
 「お腹がどんどんふくれていくのはやっぱり、うっとうしく感じるわ。どんどん重くなって、寝返りも満足にできなくなるし」
 赤ん坊がお腹のなかで動くのを感じるとやっぱり、嬉しく感じるけど。
 トウナはそう付け加えることを忘れなかった。
 「それになにより、行動が制限されるのがね。こうして、みんなの方から集まってきてもらえるから会議もできるけど本当を各地を巡って、実際に現場を見ておきたいんだけど……」
 「それは、医師として認めるわけにはいかんな」
 ドク・フィドロがこのときばかりは好々爺こうこうやぜんとした表情を脱ぎすて、真剣な医師としての表情になっていた。
 「妊娠中に急激な環境の変化は禁物じゃからな。まして、船旅なんぞをさせるわけにはいかん」
 「そうです。お腹のなかの子は、なによりも大切にしないと」
 「そうだよ。赤ちゃんが無事に産まれればまたどこにでも行けるんだから。それまでの辛抱だよ」
 パットとセアラも口々に言った。それぞれの言葉の正しさは頭ではわかるもののやはり、トウナとしては不満が残るようだ。
 「それはわかるんだけど……でも、やっぱり、不便すぎるわ。この子が大切なのはもちろんだけど、だからこそ、この子が生まれてくる世界をより良いものにしておかないといけないんだし」
 トウナのその言葉はまぎれもなく『母親』としての立場からのものだった。
 「せめて、それぞれの現場と直接、話ができればいいんだけど……」
 そんなこと、とても無理よね、と、トウナはあきらめ気味に言った。すると、
 「だいじょうぶ! ボクたちに任せて」
 セアラがかのらしい元気いっぱいな声をあげた。
 「ボクたち『もうひとつの輝き』がそんな時代を作ってみせるよ。大陸の端と端にいても直接、話ができる。そんな時代をね」
 「話ができる? 無線機があるのは知ってるけど、あれは信号を送るだけで声は送れないんでしょう?」
 「ちっちっちっ」
 トウナの言葉に――。
 セアラはキザったらしく指など振りながら舌打ちの音を立てて見せた。
 「科学大好き少女セアラちゃんを舐めてはいけない。『電話』っていう、声を送ることのできる発明品がちゃんとあるんだ」
 「電話?」
 「そう。電話。無線機とちがって有線だから電話線を引かないと使えないけど、逆に言うと電話線さえ引くことができれば大陸の端と端とでも直接、相手の声を聞きながら話ができるんだ。電話が普及すれば世の中の在り方がひっくり返るよ」
 セアラが『ふんぬ!』とばかりに控えめな胸をそらせて言うと、パットも自分の膝を叩きながら言った。
 「それはすばらしい! そんな時代になれば、人里離れたところに住む人たちにも直接、指導ができますね。教育態勢は格段に充実することでしょう」
 「でも……」
 と、セアラは今度は眉をよせ、表情を曇らせた。そんな沈み込んだ表情はセアラらしくないものだったが、クルクルとよく表情がかわること自体は、いかにもセアラらしいところだった。
 「問題は、どうやって電話線を世界中に引くかなんだよね。人里離れた荒野を突っ切って電話線を引くのはむずかしいし、もちろん一度、引いたらそれでおしまいっていうわけにもいかない。日々の維持管理は欠かせないわけだし。と言って、あちこちに人を置いていたら人手がいくらあっても足りないし、支払う給料だって大変なものになるし……」
 セアラがそう言って考え込んだ、そのときだ。扉が開き、警護の兵が姿を見せた。そして、開口一番、その場にいる全員が忌避きひと嫌悪の表情を浮かべる言葉を告げた。
 「ブージどのがお見えです。トウナさまにお話があるとか」
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