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第二部 絆ぐ伝説
第一〇話五章 野伏とレディ・アホウタ
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袈裟懸けに振りおろされた太刀が亡道の怪物を両断する。
芸術的。
まさに、そう言っていいほどに美しい、力みのない太刀筋だった。
ふたつに両断された怪物の体は、そのままちぎれ、細かくなり、虚空のなかに溶け去った。まるで、渦に呑まれた紙が千々にちぎれ、溶けて、消えていくように。
「ふん」
野伏は怪物を両断した太刀を軽く振るった。太刀のきらう怪物の血肉を振り払うために。
この太刀に天命の理は付与されていない。そんな必要はない。野伏自身の背骨を取り出し、削り出し、作りあげた太刀。その刀身にはこれ以上ないほどの妖気が込められており、その妖気がこの世のいかなるものをも滅する。
この世と、この世ならざるものの融合である亡道の怪物すら例外ではない。この太刀の前では、生も死もない亡道の怪物と言えどひ弱な獲物でしかなかった。
野伏は自慢の愛刀の刃を懐紙でぬぐい、鞘におさめた。愛刀に対する気遣いの感じられる剣客らしい仕種だった。
そんな野伏に声がかけられた。死体が無理やりしゃべっているような、そんなくぐもった声だった。
「さすがっスね」
レディ・アホウタ。
見た目は幼女、中身は淑女。パンゲア史上最強の諜報員。
それを売り文句とする女性……だった。いまや生ける死体となったその人物は、自らに押しつけられた亡道の力を磨いて亡道の司に叩き返すために、野伏とともに怪物狩りにやって来た。そのレディ・アホウタが声をかけたのだった。
「見事な一振りっス。雑魚とはいえ、亡道の怪物を一撃で屠りさるなんて。なにより、力みのない、そのくせ力感に満ちた振り筋が美しいっス。見ただけで腕の冴えがわかる動き。そんな美しい振り筋を見せる騎士は、パンゲア全土でもルキフェル将軍しかいなかったっス」
「わかるか」
と、野伏は短く答えた。
素っ気ない言い方だが、聞くものが聞けば、たとえば、あの行者などであれば、その素っ気ない言い方のなかに、決して表に出すまいとする奥ゆかしい自慢の響きを聞きとり、ニヤリと笑って言うことだろう。
「粋だね」と。
レディ・アホウタは、いまにも落ちそうな腐った頬肉を震わせながら答えた。
「これでも、ルキフェル将軍のもとで諜報員として鍛えられたっスからね。武芸に関しても人一倍、学んでるっス。武芸者の腕を見る目は確かなつもりっスよ」
レディ・アホウタの言うことは嘘ではない。野伏はそのことを知っている。なにしろ、はじめて会ったとき、自分の一撃を頭に受けながら『いった~い』の一言ですませてのけた人物なのだ。普通ならば頭蓋骨が砕けていてもおかしくない一撃を受けながら、だ。
その体術の冴えは尋常なものではなく、生まれついての素質に加え、常識外れに過酷な修練を積むことで、はじめて習得できるものであることは明らかだった。それだけの修行を積んだ身。相手の実力がわかるのも当然だった。
「しかし……」
野伏はふいに不機嫌そうな様子になった。
「せっかく、修行のために来たというのに、こうも雑魚ばかりではな。これでは、なんの修行にもならん」
野伏はひたすら不機嫌そうだ。
やがて来る亡道の司との対決。そのときに備え、亡道の司さえも斬ることのできる力と技を身につける。
そのために、わざわざパンゲアの領内深くまでやって来たというのに、出会う相手といえば寝ぼけ眼でも倒せるような雑魚ばかり。これでは修行にもならない。求める力と技を手に入れるにはほど遠い。
望みを叶えるためには、もっとずっと強力な相手と出会う必要があった。
――そう。あの騎士、あの亡道の騎士のような相手と。
亡道の騎士。
その姿を思い出すと野伏の胸のなかで静かに燃えるものがある。
自分はあの騎士に勝てなかった。負けたわけではないが、勝てたわけでもない。剣一本に生きる剣客にとってそれは、屈辱以外のなにものでもない。
――今度は必ず勝つ。
その思いがある。
そのためにも、強い相手と出会わなければならなかった。自分の全力を出しきれる相手、それでもなお、勝てるかどうかわからない相手。そんな相手と死力を尽くして戦ってこそ、自分の望む力と技を身につけられるというものだった。
「とにかく、一休みするっス。かなりの強行軍でここまでやって来たっスからね」
レディ・アホウタがそう提案した。
パチパチと火が爆ぜている。
携帯燃料を使った小さな焚き火。その焚き火をはさんで、向かい合わせに野伏とレディ・アホウタが座っている。
「もうかなりの距離を進んでいるはずっスよね?」
「ああ。というより、どれだけ進んできたかはお前の方がわかるだろう」
パンゲア人なのだから。
野伏はそう付け加えた。
「そうなんスけどね。さすがに、ここまで様子がかわっているとよくわからないっス」
「それもそうか」
レディ・アホウタの言葉に野伏もうなずいた。
見渡す限り、万物が混じりあった混沌たる世界。すべてがひとつとなるその途中で時が凍りつき、色を失った結晶と化した世界。
そんな光景がつづいているのだ。
以前のパンゲアを知るものであっても、いや、以前の姿を知っていればいるほど、いまの姿の変貌振りに驚き、自分の居場所がわからなくなっても無理はない。
「でも、野伏さん。パンゲア領に入ってからなにも食べてないし、水さえ飲んでないっスよね? だいじょうぶなんスか?」
「この体は妖怪たちの塊だ。一年やそこら飲まず食わずでも問題ない」
「それは便利っスね。諜報活動にはうってつけっス」
「そう言うお前こそ、飲み食いしていないだろう。大丈夫なのか?」
「自分の体はもう死体っスからね。喉も渇かなければ、お腹も空かないっス。それで、問題なく動けているんスから、自分ももう飲み食いする必要はないみたいっス」
「なるほど。水も食糧も調達できないこの世界を旅するには、ちょうど良い組み合わせというわけだ」
「そうっスね」
野伏の感想にレディ・アホウタもうなずいた。
妖怪の塊と生ける死体。
人ならざるふたり。
実のところ、焚き火さえいらないのだが、荒野で休息するとなれば焚き火が欲しくなるのが人情というもの。ふたりとも体はどうあれ、心は人間のままなのだ。
ふたりはしばらくの間、パチパチと爆ぜる焚き火を黙って見つめていた。
揺らめく炎が幻想的に辺りを照らしだしている。
やはり、こうして炎を見ていると心が落ちつく。体の必要とは別に、暖まる感じがする。火を求めるのはやはり、人間の本能なのだとつくづく思う。
「野伏さんは……」
レディ・アホウタがやや遠慮がちに言った。
「鬼の生贄にされる幼馴染みを救うために、自分の身を妖怪に食わせたんスよね? 鬼を殺す力を手に入れるために」
「ああ」
「その幼馴染みさんには結局、会わずじまいだそうっスけど……それで、いいんスか?」
「おれはもう人間ではない。人間としてのおれは、とうに死んだ身だ。いまさら、会っても意味はない。あいつはどこかの誰かと結婚し、人並みな生涯を送ればそれでいい」
「じゃあ、なんで、亡道の司と戦うんスか? 野伏さん的にはもう、生きる目的は果たしたんスよね?」
普通なら思っても聞けないだろうことを平気で尋ねる。そのあたりの遠慮のなさがレディ・アホウタなのだった。
野伏はそんなことを聞かれても気分を害したりはしなかった。実際、鬼を殺し、幼馴染みを危険から救ったらその場で死ぬはずだったのだ。
妖怪たちとの契約はその場で切れ、この身は崩れさり、二度と戻ることはない。
そのはずだったのだ。
それが、ロウワンのおかげでかわった。ロウワンが自らの着ていた騎士マークスの船長服を自分に着せることで、崩れさるはずだった肉体はもとに戻り、生き延びることになった。
――なぜ、亡道の司と戦う、か。
野伏は自分自身に問いかけるように心に呟いた。
べつに、大した意味があったわけではない。ただ、死ぬはずだった身が生き延びて、やることもなくなった。だから、ほんの気まぐれでロウワンの戦いに付き合うことにした。それだけのことだったのだ。最初の頃は。
「……あいつは、まだこの世で生きている。亡道の司の好きにさせれば、あいつもまた死ぬことになる。そんなことをさせるわけにはいかない」
「漢っスねえ。その人がうらやましいっス」
「そう言うお前こそなぜ、わざわざ亡道の司と戦う?」
野伏の問いに、レディ・アホウタはためらわずに答えた。
「以前に言ったとおりっスよ。この世界に亡道の司を解きはなってしまったのはパンゲアっス。パンゲア人として放っておくわけにはいかないっス。パンゲアの過ちはバンゲア人の手で正す。そうでなければ、バンゲアの誇りは取り戻せないっスから」
他の国の人たちに任せるわけにはいかないっス。
レディ・アホウタは静かな、しかし、決して揺らぐことのない決意を込めてそう付け加えた。
「バンゲアの誇り、か」
「そうっス。それだけはゆずれないっス。ルキフェル将軍も……」
懐かしさと、揺るぎない信頼とを込めて、レディ・アホウタはその名を口にした。
「ルキフェル将軍も必ず、同じ思いでいるっス。いま、こうしている間にも必ず、バンゲアを取り戻すために戦っているにちがいないっス」
「信頼しているんだな。いや、そこまで行くともう信仰かな?」
「どっちでもいいっス。自分にとっては、ルキフェル将軍こそが信じる存在っスから。必ず、ルキフェル将軍を探し出し、共に戦うっス」
「ルキフェル、か……」
野伏はその名をゆっくりと呟いた。
ルキフェル。
パンゲア最強の騎士。
東方世界から帰ってきたあと、あれほどの強さを感じた戦士はルキフェルがはじめてだった。
――戦ってみたい。
――どちらが強いかはっきりさせたい。
剣客として、そう純粋に心動かされたことなど何年ぶりだったろうか。
「あいつが、亡道の力を手に入れているなれば確かに、途方もない強者となっているだろうが……」
実のところ、野伏には心当たりがあった。
――亡道の騎士。あのとき、出会ったあの騎士。あの強さ。あの剣筋。あれは、やはり……。
「野伏さん」
野伏の回想をレディ・アホウタの声が遮った。
「なんだ?」
「一手、ご教授願えないっスか?」
「うん?」
「自分は亡道の司にむりやり亡道の力を押しつけられたっス。この力を磨いてみがいて亡道の司に叩き返してやるつもりっス。そのためには、もっともっと修行しなくちゃいけないっス。そのためには、野伏さんに相手してもらうのが一番っスから」
「なるほど」
と、野伏は納得したように答えた。
「確かに、その通りだな。おれとしてもあんな雑魚どもを相手にするよりは、お前を相手にした方が修行になる。よし。一手と言わず、徹底的にやるとしようか」
「望むところっス。感謝するっスよ」
人影ひとつない魔境の地で――。
人ならざるふたりは、自分たちの戦いをつづけていた。
芸術的。
まさに、そう言っていいほどに美しい、力みのない太刀筋だった。
ふたつに両断された怪物の体は、そのままちぎれ、細かくなり、虚空のなかに溶け去った。まるで、渦に呑まれた紙が千々にちぎれ、溶けて、消えていくように。
「ふん」
野伏は怪物を両断した太刀を軽く振るった。太刀のきらう怪物の血肉を振り払うために。
この太刀に天命の理は付与されていない。そんな必要はない。野伏自身の背骨を取り出し、削り出し、作りあげた太刀。その刀身にはこれ以上ないほどの妖気が込められており、その妖気がこの世のいかなるものをも滅する。
この世と、この世ならざるものの融合である亡道の怪物すら例外ではない。この太刀の前では、生も死もない亡道の怪物と言えどひ弱な獲物でしかなかった。
野伏は自慢の愛刀の刃を懐紙でぬぐい、鞘におさめた。愛刀に対する気遣いの感じられる剣客らしい仕種だった。
そんな野伏に声がかけられた。死体が無理やりしゃべっているような、そんなくぐもった声だった。
「さすがっスね」
レディ・アホウタ。
見た目は幼女、中身は淑女。パンゲア史上最強の諜報員。
それを売り文句とする女性……だった。いまや生ける死体となったその人物は、自らに押しつけられた亡道の力を磨いて亡道の司に叩き返すために、野伏とともに怪物狩りにやって来た。そのレディ・アホウタが声をかけたのだった。
「見事な一振りっス。雑魚とはいえ、亡道の怪物を一撃で屠りさるなんて。なにより、力みのない、そのくせ力感に満ちた振り筋が美しいっス。見ただけで腕の冴えがわかる動き。そんな美しい振り筋を見せる騎士は、パンゲア全土でもルキフェル将軍しかいなかったっス」
「わかるか」
と、野伏は短く答えた。
素っ気ない言い方だが、聞くものが聞けば、たとえば、あの行者などであれば、その素っ気ない言い方のなかに、決して表に出すまいとする奥ゆかしい自慢の響きを聞きとり、ニヤリと笑って言うことだろう。
「粋だね」と。
レディ・アホウタは、いまにも落ちそうな腐った頬肉を震わせながら答えた。
「これでも、ルキフェル将軍のもとで諜報員として鍛えられたっスからね。武芸に関しても人一倍、学んでるっス。武芸者の腕を見る目は確かなつもりっスよ」
レディ・アホウタの言うことは嘘ではない。野伏はそのことを知っている。なにしろ、はじめて会ったとき、自分の一撃を頭に受けながら『いった~い』の一言ですませてのけた人物なのだ。普通ならば頭蓋骨が砕けていてもおかしくない一撃を受けながら、だ。
その体術の冴えは尋常なものではなく、生まれついての素質に加え、常識外れに過酷な修練を積むことで、はじめて習得できるものであることは明らかだった。それだけの修行を積んだ身。相手の実力がわかるのも当然だった。
「しかし……」
野伏はふいに不機嫌そうな様子になった。
「せっかく、修行のために来たというのに、こうも雑魚ばかりではな。これでは、なんの修行にもならん」
野伏はひたすら不機嫌そうだ。
やがて来る亡道の司との対決。そのときに備え、亡道の司さえも斬ることのできる力と技を身につける。
そのために、わざわざパンゲアの領内深くまでやって来たというのに、出会う相手といえば寝ぼけ眼でも倒せるような雑魚ばかり。これでは修行にもならない。求める力と技を手に入れるにはほど遠い。
望みを叶えるためには、もっとずっと強力な相手と出会う必要があった。
――そう。あの騎士、あの亡道の騎士のような相手と。
亡道の騎士。
その姿を思い出すと野伏の胸のなかで静かに燃えるものがある。
自分はあの騎士に勝てなかった。負けたわけではないが、勝てたわけでもない。剣一本に生きる剣客にとってそれは、屈辱以外のなにものでもない。
――今度は必ず勝つ。
その思いがある。
そのためにも、強い相手と出会わなければならなかった。自分の全力を出しきれる相手、それでもなお、勝てるかどうかわからない相手。そんな相手と死力を尽くして戦ってこそ、自分の望む力と技を身につけられるというものだった。
「とにかく、一休みするっス。かなりの強行軍でここまでやって来たっスからね」
レディ・アホウタがそう提案した。
パチパチと火が爆ぜている。
携帯燃料を使った小さな焚き火。その焚き火をはさんで、向かい合わせに野伏とレディ・アホウタが座っている。
「もうかなりの距離を進んでいるはずっスよね?」
「ああ。というより、どれだけ進んできたかはお前の方がわかるだろう」
パンゲア人なのだから。
野伏はそう付け加えた。
「そうなんスけどね。さすがに、ここまで様子がかわっているとよくわからないっス」
「それもそうか」
レディ・アホウタの言葉に野伏もうなずいた。
見渡す限り、万物が混じりあった混沌たる世界。すべてがひとつとなるその途中で時が凍りつき、色を失った結晶と化した世界。
そんな光景がつづいているのだ。
以前のパンゲアを知るものであっても、いや、以前の姿を知っていればいるほど、いまの姿の変貌振りに驚き、自分の居場所がわからなくなっても無理はない。
「でも、野伏さん。パンゲア領に入ってからなにも食べてないし、水さえ飲んでないっスよね? だいじょうぶなんスか?」
「この体は妖怪たちの塊だ。一年やそこら飲まず食わずでも問題ない」
「それは便利っスね。諜報活動にはうってつけっス」
「そう言うお前こそ、飲み食いしていないだろう。大丈夫なのか?」
「自分の体はもう死体っスからね。喉も渇かなければ、お腹も空かないっス。それで、問題なく動けているんスから、自分ももう飲み食いする必要はないみたいっス」
「なるほど。水も食糧も調達できないこの世界を旅するには、ちょうど良い組み合わせというわけだ」
「そうっスね」
野伏の感想にレディ・アホウタもうなずいた。
妖怪の塊と生ける死体。
人ならざるふたり。
実のところ、焚き火さえいらないのだが、荒野で休息するとなれば焚き火が欲しくなるのが人情というもの。ふたりとも体はどうあれ、心は人間のままなのだ。
ふたりはしばらくの間、パチパチと爆ぜる焚き火を黙って見つめていた。
揺らめく炎が幻想的に辺りを照らしだしている。
やはり、こうして炎を見ていると心が落ちつく。体の必要とは別に、暖まる感じがする。火を求めるのはやはり、人間の本能なのだとつくづく思う。
「野伏さんは……」
レディ・アホウタがやや遠慮がちに言った。
「鬼の生贄にされる幼馴染みを救うために、自分の身を妖怪に食わせたんスよね? 鬼を殺す力を手に入れるために」
「ああ」
「その幼馴染みさんには結局、会わずじまいだそうっスけど……それで、いいんスか?」
「おれはもう人間ではない。人間としてのおれは、とうに死んだ身だ。いまさら、会っても意味はない。あいつはどこかの誰かと結婚し、人並みな生涯を送ればそれでいい」
「じゃあ、なんで、亡道の司と戦うんスか? 野伏さん的にはもう、生きる目的は果たしたんスよね?」
普通なら思っても聞けないだろうことを平気で尋ねる。そのあたりの遠慮のなさがレディ・アホウタなのだった。
野伏はそんなことを聞かれても気分を害したりはしなかった。実際、鬼を殺し、幼馴染みを危険から救ったらその場で死ぬはずだったのだ。
妖怪たちとの契約はその場で切れ、この身は崩れさり、二度と戻ることはない。
そのはずだったのだ。
それが、ロウワンのおかげでかわった。ロウワンが自らの着ていた騎士マークスの船長服を自分に着せることで、崩れさるはずだった肉体はもとに戻り、生き延びることになった。
――なぜ、亡道の司と戦う、か。
野伏は自分自身に問いかけるように心に呟いた。
べつに、大した意味があったわけではない。ただ、死ぬはずだった身が生き延びて、やることもなくなった。だから、ほんの気まぐれでロウワンの戦いに付き合うことにした。それだけのことだったのだ。最初の頃は。
「……あいつは、まだこの世で生きている。亡道の司の好きにさせれば、あいつもまた死ぬことになる。そんなことをさせるわけにはいかない」
「漢っスねえ。その人がうらやましいっス」
「そう言うお前こそなぜ、わざわざ亡道の司と戦う?」
野伏の問いに、レディ・アホウタはためらわずに答えた。
「以前に言ったとおりっスよ。この世界に亡道の司を解きはなってしまったのはパンゲアっス。パンゲア人として放っておくわけにはいかないっス。パンゲアの過ちはバンゲア人の手で正す。そうでなければ、バンゲアの誇りは取り戻せないっスから」
他の国の人たちに任せるわけにはいかないっス。
レディ・アホウタは静かな、しかし、決して揺らぐことのない決意を込めてそう付け加えた。
「バンゲアの誇り、か」
「そうっス。それだけはゆずれないっス。ルキフェル将軍も……」
懐かしさと、揺るぎない信頼とを込めて、レディ・アホウタはその名を口にした。
「ルキフェル将軍も必ず、同じ思いでいるっス。いま、こうしている間にも必ず、バンゲアを取り戻すために戦っているにちがいないっス」
「信頼しているんだな。いや、そこまで行くともう信仰かな?」
「どっちでもいいっス。自分にとっては、ルキフェル将軍こそが信じる存在っスから。必ず、ルキフェル将軍を探し出し、共に戦うっス」
「ルキフェル、か……」
野伏はその名をゆっくりと呟いた。
ルキフェル。
パンゲア最強の騎士。
東方世界から帰ってきたあと、あれほどの強さを感じた戦士はルキフェルがはじめてだった。
――戦ってみたい。
――どちらが強いかはっきりさせたい。
剣客として、そう純粋に心動かされたことなど何年ぶりだったろうか。
「あいつが、亡道の力を手に入れているなれば確かに、途方もない強者となっているだろうが……」
実のところ、野伏には心当たりがあった。
――亡道の騎士。あのとき、出会ったあの騎士。あの強さ。あの剣筋。あれは、やはり……。
「野伏さん」
野伏の回想をレディ・アホウタの声が遮った。
「なんだ?」
「一手、ご教授願えないっスか?」
「うん?」
「自分は亡道の司にむりやり亡道の力を押しつけられたっス。この力を磨いてみがいて亡道の司に叩き返してやるつもりっス。そのためには、もっともっと修行しなくちゃいけないっス。そのためには、野伏さんに相手してもらうのが一番っスから」
「なるほど」
と、野伏は納得したように答えた。
「確かに、その通りだな。おれとしてもあんな雑魚どもを相手にするよりは、お前を相手にした方が修行になる。よし。一手と言わず、徹底的にやるとしようか」
「望むところっス。感謝するっスよ」
人影ひとつない魔境の地で――。
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