壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第九話二〇章 千年の呪い

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 「……マークス、マークス」
 手のひらに爪が食い込み、皮膚が破けて血が噴き出した。それほどに強く拳を握りしめながらサライサはその名を呼びつつける。
 「マークス。わたしはあなたを許さない。あなたのこの裏切りを決して許さない。逃がしはしない。あなたがどこに行こうと……必ずや、裏切りのむくいは受けさせる」
 それは、千年の昔。
 かつて、ロウワンが騎士マークスの記憶のなかで見た光景。
 マークスが天命てんめい巫女みこただひとりの騎士として、天命てんめいきょくを奏でつづける天命てんめい巫女みこを抱き、人間に戻すために海へと出たその直後。自分を捨てて去っていくマークスを見つめながら呟いていた、その姿。
 その言葉はまったき呪いの結晶。
 その目に輝くものは、いかなる地獄の魔女でも宿したことのない憎悪。
 ――必ずや裏切りのむくいは受けさせる。
 その言葉はまさに、呪い。サライサが自分と、そして、マークスとにかけた呪い。千年の永きにわたり、ふたりを縛ることになる呪いだった。

 サライサは天命てんめいきゅうへとやってきていた。
 天詠てんよみの博士はくしたちがつどい、天命てんめいことわりについて学び、研鑽けんさんを重ね、その成果をもって人々の幸福と世界の繁栄とに寄与きよしようとするその場所へと。
 もとより、サライサにとって天命てんめいきゅうはなじみの場所。サライサ自身、天命てんめいきゅうに学んだ天命てんめい使つか。幾年にも渡って籠もり、天命てんめいことわりを学び、天詠てんよみの博士はくしとしての資格を得た場所。
 卒業して王宮に戻り、王女としての仕事に専念するようになってからすでに数年がたっているが、天命てんめいきゅうはそのときのまま。その作りは隅々まで知り尽くしているし、今現在、天命てんめいきゅうで働いている天詠てんよみの博士はくしたちはいずれも当時、世話になった恩師か、共に学んだ同僚たち。しかし――。
 互いに顔なじみである天詠てんよみの博士はくしたち。長く寝食を共にし、それこそ、お互いの下着の色まで知っているような間柄のその天詠てんよみの博士はくしたちが、久しぶりに天命てんめいきゅうを訪れたサライサを見てギョッとしている。唇をまっすぐに引きむすび、やはり、視線をまっすぐに向けて歩くサライサの姿を見て、怯えたような表情を浮かべている。
 それは断じて、顔なじみを見る表情ではなかった。はじめて見る相手、それも、恐ろしく危険な相手を、見たくもないのに見てしまった。そんなときに特有の表情だった。
 もちろん、すれちがう誰もが、それがかつての自分たちの仲間であり、敬愛すべき王女たるサライサその人であることはわかっている。しかし、ちがう。外見はたしかにサライサ。だが、そのなかから感じるその人間の本質。それがまるでちがう。
 体内から噴きあがり、周囲すべてをがし尽くすかのような憎悪の炎。
 そんなものは決して、サライサのもっていたはずのないものだった。
 たしかに、サライサは自分にも他人にも厳しすぎるほどに厳しい、厳格な人柄だった。しかし、それはすべて、第一王女として人類と世界を支えなくてはならないという使命感ゆえ。非道な行いに対しては容赦ようしゃというものがなかったが、理不尽な怒りや憎悪をぶちまけるようなことは決してなかった。本質的には人類と世界に対する深い愛をもった、心優しい人物であったのだ。それなのに……。
 そのサライサ本人であることがわかるからこそ、その変貌へんぼう振りに驚き、なにがここまでサライサをかえたのかと疑問を抱かせ、あふれ出す憎悪の激しさに怯える羽目になる。
 通りすぎる誰もが、そんなありさまだった。
 その疑問と恐怖に支配され、誰ひとりとしてサライサに声をかけることすらできない。すれちがいざま、チラチラと視線を送り、怯えた表情を浮かべて視線をそらし、足早に去っていく。ただ、それだけ。
 そのなかをサライサはひとり、進んでいく。まるで、自分ひとりしかいない荒野を歩くかのように。その目にはかつての同僚たちはおろか、この天命てんめいきゅうそのものさえ映っていないように見えた。
 やがて、サライサはひとつの部屋を訪れた。天命てんめいきゅうの責任者、すべての天命てんめい使つかの頂点に立つ存在である九星ここのつほし賢者けんじゃの部屋を。
 「天命てんめいことわりになりたいですって⁉」
 九星ここのつほし賢者けんじゃ、シュテルツライヒは叫んだ。
 「馬鹿な! そんな真似が……」
 「できることとはわかっています」
 あわてふためくシュテルツライヒに対し、サライサは断固たる態度で言った。
 「わたしもこの天命てんめいきゅうで学び、天詠てんよみの博士はくしの地位を得た身。人を天命てんめいことわりにかえ、永遠の存在とする方法があることは知っています」
 「し、しかし……」
 シュテルツライヒはサライサの強すぎる視線に押されて、まるで首を直接、しめられているかのようにあえぎながら答えた。
 「それは……禁忌きんきです。人を天命てんめいことわりにかえるなど、先人たちが禁止してきた行為……」
 「誰が禁止しようとも」
 サライサはシュテルツライヒの言葉など歯牙しがにもかけずに断言した。
 「わたしには必要なのです。マークスを追い、裏切りに対するむくいを受けさせる。そのためには、この体では足りないのです。こんな貧弱な女の体では。わたしには無限の生命力をもった強靱きょうじんな肉体が必要なのです」
 「サライサ殿下……」
 ほう、と、シュテルツライヒはため息をついた。哀れむ視線で見た。そんな視線がどれほどサライサの誇りを傷つけ、侮辱ぶじょくする結果になるか。そのことを知りながら、そんな視線を向けるしかなかった。
 「騎士マークスのおこないは知っています。そのことに、あなたがどれほど傷ついたかもわかるつもりです。ですが、サライサ殿下。あなたの願いを叶えるわけにはいきません。天命てんめいことわりはあくまでも、人類の幸福と世界の繁栄とに寄与きよするための手段。個人の――あえて、そう言わせていただきます――個人の復讐などに用いるためのものではないのです」
 そう言いきるシュテルツライヒの表情には、崇高すうこうなまでの誇りがあった。みずからの役割を知り、その役割を果たすことに限りない充実感を得ている人間だけが示すことのできる誇り。
 シュテルツライヒ。
 天命てんめいきゅうはじまって以来の天才と言われた人物。幼くしてその才能を買われて天命てんめいきゅうに引き取られると、その才を遺憾いかんなく発揮。あらゆる知識と技術とを貪欲どんよくに吸収し、その成長ぶりは人々を驚かせた。嫉妬しっとする間もなくあきれ果ててしまうような、そんな異次元の才能をもつ人物だった。
 史上最年少で天詠てんよみの博士はくしの地位を得るとその後も研鑽を重ね、亡道もうどうつかさとの戦いにおいては数々の対抗策を生みだし、多大な業績を残した。
 マークスが亡道もうどうつかさを封じるために使った天命てんめい巫女みこの血。それもまた、天命てんめい巫女みこの依頼を受けてシュテルツライヒが調整し、亡道もうどうつかさ相手の切り札へとかえたものだった。
 そして、戦いが終わったあと、弱冠じゃっかん二三歳にして天命てんめいきゅうの責任者にして天命てんめい使つかの最高峰たる九星ここのつほし賢者けんじゃへと登りつめた人物。そして――。
 これより千年ののち、ローラシアに巣くう〝賢者〟として世界を支配しようとした人物。
 のちに〝賢者〟たちの一員として、中核となり、永遠の生命と世界の支配権とを手に入れようとするシュテルツライヒだがこのときはまちがいなく、一切の私心のないままに人類を守り、世界を復興させることに尽力していたのである。
 「あなたの願いを叶えるわけにはいきません」
 きっぱりと――。
 シュテルツライヒは改めてそう告げた。
 しかし、その言葉は憎悪の固まりとなったサライサには届かない。
 「シュテルツライヒ。九星ここのつほし賢者けんじゃ。わたしはあなたに相談しに来たのではありません。命じに来たのです。わたしを天命てんめいことわりへとかえなさい。永遠の時をもって騎士マークスを追えるように。それをしないとあれば……」
 「しないとあれば?」
 「反逆罪をもって、あなたを処刑します」
 「殿下!」
 「もちろん、あなただけではありません。天命てんめいきゅうに所属する天詠てんよみの博士はくしすべて、学生にいたるまで、ひとり残らず処刑します」
 「正気ですか、殿下⁉ そんな非道を……」
 「どう思われようとかまいません。ですが、わたしには事実として、それだけのことを為す権力があります。そして、いまのわたしには、いかなる非道もためらう気持ちはありません。あなたがどうしても拒否すると言うのであれば、天命てんめいきゅうは滅びることになります。わたしの八つ当たりによって」
 八つ当たりによって。
 一国の王女ともあろうものが堂々とそう言ってのける。その覚悟はむしろ、あっぱれと言えたかも知れない。
 はあ、と、シュテルツライヒは二度目のため息をついた。
 「……世界の復興はまだ道半ば。いま、天命てんめいきゅうが滅べば、世界に残る亡道もうどう要素ようそ浄化じょうかすることもできなくなります。世界が滅びることになるかも知れないのですよ?」
 亡道もうどうつかさとの戦いに身命しんみょうを捨てた一千万の兵士たち。
 「その死を無駄にすることになるのですよ?」
 そのシュテルツライヒの問いに対し、サライサはただ一言、
 「だから?」
 とだけ、答えた。
 たったその一言で、サライサの思いは知れた。
 その表情、その口調、その態度。どれかひとつとってもサライサを説得することなど不可能だということが知れる。まして、その三つがそろっているとなれば。
 はああ、と、シュテルツライヒは三度目のため息をついた。ただし、今度のはただのため息ではない。すべてをあきらめた嘆息たんそくだった。
 「……わかりました。王女殿下にそこまで言われては仕方ありません。私は生涯でただ一度、禁を破り、個人の思いのために天命てんめいことわりを使いましょう」
 生涯でただ一度。
 シュテルツライヒはこのとき、たしかにそう言った。
 そのシュテルツライヒ自身が後年、自らの私利私欲のために多くの人間を犠牲にし、永遠の時と支配権とを得るために自分自身を天命てんめいことわりにかえるときが来ると知ったなら……このときのシュテルツライヒはどう行動していただろうか。
 「ですが、サライサ殿下。あなたを天命てんめいことわりにかえることはできても、簡単に、とはいきません。そのためにはまず、あなたの魂のうちに核となる天命てんめいことわりを植えつけなくてはならない。そして、長い時をかけてその核を育てていかなくてはならない。あなたが天命てんめいことわりとなり、無限の生命力をもつ肉体を得られるのは、いまから何十年もあとのことなのですよ?」
 「かまいません」
 サライサは揺らぐことのない姿勢のままに答えた。
 「わたしは騎士マークスとはちがいます。人類に対する自分自身の責任をわきまえています。わたしが騎士マークスを追うのは、王女としての使命をすべて果たし終えたあとのこと。天命てんめいことわりと化すまでに数十年の時がかかるというならむしろ好都合です」
 「……わかりました」
 シュテルツライヒはまたも、ため息をついた。
 「では、あなたに核を植えつけることとしましょう。あなたを天命てんめいことわりに、無限の生命力と永遠の時間をもつ怪物へとかえるための核を」
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