壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第九話一九章 人外の戦い

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 「うみ雌牛めうし⁉」
 ロウワンは叫んだ。
 自分の目が信じられなかった。
 なぜ、いま、この場所にうみ雌牛めうしがいるのか。
 ハルキスの島で戦ったあと、うみ雌牛めうしはその姿をどこかに消したはずではなかったか。事実、それからいままでの間、一度たりともその姿を見たことはなかった。それどころか、『出現した』という噂を聞いたことすらなかったのに。しかし――。
 ――まちがいない。あれは、うみ雌牛めうしだ。
 ロウワンは、その巨体を見ながら改めて思った。
 クジラよりもなお巨大な体。
 ドレッドヘアを思わせる。絡みあった長い体毛。
 表面にビッシリとついたフジツボ。
 長い毛と毛の間からのぞく奥深い目。
 すべて、はっきりと覚えている。その姿はまぎれもなく、ハルキスの島で出会ったうみ雌牛めうしそのものだった。
 ――この海の異変を起こしているのがうみ雌牛めうしなら……天詠てんよみのしまに向かっていたときの異変もうみ雌牛めうしの仕業だったのか。だから、メリッサは『海のなかに巨大な力がある』と言っていたのか。
 その『力』の正体がうみ雌牛めうしであるならば、メリッサがあそこまで恐れたのも納得がいくというものだ。しかし、だとすると……。
 ――まさか、ずっと、おれを追っていたのか?
 それは、ロウワンにとっては当たり前の認識だった。
 ――ッ……。
 うみ雌牛めうしが鳴いた。
 いや、呻いた。
 ――ッ!
 うみ雌牛めうしが叫んだ。すさまじいまでの怨念の爆発だった。その声に押されて海が一気に移動した。
 そう。まさに『移動した』としか言えない規模の量と速さで海水が押し出された。押し出された海水はそのまま、津波と言うのもなまぬるい巨大な波となってマークスの幽霊船を襲った。
 波、いや、海水の大量移動に押され、マークスの幽霊船は一気に傾いた。船体がほとんど横になった。膨大な量の海水が真上から叩きつけられた。それはまさに、空気そのものが海水にかわって降りかかってきたような、そんな衝撃だった。
 「うわっ!」
 ロウワンが叫んだ。悲鳴だった。そのまま転倒した。ロウワンが、若いながらにすでに百戦ひゃくせん錬磨れんまの戦士と言っていいこの若者が、こらえきれずに転倒したのだ。しかも、悲鳴をあげて。それだけで、マークスの幽霊船が受けた衝撃のすさまじさがわかろうというものだ。
 マークスの魂に守られたこの幽霊船だからこそ、『その程度』ですんだ。普通の船であったなら最初の一撃で木っ端こっぱ微塵みじんに吹き飛ばされ、細かな破片となって流され、跡形もなくなっていたところだ。
 だが、それほどの威力の海水移動も、うみ雌牛めうしの攻撃というわけではない。うみ雌牛めうしはただ、溜めにためた怨念を吐き出しただけのこと。人間で言えば、憎くてにくてしょうがない相手に対し、思いきり罵声を浴びせた。その程度のことだった。ただ、それだけのことで海水が移動し、史上最大規模の波となって襲いかかってきたのだ。
 うみ雌牛めうしのもつ信じられないほどの力もさることながら、その怨念の深さもすさまじいものだった。いったい、なにがあればここまで相手を憎み、呪い、恨むことができるというのか。そう思わせる怨念だった。
 ――いや……。
 ロウワンは立ちあがりながら思いなおした。マークスの船長服をまとい、〝鬼〟の大刀たいとうを背負ったその全身はすでに、叩きつけられた海水にまみれ、ずぶ濡れになっている。
 ――おれは、うみ雌牛めうしの子どもを殺したんだ。母親なら恨みに思って当然か。
 そう思えば、うみ雌牛めうしの怨念もわかる。だからと言って、ここでかたきをとられ、殺されるわけにはいかない。
 「……悪いが、うみ雌牛めうし。おれは、ここで死ぬわけにはいかないんだ。多くの人の魂に懸けて、この世界を救う英雄にならなくてはならないんだ」
 えっ?
 ロウワンがふいに間の抜けた声をあげた。
 突然、マークスの幽霊船が走り出していた。いままでに感じたことのない速さで海面を疾駆しっくする。船の腹をうみ雌牛めうしに向けた。そこに、ズラリと大砲が表れた。砲門が輝き、一斉に砲撃が行われた。
 「な、なんで……? なんで、マークスがこんなに攻撃的になってるんだ?」
 ロウワンはとまどった。うろたえた、と言ってもいい。それぐらい、マークスの幽霊船は本気になってうみ雌牛めうしを攻撃していた。向けられた砲門が次々と光を放ち、うみ雌牛めうしを砲撃する。
 もちろん、マークスの幽霊船の大砲から放たれるものは砲弾などではない。それは、光。マークスの意思そのもの。マークスの攻撃の意思がそのまま、光の奔流ほんりゅうとなって放たれているのだ。その威力は最大級の軍艦でさえ、一撃のもとに粉砕することができただろう。
 だが、相手は軍艦ではない。その軍艦を幾度となく沈めてきた海の怪物なのだ。フジツボをビッシリと張りつけたからみあった体毛は、その破壊の意思さえも正面から受けとめ、微動びどうだにしない。それどころか、その巨体にものをいわせて波を蹴立けたて、いや、海を真っ二つに割る勢いで泳ぎ、迫ってくる。
 怒濤どとうの勢い。
 まさに、その言葉の見本となる存在がそこにいた。
 マークスの幽霊船の砲撃を跳ね返し、迫る、せまる。蹴立けたてられた波が船を襲い、激しく揺らし、海の藻くずにかえようとする。
 うみ雌牛めうしの全身に巨大な鬼の角が生えた。
 そう見えたのは、ただの錯覚。実際には、ドレッドヘアのような絡みあった体毛が何本ももちあがったのだ。その体毛が大気を押しつぶす勢いで振るわれ、マークスの幽霊船に襲いかかった。
 大気を押しつぶす勢い……というのは、比喩ではない。実際に、体毛の先端では押しつぶされた大気が圧縮され、すさまじい熱の固まりとなっていた。まるで、大気圏に突入した隕石が空気に包まれ、燃えるように。
 それほどの勢いで振るわれた体毛が、熱の固まりと共にマークスの幽霊船に打ちつけられる。それも、何本もなんぼんも。
 音が響く。
 船体が揺れる。
 すさまじい熱があたりの海水を蒸発させ、灼熱しゃくねつの蒸気が辺りを包む。辺り一帯はたちまちのうちに数百度を超える灼熱しゃくねつ地獄じごくと化していた。だが、それでも――。
 マークスの魂に守られた幽霊船は、異様なまでの耐久力を発揮してその攻撃に耐えていた。間断かんだんなく体毛によって打たれながらも海の上を疾駆しっくし、攻撃をかいくぐり、砲撃を叩き込む。うみ雌牛めうしもまた、その砲撃を正面から受けとめ、跳ね返し、海を割って突き進んでは攻撃を繰り返す。
 マークスの意思の込められた光の奔流ほんりゅううみ雌牛めうしを打ちたたき、うみ雌牛めうし蹴立けたてた波と灼熱しゃくねつ攻城こうじょうつちと化した体毛がマークスの幽霊船に襲いかかる。
 そのなかでロウワンはひとり、激しい揺れに翻弄ほんろうされながらとまどっていた。この戦いはロウワンの関われるようなものではなかった。というより、人間が干渉かんしょうできるものではなかった。それほどに次元のちがう戦い。神話の時代における神と巨人の戦いだった。
 ――なんだ。なんなんだ、この殺意の高さは⁉
 異次元の戦いに翻弄ほんろうされながら、ロウワンは思った。
 ――ハルキス先生の島で戦ったときだって、ここまで途方もない殺意を向けては来なかったぞ。それに、これはなんだ? うみ雌牛めうしが狙っているのおれじゃない? うみ雌牛めうしが攻撃しているのは……マークスの幽霊船⁉
 いったい、どういうことなのか。なぜ、うみ雌牛めうしがマークスの幽霊船を狙うのか。そして、なぜ、そのマークスもこうも激しくうみ雌牛めうしを攻撃するのか。
 ――ふたりの間に、なにかあったのか?
 マークスが幽霊船となって世界の海をさ迷うになってからすでに千年。その間に両者が出会ったことがあっても不思議はない。不思議はないのだが、しかし……。
 ――ここまで激しく戦うなんていったい、なにがあったんだ⁉
 ロウワンは心に叫んだ。わからなかった。わからないままに戦いに翻弄ほんろうされていた。
 ――マークス。
 ――マークス。
 「えっ?」
 激しい戦いのなかでたしかに聞こえた。
 思念。
 感情。
 怨念。
 なんと言ってもいい。たしかに、人間のものと思える『思い』が聞こえたのだ。
 ロウワンは自らに埋め込まれた核が熱を発しているのを感じた。体内から焼かれているような感覚を味わった。
 ――なんだ、これは。核が反応している? おれのなかに埋め込まれた核がうみ雌牛めうしに反応して、その声をおれに届けているのか? だけど、これは……人間の思い? それに、この声は……。
 聞き覚えがある。
 うみ雌牛めうしの声。それは確かに、どこかで聞いた声だった。
 ――どこで聞いた⁉ 思い出せ、思い出すんだ! そうだ。この声、この思い、これは……。
 それは千年の昔、騎士マークスの記憶のなかで聞いた声。
 マークスの婚約者であった女性。
 一国の王女であり、本来であればマークスと結婚して王妃となり、国王マークスと共に世界を治めていた女性。
 しかし、マークスが天命てんめい巫女みこただひとりの騎士となることを決意して国を去ったとき、呪いの言葉を投げかけ、その姿を見つめつづけていた女性。
 サライサ。
 ――マークス。
 ――マークス。
 うみ雌牛めうしの放つ声はまさに、あのとき、サライサがあげていた声そのものだった。
 「サライサ殿下⁉ あなたはサライサ殿下なのか⁉」
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