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第二部 絆ぐ伝説
第九話一四章 わかった
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「わかった」
ロウワンはついに、そう言った。
しかし、それは運命に屈した敗北者の言葉ではなかった。ロウワンはつづけてこう言ったのだ。固く握りしめた右の拳を胸に添えて、まっすぐに立ち、誓いの姿勢をとって。
「だけど、これは別れじゃない。あなたが千年後の世界に行くなら、おれも行く。亡道の司を退け、今度こそ滅びの定めを覆すための準備を整えて。おれたちは夫婦だ。たとえ、離ればなれになろうとも、たとえ、なにがあろうとも、おれたちは必ず同じ場所を目指して歩きつづける。目的地に着けば必ず出会える。そうだろう、メリッサ」
ロウワンの誓いの言葉に対し、メリッサも心からのうなずきと断固たる決意の表情で答えた。
「ええ。その通りよ。ロウワン」
ロウワンはメリッサに近づいた。まっすぐに妻の目を見、妻の体を抱きしめた。メリッサもまた、夫の若々しくたくましい肉体に腕をまわし、力の限りに抱きしめた。
「愛している。メリッサ」
「愛しているわ。ロウワン」
ふたりはそのまま口付けを交わした。この時代での最後の口付け。千年の先での再会を約束する儀式。
ふたつの唇がはなれた。重なりあった視線が距離を置いた。ロウワンは静かに腕をほどき、身をひいた。それでも――。
その視線はしっかりと重なったままだった。
やがて、メリッサが視線をそらした。視線を重ねていることに耐えられなくなったからでは、もちろんない。未来に進むためである。
メリッサはゼッヴォーカーの導師に視線を向けた。静かに語りかけた。
「では、ゼッヴォーカーの導師。お願いするわ」
「説明しよう、若き人間よ。心得た」
ゼッヴォーカーの導師がメリッサに近づいた。第二の種族メルデリオ、第八の種族カーンゼリッツが同じようにメリッサに近づく。三体の先行種族は輪となってメリッサを取り囲んだ。
ゼッヴォーカーの導師がロウワンに顔を向けた。ステンドグラスのような顔面をチカチカと明滅させながら言った。
「説明しよう、若き人間よ。君はこの場から去った方がいい。妻が人ならざる存在にかわる様を見るのは、人間にとって心地よいものではないはずだ」
「いいえ」
ゼッヴォーカーの導師の気遣いに対しロウワンはしかし、迷うことなく首を横に振った。
「おれはメリッサの夫です。妻が旅立つというのなら最後まで見守ります」
「わたしも」
メリッサも口をそろえた。
「夫がいてくれた方が安心できます」
ふたりの言葉に、ゼッヴォーカーの導師の顔面がいままでに見せたことのない激しい明滅を見せた。それはまるで、何人もの元気な子どもたちが楽しげに踊るような輝きの仕方だった。
「説明しよう、若き人間よ。人類とは実に驚くべき種族だ。幾度となく深い感銘を与えてくれる。説明しよう、若き人間よ。わたしは感動している。この感動を私は讃えつづけよう」
その言葉と共にゼッヴォーカーの導師の顔面が輝きを増し、幾筋もの光を放った。その光は空中を乱舞し、社交ダンスのような鮮やかなステップを踏んだ。その光のダンスが人間で言う『歌』に相当する感情表現であることを、ロウワンとメリッサは直感的に理解していた。
ゼッヴォーカーの導師が大きく腕を広げた。胸を反らした。顔面から放たれる光はますます強く、激しくなり、鮮やかなステップはより野性的な踊りとなった。
極限の興奮状態。
そう言っていい状態だった。
常に冷静であるゼッヴォーカーの導師。そのゼッヴォーカーの導師がここまでの興奮状態に入り込んだのは、まぎれもなくロウワンとメリッサが見せた姿に対する感動の故だった。
「さあ、メリッサよ。唄いたまえ。君自身の天命の歌を!」
ゼッヴォーカーの導師は高ぶった精神のまま叫んだ。それは恐らく、ゼッヴォーカーの導師の無限とも思える生涯のなかで、最初で最後のトリップ状態であったろう。
メリッサはゼッヴォーカーの導師に言われるままに唄いだした。メリッサは楽器を奏でることができない。ために、かの人がこの世界を守るために紡ぐものは曲ではなく歌。自らの声によって紡がれる天命の歌だった。
ゼッヴォーカーの導師。
メルデリオの魔術士。
カーンゼリッツの学士。
輪となってメリッサを取り囲む三体の先行種族。その先行種族の身からそれぞれ色の異なる光が放たれメリッサを包みこんだ。三色の光はひとつとなって、まったく新しい色の光となりメリッサの全身を覆った。
――これは繭だ。
ロウワンはそう直感した。
繭のなかでイモムシがその身を作り替え、チョウとなるように。メリッサはいま、光のなかで自分という存在そのものを作り替えている。血の通った人間から、天命の歌を唄いつづけるだけの自動人形へと。
その生まれ変わりの工程の一つひとつを、ロウワンは両の拳を握りしめたまま見つめている。瞬きひとつせずに。妻がかわっていくその様を、ただの一瞬たりとも見逃すまいと。
光が踊り、メリッサの歌声が響きわたる。歌声に導かれるように光は形をかえ、メリッサの体表で踊り、ときに渦を巻き、ときに跳ね返りながら、徐々にメリッサの身に吸い込まれていく。そのたびにメリッサという存在は作り替えられ、人ならざる存在へとかわっていく。
やがて、轟々と渦を巻く光のすべてがメリッサのなかに吸い込まれた。メリッサの肉体はかわることなく歌を唄いつづけている。その顔も、その体も、肌の色艶にいたるまでなにひとつかわっていない。どこからどう見てもメリッサそのもの。しかし――。
そのメリッサはもはや人ではない。天命の歌を唄いつづける自動人形。
ロウワンはメリッサに近づいた。手を伸ばし、そっとメリッサの頬にふれた。自動人形と化したメリッサはもはや、そんな仕種に対して反応を返すことはない。ただただ天命の歌を唄いつづける。
「約束だ、メリッサ。千年後、おれたちは再び出会う。そして、そのときこそ滅びの定めを覆し、共に生きるんだ」
「説明しよう、若き人間よ。次は天命の巫女を人間に戻す番だ」
「はい」
ロウワンはうなずいた。
ロウワンの手によって、天命の巫女はマークスの幽霊船から運び出された。実に千年ぶりに天命の巫女はその居場所をかえたのだ。
狭間の世界へと運び込まれた天命の巫女はメリッサと同じように、ゼッヴォーカーの導師、メルデリオの魔術士、カーンゼリッツの学士によって囲まれた。そこからは逆だった。天命の巫女の身から光が放たれ、その光がゼッヴォーカーの導師たちに吸収されていく。
光の最後の一滴が呑み込まれ、場を沈黙が支配した。
竪琴を奏でつづける天命の巫女の指がとまった。その手がゆっくりとおろされた。その顔がぎこちなく左右に動かされ、ふたつの目があたりを見まわした。そして――。
その美しい唇からひとつの声が放たれた。この千年、誰も聞いたことのない声が。
「ここは?」
ロウワンが見守るその前でいま、千年の時を超えて『壊れたオルゴール』は人間に戻ったのだ。
ロウワンはついに、そう言った。
しかし、それは運命に屈した敗北者の言葉ではなかった。ロウワンはつづけてこう言ったのだ。固く握りしめた右の拳を胸に添えて、まっすぐに立ち、誓いの姿勢をとって。
「だけど、これは別れじゃない。あなたが千年後の世界に行くなら、おれも行く。亡道の司を退け、今度こそ滅びの定めを覆すための準備を整えて。おれたちは夫婦だ。たとえ、離ればなれになろうとも、たとえ、なにがあろうとも、おれたちは必ず同じ場所を目指して歩きつづける。目的地に着けば必ず出会える。そうだろう、メリッサ」
ロウワンの誓いの言葉に対し、メリッサも心からのうなずきと断固たる決意の表情で答えた。
「ええ。その通りよ。ロウワン」
ロウワンはメリッサに近づいた。まっすぐに妻の目を見、妻の体を抱きしめた。メリッサもまた、夫の若々しくたくましい肉体に腕をまわし、力の限りに抱きしめた。
「愛している。メリッサ」
「愛しているわ。ロウワン」
ふたりはそのまま口付けを交わした。この時代での最後の口付け。千年の先での再会を約束する儀式。
ふたつの唇がはなれた。重なりあった視線が距離を置いた。ロウワンは静かに腕をほどき、身をひいた。それでも――。
その視線はしっかりと重なったままだった。
やがて、メリッサが視線をそらした。視線を重ねていることに耐えられなくなったからでは、もちろんない。未来に進むためである。
メリッサはゼッヴォーカーの導師に視線を向けた。静かに語りかけた。
「では、ゼッヴォーカーの導師。お願いするわ」
「説明しよう、若き人間よ。心得た」
ゼッヴォーカーの導師がメリッサに近づいた。第二の種族メルデリオ、第八の種族カーンゼリッツが同じようにメリッサに近づく。三体の先行種族は輪となってメリッサを取り囲んだ。
ゼッヴォーカーの導師がロウワンに顔を向けた。ステンドグラスのような顔面をチカチカと明滅させながら言った。
「説明しよう、若き人間よ。君はこの場から去った方がいい。妻が人ならざる存在にかわる様を見るのは、人間にとって心地よいものではないはずだ」
「いいえ」
ゼッヴォーカーの導師の気遣いに対しロウワンはしかし、迷うことなく首を横に振った。
「おれはメリッサの夫です。妻が旅立つというのなら最後まで見守ります」
「わたしも」
メリッサも口をそろえた。
「夫がいてくれた方が安心できます」
ふたりの言葉に、ゼッヴォーカーの導師の顔面がいままでに見せたことのない激しい明滅を見せた。それはまるで、何人もの元気な子どもたちが楽しげに踊るような輝きの仕方だった。
「説明しよう、若き人間よ。人類とは実に驚くべき種族だ。幾度となく深い感銘を与えてくれる。説明しよう、若き人間よ。わたしは感動している。この感動を私は讃えつづけよう」
その言葉と共にゼッヴォーカーの導師の顔面が輝きを増し、幾筋もの光を放った。その光は空中を乱舞し、社交ダンスのような鮮やかなステップを踏んだ。その光のダンスが人間で言う『歌』に相当する感情表現であることを、ロウワンとメリッサは直感的に理解していた。
ゼッヴォーカーの導師が大きく腕を広げた。胸を反らした。顔面から放たれる光はますます強く、激しくなり、鮮やかなステップはより野性的な踊りとなった。
極限の興奮状態。
そう言っていい状態だった。
常に冷静であるゼッヴォーカーの導師。そのゼッヴォーカーの導師がここまでの興奮状態に入り込んだのは、まぎれもなくロウワンとメリッサが見せた姿に対する感動の故だった。
「さあ、メリッサよ。唄いたまえ。君自身の天命の歌を!」
ゼッヴォーカーの導師は高ぶった精神のまま叫んだ。それは恐らく、ゼッヴォーカーの導師の無限とも思える生涯のなかで、最初で最後のトリップ状態であったろう。
メリッサはゼッヴォーカーの導師に言われるままに唄いだした。メリッサは楽器を奏でることができない。ために、かの人がこの世界を守るために紡ぐものは曲ではなく歌。自らの声によって紡がれる天命の歌だった。
ゼッヴォーカーの導師。
メルデリオの魔術士。
カーンゼリッツの学士。
輪となってメリッサを取り囲む三体の先行種族。その先行種族の身からそれぞれ色の異なる光が放たれメリッサを包みこんだ。三色の光はひとつとなって、まったく新しい色の光となりメリッサの全身を覆った。
――これは繭だ。
ロウワンはそう直感した。
繭のなかでイモムシがその身を作り替え、チョウとなるように。メリッサはいま、光のなかで自分という存在そのものを作り替えている。血の通った人間から、天命の歌を唄いつづけるだけの自動人形へと。
その生まれ変わりの工程の一つひとつを、ロウワンは両の拳を握りしめたまま見つめている。瞬きひとつせずに。妻がかわっていくその様を、ただの一瞬たりとも見逃すまいと。
光が踊り、メリッサの歌声が響きわたる。歌声に導かれるように光は形をかえ、メリッサの体表で踊り、ときに渦を巻き、ときに跳ね返りながら、徐々にメリッサの身に吸い込まれていく。そのたびにメリッサという存在は作り替えられ、人ならざる存在へとかわっていく。
やがて、轟々と渦を巻く光のすべてがメリッサのなかに吸い込まれた。メリッサの肉体はかわることなく歌を唄いつづけている。その顔も、その体も、肌の色艶にいたるまでなにひとつかわっていない。どこからどう見てもメリッサそのもの。しかし――。
そのメリッサはもはや人ではない。天命の歌を唄いつづける自動人形。
ロウワンはメリッサに近づいた。手を伸ばし、そっとメリッサの頬にふれた。自動人形と化したメリッサはもはや、そんな仕種に対して反応を返すことはない。ただただ天命の歌を唄いつづける。
「約束だ、メリッサ。千年後、おれたちは再び出会う。そして、そのときこそ滅びの定めを覆し、共に生きるんだ」
「説明しよう、若き人間よ。次は天命の巫女を人間に戻す番だ」
「はい」
ロウワンはうなずいた。
ロウワンの手によって、天命の巫女はマークスの幽霊船から運び出された。実に千年ぶりに天命の巫女はその居場所をかえたのだ。
狭間の世界へと運び込まれた天命の巫女はメリッサと同じように、ゼッヴォーカーの導師、メルデリオの魔術士、カーンゼリッツの学士によって囲まれた。そこからは逆だった。天命の巫女の身から光が放たれ、その光がゼッヴォーカーの導師たちに吸収されていく。
光の最後の一滴が呑み込まれ、場を沈黙が支配した。
竪琴を奏でつづける天命の巫女の指がとまった。その手がゆっくりとおろされた。その顔がぎこちなく左右に動かされ、ふたつの目があたりを見まわした。そして――。
その美しい唇からひとつの声が放たれた。この千年、誰も聞いたことのない声が。
「ここは?」
ロウワンが見守るその前でいま、千年の時を超えて『壊れたオルゴール』は人間に戻ったのだ。
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